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「ナマエ」

 呼ばれて視線を向けると、イゾウが俺を見下ろしていた。
 本日は晴天。今日は絶好の洗濯日和だ。
 俺はマルコの隊に所属しているが、洗濯は人数も多いためにあちこちの隊から雑用が派遣されていて、俺もそのうちの一人だった。
 誰のかもわからないシャツを洗って絞っていた俺は、いつの間にか座っていたらしいイゾウを見上げながら、手に持っていたシャツを干した。
 何の用事だろうと思いつつ視線を向けた先で、楽しげに笑ったイゾウが煙を吐く。

「せいが出るねェ」

「仕事だから」

「働き者だって、もっぱらの評判だ。鍛錬も最近始めたんだってな」

「ん?」

 これは、よく働くと褒められているのだろうか。
 首を傾げた俺の上で、軽く足を揺らしたイゾウがその場から飛び降りた。
 たん、と軽く音を立てて降り立つその様子を横目に、俺は次なる洗濯物を絞る。
 ワンピースの世界に来てから洗濯物を手洗いするようにはなったけど、こんなにたくさんの洗濯物を洗うのは大変だ。
 今は夏島だか春島だかの気候だからいいけど、これが冬島の気候になったら手があかぎれだらけになるんじゃないだろうか。
 せっせと手を動かしている俺を、壁に背中を預けたイゾウが見下ろしている。
 注がれる視線に少々の居心地の悪さを感じて、絞り終えた衣類を手に膝を伸ばした俺は、ちらりともう一度イゾウを見やった。

「イゾウ隊長、用事あった?」

「あァ、ちょっとな」

 俺の言葉に頷いて、もう一度イゾウが煙を吐く。
 手に持っているアレは何と言ったっけ。きせる、だったろうか。
 皺を伸ばすように洗濯物を振り回して、広げたそれを干し紐に引っ掛けた俺へ、イゾウが言った。

「最近、様子が変わったって聞いたもんでね」

「様子?」

 言われた言葉の意味が分からず、首を傾げた俺に、イゾウがひょいと近付いてきた。
 くるりと回した手の中の物が煙を吐いて、それと同じにおいが近付いてきたイゾウの体からふわりと漂う。
 俺を見下ろすその目はひたりとこちらを見据えていて、何となく目を逸らせずにぱちりと瞬きだけをした。

「マルコを避けてるって?」

 囁くように言われる。
 何の話だろう。
 俺はもう一度首を傾げた。
 『元に戻った』マルコは俺を構わなくなったし、夜だって俺が眠るまで部屋に戻ってこないし、話をしたときにこちらを見ることも少なくなった。
 近くにいたってそうなら、近くにいなくたって同じだ。
 そう思ったから、俺はマルコの近くにわざわざ寄るのを止めた。
 夜寝るときマルコを待つのを止めたし、鍛錬は一番隊のほかの新人クルーがやってるのを教えてもらったし、たまにハルタが付き合ってくれる。
 部屋よりも落ち着ける雰囲気があるから、一人で休みたいときはあの小さな書庫にいる。
 寝るのはもちろんマルコと同じ部屋だけど、俺が眠りにつくのはマルコが帰ってくるより前だったから、俺がマルコと接触するのは目を覚ましたときの挨拶と、日中に遭遇したときくらいだった。

「避けたりしてない」

 心当たりが無いからそう答えると、そうかい、と少し面白そうにイゾウが呟いた。
 誰からそんなホラ話を聞いたんだろうか。
 じっと見上げた先で、ついと動いたイゾウの手が俺の頭を軽く撫でる。
 俺より大きい連中が多いからか、よく頭を撫でられる気がする。子ども扱いするなと言いたい。

「マルコが寂しがってたから、お前さんが避けてるのかと思ってたよ。勘違いして悪かったね」

「マルコが? そんなわけがない」

 囁かれた嘘を、俺ははっきりと否定した。何を馬鹿なことを言っているんだ。
 頭を撫でていた手がぴたりと止まって、俺の頭に手を乗せたまま、イゾウが俺の顔を見下ろす。
 化粧を乗せたうそつきの顔を見上げて、俺は呟いた。

「マルコは『元』に戻ったのに」

 白ひげ海賊団の一番隊の隊長で、字が不死鳥の、海賊マルコ。
 あの島で俺が遭遇したマルコは、手についていた枷も外れて、仲間に迎えに来てもらって、元に戻った。
 こんなにたくさんの船員がいる船に乗っていたのだ。あの島にいたころは俺とたった二人っきりで寂しかったかもしれないけど、今は寂しがるはずもない。
 じっと見上げた先で、イゾウが小さくため息を吐いた。
 その手がようやく俺の頭を離れた、と思ったらぴんと額をはじかれる。
 痛い。
 両手で額を押さえると、おや痛かったかい悪かったね、と全く悪いと思った様子も無く言い放って、イゾウが言葉を紡いだ。

「元に戻ってないから言ってんだろ。嘘だと思うなら、マルコに聞いてみるといい」

 さらりと寄越された言葉に、俺は少しばかり眉を寄せた。
 聞けるものなら聞くけど、それは無理な話じゃないだろうか。
 『元に戻った』マルコは俺を構わなくなったし、夜だって俺が眠るまで部屋に戻ってこないし、話をしたときにこちらを見ることも少なくなった。
 むしろ、俺を避けているのはマルコのほうだ。
 何も言わずとも非難がましい視線を向けてしまったのか、俺を見下ろしたイゾウは、面倒くさい奴らだな、と唸ってもう一度ため息をついた。




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