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 夜、食堂で食事を終えた俺は、部屋へと戻りかけていた足を動かして、今日の昼間に見つけた書庫へ向かった。
 どうせ、マルコは今日も遅くまで部屋に戻ってこないだろう。
 静かな場所で眠くなるまでじっとしているなら、一人であることを実感するマルコの部屋より、落ち着ける場所のほうがいいと思ったからだ。
 案の定、書庫には誰もいなかった。
 倒れたら消えてしまうようになっているカンテラを片手に書庫へ入り込んで、暗い夜空しか覗かせない窓を見上げてから、本棚の傍に腰を下ろす。
 足元へカンテラを置いてそれを見つめながら耳を澄ませば、外からは波の音が聞こえてくるようだった。
 足元が揺れているのは、ここが船の上だという証拠だ。
 湿った紙のにおいを吸い込んで、そっと息を吐く。
 ここのにおいは、俺がもといた場所のにおいに似ている。
 もう一年も帰っていないあの部屋のことが、少しだけ気になった。契約更新はどうなっただろう。光熱費の引き落としで口座の金は無くなってるだろうし、誰かが俺の荷物は片付けてしまっただろうか。
 思い出してみても、どうしようもないことだった。
 俺はあの日、元の世界じゃなくてマルコを選んだのだ。
 好きだといってくれたマルコを好きだと気付いたから、マルコの傍にいるほうを選んだ。
 マルコのために出来ることをしようと思ったし、今だってその気持ちは変わってない。
 だから、俺のこれは、ただの気の迷いなんかじゃないと思う。

「…………ふぅ」

 でも、マルコはどうだろうか。
 そんなことを考えながら、ちらりと本棚を見やる。
 薄暗い室内にそびえる本棚には、昼間も見たとおりたくさんの本が並んでいた。
 座っているから、一番下の段に手を伸ばして、掴んだ本を引っ張り出す。
 背の太いそれは古びていて、少々埃がかかっていた。
 どうせ中身は英語だろうし、読むのは難しいだろうが、絵の一つでもついていないだろうか。
 そんなことを考えて表紙をめくった俺は、そこにあった絵に目を丸くした。

「…………悪魔の実?」

 そこに記されていたのは、どう見ても悪魔の実の絵だった。
 ぐるぐると渦を巻く異様な柄の果物の絵の下には、大きな文字と、それから説明らしい小さな文字が並んでいる。
 読めないが、ぱらぱらと何枚もめくって、時々絵が無いものの同じように並んだ英語で構成されたその本に、俺はこれが何なのかを理解した。

「図鑑……」

 そういえば、悪魔の実には図鑑があった。
 ティーチはそれでヤミヤミの実が何なのかを知っていたし、確かサンジはスケスケの実がどうとか言っていたはずだ。
 カンテラを引き寄せて、しげしげと本を眺める。
 異様な形と柄の不思議な実がいくつもあるが、どれがどれなのか、俺にはよく分からなかった。
 これは何の実だろう。
 そんなことを考えながら開いたページを眺めていた俺の耳に、ぎしり、と小さく板の軋む音が届く。
 体重移動で起きたようなその音に耳を澄ましながら、書庫の出入り口を見やる。
 数拍を置いて、扉がゆっくりと開かれた。

「……ナマエ、こんなところで何してるんだよい」

 言いながら隙間から覗いたのは、最近この時間には見られない顔だった。

「マルコ」

 名前を呼びながら見やると、カンテラを傍に置いて本を開いている俺を見たマルコが、そろりと書庫へと入ってきた。
 書庫に用事があったのだろうに、手にはカンテラも持っていないマルコの姿に首を傾げる。

「何を読んでるんだよい?」

「わからない。図鑑?」

「……ああ、読めねェのかい」

 俺の言葉に頷いて、マルコがひょいと俺の前に屈みこんだ。
 逆さまに図鑑を見下ろして、コレはゾウゾウの実だよい、とマルコが答える。
 なるほどと頷いて、俺はぱらりとページをいくつかめくった。

「じゃあこれは?」

「そりゃボムボムの実だねい。爆弾人間になっちまうんだよい」

「これ」

「モクモクの実だよい。そのとなりのはスケスケの実だねい」

 どうやら俺がめくったページの実が、サンジが求めていた悪魔の実だったらしい。
 さらにページをめくって尋ねれば、逆さまに見下ろしたマルコがそれに答えてくれる。
 どうして付き合ってくれるのかは分からないが、マルコの声をたくさん聞きたくなった俺は、さらに何度もページをめくって、マルコに答えを貰った。

「それはヤミヤミの実だねい」

 そうして図鑑の真ん中頃でそう言われて、俺はぱちりと瞬きをする。
 その隣に書かれた実のことをマルコが教えてくれているが、うまく耳に入ってこない。
 見下ろした先にあった絵は、紫色の丸いパイナップルみたいな実だった。葉っぱは緑だ。
 これがヤミヤミの実か。
 何だか怖くなって、ぱたんと図鑑を閉じる。

「もう終わりかい?」

「……ん」

 不思議そうに聞かれて頷きながら、俺はきちんと図鑑をもとあった場所へ戻した。
 そうして立ち上がると、マルコもひょいと立ち上がる。

「じゃあ、早く部屋に戻るよい。もう遅いからねい」

 マルコがそう言って歩き出しながら、俺を手招く。
 もしかして、用事があったからここへ来たんじゃなくて、俺を探しに来たんだろうか。
 そんな風に思うと、少しだけくすぐったくなった。
 マルコに近付いて、その顔を見上げる。

「マルコも?」

「……いや、おれは用事があるからねい。ナマエは先に部屋で休んでろい」

 俺の問いにそう答えて、マルコはふいと顔を逸らした。
 また用事か。
 軽く肩を落としつつ、分かった、と頷く。
 俺の前に立ったマルコが、俺からカンテラを奪い取りつつ扉を大きく開いたので、俺はそのまま外へ出た。
 歩き出したマルコの隣に並ぶ。
 書庫で過ごしている間に時間が経ったのか、通路には人影が無かった。
 マルコの持っているカンテラが、等間隔に置かれた明かりの間の通路を照らしてる。
 暗がりで、今は二人きりだ。
 俺はちらりとマルコを見やった。
 マルコはこちらを見てもいない。
 顔から辿ってその肩を見やって、それからその腕を流れて掌へと俺の視線がたどり着く。

「……」

 この船に乗った頃は、どこに行くときもあの手が俺の手を握ってくれていた。
 俺のよりも大きな掌は案外温かくて、武器を使って戦うことがあるからか硬かった。少しざらついた指の感触は、嫌いじゃなかった。
 それを思い出して、何となく、俺はマルコへ手を伸ばした。
 けれども俺の手が触れるより前に、マルコの腕がふっと動く。
 自然な動作で俺から逃れた掌を軽く首に当てて、少しばかり伸びのような動作をしたマルコが、それからようやくその視線を俺へと向けた。

「……ナマエ? どうかしたかい」

 マルコのほうへ手を伸ばした変な格好の俺へ尋ねてきたマルコに、何となくごまかしたくなって、視線をマルコの持っているカンテラへと向ける。

「……それ」

「ああ、部屋まで送ってってやるから、おれが持っててもいいだろい」

 自分はその後部屋を離れるのだからと言いたげな言葉に、分かった、と頷いて手を下ろす。
 ちらりと見やったマルコはもう正面を向いていて、俺がその手に触ろうとしたことには気付いた様子も無い。
 マルコは俺に構わなくなった。
 それが変だと俺は思っていたけど、そうじゃなくて、ただ単にマルコは『元に戻った』だけだった。
 だとしたらマルコは、もう俺と手を繋ぎたいなんて思わなくなったんだろうか。
 一緒にいたいとか、前みたいにべたべたしたいとか。もう、思わないんだろうか。
 聞いてみたい気がしたけど、頷かれるのはいやだ。
 そう思って何も聞かなかった俺は、でも、今みたいに思い知らされるのもいやだな、と漠然と思った。




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