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 俺がマルコと一緒に白ひげ海賊団の船へ乗ってから、もうじき三週間が経つ。
 俺としては初めて、他のクルー達からすれば久々に、船は島へと着いた。
 どうやら白ひげ海賊団の縄張りの一つらしく、堂々と港へ停泊した船から、クルーが何人も降りていく。
 当然俺もそのうちの一人で、しかも白ひげに呼び出されて成人していながら小遣いまで貰ってしまった。
 足りない私物をコレで買って賄え、ということらしい。
 俺自身にはあまり物欲も無いが、ありがたく受け取った。いくつかお下がりも貰ったけど、着替えでも買おう。

「どうせなら一人で行かず、誰かに案内してもらえ」

 白ひげはそう言ったけど、リストがどうのと言っていたハルタも既に出てしまったようだし、顔見知りのクルー達も同じようだ。
 マルコは部屋にいるようだったけど、最近のマルコの様子からすると誘ってもついてきてくれないような気がしたし、わざわざ断られに行く趣味はない。別に一人で行動するのは嫌いじゃなかったから、俺は一人で島へ降りた。
 ベリーの入った財布入りの小さな鞄を肩からかけて、島を歩く。
 元の世界でもコンビニとスーパーくらいにしか行くことの無かった俺にとって、ワンピースの世界の市場は未知の領域だった。
 見たことの無い食べ物や物や人が溢れている。
 あちこちの店をしげしげと眺めていたら、観光客か何かだと思われたらしく、店主から声を掛けられる確率が非常に高かった。
 セールスされるとそれが非常にいいもののような気がしてきて、俺はあちこちの店で小さなものを色々買った。
 食べ物が多いのは助かった。船へ持って帰っても誰かへ配れば消費は出来そうだ。
 ふうとため息を吐きつつ、鞄に入りきらなかった分を貰った袋へ入れてそれを担ぐように持ちながら、目的の服屋へとたどり着く。
 入ってすぐに自分に合うサイズの服を買って、ついでに冬島用の服や靴も買った。
 うちの船長が着るのにちょうどよさそうなサイズの服もあったけど、店の出入り口は狭くて、ハンガーはともかくこの体格の人間が入ってくるのは難しそうだ。試着とかはしないんだろうか。少し不思議だった。

「ありがとうございましたー」

 買い物を終えて、荷物片手に店を出る。
 かなり重たい。
 そろそろ船へ帰るべきだろうかと考えながら通りを歩き出して、はた、と俺は気が付いた。

「…………どっち?」

 左右に広がる市場通りはとてもにぎわっていて、右も左も人だらけだ。
 どっちから来たんだったろうか。
 右からだった気もするし左からだった気もする。
 目印を探してみても、しげしげ眺めた店はどれも似た雰囲気を持っていた。
 これは困った。

「…………ん」

 とりあえず歩いていこうと決めて、俺は自分の前方へと足を動かした。
 しばらく言ってみて、違う道だと判断できたら戻ってみたらいい。
 曲がったりはしなかったはずだから、駄目でも来た道を戻れば大丈夫だ。
 そう思いつつ歩き始めてから、二時間ほどあとのこと。

「…………」

 俺は、後悔を抱いて小さな路地に屈んでいた。
 ここは、大通りから一本折れたところにある中道のどこかだ。
 ここを通ると港まで近いと聞いたから曲がったのだが、間違った方向だったらしい。
 そして迷いながら数回曲がった所為で、来た道すら戻れない。
 俺は馬鹿なんじゃないだろうか。そう悔やんでみても後の祭りだった。
 ここは一体どこだろう。
 見上げた空は夕暮れ色に染まり始めていた。
 もうじき夜が来る。
 暗くなると、船へ帰るのは難しくなるだろう。
 確か、船はしばらく港へ停まると言っていた。幸いまだベリーはあるし、いっそこの辺りで宿でも取ったほうがいいんだろうか。
 自分がいる路地の奥に、いくつかいかがわしい看板を下げている宿屋のようなものを見やってそこまで考えた時、ばさり、と大きく鳥の羽ばたくような音がした。

「ナマエ!」

 それと共に名を呼ばれて、ちらりと上を仰ぐ。
 屈んだ俺の真上に広がっていた青い炎が消えて、俺のすぐ傍に人間が降ってきた。

「………………マルコ?」

 驚いて見上げた先にいるのは、どう見てもマルコだ。
 さっきの炎は、マルコの不死鳥の炎だったのだろうか。
 戸惑い見上げた先で、眉を寄せたマルコが俺と同じように屈みこむ。

「ナマエ、こんなところにいたのかよい」

 言いつつ、その手が俺の体に触れた。
 多分、怪我をしていないか確認したかったんだろうと思う。
 けれども、あまりにも突然すぎる久しぶりの接触に、俺はびくんと体を震わせた。
 俺のその反応に驚いたのか、マルコが眼を丸くする。いや、驚いたのは俺のほうだ。久しぶりすぎるマルコからの接触にも、自分の反応にもびっくりだ。
 相変わらず俺の手より大きくて温かかった掌がぱっと離れて、屈んでいたマルコは俺の前からひょいと立ち上がる。
 変な風に思われたかと慌てて見上げた先にいるのは、いつもの顔のマルコだった。

「……ほら、立てるかよい」

「……ん」

 言いながら促されて、頷いて足に力を見れる。
 立ち上がった俺をマルコの目が見下ろして、それを俺は見つめ返した。

「夕方になっても戻ってねェって聞いたから、探しに来たんだよい。迷ったのかい?」

 心配そうになった双眸でそう聞かれて、ん、と俺は頷いた。
 この年になって迷子とは恥ずかしいが、事実だ。仕方が無い。
 俺の様子にやれやれと息を吐いて、マルコが肩を竦める。

「ずいぶん港から離れた場所にいたんだねい。ほら、帰るよい」

 言い放ったマルコは、どうやら俺を連れて帰ってくれるらしい。
 頷いてマルコの後について歩き出そうとすると、先に歩き出そうとしていたマルコが、先ほどのようにもう一度俺へ手を差し伸べてきた。

「マルコ?」

 どうしたのかと思って見上げた先で、マルコの視線が俺の荷物へ向けられていることに気付く。

「貸せよい」

 俺が気付いたことにマルコも気付いたらしく、ひらりとその手が揺れた。
 つまり、荷物もちをしてくれるということだろうか。
 俺は、自分が手に持っている荷物を見やる。
 服やあちこちの露店で買った食べ物の詰まった袋は、ずいぶんと重たい。持ちやすいように一つにまとめたのだから当然だ。
 こんなに重たいのに、マルコに持たせて良いわけがない。
 そうまで考えたところで、いつも通り俺が何かを言う前に俺の思考を読んだらしいマルコが、揺らしていた手を動かして俺から荷物を奪い取った。

「マルコ、」

「あの島にいた頃のおれじゃねェんだ、こんくらいの荷物ぐらい片手で持てるよい」

 言い放って、確かに言葉の通りに片手で荷物を持ち直したマルコが、先に立って歩き出す。
 荷物を奪われてしまった俺は、仕方なくそれを追いかけた。
 てくてくと、二人で並んで道を歩く。
 俺から荷物を預かったマルコの足取りは、すごくしっかりしていた。
 確かに、もうマルコは、あの島で俺と一緒にいたマルコじゃない。
 両手は拘束されてないし、ふらふらしたりもしていなかった。海楼石が無いんだから当然だ。
 マルコは『元』に戻った。
 そう思い知らされて、小さく息を吐きながら、その背中を追いかける。
 空を飛んできたはずなのに道を把握しているらしいマルコは、迷う様子も無く俺を先導した。
 人ごみに入り始めると、荷物を持ったままのマルコが俺との距離を少しつめてくる。
 一人で歩いていた時より歩きやすい気がするのは、マルコが俺を誘導するようにして歩いてくれているからだろうか。
 マルコの隣を歩いてそんなことを考えていたら、ちらりとその目がこちらを見た。

「一番隊の半分は、今日は酒場で夕飯食いに行くことにしたんだが、ナマエはどうするよい?」

 問われた言葉に、俺は少しだけ考えた。
 一番隊の半分、ということは、残り半分は船に残るんだろうか。

「…………マルコは?」

 マルコはどちらに含まれているのだろうと思って尋ねると、俺は行けねェよい、とマルコが答えた。

「まだリストが出来てないからねい」

 リストと言うのは、今朝ハルタが言っていた、買出し用のリストだろうか。
 今のうちに製作して注文をしておいて、島を出るときに全部積むんだと言っていた。
 どうやら、一番隊のものはマルコが作っているらしい。隊長だから当然だろうか。

「じゃあ、俺も船」

 仕事をしているなら部屋にいるだろうし、それなら今日は久しぶりに、眠る前にもマルコの顔が見られそうだ。
 そう思ってそう答えると、そうかよい、とマルコが頷いた。
 どこか低く響いた声に、俺は首を傾げる。
 俺たちはそのまま、港を目指して歩いた。
 途中、目を引く商品に俺が足を止めると、隣を歩いていたマルコも止まってくれた。

「どうだいお兄ちゃん、今ならこれがたったの300ベリーだ」

「ん、じゃあ」

「止めとけよい、ナマエ。せめてこっちにしろい」

 店主が差し出した果物を言われるがまま買おうとしたら止められて、もう少し値の張るものをマルコに勧められる。
 さらにはマルコがベリーを払ってそれを買ってくれて、俺は目を丸くした。
 いいのかと思って見やれば、肩を竦めたマルコがまた歩き出す。
 毎度あり、なんて声を掛けてくる店主に背中を向けて、俺もマルコを追いかけた。

「マルコ、ありがとう」

「こんくらい、礼を言われるまでもねェよい」

 はした金だと言いたげな言葉を紡ぐマルコに、でもありがとう、ともう一度礼を言う。
 マルコに買ってもらったと思うだけで、手に持っている果物がものすごく大切で綺麗なものに思えた。
 食べるのが勿体無いくらいだ。
 嬉しくて仕方なくて、口が緩んだのが分かる。
 多分、俺は今笑ってると思う。
 港へ向かってる間、他の露店にも珍しいものはたくさんあったけど、マルコに買ってもらった果物以上に輝いているものは見当たらず、それから俺が足を止めることもなかった。
 たどり着いた港で、合図を送ったマルコに、船の上から船員が手を振り返す。
 小船がゆっくり降ろされていくのを見ながら、俺とマルコは並んで立っていた。
 あちこちをオレンジ色に染める夕焼けの下で、寄せては返す波を見下ろしていた俺の横で、ふいにマルコが口を開く。

「……なァ、ナマエ」

「ん?」

 小さすぎるその声に顔を向けると、マルコはこちらを見もせずに口を動かしていた。
 囁き声が、小さく波にまぎれる。


「……あの島でのことは、もう忘れろい」


 それでもそれはちゃんと俺の耳に届いて、俺はぱちりと瞬きをした。
 突然、何を言い出すんだ。
 そう聞きたかったのに、俺の口から声は漏れなかった。
 あの島、というのはきっと、俺が捨ててきた元の世界と繋がっている、あの唯一の島のことだ。
 そこでのことというのは、きっと、俺がマルコと過ごしたあの時間のことだ。
 頭の中でそう判断して、忘れろ、と言われたことを反芻する。
 何を忘れろというんだろう。
 マルコにキスされたことか。
 マルコと手を繋いだことだろうか。
 マルコに好きだといわれたことだろうか。
 マルコを好きだと思ったことだろうか。
 マルコと一緒に過ごした時間、日々、気持ち。
 もしかして、その全部だろうか。
 マルコは、俺に、それを捨てろと言っているんだろうか。
 強く掴んだ所為で、片手に持っていた折角のマルコの贈り物が、ぐにゃりと僅かに歪んだ気がした。
 さっきまで温かかった場所が、ひんやりと冷えていく。

「…………マルコは、」

 落ち着かなくちゃ駄目だ。
 小さく息を吸い込んで、どうにか手に篭っていた力を抜く。
 指跡の付いてしまった可哀想な果物をもう片手で撫でながら、俺はマルコから視線を外した。
 こちらを見ないその顔を見上げていたって、マルコの表情が変わるわけもない。

「マルコは、忘れてほしい?」

 そうしてマルコのほうも見ずにそう尋ねると、俺とマルコの間に沈黙が落ちた。
 少し離れたところで、降ろされた小船がこちらへ向かって漕ぎ出される。
 乗っているハルタが軽く手を振ったのが見えた。どこかに行くんだろうか。
 小船がこちらへと向かい始めて、もう少しで着きそうだ、というちょうどそのとき、俺の真横から返事が落ちる。

「………………ああ」

 搾り出されたようなそれは、けれど、俺の言葉を肯定するものだった。
 何だか酷く落ち着いた気分でそれを聞いて、俺は小さく息を吐く。
 忘れてほしいということは、あの島でのことは無かった事にしてほしい、ということだ。
 マルコが俺にしたことも、言ったことも、全部。
 それはつまり、ここ最近何となく考えていたことが事実だった、ということに他ならなかった。
 今まで俺が気付かないふりをしていただけだ。
 俺はあの日、元の世界じゃなくてマルコを選んだ。
 マルコが好きだと気付いたから、マルコの傍にいるほうを選んだ。
 マルコのために出来ることをしようと思ったし、今だってその気持ちは変わってない。
 だから、俺のこれは、ただの気の迷いなんかじゃないと思う。
 でも、マルコは違った。
 マルコは『元』に戻って、もう俺が要らなくなった。
 ただ、それだけのことだ。
 それでも、こんな風にはっきり言われるなんて、思ってもいなかったけど。


「ん。分かった」


 小さく呟いた自分の声は少し遠くて、そしてどこかで聞いたことのあるような気がした。




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