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君とおやすみ
※前半は子マルコ注意




「ナマエ、きょうはおしごとおやすみよい?」

 首を傾げつつ見つめられて、ああ、と返事をした。
 見やったカレンダーの日付には、今日はバイトが入っていないことを示している。
 俺が見た方向を見上げたマルコは首を傾げたので、カレンダーが何なのかはまだよく分からないらしい。
 そのうちカレンダーの読み方も教えるべきなんだろうか。
 そんなことを考えつつソファに座ったままマルコを眺めていたら、カレンダーからぐるりと俺の方へ顔を向け直したマルコが、食後の牛乳を一息に飲みほしてコップを置いた。
 俺の買いた文字入りの青コップを置き去りに、立ち上がって近寄ってきた子供が俺の足へと手を掛ける。

「それじゃ、きょうはマルとずっといっしょよい?」

 尋ねつつ見上げてくるマルコの口元は、先ほどの牛乳で汚れている。
 案外スキンシップの多い子供に服を汚される前にと手を伸ばしてティッシュを掴んでから、俺はそれでひとまずマルコの口元を拭いた。
 ぐりぐり擦られるがままにされたマルコがぎゅっと目を閉じたので、口元の汚れをきれいに拭いてやってから鼻をつまむ。

「んぐっ」

「昨日だって一緒だっただろう」

 言いつつ小さい鼻をくすぐるようにすると、むずがって顔を逸らしたマルコが、小さな両手で鼻を隠しつつ改めてこちらを向いた。

「ちがうよい、きのうはナマエ、おしごとだったよい! マルといっしょじゃなかったよい!」

 両手の隙間から覗いた口元が、拗ねたようにとがっている。
 隠れていなかったらくちばしみたいなそれもつまんでやったのに、と何となく残念に思いつつ、俺は少しだけ首を傾げた。

「一緒に出掛けて、一緒に帰ってきたじゃないか」

 俺が『バイト』をしている間、マルコは同じ建物の託児室にいたのだ。
 他にも子供がいたから寂しくも無かっただろうし、昼飯だって一緒だったし、帰りだってもちろん一緒に帰った。
 マルコを連れてスーパーへ行ってはぐれ、手をつないでいくことの重要性を認識したのは記憶に新しい。
 俺の言葉に、マルコの頬がぷくりと膨れる。
 何かに不満を感じているらしいマルコを見つめて、膨れたその頬に触ろうと手を伸ばしたら、鼻を隠すのはやめたらしいマルコの両手が俺の手を掴まえた。

「ぷしゅってするのだめよい!」

 叱るように声を出してから、丸い瞳がじろりと俺のことを睨んでいる。
 嫌がられてしまったのでそれ以上触ろうとはせずに、一先ず俺は改めてマルコを見下ろした。
 両手で俺の片手を掴まえたまま、マルコの片足が持ち上げられて、どうしてかそのまま俺の足を跨ぐ。
 ぐっと力を入れた小さな足に挟まれて、俺はどうやら目の前の子供に捕獲されてしまったようだった。
 胸も腹も俺の足に押し付けて、顎から上を俺の膝の上に乗せるような格好になったマルコが、その状態でもまだ手放していない俺の手を掴む掌に力を入れる。

「きのうのナマエは、おしごとだったからマルといっしょじゃなかったよい。きょうはおしごとじゃないから、いちにち、マルといっしょよい?」

 そのまま改めて尋ねられて、んん? と俺は声を漏らした。
 昨日と今日で何が違うのかが俺にはよく分からないが、どうもマルコは、一日一緒にいられるかどうかを聞いているようだ。
 少しだけ考えてみるも、随分と前にほぼ引きこもりと化してしまった俺に外出を必要とするような趣味は無く、こなさなくてはいけないような予定もない。
 食料は昨日買ってきた分があるし、マルコが行きたがったら公園にくらいは出るかもしれないが、それだけだ。

「……ああ、そうだな」

 だから答えて頷くと、マルコが嬉しそうな笑顔を浮かべた。
 俺の両手を掴んでいた手がぱっと離れて、その代りに俺の服を掴み、両足も動かしてよじよじと人の足をよじ登る。
 そのまま小さな体が俺の膝の上まで移動して、伸びてきた手ががしりと俺の服を掴まえた。

「ナマエ、それじゃマルといっしょにあそぶのよい!」

 声を上げつつ寄ってきた頭が、どすりと俺の体にぶつけられる。
 口元を拭いておいて良かった、と思いつつその攻撃を受け止めた俺は、ぐりぐりと人の体に頭を押し付けるマルコの背中を宥めるように撫でながら、わかった分かった、と返事をした。
 何をして遊びたいのかは知らないが、時間は有り余っていることだし、マルコに付き合うのも悪くないだろう。

「何をして遊びたいんだ?」

 尋ねた俺に、よい! と返事なのかもよく分からない声を上げたマルコが、俺から顔を離して笑顔を向けてきた。




 誘われた遊びが何だったかは、もう覚えていない。



 そんな、懐かしいことを思い出した。
 何がきっかけだったんだろうかとぼんやり考えつつ、視線を向ける。

「? ナマエ、どうかしたかよい」

 俺の視線に気付いたらしいマルコが、軽く首を傾げてこちらを見やった。
 俺が先ほど思い出したのよりも随分と育ったマルコは、今ではこの世界でもそれなりに名の売れた海賊の一人だ。
 不死鳥なんていう二つ名のついた『マルコ』がいるこの『漫画』の世界へと来て、もうかなりの時間が経つ。
 俺がいるのは、マルコに誘われて乗り込んだモビーディック号の船室の一つだった。もともとはマルコと誰かの相部屋だったそうだが、今では俺の私室ともなっている。
 人数が多い分雑用も多い白ひげ海賊団のクルー達には、休みの日というものがあるらしい。
 今日は俺が『休み』の日で、いつも通りに起きたらしいマルコをただぼんやりと眺めていたのだ。
 着替えて朝食に行くべきだろうが、他の『休み』ではないクルー達が引けてから行った方が空いているだろうという自己判断である。

「別に、なんでもない。まだちょっと寝ぼけてるみたいだ」

 マルコへ向けてそう言うと、へえ、とマルコが軽く声を漏らした。
 それの孕んでいた少しとがった響きに、おや、とすこしばかり目を瞬かせる。
 見つめた先のマルコはすでに着替えを終えていて、後は部屋から出ていくだけだろうに、何やら不満げだ。

「マルコ?」

 どうかしたのかと思って声を漏らすと、マルコがじとりとこちらを見やった。

「……他の奴と休みを替わったって、何で昨日になって言うんだよい」

 何やら非難がましく言葉を寄越されて、ああ、と声を漏らした。
 本当なら俺の休みはあと三日後だったのだが、頼むと手を合わせてきたクルーがいたので頷いて請け負ったのだ。
 うっかりマルコに言うのを忘れてしまっていて、それを思い出したのは昨日だった。
 別に今日マルコと一緒の当番があるわけでも無かったから構わないかと思ったのだが、マルコは少し機嫌が悪い。
 そのせいだったのか、と把握して、俺はひとまず素直に口を動かした。

「急に言って悪かった」

「……別に、謝られることじゃねェよい」

 俺の発言に、マルコが言い放つ。
 その足がこちらへと一歩二歩と踏み出してきて、ベッドに座ったままの俺の前に立ったマルコが、そのままで俺をじろりと見下ろした。

「それで、ナマエの今日の予定は何だよい」

「今日か? 別に島についたわけでもないし、食事以外は一日部屋にいようかと思っているが」

 尋ねられて答えつつ、でもそれだとサッチに怒られるかもしれないな、とも少しだけ思った。
 サッチはどうも、俺が部屋にこもるのをよく思っていないらしいからだ。
 俺は別に一人部屋に座っているのも構わないのだが、多分、最初にこの船に乗った時のやり取りのせいだろう。マルコのせいで部屋に引きこもっていると思われているような気がして、そこは少しマルコにも申し訳なく思っている。
 モビーディック号は広いし、少し散歩してもいいかもしれない。
 そんなことを考えながらの俺の言葉に、ふうん、とマルコが二度目の不満げな声を漏らした。
 どうかしたのかと思って見上げた先にあった顔に、何となく見覚えがあるものを感じて、俺は少しだけ首を傾げた。
 こう、手を伸ばせば届くくらい近くだったらつまみたくなるような口だ。
 この顔をしたマルコを、前にも見たことがある。
 はて、どこで見たんだったろうか。

「別に、ナマエの自由だからいいけどよい」

 悩む俺をよそに言葉を落として、はあ、とマルコがため息を吐いた。
 それから、仕方なさそうに軽く首を横に振って、俺に背中を向ける。
 先ほど歩いた道のりを戻ったマルコが手を伸ばしたのはベッドわきのチェストで、そこから掴んだ本が俺の方へ向けて放られた。

「っと」

 落ちかけたそれを慌てて受け止めて、ばさりと開いた本を両手で閉じる。
 それなりに厚みのあるその本は、どうやら航海術に関するもののようだ。
 たまにマルコが読んでいるタイトルだと言うことまで確認してから視線を向けると、マルコはすでにベッドから離れて歩き出したところだった。
 俺の視線を受けてちらりとこちらを見やってから、ひらりとその手が揺らされる。

「暇潰しにはなるだろい。それでも読んでろよい」

「ああ、ありがとう」

「よい」

 最後のそれは返事なのか分からないが、とりあえずそのままマルコは部屋から出て行ってしまった。
 本と共に置いて行かれて、ベッドに座ったままでぱらりと本をめくる。
 英字がずらずらと筆記体で並んだそれらを眺めてから数分後に、ふと思い出して顔を上げた。

「そういえば、マルコも休みだった」

 一週間ほど前、次の休みが決まった時に、同じ日なんて偶然だなと話したのだ。
 たった一回、ほんの少しだけ話題に出したことだが、ひょっとするとマルコは『休み』が同じ日だと言うことを覚えていたのかもしれない。
 しかし、俺は今日とその日を交代してしまっている。
 別に何か約束をしていたわけでもなかったが、もしかするとそのせいでマルコはあんな不満そうな顔をしていたのだろうか。
 うぬぼれかもしれないがそんなことまで考えて、しまった、と小さく声を漏らした。
 予定も無かったから『休み』はいつでも構わなかったが、マルコが楽しみにしていたというのなら話は別だ。
 思ってみても後の祭りで、今さら休みの交換を無かったことになどできはしない。
 はあ、と軽くため息を吐いてから、マルコから借りた本と共にベッドへ寝ころぶ。
 マルコが何かの用事で部屋に戻ってきたら、その時にでももう一度謝っておこう。
 そんなことを考えつつもう一度本を開いた俺は、少々難解なそれにやがて睡魔を誘われて、そのまま二度寝をしてしまった。


「忘れてたが、おれも今日は『休み』だったよい」


 目が覚めた時、何故か食事まで運んで部屋にいたマルコは明らかにおかしな発言をしていたが、機嫌がよくなっていたので追及はしないことにする。
 誰が犠牲になったのかは少しだけ気になったが謝罪するのは明日にしておくことにして、俺はその日、散歩もせずに、マルコと二人でまったりと引きこもったのだった。



end

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