忘却曲線への抵抗
※マルコ、サッチ捏造(モビーディック号幼馴染!)
「ナマエはすごいんだよい!」
それが、最近のマルコの口癖だった。
小さな手で拳を作って力説するマルコを見やって、サッチが呆れた顔をする。
「まァたそのナマエとかってやつのはなしかよ」
「なんだよい、サッチ」
もう聞き飽きた、とばかりに呟くサッチを見やって、マルコが不満げに口を尖らせる。
今は朝食の時間で、サッチはマルコと一緒にいつものように朝食をとっていた。
体格の良いクルーの多い食堂には大きなテーブルと椅子しか無くて、船大工がマルコとサッチのために作ってくれた特注品の椅子とテーブルはワンセットしかない。
だからこそマルコとサッチは向かい合って食事をしていて、つまり食事中最もマルコの話し相手になるのは今のところ基本的にサッチだった。
口の端にケチャップを少しばかりつけたマルコを見やって、だってよ、とサッチが呟く。
「そいつのはなしばっかりじゃん」
人騒がせにも、マルコは一週間ほど行方知れずになったことがあった。
隊長格達も他のクルー達も敬愛するオヤジもサッチも必死になって探したのに見つからなかったマルコは、その行方知れずの間、ナマエという名前の男の世話になっていたらしい。
マルコ曰く、突然現れたマルコを無償で保護してくれたというナマエは、確かにその話だけ聞けば『いいひと』だろう。
しかし、何度も何度もそれを聞かされては、最初の頃に覚えた感動だって薄れてしまうというものだ。
マルコのおかげで、サッチは見たことも無いそのナマエについて、少しばかり詳しくなってしまった。
今の二番隊隊長くらいの身長で、黒い髪に黒い目で、手は大きくて、あまり笑わないけどすごく優しい。
作ってくれるオムライスが特別美味しい。
『てれび』を見せてくれて、すごく物知りで、マルコに色々なものを教えてくれた。
マルコが怪我をしたら、マルコはすぐ治るのにすごく心配してくれた。
抱き上げてくれて、手を繋いでくれて、夜は一緒に眠ってくれた。
「だって、はなしたりないよい」
ナマエは『いいひと』なのだと、マルコは言い募る。
その手がぎゅっとスプーンを握り締めているのを見やって、そうかよ、と答えたサッチはとりあえず自分のスプーンを握り締めた。
むうと眉を寄せたマルコが自分の皿を睨みつけているのを眺めて、サッチの口から仕方なくため息がこぼれる。
「…………べつに、はなすなとはいわねーけど」
どうしてマルコがそのナマエの話をしたいのかは分からないが、相変わらずマルコは頭がいい奴だとサッチは思った。
だって、マルコがモビーディック号へ帰ってきて、もう半年は経つ。
半年も前に一週間しか一緒にいなかった相手のことを、それから手紙のやり取りもしていないのにこうしてサッチへ語れるのは、マルコがそのナマエのことを覚えているからだ。
サッチの半年前の記憶なんて、マルコが海に落ちたんじゃないかと心配した覚えしかない。立ち寄ったあの島の名前だって、思い出せないのに。
「それでよい、ナマエがゆってたんだよい」
「はいはい」
嬉々としてナマエの話をするマルコへ適当な相槌を打てば、ちゃんときけよい、とマルコはサッチをじとりと見やった。
※
偉大なる白ひげ海賊団の船長が、そうか、といつものように語る小さな『息子』の言葉に頷いた。
「そのナマエって奴ァ、いいやつだなァ、マルコ」
「よい! ナマエはいーやつよい!」
白ひげの言葉に満面の笑みを浮かべて、小さなマルコが大きく頷く。
一年ほど前の話を、マルコは時々白ひげへ聞かせにきていた。
話題に上るのは基本的にマルコを一週間保護していたという男のことで、黒い髪に黒い目のその男をナマエと呼ぶマルコは、毎回それはもう楽しそうな顔をする。
何度も聞いた話ではあるが、息子がそんな風に嬉しそうで楽しそうな話をするのなら、エドワード・ニューゲートは何度だってその耳を傾けるだろう。
実際、マルコの語る『ナマエ』は確かに『いい人間』であるようだった。
突然現れた見ず知らずの子供を保護して、マルコが泣いて暴れても許してくれて、マルコが無茶なことをすれば怒ってくれたその男は、確かに信用に足る男だろうと白ひげも思う。
もしかしたら『ナマエ』にはマルコの知らない別の思惑があったのかも知れないが、マルコはそれを感じ取ることなくモビーディック号へと帰ってきているのだから知りようも無いことだ。
「それで、その日はナマエとどんなところを歩いたんだ?」
何度かした白ひげの質問に、えっと、とマルコが軽く目をさ迷わせた。
一生懸命に思い出して、そうしてどこを歩いた何がいたと言葉を紡ぐマルコを見下ろし、白ひげは何度も聞いたそれにしっかりと耳を傾けた。
マルコの語るその場所は、グランドラインを長く旅する白ひげですら見たことも無いようなものばかりだ。
一番隊の隊長が何人かのクルーと共に探しているようだが、『ナマエ』の居場所はようとして知れない。
マルコの言う通り『異世界』の可能性もあるからそう気を落とすなと、白ひげが肩を落としていた息子を慰めたのはもう半年ほど前の話だ。
「それで、これかってもらったよい!」
言葉を放ちつつ、マルコの手が自分が持っていた青いコップを白ひげへ向けて見せる。
グランドラインでもあまり見ない素材で出来た小さくて軽いそのコップには、黒い絵が描かれていた。
マルコ曰く、それは『マルコ』という文字であるらしい。そんな書き文字を白ひげは知らないし、クルー達も誰一人知らなかった。
マルコがそのコップを大事にしていることを、白ひげは知っている。
大きなこの船に乗る白ひげ達の息子たちも同じだ。
そのコップと、今のマルコでは着れなくなってしまったあの日の上等な服だけが、マルコが『ナマエ』と共にいたという証なのだ。
「たてもののあいだからゆうやけみたよい。オレンジいろでね、そらとぶてつのとりがほそくくもをひっぱってたよい! で、ナマエがあれは、えーっと……」
「ヒコーキグモだって言ってたか」
「! そうよい、ナマエがヒコーキグモだっていってたよい」
少し悩んだ顔をしたマルコへ白ひげが助け舟を出せば、大きく頷いたマルコはまたにこにこと笑った。
どうしてマルコが、こう何度もナマエの話をしてくるのかを、偉大なるモビーディック号の船長は知っている。
同じように話を聞かされているらしいサッチも、そろそろ気がついた頃だろうか。
マルコは『ナマエ』と一週間しか一緒にいられなかった。
人の記憶と言うのは、本と違い、薄れていくものだ。
そして、小さいが賢いマルコは、そのことを絶対に忘れたくないのだ。
きっと、もう少し育って字がきちんと書けるようになれば、こうして話すのとは別に、自分が覚えている限りを文字で記すようになるだろう。
それまでちゃんと覚えていられるようにと、一生懸命口を動かすマルコへ手を伸ばして、白ひげはその指先で小さな息子の頭を撫でた。
ぐりぐりと頭を擦られて目を丸くしたマルコは、それからとても嬉しそうに笑って、ナマエの話を続けたのだった。
end
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