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 結局、今日マルコが少し不機嫌になっていたのは、俺が子供の『マルコ』と同じ扱いをしていたことが原因なのかもしれない。
 けれどもそれはどうしようもない。
 マルコはマルコだし、突然現れた『リリカモドキ』の『マルコ』も、マルコの小さな頃の姿と記憶を持っている以上、俺にとっては同じ『マルコ』だ。
 他のクルーの誰でもない、マルコだからそうなるんだと言ったら、ちゃんと伝わるだろうか。

「ナマエ、なやみごとよい?」

 そんなことを考えていたら、『マルコ』が小さな声で俺へと尋ねてきた。
 夕方を過ぎた夕食前の空き時間に、遊びたいと言った子供と一緒に甲板に出たところで子供は他のクルーに構われていたはずだが、いつの間にか近寄ってきていたようだ。クルー達が軽く手を振って甲板から去っていくのを、ちらりと見送る。
 俺の膝によじ登って、大きい目が俺を見上げる。
 じいっと見上げてくるその瞳を見下ろして、そうだなァと答えると、少しばかり眉を寄せた子供が首を傾げた。

「それじゃあ、マルがきいたげるよい」

「悩み事をか?」

「そうよい、あにきにはなんだってはなしていいのよい」

 きっぱりと言い放つ子供は、やはり俺に兄の立場を譲るつもりはないらしい。
 まさか四歳の兄ができるなんて思わなかったなと、その顔を見下ろしながら少しばかり笑って、よしよしと頭を撫でる。
 俺の掌を受け入れて、少しばかり身をよじった『マルコ』は、それから改めて俺を見上げた。

「それとも、マルがおっきいほうがいえるよい? おっきいマルコにそうだんするよい?」

 それからそんな風に言われて、いや、と思わず首を横に振る。
 何と言えばマルコの不機嫌を治せるかと考えているのに、その相手に相談するなんてことができるはずもない。
 俺の返事を見上げて、少しばかり考えた『マルコ』は、は、と気付いたように目を見開いてからその手でがしりと俺の服を捕まえた。

「ナマエ、おっきいマルコとけんかしたよい……?」

 恐る恐ると尋ねられて、そんなことはないぞと答えてみたものの、何かを察したらしい『マルコ』が困ったような顔をする。
 どうしたのかと思ってみていると、ぎゅうっと俺の腕を捕まえてから、子供がぴょんと俺の膝から飛び降りた。

「だったら、なかなおりしないとだめなのよいっ。なかなおりしないと、オヤジがげんこつよい!」

「……されたことがあるのか」

「サッチといっしょにいたいいたいしたよい……!」

 どうやら、白ひげは喧嘩両成敗派であるらしい。
 痛いからその前にちゃんと仲直りした方がいいんだとひたすらに言い募ってから、子供がぐいぐいと俺の足を引っ張った。
 仕方なく導かれるままに立ち上がったら、後ろに回り込んだ子供にぐいぐいと押されて甲板から歩き出す恰好になる。
 そのまま俺を通路へ押し込んでから、子供がぴょんと飛び跳ねた。

「マルがおっきいマルコをつれてくるよい! ナマエは、えーっと、えっと、おへやでまってるよい!」

「え?」

「ぜったいまってるのよい!」

 使命感に燃えた目をした『マルコ』が、飛び跳ねるついでに頭の上の芽も揺らしてから、すぐさまその場からぱたぱたと駆けだしていく。
 あまり早くないものの、どんどん遠くなるその小さい背中を見送ってしまった俺は、その場で軽く頭を掻いた。
 あの分だと、本当にマルコを部屋まで引っ張ってきそうだ。
 別に喧嘩をしたわけではないので、仲直りをしろと言われても困る。
 けれども、マルコのあの不機嫌をどうにかしたいとは思っていたのだから、まあいいか。
 そんな風に考えて、とりあえずは部屋へと移動することにする。
 夕食の前とはいえ、島についているからか通路を歩くクルーは少なく、誰かに声を掛けられることもなくいつも通り部屋へとたどり着いた俺は、誰もいないだろう部屋の扉をそのまま開いた。

「…………あ」

「………………よい」

 そうしてそこにいた相手に、ぱちりと目を瞬かせる。
 一瞬、『マルコ』が見つけて連れてきたのかとも思ったが、あの小さな子供の姿はないのでそれはないだろうと判断した。
 どこか船内にはいるだろうと思っていたが、どうやらマルコは自室待機をしていたらしい。
 少しばかり考えてからそのまま室内へ入った俺を、ベッドに腰掛けたままのマルコがじっと観察している。
 今にも逃げ出しそうなマルコを見やって、扉を閉じた俺は、とりあえずそのまま扉の前に佇むことにした。
 この部屋には窓がないから、避難経路はこの扉一つだけだ。ここを抑えれば、いつぞやの倉庫の時のように横を抜けようとしない限り、マルコがここから逃げ出すことはかなわない。
 俺の様子を見やったマルコが、少しばかり戸惑った顔をする。

「……どうしたんだよい、ナマエ?」

 座ったらどうだよい、と言われたものの、移動したらマルコに逃げられるような気がした俺は、とりあえずそのまま佇んで首を横に振った。
 それから、少しだけ考えて、口を動かす。

「あー……昼間のこと、だが」

 何か他の話題を振ってから、とも思ったが、口から出てきたのは単刀直入すぎる切り出しだった。
 俺の言葉に、マルコの顔が少しばかり強張ったのが分かる。
 それを眺めながら、口を動かす。

「どうしてお前が不機嫌になるのか分からなくて、少し考えていたんだ」

 正直に言った方が、あれこれと誤解をされなくていいだろう。

「マルコをわざと子供扱いしたことなんて、一度もなかったから」

 そっと言葉を紡いで、少しばかり息を吸い込む。

「あの『マルコ』とお前に同じような扱いをしたのは、多分、俺にとってはどっちも『マルコ』だったからだ」

「……多分、かよい」

「自覚がなかったんだ、多分で許してくれ」

 唸られてそう答えてから、俺は少しだけマルコから視線を外した。
 俺とマルコがいるこの部屋は、本来俺とマルコ二人だけの部屋だった。
 今はあの子供も一緒にいるから、俺のベッドのあたりには子供の私物も転がっている。
 あの一週間の間に小さかったマルコがそうしたように、『マルコ』はすんなりとこの部屋に存在しているのだ。

「どっちにしても、『マルコ』じゃなかったらそういう扱いはしない」

 マルコ以外に飛びつかれたりしたことはまだないが、例えばサッチあたりに飛び付きをされても、恐らく俺は避けてしまうと思う。
 それでびたんと甲板に体を打ち付けてしまったって、人に飛びつこうとしたのだから自業自得だろう。
 そんな風に思えないのはマルコだけで、相手が痛い思いをするくらいなら自分が痛い思いをした方がいいと思うのだって、マルコに対してだけだ。
 強請られたら何かを買ってしまうのだって、強請られる前に何かを買って与えようと思うのだって、それはマルコに対してだけだった。
 そこには薄汚い感情が隠れているような気もしたが、自分のそれには見ないふりをして、俺はそっと笑ってマルコへ視線を戻した。

「この船に乗ることにしたのも、ずっとここにいると決めたのも」

「……」

「それはお前が俺の『特別』だからなんだが、それじゃあ駄目か?」

 機嫌を直してくれたら嬉しいんだが、と続けてマルコを見つめれば、眉間に皺を寄せたままのマルコが、ぷい、と俺から顔をそむける。
 向こうを向いてしまったせいでその顔は見えなくなったが、あらわになっている耳が赤くなったので、どうやら赤面しているらしいということは分かった。
 どうかしたかとそれを見つめていると、やや置いてから大きく息を吐いたマルコが、やがてちらりとこちらを見る。
 やっぱりその顔は少し赤かった。

「……まあ、『おれ』達だけが『特別』だってんなら、許してやるよい」

 それからそんな風に呟いて、マルコがまた向こうを向く。
 どうやら機嫌が直ったらしいマルコにほっと息を吐いた俺が、マルコを探す子供の声を聞いたのは、それからすぐのことだった。




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