13
白ひげの部屋から出た後、食事を終えていたマルコと交代して子供の世話を焼いてから、俺は子供と一緒に甲板へと出ていた。
きゃふきゃふと楽しげに笑っている『マルコ』は、今は甲板で暇そうにしていた居残り組のクルー数人に構われている。
それを少しばかり眺めてから、改めて樽に座り直して手元の芋の皮を剥く作業へ戻った。
本当なら厨房でやるべき仕事なのだが、『マルコ』が俺と離れるのを嫌がるのだ。
遊びたい盛りの子供を厨房に置いていても危ないからと、クルー達に追い出されてしまった。
つくづくあの子供は『マルコ』なのだと実感しているところだ。
食堂で別れたマルコも自分の仕事に戻っていったが、後でまた甲板に出てくるかもしれない。
だとすると早めにこの手元の作業は終わらせておかないと、下手をすれば俺かマルコのどちらかが怪我をするだろう。
「あ、いたいた、おーい、ナマエ」
あの島で過ごした一年間で慣れたが、どうして『ワンピース』にはピーラーが無いのだろうか。
そんなことを考えつつ薄く芋の皮を剥くことに没頭していたら、大きな声がかけられた。
手を止めて顔を上げれば、甲板の端から船へ上がってきたサッチが、大きくぶんぶんと手を振っている。
そういえば今日その顔を見たのは初めてだな、なんて思いながら手を振り返すと、あれこれと買い物をしたらしいサッチが、荷物を片手にこちらへと近寄ってきた。
「ちょっと聞けよナマエ! すっげェ情報手に入れてきたからよ!」
「情報?」
「おう!」
にかりと笑って頷いてから、近寄ってきたサッチの視線がちらりと甲板で遊んでいる子供へ向けられる。
屈強なクルーの一人に高く放り投げられては受け止められるという手荒な構い方をされている『マルコ』は、相変わらず楽しそうだ。
危ないなとは少し思うのだが、俺の視線に気付いたらしい他のクルーが、取り落とされた子供をいつでも拾えるように身構えているので、仕方なく黙認することにする。落として泣かせたら絶対に許さないつもりではいるが。
遊んでいる子供を確認したサッチが、少しばかり身を屈めてから、声を潜めて口を動かした。
「あの『マルコ』ってよ……『リリカモドキ』とか言う植物らしいぜ」
「ああ、知ってる」
「………………知ってるのかよ!!」
小さな声で重大な事実のように告げられた情報に俺が答えると、サッチが大げさな声を出した。
がくりとうなだれてから、それから気を取り直したように顔を上げて、もう一度言葉を紡ぐ。
「じゃ、じゃあこれはどうだ? 植物が化けてはいるが、あの『マルコ』は、」
「小さな頃のマルコの記憶を持っていて、あの頃のマルコとほとんど変わらないらしいな」
「…………それも知ってるのかよ……」
途中を引き取って言葉を紡いでやると、もう一度サッチの肩ががくりと落ちた。
何だよと呟いて傍らに座ったサッチのリーゼントが揺れたのを見やってから、片手で持っていた芋を剥き終わらせ、完全に手を止める。
「何だか悪かったな」
「謝んなよもう……一生懸命情報収集してきたおれ可哀想」
慰めようと言ってみたのに、そんな風に非難されてしまった。
ではなんと言えばいいのだろうかとその顔を眺めつつ、かごの中の最後の一つに手を伸ばしたところで、聞きなれた足音が耳に届く。
それを聞いてすぐに芋を剥く作業に戻ることを断念した俺は、樽の上に座ったままでナイフを目の前の二つの籠のうちの一つへ放ってから視線を向けた。
それと同時に船内からバタンと大きく扉を開いて出てきたマルコが、俺の方を見やってから小さく息を吐く。
通路は走ってきたのだろうに、すました顔でまっすぐ俺の方まで歩いてきた後で、マルコの視線がちらりと俺の前に置かれた籠を見やる。
「……ここにいたのかよい、ナマエ。探したよい、今日は厨房の手伝いなんじゃなかったかい?」
「追い出されたんだ」
問いかけに返事をしながら、おや、と俺は少しばかりの違和感を得て首を傾げた。
けれども俺のそれに気付いた様子もなく、どうして追い出されたんだとわずかに眉をひそめたマルコが、甲板の中央あたりから響いた楽しげな笑い声にその視線を向ける。
放り投げる遊びを終了したらしい子供が、今度はぶんぶんと振り回されている。
少々手荒に思えるのだが、相変わらず『マルコ』は楽しそうだ。
「……『あいつ』のせいかよい」
「いや、厨房は子供には危ないからな」
小さく呟かれてそう返事をしてみるものの、少し目を眇めて子供を見やっているマルコの様子には変化がない。
あと一つで終わりだしな、と呟いてから、俺は先ほど籠まで放り込んだナイフを手に取り、ついでに最後の一つだった芋も掴んだ。
しょり、と小さく音を立てながら、ナイフの刃を滑らせて皮を剥く。
いつもに比べて量が少ないのは、クルー達の半数ほどが町へ繰り出しているからだ。今日は帰ってくるクルーも少ないだろう。
皮剥きの作業に戻った俺の横で、ぺたりと甲板に座っていたサッチが、あーあ、と声を漏らす。
「記憶を『借りる』とか、珍しいっつーか迷惑な植物だよなァ……どう見てもマルコだしよ」
「………………サッチ、いたのかよい」
「いたよ! お前より先にいたよ!」
子供から視線を動かしたマルコがサッチを見やって呟いて、それにサッチが大げさな反応をした。
二人の間に挟まれたままで皮むき作業をしていると、更に二言三言交わした後で、マルコが小さく息を吐く。
「……まあ、いいけどよい。それじゃあナマエ、何かあったらおれを呼べよい」
「ああ、わかった」
寄越された言葉に頷くと、マルコは来た道を戻って行ってしまった。仕事に戻るのだろうその背中を見送ってから、剥き終わった芋を籠へ改めて放る。
それから横を見やると、視線を注がれたと気付いたサッチが怪訝そうな顔をした。
「……なんだよ?」
「…………今のマルコ、少し様子がおかしくなかったか?」
「そうかァ?」
あんなにもわかりやすくおかしかったマルコと会話をしたはずなのに、サッチは首を傾げている。
おかしかっただろう、と呟いて、俺は改めてナイフを空の籠へと放った。
軽く音を立てたそれを見やってから、もう一度マルコが帰って行った方向を見やる。
甲板から船内に入ってしまったマルコの背中は、当然ながらそこには見えない。
「……飛びつかれなかったのは初めてだ」
樽に座っていたからイゾウに習ったこともできないだろうと身構えたのに、マルコはこちらへ駆け寄ってくることも、飛びついてくることもしなかった。
ここが甲板だからだとか、他にもクルーがいるからだとか、そんな理由では決してないだろうことを俺は知っている。
何せ、背中を床に打ち付けるのが日常茶飯事のはずなのだ。
俺の言葉に初めてそれに思い至ったらしいサッチが、あ、と声を漏らした。
「そういや確かに……しかもあいつ、お前のこと探してたみてェだったのに」
変だなと呟いたサッチに、小さく頷く。
昨日、マルコの様子がおかしかったのは『小さい頃の記憶が消えていた』からだが、それを話してくれたおかげでか、今朝はいつも通りのマルコだったはずだ。
それが、どうしてまた様子がおかしくなっているのだろう。
同じ原因だろうか。違うのだろうか。
少し考えてみるものの、俺に分かるはずもない。
かといって、『飛びついてこなかったのはどうしてだ』なんて面と向かって聞けるかというと、それも難しいだろう。
普通、マルコくらいの年齢の男が抱き付いたり飛びついたりしてくるという方があまり聞かない話なのだ。
「ナマエ〜!」
どうしたものかと考えていたら名前を呼ばれて、それと同時にぱたたたと足音が聞こえた。
それに反射的に体に力を入れた俺の正面から、子供の体が飛び込んでくる。
どうにか樽の上でこらえたものの、体を少しのけぞらせてしまった俺は、飛びついてきた子供の体を支えつつ体を前へ倒した。
落ちないように背中を支えている俺に身を任せながら、子供が俺を見上げる。
「ナマエ、おしごとおわったよい? マルとあそぶよい?」
きらきらと期待に満ちた目の『マルコ』へ、まだだな、と答える。
そうすると、むう、と子供が頬を膨らませた。
「だって、おいもさんおわってるよい」
「この籠を届けたら、次は洗濯があるんだ」
本当は夕食の仕込みの手伝いもあるのだが、そっちは先ほど同じ当番のクルーに断られてしまった。
俺の言葉にぷしゅうと頬の空気を吐き出してから、仕方なさそうに子供が頷く。
「……じゃあ、マルもおてつだいするよい」
「遊んでいなくていいのか?」
「おてつだいするから、はやくおしごとおわらせてマルとあそぶよい!」
俺の言葉にそう返事をしてから、『マルコ』がぴょんと俺の膝から飛び降りた。
その手が籠を持ち上げようとするので、慌てて樽から立ち上がり、重たい籠を取り上げる。
そうして空の籠を持たせると、真ん中にナイフの入ったそれを『マルコ』は慎重に持ち上げた。
「それじゃあな、サッチ」
「ん、おお」
厨房に向かう前にと声を掛けると、俺と子供のやり取りを見ていたサッチが少しばかり笑う。
「そっちの『マルコ』はいつもどおりなんだな」
「…………そういえば、そうだな」
言われた言葉に頷いて見下ろすと、籠を持ち上げた子供が不思議そうに首を傾げる。
特徴的な髪形の、誰がどう見ても『マルコ』である『リリカモドキ』を見下ろしてから、俺はとりあえずその場から厨房へと移動するために足を動かしたのだった。
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