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 結局、子供は『マルコ』と呼ぶことになった。
 あだ名をつけてみようとしたのだが、子供自身に拒否されたからだ。

『マルはマルよい! ……なんで、よんでくれないよい?』

 絶対に『マルコ』じゃないと分かってはいても、小さな頃のマルコと同じ顔の子供に悲しそうな顔でそう言われては、どうしようもない。
 当然だが本物のマルコを『マルコ』以外で呼ぶつもりもないので、どちらにも呼びかけるときは『マルコ』と呼び、そして二人が一緒にいるときは『大きい』『小さい』を足して差別化を図る。
 それが、白ひげの部屋から出て最初に俺とサッチと他のクルー何人かで話し合って決めたことだった。
 敵意は無いようだから敵ではないにしても、不思議な存在である子供の『マルコ』は、困惑した面持ちでモビーディック号を見回している。
 俺が抱き上げるのをやめても嫌がったりはしなかったが、その手はしっかりと俺の服の裾を掴んでいて、離れるつもりは全くないらしいと分かる。
 とりあえず、知っているのとは違うだろう船内の中を覚えさせるべく、という名目に自分の目的を足して、俺は子供と一緒にゆったりと船の中を歩き回っていた。
 時々声を掛けてくるクルーは子供を珍しげな顔では見ているが、そこに戸惑いや警戒心と言ったものはあまり見当たらない。
 すでに他のクルー達がこの事態をモビーディック号の中に広めているらしいのと、白ひげが『面倒を見ろ』と俺へ言った事実が原因だろう。
 白ひげが受け入れたのなら、この海賊団の中で表だってそれを否定する相手なんてそうはいない。
 戦えもしない俺がこの船にいるのだって同じことだ。
 けれども、マルコはいるのだからこの『子供』は『マルコ』であるはずがないと言うのに、それでいいのか。
 マルコが小さくなった時も思ったが、変わったものを簡単に受け入れてしまうこの海賊団は、ちょっとおおらかすぎではないだろうか。
 それとも、グランドラインの海賊はみんなそうなのだろうか。

「なんで、つち、ないよい?」

 あちこちを歩き回って、さしかかった甲板で、傍らからそんな風に不満げな声が落ちる。
 視線を向けた先には俺の服の裾を掴んだままの子供がいて、どうしてかその口がとがっていた。
 つち、とは、『土』だろうか。

「船の上だからな」

 とりあえずそう答えてみるが、むー、と声を漏らした子供はやはり不満そうだ。
 誰かに聞いたことはなかったが、もしやモビーディック号には、以前、畑でもあったりしたのだろうか。
 頭の中に、漫画『ワンピース』で見た主人公の船のみかん畑が浮かぶ。
 しかし、作物は潮に強くなくては育たないだろうし、かけてやる水の確保も大変そうだ。
 何を育てていたのだろうかと考えてみたところで、傍らからぐいぐいと服を引っ張られる。
 どうしたのかと思って視線を戻すと、子供がその目で俺を見上げていた。

「ナマエ、マルおみずのみたいよいっ」

 そう主張されて、わかったと答えてから食堂の方へ足を向ける。
 そういえば、今朝はまだ何も食べていない。
 うっかりしていた。俺はともかく、得体がしれないとはいえ、子供にはちゃんと食事をとらせた方がいいだろう。
 俺がゆっくり一歩を歩く間に三歩ほど足を進めるマルコを連れてたどり着いた食堂では、クルー達がいつもの通りざわざわと騒いでいる。
 そのうちの何人かが俺に気付いて、俺が手を引いている子供を珍しげに見て笑った。

「ようマルコ、おれは分かるか?」

 近寄ってきたイゾウが、サッチやビスタ達がやったのと同じ問いをしながら見下ろすと、子供は軽く首を傾げた。
 不思議そうに自分を見つめる子供に、もっと大きくなってからしか会ってないから分からないか、とイゾウが呟く。

「おれはイゾウってんだ」

「……イゾウ……よい?」

 おずおずと寄越された声に、ああ、と笑ったイゾウがその手で子供の頭を撫でる。

「昔馴染みはさすがに分かるだろ。ジョズにはもう会ったのか?」

 言われた言葉に、子供がきょろりと周囲を見回して、それでもきちんと言葉を紡いだ。

「わかるけど、いないひともたくさんよい。みんなおっきくなって……そうだ、オヤジがじいちゃんになってたよい……!」

「あっはっは! そうか、びっくりしたか?」

「したよい! びっくりびっくりよい!」

 眉すら寄せて主張する子供に、イゾウがけらけらと笑っている。
 どうやら、この子供は自分以外に時間が経っている周囲をしっかりと受け入れることができたらしい。
 白ひげの説明のおかげだろう。
 その様子を見下ろしてから、水が飲みたいと言われたことを思い出し、食堂内を見回す。
 すぐそばにあったテーブルの上のものに気付いて、手を伸ばして伏せられていたグラスへ水差しからの水を注いだ俺は、そのままそれをマルコの方へと差し出した。

「これでいいか?」

「おみずっ!」

 嬉しそうな顔をして、子供が俺からグラスを受け取る。
 両手でそれをもって中身を飲み始めた子供に、手を離したイゾウが首を傾げた。

「喉が渇いてたのかい」

「朝から何も飲んでなかったからな。あと、まだ今日は何も食べさせてなかった」

 答えつつちらりと厨房の方を見やると、俺の視線に気付いたクルーが軽く手を振った。
 どうやら、今日の朝食は炒飯だったらしい。
 大きく鍋を振ってから用意した食事がトレイごとカウンターに置かれたのを見てから、ありがとう、と手を振って返事をする。
 ぷは、と息を吐くのが聞こえて視線を向ければ、グラスの中身を飲み終えた子供が、そのグラスを俺の方へと向けてきた。

「おかわりよい!」

「マルコ、そんなに水を飲んだら飯が入らなくなるんじゃないかい」

 笑顔の子供へ、イゾウが笑って言葉を落とす。
 飯、という言葉にぱちりと瞬きをした子供は、少しだけ悩むように自分の持っていたグラスを睨み付けて、それからもう一度俺の方へグラスを差し出した。

「…………じゃあ、はんぶんよい」

「どうしても飲むのか」

 どうやら譲歩したらしい子供に呟きつつ、それでも求められるままに水を注いでやる。
 子供に対して大きいグラスのちょうど半分ほどまで注いでやると、子供はすぐにまたごくごくとその中身を飲み始めた。
 その様子を見下ろしてから、そういえば、と食堂の中を見回してから、やっぱり見かけないその姿に首を傾げる。
 どうしたのかとイゾウが尋ねてきたので、俺は視線をイゾウへ向けた。

「マルコを見なかったか? ……大きい方の」

 子供が飲み終えて寄越したグラスを受け取りながらの俺の問いに、ぱちりと瞬きをしたイゾウが食堂の中を見回す。
 けれども、先ほど俺が見つけられなかった姿が当然見つかるはずもなく、そういや、と呟いたイゾウの声がその場に落ちた。

「今日はまだ一度も見てないねェ」

「そうか」

 寄越された言葉に頷きつつ、おかしいな、ともう一度首を傾げてみる。
 白ひげの部屋を出てから、マルコの姿をずっと見ていない。
 部屋をのぞいてみてもいなかったし、船倉にも甲板にもいなかった。
 サッチなら行方を知っているかと思ったが、先ほど船倉で会った時に聞いたところ、サッチも知らないらしい。
 何かを言いたげだったマルコのことが気になるというのに、これだけ探してみても姿を見ないというのは随分と落ち着かないものだ。
 ちらりと見えた視界の端でだっことばかりに両手を伸ばしてきた子供を抱き上げながらそんなことを考えた俺へ、珍しいじゃないか、とイゾウが言葉を紡いだ。
 視線を向けると、笑った彼がこちらを見ながら子供へ向かって手を伸ばす。

「いつもは向こうが探すのに、今日はそっちが探してんのかい」

 言いながらむにむにと頬を触られて、やあよいと笑いつつ身をよじる子供の体を支えながら、そういえばそうだな、と相槌を打つ。
 いつだって、俺を探しに来るのはマルコの方だった。
 今日みたいにその行方を捜しているなんて、確かに珍しいことかもしれない。
 俺の顔を見て笑ったイゾウが、ようやく子供の丸い頬を解放する。

「見つけたら飛びついてやんな」

「そんな危ないことはできない」

 寄越された言葉へ俺が返事をすると、何が楽しいのかイゾウはけらけらと笑った。




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