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その道は善意で舗装されている (1/5)
※『汝、一切の希望を捨てよ』の続編IF
※『彼の地を目指して煉獄を往く』にならなかった主人公死亡を匂わすバッドエンド注意
※有知識転生トリップでヴィンスモーク家ゆえに改造済
※出生に設定あり
※主人公の名前はヴィンスモーク・ナマエ




 そういえば、とこの後のことを思い出したのは、『ヴィンスモーク・ニジ』が料理の乗った皿を手に取った時だった。

「よし……そこを動くな、コゼット」

 呼びつけた料理長に命令して、彼女の顔をめがけて勢いよく皿が投げられる。
 当人からすれば遊びの類に近い速度だとしても、ただの女性には到底避けられも耐えられもしないだろうその攻撃を止めたのは兄上だった。
 名前も気にしたことのなかったその料理がどういったものなのかを説明して、どれだけ手が込んでいるのかを語り、床に落下した料理も口にして、料理長の味付けを誉める。
 それに怒った『ニジ』が攻撃を仕掛けて、『ヴィンスモーク・ジャッジ』が婚礼前だとそれを止め、兄上が俺達へ向けて意見を放った。

「お前達の思想の全てが、おれの思想に反する!」

 強く言葉を放つ兄上には苛立ちすらも見えたのに、東の海にいる大事な人のことを引き合いに出されて脅されたら大人しく黙り込んだ。
 やっぱり兄上は優しくて、この上なく人間らしい。眩しくすら見えるその姿に少しだけ目を細めて、体のうちを引っ掻く何かを無視した。
 それより今の問題は、つい先ほどふと思い出してしまったことだ。
 城へ出向く準備をしろと言われてみんなで食卓を離れた後、そのまま素早く移動した俺が向かった先は、自室ではなくて厨房だった。
 先ほどの最中に慌てて下がっていった料理長を探してみれば、すぐにその顔を見つけることができる。
 皿の上の料理がほとんど残っていても、逆に全部無くなっていてもあまり表情を変えない彼女が、今日兄上が褒めた料理の残りらしきものを見下ろして、少し嬉しそうにしていた。やっぱり、兄上に褒められたからだろうか。
 そんなことを思いつつ、そのまま厨房へ足を踏み入れる。足音は鳴らさなくても、俺に気付いた何人かの料理人が『ナマエ様』と俺を呼んだ。
 料理長もそれに気付いて、その顔がこちらを向く。

「ねえ、コゼット」

「はい、いかがなさいましたか、ナマエ様」

 お茶をお持ちしましょうか、と言葉を寄こす彼女のそばかすの散った顔を見つめて、それから俺は、彼女の体に手を触れた。
 じりじりと、頭の端で警報が鳴っている気がする。予感がする。もうじき、『ニジ』が料理長を呼び出してしまうだろう。
 そうしたらきっと彼女はひどい目に遭って、兄上が悲しむ。

「え……」

「ちょっとごめんね」

 戸惑う彼女の腕を引いて、何かを言われる前に片手でその口を塞いだ。
 気絶させるのが一番手間がなさそうだけど、弱い女性の体に負担がかかるのはきっと、兄上が喜ばない。
 驚いて抵抗しようとするその手は、けれども本当に弱々しくて、『兄』達より弱い俺の手すら引きはがせない。
 がしゃんと皿が落ちる音が鳴る。口は押えたままだから片手しか使えない。首を捻り折ってしまわないように気をつけて、正面から抱き着くようにしてその体を持ち上げた。

「ん、んんー!」

「ナマエ様!?」

 俺の様子に気付いた他の何人かの料理人が、慌てたように声を上げた。

「気にしないで。"さっき"の件でちょっと用事があるだけ」

 そんな風に言葉を投げて、持ち上げたコゼットをそのまま運び出す。
 移動は素早く迅速に。
 すぐ返すからと厨房の中には声を掛けたけど、ひょっとしたら後で『兄』や『父』あたりに何をしているんだと怒られてしまうかもしれない。
 けれども今はとりあえず、今は彼女をどこかへ隠す方が先だ。
 一人で少しだけ歩いてから、俺が足を向けたのは、狭い通路から進む階段を降りた先だった。
 今は『住人』が誰もいないから見張りだって立っていない、地下牢は少しばかり薄暗い。

「とりあえず……ここの物陰でいいかな?」

 いくつかの牢の奥で、すっかり物置と化している一角に入り込んでから足を止めた俺は、そこでようやく腕の中の料理長を床へ降ろした。
 ついでにその口を押さえこんでいた手も離すと、料理長が少しだけ俺から距離を取る。
 怯えたような動きに俺が首を傾げると、あの、と彼女は声を震わせた。

「ナマエ様、どうしてこんなところへ……?」

 戸惑いと困惑と、そしてやっぱり怯えを含んだ眼差しを向けられて、ここが一番目立たないから、と俺は答えた。

「さっき、兄上が君を庇ったでしょう。兄上は紳士だから、女の子を怪我させるのなんて絶対に嫌なんだと思う」

 そう判断するに足りる発言をしていたし、それは他の『兄』達にも伝わったはずだ。

「だから、嫌がらせと腹いせで、君が殴られるんだ。気絶するくらいには」

 いろんなことを忘れてしまったけど、確かそれは、俺の知る『未来』にあったことだった。
 料理長は顔が腫れあがるほどの暴力を受けて気絶して、怒った兄上が『ニジ』を問い詰めに行く。
 そんな流れが『物語』にあって、きっかけはつい先ほどの朝食だったはずだ。

「っ!」

 びく、と料理長が体を震わせる。
 自分の身を守るように両手を前に寄せて、もう一歩引いたその背中がすぐそばの棚に触れた。
 怯える彼女を見つめて、それから視線を逸らした俺の目に、すぐそばの棚に置いてあった毛布が映る。
 掴んだそれを広げた。最近ここへ片付けられたばかりなんだろうか。真新しいものだ。

「少し冷えるだろうから、これでも被ってじっとしてて。隠れてれば大丈夫だよ」

 もうすぐ出発の時刻が来る。
 ホールケーキ城へ向かうという『ヴィンスモーク・ジャッジ』に、『ニジ』は従うだろう。
 これからいろんなことが起こるから、さすがのジェルマの最高傑作だって、きっと一時の『嫌がらせ』の種なんてすぐに忘れてしまう。見せる相手がいなくなるのだから、それも当然だ。
 俺の言葉に、料理長は少しばかり瞬きをした。
 おずおずとその手が俺から毛布を受け取り、くるりと体へ巻き付ける。

「あの……ナマエ様」

「うん?」

「私を、殴らないのですか?」

 ぽつりと寄こされた問いかけに、俺はもう一度首を傾げた。
 なんでそんなことを聞かれているのか分からない。
 じっとこちらを伺う目が、やがて少しだけ逸れて、その体が緊張を解いたのが分かった。
 目元がじわりとほんの少し潤んで、深く頭が下げられる。

「申し訳ありません……匿ってくださり、ありがとうございます。お昼の仕込みがあるので、あまり長い間はいられないと思うのですが」

「王族がみんな出るから、すごく手の込んだものは作らなくても大丈夫じゃないかな。きっと戦争も始まるから、そっちの対策の方が重要かもしれないけど」

「え?」

「簡単に食べれて栄養のある、保存のきくものを作っておくといいよ」

 戸惑う彼女へそう言って、じゃあね、と片手を振る。
 それから背中を向けた俺は、少しばかり通路の様子を伺って、誰にも見られていないことを確かめてから地下牢を離れた。
 いくつか角を曲がって進めば、いつもの通りの城の中だ。
 何人かの兵に敬礼をされながら、さっさと自分の部屋へと戻る。
 どのくらいでみんなの支度が終わるのか分からないから、さっさと着替えてしまおう。
 柔らかそうなベッドへ脱いだ服を放り投げて、出してあったシャツに袖を通す。
 あちこちがひらひらしているシャツは正装の時にみんなが身に着けているもので、多分また『兄』達とはお揃いだ。
 上からボタンをかけていき、一番下まで指がたどり着いたところで、部屋に強烈な音が響いた。
 驚いて慌てて振り返ると、外開きのはずの部屋の扉が内側に向かって開いていた。
 佇んでいるのは兄上で、なんだかとても怖い顔をしている。

「あ……兄上?」

「おい、ナマエ」

 どうしたのかと声を掛けると、兄上が低く唸るように声を零した。
 ずかずかと足を踏み進めてくる相手に思わず足を引いても、兄上が距離を縮める方が早かった。
 伸びてきた手が俺のシャツの胸元を捕まえて、ぐいと引っ張る。近くなったその顔から、香水以外の何かの匂いがする。シャツの袖口からちらりと、あまり似合わない一対のブレスレッドが見えた。

「コゼットちゃんをどこにやった!?」

「…………え?」

 怒りも露わに言葉を落とされて、俺の口からは少しだけ間抜けな声が出て行った。





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