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彼の地を目指して煉獄を往く (1/3)
※『汝、一切の希望を捨てよ』の続編
※有知識転生トリップでヴィンスモーク家ゆえに改造済
※出生に設定あり
※主人公の名前はヴィンスモーク・ナマエ



 手を上げただけでも許しがたいというのに、気絶するほど女性を殴ったクズがいる。
 その事実に憤ったサンジへ『犯人』を教えた男が、その居場所までサンジを誘導した。

「興味あったろ? ガキの頃は立ち入り禁止だったもんな」

 笑いながらそう言った男がサンジを招き入れたのは、サンジには到底理解の及ばない部屋だった。
 数人の科学者と、大きな機械。培養液に浸かった同じ顔の男達。
 『作られた』兵士達こそがジェルマの戦力であり、そうして世界が憧れ欲する化学であると言い切る。
 生物の存在を捻じ曲げた世界は、まるで地獄のようだ。

「お前は知らなかっただろうが、あいつはここの"プロトタイプ"だ」

「……あいつ?」

 わきあがる吐き気を煙草を噛むことで堪えて、サンジの視線が男を見やる。
 名前と肩書だけで言えばサンジの『弟』に当たる男は、その視線を受け止めてにやりと笑った。

「ナマエだよ。ヴィンスモーク・ナマエ」

 楽しげに言葉を紡がれて、サンジは一つ瞬きをした。
 ヴィンスモーク・ナマエ。
 それは、サンジと少しだけ年の離れた弟の名前だった。
 つい最近顔を合わせたが、あれきり一度も会っていない。

「父上が緘口令を敷いている、王家のトップシークレットの一つだ」

 十三年経って久しぶりに見た顔を思い出している間に、そう言い放った男が軽く人差し指を立てた。
 そんなものをおれに話していいのかとサンジが唸れば、お前に教えるくらい大したことじゃないと肩が竦められる。
 この男はいつもこうだった。
 彼と、イチジとニジというサンジの名義上の『兄』達は、揃ってサンジを自分より劣る生き物として見ている。
 自分達はヒエラルキーの頂点であり、サンジや他は自身が足蹴にしてしかるべき存在だと信じて疑わない。
 そこに圧倒的なまでの力の差による暴力が加わって、幼い頃のサンジはいつでもされるがままだった。

「……お前ら、おれがいなくなった後はナマエまで同じようにしてたんじゃねェだろうな」

 受けてきた暴力を思い出して唸ったサンジに、は、と男が嘲りに満ちた音を漏らした。

「安心しろよ、どこも壊れちゃいなかっただろ?」

「おい!」

「あいつは最初からおれ達より下の"欠陥品"だったが、お前みたいな馬鹿な真似はしなかった。殴って正すほどの理由がねェ。たまにはつついて遊んだけどな」

 なんとも不愉快な言葉が並んだが、少なくとも幼かったナマエが自分と似たような目には遭わなかったらしいと把握して、サンジはわずかに安堵した。
 一人で国から逃げ出したあの後、ナマエは探して連れ出してくればよかったと、幾度か後悔をしたのだ。
 サンジにとってナマエと言うのは、臆病な可愛い弟だった。
 いつも何かに怯えていて、それでも歯を食いしばってそれを隠そうとしていた。
 地下牢なんてたどり着くのも恐ろしかっただろうに、一番最初にサンジのところへやってきたのもナマエだった。

『兄上、海が好きだって言ってたから』

 そう言って渡してくれた小さな小瓶の星砂は、それからすぐにやってくるようになった他の兄弟に奪われてしまったが、その心遣いがあの頃のサンジには嬉しかった。

「お前みたいに逃げ出すかと思ったが、それもなかったな。まァ、あいつはここを離れりゃ生きていけないが」

「……なんだと?」

「"プロトタイプ"だと言っただろ?」

 言葉を紡いで、男の手が軽く機械の方を示す。
 それに従って視線を向けたサンジは、いくつも並ぶ同じ顔に眉間へ皺を寄せた。
 それらは全て、城から見下ろしたジェルマの領土の中で見かけた顔だ。
 似た顔が多いのは小さな国だからかと考えていたが、おぞましい科学の結果であったのだ。

「ナマエはこいつらとは少し違う。数か月に一度は整備が必要だ。やらなけりゃ、すぐに死ぬ」

 あっさりとそんな風に説明した男に、サンジは短く息を吸った。
 言われた言葉の意味をサンジが理解する前に、サンジと同じ顔の男がサンジと違う声を零す。

「本当はもう使い捨てる予定だったみてェだがな。お前が見つからなけりゃ、あいつがビッグ・マムの娘と結婚してた。そのままおれ達がこの施設ごと国を離れれば、あいつの体を調節してやれる奴もいない」

 もって数か月だったろうなと、男が言う。
 苛立ちが、サンジの腹を煮えさせた。
 今更になって、あの幼い弟が怯えていた『何か』を知ってしまった気がした。
 ナマエの生死は、全て王家が握っている。
 恐らくナマエは、そのことをきちんと理解していたのだ。
 自分がいつでも死ぬことのあり得る立場であると、分かっていた。
 死ぬことを恐れるというのは何とも人間らしくて、きっとあの『弟』は、それすら必死になって隠してきたのだろう。

「まァ、こいつらだって使い捨てではあるがな。見ろよ、五年で出来るのにこいつらまるで」

「……やめろ!」

 苛立ちがサンジの口から制止の言葉を吐き出させる。
 それに対して、視線を向けた男の方は不思議そうだった。
 それを睨みつけ、吐き気がする、とサンジの口が吐き捨てる。
 虫唾が走るとはこのことだろう。
 生き物をなんとも思っていないのが、向けられた視線を見ただけで分かる。
 不快さを隠しもせずにそれを睨みつけたサンジが言葉を吐き出す前に目的の人物が現れたのは、それからすぐのことだった。







「お前はいいのか? ナマエ」

「うん、たくさんのアルコールはちょっと」

 『前祝い』の場に誘われて、ナマエはそう言って断った。
 二番目の『兄』が、少しばかり首を傾げる。

「まだ毒物分解装置が取り付けられてなかったんだったか?」

「メンテから時間が経っているから、負荷はかけないようにだって」

「へェ」

 つまらなそうに相槌を打って、青い髪の『兄』がしげしげとナマエを見つめる。
 しかしそれ以上誘う気も無かったのか、ならいい、と言葉を置いて、そのままナマエを置いて客室へと入っていった。
 自分から離れていく相手を通路側から見送って、やれやれ、とナマエが肩を竦める。

「宴に誘われるなんて珍しい」

 わざわざあの『兄』が声を掛けに来たということは、誘えと発言したのは『父親』だろう。どちらにしても、そう言った場に呼ばれるのは珍しいことだ。
 それだけ明日の結婚式を喜んでいるのだとすれば、それが『壊される』ことを知っているナマエとしては、やはりその前祝いに参加するのもやりづらい。
 食事なんて別にとらなくてもやっていけるが、何か適当に食べ物だけ貰いに行こうかなと考えて、その足が厨房らしき方へと向かう。
 けれども中に入る前に足が止まったのは、ちらりと中にいる人間の背中が見えたからだった。

「……あ……」

 そのことに気付いた瞬間に壁へ隠れたナマエは、そこからそっと厨房の中をこっそり覗き込んだ。
 見えるのは背中だけだが、一人でいくつもの料理をさばいているのは、誰がどう見ても『サンジ』だ。
 少しばかり鼻歌も零しながら調理をしている動きは随分様になっていて、とても手慣れているのが分かる。
 わざわざバスケットも用意しているので、きっと誰かに食事を持っていくところなのだろう。
 そう考えたところで、ふとナマエの脳裏に閃いたのは、もはやずっと遠くなってしまった記憶の欠片だった。

「…………」

 少しの逡巡の後で、そっとその足が厨房を離れる。
 途中でビッグ・マムの配下である兵を一人捕まえて頼みをすると、不思議そうにしながらも応えた相手がナマエの望んだものを運んできた。
 それを受け取り、その足が目的地を目指す。
 たどり着いた場所でしばらく待つと、やがて目的の足音が聞こえてきた。

「……ナマエ?」

「兄上」

 入りきらなかったのか、上に包みまで乗せたバスケットと花束を両手に持って、煙草をくわえた『兄』が一人、ナマエを見つけて不思議そうな顔をしている。
 やっぱりここに来た、と呟いたナマエが背中を預けている壁の横には、外へ出るための扉がある。
 すぐそばにあるプリン王女の部屋のベランダまでたどり着けるそこは、城を案内された時に何となく確かめてあった場所だった。

「……何してるんだ、こんなところで」

「兄上が忘れ物をしそうだと思って」

 相変わらずの暗い顔で怪訝そうに問われて答えながら、ナマエの手が持ってきたものを広げる。
 ぱち、と音を立てて開いたそれは、少し大きめの傘だ。
 可愛らしいお菓子の柄入りなのは、用意した人間の趣味だろう。『王子様』が使うには可愛らしすぎるが、外は暗いからよく見えないに違いない。

「外は雨が降ってるんだから、傘も必要だろ」

 言葉と共にひょいと相手の肩へそれを預けると、なんで、と『サンジ』が声を漏らしたのがナマエの耳に届いた。
 寄こされた言葉に首を傾げて、ナマエの指が『兄』の持つ花束とバスケットを指さす。

「どっちも王女様宛じゃないの? 正面から入れなかったら、外から行くんだろうなと思ってたんだ」

 紡いだ言葉は、真実じゃない。
 この世に命を受ける前から記憶のあるナマエにとって、今から何が起きるのかなんて、わかり切ったことだった。
 『サンジ』は正面から王女に会えず、ベランダから声を掛けようとして、彼女の本音を聞く。
 けれども、目の前の相手を止めようとは思わない。
 傷ついてほしくない『兄』だけれど、この行動があったからこそ、『サンジ』はまた海へ向かうのだ。
 ついていてやりたいとも思ったが、そうしたらきっと目の前の相手は強がりを言うだろうということも、分かっていた。

『だから大丈夫だぞ、何にも、怖くなんてないんだからな』

 暗い地下牢で、ナマエ相手に弱いところを見せまいとした『兄』の姿は、もうずいぶんと朧げだ。
 それでも、傷ついて泣くことすら奪ってしまうのなら、自分は傍にいない方がいいだろう。
 ナマエの考えなど分かるはずもない『兄』が、ナマエの顔を見つめてからため息を零す。
 それからその手がごそりと花束を抱え直して、空いた手でバスケットの上の包みを捕まえた。

「ほらよ」

「え?」

 言葉と共にぽいと包みを放られて、思わずナマエの両手がそれを受け取る。
 掴んだそれは柔らかく、まだ少し温かい。

「兄上?」

「食えよ。傘の代金だ」

 残したら三枚に卸すからな、とよく分からない脅し文句を言われて、ナマエが目を瞬かせている間に、サンジは扉から外へ出て行った。
 扉が閉じる前に傘が雨を弾くわずかな音がして、閉じたことでそれも消える。
 離れていく気配を聞き取り、そうしてそれから、ナマエの視線が自分の手元へ戻された。

「傘の代金……」

 とすればそれは、傘を用意してくれた兵に渡すべきものだろうか。
 そんなことを少し悩んで、けれども誘惑に勝てなかったナマエは、そっと包みを開いた。
 紙包みの中にあったのは、三切れのサンドイッチだ。
 ふわりと漂った匂いすらも温かく、そっとその手が一切れをつまみ上げて、ほんの少しを齧り取る。
 鈍くなってしまった味覚が少しばかり刺激されて、ぱち、とナマエの目が瞬いた。

「……おいしい」

 呟いて、一口、もう一口とサンドイッチがその口へ運ばれる。
 手の中にあった一切れは、あっという間にナマエの胃へと収まっていった。






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