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とある島での話
※『小さな噂話』から続くシリーズで『他愛もない奇跡の話』や『誕生日企画2015』の後
※主人公はちょっと特異体質
※名無しオリキャラがちょいちょい注意



「大丈夫かよい」

「え?」

 ひょいと近寄ってきたマルコの言葉に、俺の口が間抜けに声を漏らした。
 思わずきょろきょろと左右を見回すと、お前以外に誰がいるんだ、と笑いを含んだ言葉を寄こされる。
 どういう意味だろうかと伺うように視線を戻すと、マルコの指がこちらの胸元を示した。
 寄こされたそれを追いかけて、なんでマルコがそんな風に言ったのか納得する。
 俺自身の手が自分の胸元にあって、首から下げているものを片手で握りしめていたのだ。
 紐でくくられたそれは小さな小瓶で、ふちまでなみなみと注いでからコルクを締めたせいで揺れもしない瓶の中身は、今朝汲んだばかりの海水だ。

「不安だってんなら、飲んでから行きゃあどうだ」

 すぐそばで、マルコがそんな風に言う。
 それへううんと小さく返事をしつつ、俺は視線を先ほど見やっていた方へと向けた。
 海原を行く航海中、モビーディック号は人間のいる島へとたどり着いた。
 大きな船体でも隠れられる深い岩場には、甲板からわたり板がかけられていて、もう何人ものクルー達が島へと降りている。
 買い出しを担当する者もいれば遊びに行く者もいる、いつもの光景だ。

「だけど、実験中だし」

 以前なら見送っていたそれに混じれるようになって、まだ半年も経たない。
 だけど、新しい島というのはいつでも楽しくてたまらなくて、今日だって本当ならもっと早く島へと降りていたはずだった。
 なのになんとなく今日二の足を踏んでいるのは、今、俺が『実験中』だからだ。
 俺の体が、『見える』ようになってしばらく。
 毎日一口分の海水を飲んで過ごしているわけだが、新鮮さがないと効きが悪い、ということがつい最近分かった。
 けれどもいつでも飲める海水が汲めるわけではないから、どのくらいまでなら問題ないのかを確かめるためにと、最近は汲み上げてしばらく飲み水として保管されていた海水を飲んでいるのだ。
 飲む量はある程度増やしたけど、いつ消えるかは分からない。

「せっかくの島を楽しめねェってんなら中断しろよい」

 傍らでそんな風にマルコが言って、その手がひょいと俺の手から小瓶を持ち上げる。
 それを慌てて取り返して、駄目だってば、と声を上げた。

「多分大丈夫だと思うし!」

「へェ?」

 まだ不安そうな顔してるがねい、とこちらを見下ろしてため息を漏らしたマルコが、仕方ねェな、と肩を竦める。
 動いたその手がぽんと俺の頭に触れて、がしがしと髪をかきまぜた。

「まァ心配しなくても、『消えた』からって島に置いてったりしねェよい」

「…………うん」

「何なら、ずっと手でも繋いでるか?」

 言葉とともにするりと滑った手が、恭しく俺の手を掴まえる。
 そのことに驚いて、思わず見やると、マルコがにやりと笑っていた。
 こちらを安心させようとするようなそれを見返して、俺も笑い、掴まれていた手を引っ張って逃がす。

「いいよそんな、悪いし」

 俺はともかく、『不死鳥マルコ』がいい年した男の手を引いて歩いていたなんて、なんとも不名誉だ。

「なんだ、残念だよい」

 手をおろしたマルコがふざけたように言葉を紡ぎ、軽く肩を竦めた。
 そうしてそれから、今度はその手が俺の背中を叩いて、歩き出すのを促してくる。

「まあ、せっかく島へ着いたんだ、楽しもうじゃねェか」

 面白いもんもあるだろうからと続いた言葉に、分かった、と答えて足を踏み出す。
 胸元の海水入りのボトルが、首から掛けた紐の先でゆらりと揺れた。







 島にはいくつか町があるらしく、俺とマルコが向かったのは、船から一番近かった港町だった。

「祭り?」

「そうみたいだねい」

 屋台が並び、風船が飛び交い、騒がしく人のごった返す通りを見やって目を瞬かせると、マルコがそう返事をする。
 祝日なのか、道行く人はみんな楽しそうだ。
 俺自身も楽しくなって、わあ、と思わず声を漏らす。
 そこで横から変な音がして、思わず見やると、なぜだかマルコがそっぽを向いていた。
 肩を震わせて、明らかに笑っている相手に、むっと眉間へ皺が寄る。

「……マルコ?」

「いや、なんでもねェよい」

 咎めるように名前を呼んだ俺の横で、自分を立て直したのかそう言葉を放ったマルコが姿勢を戻す。
 人のことを笑ったに違いない相手をじとりと見つめたものの、子供みたいに喜んでしまったことは事実なので、俺はそこまで追求しないことにした。
 その代わり、屋台の端を指で示す。

「あそこのやつ、面白そうだから買おう」

「ああ、ワタアメ……いや、ワタアメじゃねェ、のか……?」

 ワタアメに似ているけど、どう見ても棒の先で動いている商品を見やって、マルコが怪訝そうな顔をする。
 歩き出したマルコとともに向かった屋台先のそれは、モヤモヤと空気の流れに合わせて揺れるふんわりしたお菓子だった。アメだと思ったけど、かじった味はどちらかというとマシュマロのようだ。
 すぐ隣の店で知らない名前の肉を刺した串も買って、噛めば噛むほどおいしいそれを口に運びながら視線を動かすと、なんだか見慣れた後姿がある。

「マルコ、あれってイゾウじゃないか?」

「ん? あァ、そうだねい」

 射的屋の前にいる一人を見やっての俺の言葉に、同じ方を見たらしいマルコが返事をする。
 今度はマルコが先に歩き出して、俺もその後をついていった。

「マルコにナマエじゃねェか」

 近寄ってきた俺達に、どうやら相手も気付いたらしい。

「なかなか降りようとしなかったから、船番だったかと思ってたとこだ」

「そんなわきゃあねェだろよい」

 そんな会話を交わすイゾウの隣で一生懸命射的を行っているのは、最近イゾウのところに配置換えになった仲間の一人だった。
 ぐっと手を伸ばして撃ったコルクが、ぽんと景品に弾かれている。

「……っだー、くっそ!」

「はい残念賞、次、兄さんやるかい?」

 ちょうど手持ちの弾を打ち終わったらしく、笑った店主が粗品らしいものを失敗した俺たちの仲間の手に押し付けて、多分ずっとそばで見ていたんだろうイゾウの方へと声をかけた。
 台の上のおもちゃの銃を示されて、そうだな、と声を漏らしたイゾウがにまりと笑う。
 その手がベリーを店主へ支払い、十発の弾丸を受け取ってから、もう一度その目がこちらを向いた。

「どれが欲しい?」

 なんでも取ってやると言いたげな自信に満ちた言葉に、こちらも思わず笑ってしまう。
 景品の棚にはいろんなものが並んでいるが、いくら世界が違っても、こういう射的の標的はなかなか落ちないに決まっている。
 なんでもいいよ、と答えた俺の横で、マルコが並ぶ景品の一番上に居座る大物を指さした。
 棚の一番上を陣取っているそれは、どうにも気の抜けた顔つきの犬のぬいぐるみだった。とても大きくて、『景品』というよりは見栄えのために飾っているようにしか見えない。

「あれにしろよい。オヤジの肘置きにする」

「分かった」

 だというのにマルコがそんな風に言って、それを断るでもなくイゾウが頷くから、え、と思わず間抜けな声が出た。
 見やった先でコルクの弾丸をすべて手に持ったイゾウが、ひょいとおもちゃの銃を構える。
 その指先がふと色を変えたように見えて、思わずぱちぱちと瞬きをしている間に、イゾウの両手が素早く動いた。
 おもちゃらしい音が遊びらしくない速度で続いて、景品たちを乗せていた棚の一番上の段だけが少しばかり傾ぎ、可哀想なくらい一転狙いで鼻先を狙われた犬のぬいぐるみの位置がずれていく。

「げっ!」

 驚きに困惑の混じった声を零したのは恐らく店主で、それとほぼ同時にずるりとぬいぐるみが滑り落ちた。
 十発のコルク弾の最後の一つを詰めたらしいイゾウの手が、下へ落ちたぬいぐるみの方へ銃口を向ける。

「余っちまった」

 言葉とともにぽんと放たれたコルク弾が、可哀想な犬の眉間を弱く攻撃した。

「……すごい……!」

 そんな風に声を漏らした俺の前で、店主に何か言ってさっき支払ったのとは別にベリーを支払ったイゾウが、代わりにぬいぐるみを掴まえて引きずり上げる。
 持ち上げたイゾウくらいの大きさのそれをひょいと差し出されて、思わず片手でそれを受け取った。
 ぬいぐるみらしくそれほど重くはないが、決して軽くはない。絶対コルクの弾で弾かれていいものじゃないと思う。

「やるじゃねェか」

「こんくらいならな」

 片手でぬいぐるみを支えたままの俺の横で、マルコとイゾウがそんな会話を交わしている。
 そのうち横から伸びてきた手が俺からぬいぐるみを奪い取り、略奪者であるマルコはそれをそのままイゾウの傍で目を輝かせていたクルーの方へと押し付けた。

「イゾウの戦利品だ、後でオヤジに届けとけ」

「はい!」

 使命感に燃えた顔で言葉を放って、たくましい海賊の手が気の抜けた顔のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめている。
 次に行くか、とイゾウが言って、それにも『はい!』と元気よく答えた仲間が、イゾウとともに他の店へと足を向けた。
 頼もしい背中を見送ってから、それから俺はちらりと射的屋を見やる。
 困ったように笑って頭を掻いた店主も、まさかあんな大物がとられるなんて思ってはいなかったんだろう。
 ほかにも棚にはいくつも景品が並んでいて、そして今はちょうど誰も遊んでいない。

「………………」

「やりてェんならさっさとやってこい」

 もぞ、と身を揺らした俺に向かってそんな風に言いながら、マルコが俺の手からさっき買ったばかりの食べ物を奪い取る。
 ばれてた、とそちらを見やって笑うと、俺を見下ろしたマルコも楽しげに笑ってくれた。







 港町の祭りは、それはもう楽しかった。
 色んなものを食べて色んなことをして、楽しかったり悔しかったりして、とても満喫したと思う。

「…………まあ、よくある話だとは思うけど」

 だからと言って、と思わずため息を零した俺は、それからもう一度きょろりと周囲を見回した。
 しかしどこにも、あの特徴的な髪形の誰かさんはいない。

「……はぐれた……」

 明らかな事実を呟いて、しょんぼりと肩を落とす。
 ずっと一緒に歩いていたはずなのに、気付いたらマルコが側にいなかった。
 その事実に驚いて、それからあちこちを歩き回っているが、どこにもマルコを見つけられない。
 すでにはぐれて一時間近くが経っている。
 これはもう船に戻った方がいいんだろうか、とは思うものの、マルコが探してくれていたら申し訳ないという気持ちが、俺をその場にとどめていた。
 はぐれた時の待ち合わせ場所を決めておくべきだったな、と今になって考えても後の祭りだ。
 たくさん人がいる中をすり抜けるようにして歩きつつ、もう一度周囲を見回す。
 何度もあちこちを見ていた俺が動きを止めたのは、何かがびっと首元を引っ張ったからだった。

「あっ!?」

 首元からぽろりと何かが落ちた感触に、慌てて足元を見やる。
 大地の上に転がっているのは大事な小瓶で、すぐに拾おうと手を伸ばした俺の上に、ふと影が過った。

「!!」

 そうして、その影がそのまま、俺の手の上から大地に転がった瓶を踏みつける。
 ばぎりと音が鳴り、小さな小瓶が砕けてしまって、俺は思わず身を強張らせた。

「なんだ? ……うわっ」

 大地に海水をしみこませながら砕けたそれに踏みつけた相手も戸惑ったようで、足を持ち上げて自分が踏んでしまったものを確かめた後、足先が道の端に寄せるように瓶を蹴飛ばす。
 俺もこれも俺の目の前で起こったことで、そして、その動きのすべてが俺の手をすり抜けていた。
 見たことのある光景に目を見開く俺をよそに、適当に瓶を始末し終えた誰かが離れていく。
 それに怒る気力すらなく、俺はじっと自分の掌を見下ろした。

「……俺……消えてる?」

 もしや、海水の効力がなくなってしまっているんだろうか。
 一体いつからだろう。まるで分からなかったが、そうでなかったら先ほどこの手はあの足にしっかり踏みつけられていた筈だ。
 不幸中の幸いと言うべきなんだろうか、と道の端に寄せられてしまった小瓶を見やって、それからぎゅっと眉を寄せる。

「どうしよう……」

 途方に暮れた声が口から洩れて、はあ、とため息が漏れた。
 伸ばした手が破片に触れて、とりあえず砕けたそれを拾い上げる。
 指に尖った部分が触れたが、その感触はなんとなく鈍かった。今の状態だと怪我をしないからかもしれない。
 細かい破片も拾えるだけは拾って、それから立ち上がり、さっきこの瓶を砕いて行った人がやったようにぱっぱと足で土をかけるように払う。
 手の上の瓶は、もちろんすっかりその中身を失っている。
 こんな時のためにと持ち歩いていた筈の海水をなくしてしまった。
 いくつか屋台をひやかして歩いていたが、海水を売っている店なんて一つもなかったはずだし、買おうにも『見えない』状態ではどうやって買ったらいいのかも分からない。

「……港に行けば、何とか汲めるかな」

 直接飲むのはやめろと言われているが、背に腹は代えられない。
 船へ戻った方が確実だろうが、ここは港町で、岩場に隠れているモビーディック号までは遠い。それなら、港でなんとかした方がまだいいんじゃないだろうか。
 そんな考えが、俺の足を通りの向こうへと向ける。
 賑わう大通りを通り過ぎ、やがてだんだん普通の街並みが表れて、それから開けた場所へたどり着いた。
 大きな海原が彼方まで広がる港には、いくつかの船が並んでいる。
 物資の補給をしている人たちも多く、ぶつからないのは分かっていても何となく道の端へ寄りながら、俺はそろりとよさそうな場所を探して歩いた。
 さすがに港らしく、普通の場所だと海面からの高さがある。
 海水を飲もうとして海へ落ちたらとんでもないことだ。溺れてしまうかもしれないし、海水を飲む前に沈んでしまって、誰にも気づかれないかもしれない。
 自分の恐ろしい想像にひやりと背中が冷えたのを感じながら、きょろりと周囲を伺う。何か、海水を汲めるものはないだろうか。

「あれ」

 そうしてそのまま、ふと港の端にたたずむ人影を見つけた。
 随分大柄な人だ。
 海の向こうを睨むように仁王立ちになっていて、こちらへ背中を向けている。
 スーツを着込んでいるようで、何があるんだろうかと後ろからなんとなく見てみても、何を睨んでいるのか分からなかった。
 なんとなく興味を惹かれて、そちらへとそろりと近付く。
 マルコよりずいぶん大柄なその人は、腕を組んでいて、その掌で紙袋を掴んでいた。
 開いた口から丸いものが覗いていて、おせんべいだ、ということを確認して目を瞬かせた俺の耳に、ぐうと寝息が届く。

「……え、寝てる?」

 初めて立ったまま寝ている人間を発見して、思わず目を見開いてしまった。
 こんなところで寝るなんて、なんて危ないんだろうか。
 もしも前に倒れたら、港の端から海へと一直線である。溺れてしまうんじゃないだろうか。
 起こした方がいいのか、けれども今の俺が起こせるんだろうかと悩んだ俺の目の前で、がさり、と紙袋が揺れる。

「あ」

 その拍子にぽろりとせんべいが開いていた口から一枚落ちて、思わず伸ばした手でそれを掴まえた。
 丸いそれはやっぱり間違いなくただのお菓子で、からからに乾いていて固い。
 片手で触ってしまったそれを、少し悩んでからそっと紙袋の方へと戻す。
 がさりと先ほどよりも紙袋が揺れて、それとともに動いた大きな手が、俺の腕を通り抜けて自分の足を叩いた。
 ばし、ととても大きな音がして、ひっと思わず悲鳴が出る。
 だって目の前にある掌は、とても大きいのだ。俺の頭一つ簡単に捕まえられそうだ。

「ん? なんじゃ、気のせいか……」

 驚いて固まる俺の前で、ぱしぱし、と俺の腕を通過しながら自分の足を叩いた相手は、それからせんべいの入っていた紙袋を持ち直した。
 俺が戻したせんべいも一緒に紙袋の中でがさりと音を立てて、それからその手が丁寧に袋の口を閉じる。
 あくびをしているのか、のどを開いた声が漏れて、俺はそろりと上へ視線を向けた。
 そうして、そこにあった顔に気付いて、思わず瓶の破片を持っていた手に力を入れる。

「ガ……ガ、ガープ……!?」

 後ろ姿ではまるで分からなかったが、そこにいたのは、誰がどう見ても『英雄』ガープだった。
 この世界は、俺がかつて読んだ『漫画』にそっくりだ。
 マルコだってイゾウだってその『漫画』の中にいたキャラクターで、そして、この大男も同じ『漫画』で見た覚えがある。
 問題は、相手が海兵だということだ。
 なんであのコートを着てないんだと困惑しつつも、取りあえずそろりと後ろへ足を引く。
 もはや、海水を飲みたいとか言っている場合じゃない。
 いや、誰かに伝えるためにも海水は飲みたいが、今この場からは逃げ出したかった。
 目の前の相手はそこまで海賊を嫌った海兵ではなかった気がするが、俺もマルコ達も『海賊』で、つまりは『海軍』の敵なのだ。
 誰かが見つかって捕まってしまったらなんてこと、考えるだけでも恐ろしい。
 どくどくと心臓が嫌な音を立てていて、それにせかされるようにもう一歩足を引いた俺は、すぐさまその場から駆け出した。
 走りながら見やった先に、見たことのある気がする船まで見かけてしまって、さらに怖くなる。
 畳まれているマストには、もしかしたら海軍のマークがしるされていたのかもしれない。
 早く早くと慌てて走って、来た道を戻っていく。
 途中で何人かの人に触ってしまって、困惑したような顔をされたけど、今はそれどころじゃなかった。
 早く船に戻って、それからマルコ達に連絡をとってもらわなければと考えて走った視界の端に、ふと知っている顔がかすめる。

「……マルコ!」

 それは間違いなく俺が一緒に船を降りた相手で、無理やり体の向きを変えてそちらへ駆け寄った俺に、マルコは気付かなかった。
 少し厳しい顔できょろりと周囲を見回していて、何かを探しているかのようだ。
 もしかして、と考えて、そっとマルコへ手を伸ばす。
 くい、とマルコの服を掴んで引っ張ると、周囲を見回していたマルコが自分の服へ視線を向けた。
 そうして、俺が掴んだままの個所を見て、動いたその手が俺の指に重なるようにそこへ触れる。
 それを見ながらもう一度服を引っ張ると、目の前の相手がわずかにため息を零した。

「ナマエかよい」

「そうだよ!」

 間違いなく紡がれた俺の名に、俺はマルコの服を二回引っ張ることで答えた。
 持たせた海水はどうしたんだと尋ねられて、自分の片手をちらりと見やる。
 ぎゅっとつかんで持ち歩いているそれを開いても、そこには割れた小瓶があるだけだ。
 マルコの服を三回引っ張ると、はあ、とマルコの口がもう一度ため息を零した。

「駄目にしちまったのか?」

「……なんでわかったのかな」

 俺の様子なんて見えないはずの相手の発言に、困惑しながらも二回引っ張ることで答える。
 仕方のない奴だと独り言のようにこぼしながら、マルコはもう一度、警戒するように周囲を見やった。
 そのままゆっくりと移動されて、その服の端を掴みながらそれについていく。
 大通りの中あたりから端へ寄ってから、マルコの手が何故だか自分のポケットへ伸びて、そしてそこからひょいと小さな小瓶を取り出した。
 どこかで見たようなそれに目を瞬かせている俺の前で、マルコがそれを広げた掌の上にころりと転がす。

「おれも予備を持ってんだよい。とりあえず飲んじまえ」

「すごく……用意周到だな……」

 俺が瓶を割ってしまうことも予想されていたんだろうか。
 落ち着きがないと言われてしまった気がして悔しいけど、その通りではあるのでそっとマルコの掌へ手を伸ばす。
 その掌の上から小瓶を取り上げて、片手でコルクを開いた。
 ぱた、と溢れた海水が瓶を伝って滴ったけど、それを無視してほんの一口分のそれを飲む。

「…………んえ」

 ごくりと飲むまでにとても力のいるものを飲み込んで、それから小さく口を開けて声を漏らすと、相変わらずまずそうに飲むねい、と向かいのマルコが軽く笑った。
 どうやらもう『見える』ようになったらしいと把握して、ぐい、と口元を手で拭う。
 その拍子にちくりと掌に痛みを感じて、びくりと肩が跳ねた。
 それから手を広げてみると、握りこんでいた瓶の破片が少し掌に傷をつけてしまったようだった。じわりと血が滲んでいる。

「……何持ってんだよい」

「いやあの、落とした時に踏まれちゃって」

 まさか割れた瓶をそのまま放置はできないし、と声を漏らすと、放置してろそんなもの、と言葉を零したマルコが俺の手を掴まえる。
 上向きにしていた掌をひっくり返されて、そのまま手の中のものを根こそぎ奪われた。
 割れたものを気にした様子もなく自分のポケットへ入れてしまう相手に、危ない、と声を漏らす。

「足、怪我しちゃうかも」

「手に持ってた方があぶねえよい。その辺に落としたらどうするんだ」

「それはそうだけど、ポケットに穴とか……」

「空いたら後でナマエに縫わせるから大丈夫だよい」

 きっぱりとそんな勝手なことを言いながら、戻ってきたマルコの手がわずかに青い炎を零す。
 その掌でそのままさっきと同じ手を掴まれて、ぎゅっと握りしめられた。
 まるで手をつなぐような格好に困惑した俺をよそに、マルコがその場から歩き出す。

「あの、マルコ?」

「ちいっとまずいのがいるんだよい。この町からは撤収だ」

「まずいって……あ、ガープ!」

「……見たのかよい」

 引っ張られて歩きながら、港で寝ていた大男のことを口にすると、なんでそんなとこで寝てんだよい、とマルコがもっともなことを口にした。
 確かに俺も疑問だが、しかしまさか本人に聞いてみるわけにもいかない。
 ちらちらと、周囲や後ろに海兵がいないかを気にしつつ、俺はそのままマルコと一緒に港町を引き上げた。
 ほかの仲間達にも連絡が行っていたらしく、何人かはモビーディック号へと戻ってきていて、翌日からは島の反対側の街へと出かけることに決まった。
 それは別に、構わないのだけども。

「…………なんでこれ?」

「どっかの誰かさんが消えちまうからだよい」

 今日はちゃんと新しいのを飲んだから大丈夫だよと言ってみても、なぜだかマルコはずっと俺の手を掴んでいて、俺はマルコと手をつないで新たな街を訪れることになってしまった。
 『不死鳥マルコ』の評判が心配だ。



end


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