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恋熱が消えない
※『天国で地獄』から続く短編の続き
※『恋熱の行方』をふまえてる話



 じっとりと、体が汗ばむほど暑い。
 日差しは強く、帽子が無ければ外を歩くのだってやっていられないほどだ。
 荷運びの帰り道、中身がなくなって軽い鞄を肩にかけたまま、影をたどるようにして道を歩く。
 あちこちで鳴いている蝉の声がわんわんと耳に響いていて、はあ、と息を零したところで、ふとまっすぐ伸びる道にあった陰に気付いた。

「あれ?」

 遠目に見えた相手に、俺は思わず声を漏らした。
 前方に、とても見覚えのある姿の人がいる。
 けれども、その背中には『正義』を記したコートが無い。それどころかスーツも着ていない。
 見間違いかと思ったが、たとえ背中だとしても、俺があの人を見間違えるはずがないだろう。

「……」

 少し考えてから、肩から掛けていた荷運び用のカバンを持ち直し、日陰を選んで歩いていた足を前へと踏み出す。
 照り返しのきつい石畳を踏みつけて、頭にかぶっていた帽子の角度を少しばかり調整してから、陰から抜け出てそのまま駆けた。

「こんにちは、モモンガさん!」

 少し大きな声を出して駆け寄ると、俺に気付いた相手がこちらを向く。
 多分、また遠征に出ていたんだろう。会えたのは数週間ぶりだ。
 相手が道の端の木陰に寄ったので、俺もそちらへついて行った。

「久しぶりだな、ナマエ。食欲はあるか?」

「え? あ、はい、ちゃんと食べてますよ」

 元気か、と聞いてくるのがいつものことなのに、いつもと違う質問をされた。
 その事実に目を丸くした俺を見やって、最近暑いだろう、とモモンガさんが言葉を紡ぐ。

「いつだったかのように暑さにやられているんじゃないかと思っていたんだが」

「い、一年も前の話じゃないですか……!」

 厳しい顔で寄越された言葉に、俺は慌てて反論した。
 確かに去年、猛暑で夏バテしてしまって、体調を崩していた覚えがある。
 顔色が悪かったのか、モモンガさんにも食事を殆どとっていなかったことが知られてしまって、それはもう叱られたのだ。
 怖い顔をして、尋問みたいな聞き取りをされて、嫌われたかと思ったけど、『心配しているんだ』と重ねられた言葉を思い返すとなんとなく嬉しいような気もするのだから、俺は相変わらずどうしようもない。

「たった一年前の話だ。もしや今年も、と考えるとな」

「お気遣いありがとうございます。でも、俺も去年のことは反省したので、今年は大丈夫ですよ!」

 眉間にしわまで寄せて、そんな風に言葉を寄こされ、俺は胸を張って返事をした。
 言葉の通り、今年の俺は健康そのものだ。
 ついにこの世界の風土に体がなじんできたんだなと思う。
 体も随分筋力がついてきて、肉体労働でも前ほど疲れなくなってきたのだ。

「心配してくれたんですよね。ありがとうございます」

 帽子の下から見上げて、そんな風に言葉を放つ。
 俺のそれを聞き、少しばかり目を細めたモモンガさんは、それならよかった、とわずかに微笑みを零した。
 木陰にいるはずなのに、そこいらの日差しよりまぶしいそれを直視してしまって、不自然にならないよう気を付けながら顔を逸らす。

「えっと、今日はお休みですか?」

 いつもと格好が違いますね、という言葉が出て行ったのは、逸らして少し下に向けた視界に、いつもと違う格好のモモンガさんの体が入り込んだからだった。
 いつものモモンガさんは、基本的にスーツを着ている。
 海軍将校としての身だしなみだろう、できる限りはあの白いコートも羽織っているし、きっちりとした姿は格好いいことこの上ない。
 私服のモモンガさんが格好いいこともまた間違いないが、見慣れない姿だということを認識したら心臓が少し痛くなってきた。
 暑さのせいにして、滲んだ汗を手で拭った俺の前で、遠征があったからな、とモモンガさんが口にする。

「今日と明日は休みが取れたから、散歩がてらにな」

「散歩って……もっといい時間帯ありますよね?」

 モモンガさんへ、そんな風に言いながらちらりと木陰の向こうを見やった。
 路地の端に落ちた影の外は、日差しが余計に強く感じられる。
 特にこの辺りは白い石畳が多いので、照り返しが強いのだ。
 俺だって、今日が仕事でなかったら、この時間に外には出なかった。
 あと数時間もすれば夕方で、そうなれば日も陰るだろうから過ごしやすくなるだろう。
 去年、俺へそう教えてくれたのは、確かこの人だった気がする。
 どうしたんだろうと思いながら視線を戻すと、まあそうなんだが、と答えたモモンガさんの口元が笑みを深める。

「まさか、急に押し掛けるわけにもいかんだろう」

「押しかける……?」

「大通りのあたりを歩いていれば、恐らく見かけるだろうと思っていたんだが」

 後ろ側にある『大通り』を指で示し、通り過ぎてしまってな、と答えたモモンガさんの発言に、俺は首を傾げるばかりだ。
 何か目的があっての『散歩』だったんだろうか。
 そうだとしたら、呼び止めて悪いことをしてしまったかもしれない。

「どこかへ行く途中だったんですか」

 眉を下げて尋ねると、まあ少しな、と答えたモモンガさんは、一人で納得したように一つ二つ頷いた。

「目的は達成したことだし、もう少し日が落ちるまでは休んでいることにしよう」

「は、はあ……」

「ところで、ナマエの今日の上がりは何時頃だ?」

 良かったら夕食を共にどうだろうか、と続いた誘い文句に、頭に浮かんでいた疑問符が全部どこかへ飛んで行ってしまった。
 行きます、と思わず意気込んで答えてしまって、モモンガさんが少しばかり驚いた顔をする。
 は、と前へ乗り出しかけていた身を引いて、すみません、と目を逸らした。

「あの、誰かとごはん行くの、久しぶりで」

 発言がとてつもなく可哀想な人間のものになってしまったが、嘘は言っていない。
 別に友達がいないわけじゃないが、今年もマリンフォードはとても暑くて、できれば夜は一人で静かに過ごしたかったのだ。
 けれどもそんなもの、この人と一緒に食事ができるんならどうでもいいことだった。
 しかし、まさか正直に『貴方と食事に行けるのが嬉しい』なんて、言えるはずもない。
 そんなところからもしも俺の中に渦巻くものが伝わってしまったら、今みたいに近くで話すことだってできなくなるかもしれないのだ。
 だからこそ取り繕った俺は、それからちらりと視線を戻し、何やら難しい顔をしているモモンガさんに気が付いた。

「……モ、モモンガさん?」

 どうしたのかと尋ねようとした俺の前で、はっとその表情を消したモモンガさんが、穏やかに言葉を紡ぐ。

「なら、仕事が終わったら待ち合わせることにしよう」

 優しくそんな風に言い放ち、上がりの時間を聞かれて答えたら待ち合わせの時間と場所まで指定されて、モモンガさんは俺より先に木陰を出て行ってしまった。
 よくわからないままその背中を見送って、とりあえず、決められた時間と場所を口の中で繰り返す。

「……モモンガさんと、ごはん」

 ものすごく魅力的な予定を決めてしまった。
 これはもう、今日の残りの仕事は今まで以上に頑張って素早く終わらせなくてはならない。
 家に帰って着替えてから行きたいけど、モモンガさんの前に着ていって大丈夫な服は何があったかな、なんてことを考えながら、俺もやがて木陰を抜け出して歩き出した。
 じりじりと焦げ付く炎天下の下でも苦にならないくらいに、ふわふわと足元が浮ついている気がする。
 職場の同僚に何度か『いいことでもあったのか』と聞かれては笑ってごまかしながら、うきうき、わくわくと待ち合わせ場所へ向かったのは、その日の夜のこと。
 一緒に食事をしながら、なぜだかモモンガさんに身の回りのことを色々と聞かれた気がするが、もはや夢のように楽しくて嬉しかったことしか覚えていなかったから、つくづく俺はどうしようもない奴だと思う。



end


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