- ナノ -
TOP小説メモレス

天国で地獄
※異世界トリップ系男子とモモンガさん



 『この世界』があの漫画の世界だと気付いたのは、頭から落ちた先の砂浜で砂まみれになって、自分の常識では考えつかないような体格の人間を何人も見た後だった。
 電話の代わりに巨大なカタツムリを置いて、海賊だの海兵だのと言った不穏な単語を零して、日本円と似たような感覚で使われる日本円じゃない通貨を使う周囲の人達に、これが夢じゃないならいっそ自分の頭がおかしくなったのだと思いたいくらいだった。
 けれども周囲の全てが現実で、俺の頭はいたってまともに機能していた。
 だから仕方なく、ここで生きていくと決めたのが一年前の事。

「あ」

 慣れた道を歩いていると、前方に見慣れた背中を見つけて思わず声を漏らした。
 一目見ただけで心臓が高鳴るのを感じて、騒がしいそれを隠すように本を抱え直してから、少し速く足を動かす。
 石畳を踏む俺の足音に気付いたらしく、前を歩いていたその人がちらりとこちらを見やった。
 特徴的な髪形の海兵さんに笑みを浮かべて、俺は更に足を速める。

「こんにちは、モモンガさん」

「ナマエか」

 投げた俺の言葉に応えるように、見やった先の彼がわずかに目を細めた。
 お久しぶりですねとそちらへ言葉を向けながら、やっと追いついたその隣に足を並べる。
 そうだなと言葉を零して、モモンガさんが頷く。

「しばらくマリンフォードを離れていたからな」

「そうなんですか……」

 なるほど、町中で見かけなかったはずだ。
 時々探していた相手が見つかった嬉しさに顔が弛むのを感じながら、お元気そうで良かった、と言葉を向ける。
 モモンガさんは俺の言葉に軽く相槌を打ってから、その目をこちらが抱えている本へと向けた。

「図書館へ行くところか」

「はい、返しに行くんです」

 寄越された言葉に頷いて、持っている本を抱え直す。
 マリンフォードの図書館はいくつかあるので、そのうちの一番大きな図書館の名前を口にしてから、俺は軽く首を傾げた。

「モモンガさんは、どちらへ行かれるんですか?」

 せっかく会えたのに、すぐにお別れなんてあんまりだ。
 もしも何処かへ行くと言うんなら、急いで本を返しに行ってすぐそこへ行くか、そうでなかったら少し寄り道したっていい。どうせ今日は休みなのだ。
 こっそり俺がそんなことを考えているだなんて知りもしないだろうモモンガさんは、軽くその口元に笑みを浮かべた。

「ちょうど同じ方向へ行くところだ。同行しても構わないか?」

「はいっ!」

 あまりにも嬉しい申し出に、思わず力の入った返事をしてしまう。
 目を丸くしたモモンガさんがそれからすぐ面白そうに笑ったので、ちょっと恥ずかしかったけどまあいいか。
 それから二人で並んで、俺が言った図書館までの道を歩くことにする。
 俺が少し歩く速度を落とすと、モモンガさんも合わせて歩く速度を落としてくれた。
 小さな雑談を交わしながら道を歩いて、大きな街道から横道にそれたところで、そう言えば、とモモンガさんが口を動かす。

「マリンフォードにはもう慣れたのか?」

「はい、おかげさまで」

 寄越された言葉に頷いて見やると、そうか、とモモンガさんも一つ頷いた。
 『この世界』で生きていくと決めて、俺はそのままこの島の住人となった。
 住居を手に入れる為に『移民』になる手続きもして、職も見つけた。
 『元の世界』へ帰る方法も探していて、学生時代とは比べ物にならないくらい本だって読んでいるが、いまだに糸口すら見つけきれていない。
 いっそのこと誰かに自分が『異世界の人間』であることを言った方がいいのかもしれないが、そう言って頭がおかしい扱いをされたらと思うと、そうすることだって出来なかった。
 モモンガさんは、俺が『移民』となる手続きをしに機関へ行った時、たまたまそこにいた海兵さんだ。
 手続きの仕方に不慣れな俺に何となく声を掛けてくれて、『故郷』を問う質問にろくに答えられなかった俺に何と思ったのか、それから会うたび声を掛けてくれるようになった。
 『ワンピース』の海兵と言えば正義側か悪い奴かの二つだと思っているのだが、多分モモンガさんは正義側の人だったに違いない。
 いい人すぎて優しいこの人におかしな人間だと思われたくなくて、結局俺はモモンガさんにも『本当のこと』を言えないままだ。

「これから先もマリンフォードで暮らしていくつもりなのか?」

 優しく寄越された問いかけに、そうですね、と返事をした。

「今のところはそのつもりです。友人もできましたし」

「そこで友人と来るか。浮いた話の一つでも出てくるかと思ったのだが」

 笑って寄越された言葉は何の気も無く、俺の心臓の内側を削いでいった。
 モモンガさんの言葉に他意が無いことは分かっている。
 見ていれば簡単に分かるくらい、モモンガさんは普通の嗜好の人だった。
 俺だって、モモンガさんと親しくなるまではそうだったのだ。
 きっと、あの日モモンガさんが俺の目の前で笑わなかったら、一生気付かなかったに違いない。
 だから、たとえば俺がこの場で『実は俺、貴方が好きなんです』と言ったって、受け入れて貰えないことは分かっている。
 困った顔で『すまない』とまで言われるのを想像して勝手に傷ついて、それを隠すようにあはははと笑った。

「確かにそう言う相手がいたら、ここが例えばインペルダウンでも離れられませんね」

 誤魔化すように口から漏れた変な例えに、なるほど、とモモンガさんが真面目な顔で頷く。

「脱獄は認められんな。私も海兵としての職務を果たそう」

 きっぱりとした言葉に、え、と思わず声が漏れた。
 小さすぎたそれがうまく聞こえなかったのか、モモンガさんがそこで不思議そうにこちらを見る。
 どうした、と問いかけてくるその顔を見ながら、出来る限りの努力をして笑顔を作った。

「……モモンガさん、俺のこと引き止めてくれるんですか?」

 そうしてただの雑談の延長で問いかけると、そうだな、とモモンガさんが返事をくれた。

「この年齢になると、友人を失うのも寂しいものだ」

 穏やかな声が寄越した言葉に、また勝手に心臓の内側が傷付いたのを感じる。
 モモンガさんはいい人で、真面目で格好いい海兵さんだが、時々本当にひどい人だ。
 本を掴む手に少しだけ力が入ったのを感じながら、やだな、と俺は笑って呟いた。

「いくつになったって、友達と会えなくなるのは寂しいに決まってますよ」

 ふふ、と笑い声すら零しながらの俺の言葉に、傍らの海兵さんが一瞬だけ目を丸くする。
 それから、何かに気付いたように眉を寄せて、申し訳なさそうに少しだけこちらから目を逸らした。

「…………そうだったな、すまない」

 突然謝られて、ああまた勘違いさせてしまったな、と気が付いた。
 モモンガさんは、俺を天涯孤独の移民だと思っている。
 多分、故郷のことに答えられなかったのがその理由の一つだろう。
 もしかしたら、故郷だって滅びたと思っているのかもしれない。
 それを否定したことの無い卑怯者の俺は、その代わりのように「謝らないでくださいよ」と笑って口にした。

「それに、俺はマリンフォードに来て良かったって思ってるんですよ」

 どうして『この世界』に来たのかも分からないが、これは本音だ。
 落ちたのがこのマリンフォードの砂浜で良かった。
 この人に会えて良かった。
 心臓が痛いし、今日みたいに勝手に傷つくことだって多いけど、この人を好きになってよかった。
 そんな気持ちを込めての俺の言葉に、こちらを見たモモンガさんが目元を緩める。

「…………そうか」

 優しく落ちた言葉へ、はい、と頷いて、俺は本を抱えたままモモンガさんから視線を外した。
 歩いている通りの向こう側にそびえる建物の向こうに、俺が目指している図書館の屋根が見える。
 モモンガさんの用事がどこ宛かはわからないけど、多分この通りを抜けたところでお別れだろう。
 そう思うと寂しくて、少しでも一緒にいられるようにと願いながら口を動かす。

「そういえば、モモンガさんはどこへ行ってらっしゃったんですか? 何か変わった島とかありました?」

「……ふむ、そうだな……」

 無理やり話題を変えた俺に何かを言うでもなく、軽く呟いたモモンガさんが、片手を自分の顎に添えたのが視界の端に見えた。
 それから始まったモモンガさんの話に相槌を打ちながら歩いた道のりが、俺がここ最近のうちでもっとも幸せに感じた時間だった。



end


戻る | 小説ページTOPへ