- ナノ -
TOP小説メモレス

檻の中にて
※『海の森の彼』『海の森の彼2』『檻の中で二人』の続編
※少しばかりの暴力表現があります



「ニュ〜、出来たぞ!」

 そんな言葉を放ち、どうだ、と何本もの腕を腰に当ててタコの魚人が胸を張る。
 成人しているはずなのに子供のように誇らしげな顔をした相手に、俺は『ありがとう』と素直に礼を言った。
 そしてそれから、自分の左腕を軽く撫でつつ、だけど、と言葉を口にする。

「アーロンに聞かなくて大丈夫だったか?」

「アーロンさんがあけた穴をちょいと広げただけだし、どうせお前は逃げないだろ、ナマエ?」

 だから大丈夫だ、とどこからくる自信かも分からない言葉を口にしたハチのすぐ後ろには、壁に取り付けられた少し大きな窓があった。
 鉄格子でできた通路側とはちょうど反対側の、今までは壁しかなかった場所だ。
 格子すら入っていないそれは開閉できるようになっていて、開けば海の匂いのする風が吹き込むようになっている。
 どこ向きの窓なのかも分からないが、開いたおかげで日差しが入り込むようになっていて、室内が少し明るく感じられた。
 時間帯によっては日光浴もできそうだなとそれを見やった横で、でもなァ、とハチが言葉を落とす。

「アーロンさんは、なァんで壁に穴なんかあけたんだ?」

 問われた言葉に、さあ、と首を傾げる。
 その壁をアーロンの拳が貫通したのは、つい二日ほど前のことだ。
 俺が寝ている間にやってきたらしいアーロンが壁を叩いている音で目を覚ましたから、何がどうなってそんな凶行に及んだのかは聞いていない。
 一度ならず二度三度と、まるでそこに恐ろしい何かがいるかのように壁を攻撃していく姿を思わず眺めてしまったところで、ぶたれ続けた壁に空いた穴が砕けて大きくなった。
 それに気付き、さすがに止めようと伸ばした左手が、気配を感じたらしいアーロンの片腕に弾かれたのだ。

『っ!』

 走った痛みで息をつめた俺を一瞥し、舌打ちを零したアーロンは、しかし何も言わずに部屋を出て行った。
 多分その足で海へ出て、まだ帰ってきていないらしい。

『よォ、元気か……ニュ!? どうしたんだ、その壁?』

 そして、その日の夕方頃にやってきたハチが、壁を見つけて目を丸くしたのだ。
 留守番組だったらしい彼が食事の時間以外でこちらの様子を見に来くるのは、アーロンがいないときにはよくあることだった。
 この根城を貰ってしばらくしてから、チュウだとかクロオビだとか、他の魚人たちもたまにやってくる。
 大体はアーロンが不在の時で、少し話をしたり軽く馬鹿にされたり、それからいくらか頼みごとをされてから見送るのがいつものことだ。
 室内で出来るような雑用を任されていたりもするし、ある程度は受け入れられているような気がする。
 しみじみと考えていると、なんでだろうなァ、と不思議そうに首を傾げながら言葉を零したハチが、そうだ、と二本の腕を動かして手を叩いた。

「忘れてた。チュウの奴に、まだ痛むんなら医者をさらってくるか聞いてこいって言われたんだった。どうだ?」

 言葉と共に視線を向けられて、なんだそれ、と思わず笑う。

「大丈夫だって、見た目が派手なだけだから」

 言いながら片手で触れたのは、長袖の下で包帯を巻かれた左腕だった。
 アーロンの片手で思い切り弾かれて、じんじん痛むと思ったら、肘より先側に大きく赤い跡がついていた。
 この二日ですっかり黒くなってしまった立派な打ち身だが、手はちゃんと動くし、骨が折れたりはしていない。
 あの手を払われたときに受けたものであるのは間違いなく、気付いたハチに軽く手当てをされてからもじんじんと少しばかり痛むが、大したことじゃなかった。
 むしろ、怪我をしてからようやく気付いたこともあるくらいだ。

「でもよ、ちょいと手を払われただけなんだろ? 人間はやっぱり弱いもんだなァ」

「魚人はすごく丈夫だもんなァ」

 しみじみ言われて言葉を返すと、よせやい照れるぜ、と頭を掻いたハチの手が持ち込んだ大工道具を持ち上げた。

「なかなか治らないようならやっぱり医者をさらってくるから、遠慮せず言えよ」

 物騒なことを言いながら、じゃあなと言葉を続けたハチが格子の戸を開いて通路へ出る。
 そのまま歩いていこうとする相手に気付いて、ハチ、と慌ててその名前を呼んだ。

「ニュ?」

「鍵、忘れてる」

 鎖を引きずりながら格子に近付いて、内側からはうまく触れない場所に取り付けられた鍵を指差した。
 誰かが会いに来ることは黙認されているだろうが、さすがに鍵を忘れて行ったら怒られるだろう。アーロンはあれで几帳面で、毎回律義に部屋の鍵を開け閉めする。二日前だってそうだった。
 俺の言葉に、あ! と慌てた声を出して近寄ってきたハチが、格子でできた扉に触れる。
 そうして他の腕で荷物を抱えなおし、自由を取り戻した二本で鍵を締めながら、むにり、とそのタコの魚人らしい口を動かした。

「ニュー……、やっぱり、窓ぐらい大丈夫だ」

「ん?」

「逃げないもんな、お前」

 なんとも言えない顔をしてこちらを見下ろしたハチが、そんな風に言葉を放つ。
 それを見上げて、そりゃあ逃げないよ、と俺は軽く言葉を投げた。

「俺は『アーロンのもの』だしな」

 小さかったのに随分あくどい顔をして笑っていた、あの魚人の少年とのやり取りを思い出して、そんな風に口にする。
 俺の言葉に、やっぱりハチは微妙な顔をしていた。







『それなら、つぎはお前をよこせ』

 妙に楽しそうにそう言った子供に応じたあの日から、俺はアーロンのものだった。
 もちろんただの子供との口約束で、契約書を交わしたわけでもない。
 だというのに、一つの部屋に閉じ込められて、鎖までつけられて、満足な自由もない状況で、それでも逃げようと思わないのは、彼が俺を探していたと聞いたからだ。
 海賊王についていったなんて言うおかしな勘違いをされていたが、そのうえでずっと探していたと聞いたら、なんだかくすぐったいものを感じた。
 ずっと部屋にいるのは退屈だが、そう漏らしたら雑用が運び込まれるようになったので、日々の時間は潰せている。
 食事の心配も今のところないし、雨風をしのげる部屋の中にはベッドもある。海の森で寝泊まりしていたころに比べれば随分と快適だ。
 それに、もしもここを出て行ったとして、どうすればいいのかも分からない。
 俺はここが自分の生まれ育った世界じゃないと知っていて、だからこそ、行く当てもなかった。
 もしもまたあの日のようにゆがみに引きずり込まれたら、今度はどこに飛んでいくのかも分からない。
 自分だけが取り残されて周りの時間が進んでいくのはひどく恐ろしく、部屋と俺自身をつないでいる鎖を外したいとも思えなかった。
 だから、どちらかと言えば俺は、アーロンを利用していると言えるのかもしれない。

「どういうつもりだ、ナマエ」

 低く唸るように言いながら、こちらを睨むアーロンを見返す。
 四日ぶりにやってきた相手が苛立たしげなのは、部屋に入ってきてすぐに破壊した窓のことを考えれば明らかだった。
 『なんだそれは』と問われて、『ハチに作ってもらったんだ』と答えた言葉に他意はない。
 やってきて急に作られてしまったそれをそのまま受け入れたのは俺だし、ハチのせいにするのは卑怯だろう。
 俺の言葉に苛立ったらしいアーロンの腕は、いともたやすく急造された窓を破壊した。
 木枠とガラスの破片が飛び散って、床の上に転がっている。

「腕、大丈夫か?」

 酷くとがった部分に触れている太い腕を見やって思わず問えば、シャハ、と酷い笑い方をしたアーロンが腕を窓がある場所から引き抜いた。

「人間なんて言う下等種族ならともかく、魚人がこの程度のもので傷なんざ負う訳が無ェだろう」

 きっぱりと言葉を放つその腕には、確かに傷の一つもついていない。
 本当に丈夫なんだな、とそちらを見ていたら、動いたその掌が俺の顔を救い上げるように掴まえた。
 引き寄せられ、無理やり上向かされた先で、こちらを見下ろすアーロンの鼻先がこちらを向く。
 肉すら穿てる鋭い鼻越しにその顔を見上げると、アーロンが牙を剥いて唸った。

「主人以外に尻尾を振るたァ、いい度胸だ。躾が足りなかったな」

 ぎり、と掴んだ部分に力を入れながら零れた声に、ぱちりと瞬きをする。
 主人、と言うのはつまりアーロンのことだろう。
 今の俺はあの頃と同じくアーロンに世話をされている身の上で、『ご主人様』と言えばアーロン一人に決まっている。
 しかし、この発言からすると、『勝手に窓を作った』ことを怒っているわけではないのだろうか。
 少しだけ考えてから、ごめん、と動かしにくい口で謝罪を零した。

「アーロンにねだるべきだったな」

 『おねだり』をして叶えてもらえるかは分からないが、駄目なら駄目で、空いた穴をふさいでもらうくらいは出来たかもしれない。
 ごめんな、ともう一度謝罪を口にすると、それが正解だったのか、舌打ちを零したアーロンの手からわずかに力が抜ける。

「頼みを聞いてもらえるとでも思っていやがるのか。厚かましい野郎だ」

 なじるように言葉を放ち、一度逸らしたその目が、もう一度俺を睨みつける。

「腕は」

「腕?」

 短すぎる問いかけに戸惑ってオウム返しすると、ぐい、とアーロンの手が俺の体を傾けた。
 一瞬左足が浮いて、思わず右足の位置をずらしながら両手でアーロンの腕を掴む。
 俺の行動を見下ろすアーロンの視線は、なんとなく俺の左腕に集中しているようだ。
 それに気付いて、ああ、と声を漏らした。

「聞いたのか」

 長袖を着ているから分からないだろうと思ったのに、誰かが俺の打撲の話をしたらしい。手当てをしてくれた誰かさんだろうか。
 見せろ、と低く声を零されて、別に見るほどのものじゃないよ、と笑いながら袖をめくった。
 覗いた腕には包帯が巻かれていて、当然患部は見えない。

「まだ少し黒っぽいけど、そこまで気にしなくても大丈夫だよ」

 もうすぐ治るだろうから、と言葉を続けた俺の左腕を見下ろして、俺を掴まえているのとは逆の手が、がしりと俺の腕を掴んだ。
 そのまま包帯を引っ張り始めた相手に、何をしているんだろうと思わず腕を引く。

「アーロン?」

「ハチの野郎には見せておれには見せねェ、なんてことが通用するとでも?」

「ん?」

 何やらおかしな話だ。
 自分が負わせた傷を、わざわざ確かめたいとでもいうのか。
 よく分からないが、アーロンが言うなら、ともう少し左腕を動かして、アーロンが掴んだままの包帯を少しだけ緩めた。
 しゅるり、と解けた白い包帯の下から、微妙にグロテスクに思える打撲跡が現れる。
 この間よりはよくなっているが、まだうっ血の跡が残っていて、見ていてもそんなに楽しくはないだろう。
 俺の予想通り、こちらを見下ろす顔を不快そうにしかめたアーロンが、全く、と声を漏らしながら包帯を手放す。

「おれとしたことが、下等種族が随分と脆いことを忘れていた」

 落ちる低い声には、どことなく後悔の色がにじんでいるように思えた。
 緩んだ包帯が腕から落ちて行かないように気を配りながら、折れてもいないんだから気にしないでくれ、と言葉を紡ぐ。

「俺も、普段ずいぶん優しくされているんだなって、この前気付いたよ」

 アーロンは大人になって、手加減が出来るようになった。
 小さな頃だったら痛いくらい強く掴んできていた掌は大きくなって、何度か掴まれたりもしたけど痛かったことなんてほとんどない。
 けれども、俺が思っていたよりも気を配って俺に触れていたのだと、軽く払われた腕に怪我をしてから、俺はようやく気付いたのだ。
 それこそ、壊れものに触るような気持ちでいてくれているのかもしれない。
 俺の言葉を聞いて、しかめた顔をますます歪め、アーロンが鼻を鳴らす。

「勘違いも甚だしい。てめェらしい妄想だ」

 そんな風に言いながら、アーロンは俺の顔を放した。
 まるで逃げるように手が離れていって、体の自由を取り戻した俺は、とりあえずまっすぐに立ちながら、解けたばかりの包帯を巻きなおす。
 四日も仲良くしていれば片手で包帯を巻きなおすのも慣れたもので、きちんと袖まで直してから視線をあげると、アーロンは先ほど破壊した窓の方を向いていた。

「窓、塞ぐのか?」

 そこに現れてから、俺に日光の恩恵を与えてくれていた窓を示して言葉を放つと、あァ、とアーロンが頷く。

「なんだ、何か文句があるのか? ナマエ」

 そうしてその目がこちらを睨みつけ、そんな風に唸るので、いいや、と俺は素直に首を横に振った。

「あってくれた方が嬉しいけど、アーロンの好きにしてくれて構わないから」

 元より、最初は無かったものだ。
 ハチには悪いが、アーロンが気に入らないのなら無い方がいいだろう。俺の次にこの部屋で時間を過ごしているのはアーロンだ。
 けれども、あれだけ大きく開けた穴は、いったいどうやって塞ぐんだろうか。
 少し考えてしまった俺を他所に、こちらを睨みつけていたアーロンが、どうしてだか黙り込む。
 あれ、と戸惑いながらそちらを見やると、ややおいて舌打ちと共に視線が逸らされて、アーロンが大股で部屋を横切った。

「大人しくしていろ」

 言葉を置いて、丁寧に鍵も掛けてから離れていく背中を、思わず見送る。
 とりあえずはと床に落ちたガラスや木材の破片を片付けながら、最後の光景になるんだろう割れた窓の向こうを眺めて過ごすことにした俺は、数時間のうちに出来上がったものの前で思わず困惑することになった。
 最初の時よりも妙に豪華で、ガラスの向こうには鉄格子がきちんと取り付けられている。
 ハチだけでなく他の魚人たちも数人やってきて設置されたそれは、やはり誰がどう見ても窓だ。
 塞ぐはずの穴に取り付けられたそれに戸惑う俺を放っておいて、指示を出して仲間たちを部屋から出したアーロンが、ベッドに座ってふんぞり返る。

「心の広いおれと同胞達に感謝しろ」

「……うん、ありがとう」

 よく分からないが、求められた答えを口にして見やると、シャハハハ、とアーロンが笑い声を零した。
 相変わらずの悪い笑顔を見やって、とりあえずは微笑みを返す。
 どういう気紛れかは分からないが、やはり意外と、彼は優しくしてくれている。
 これがあの人間を嫌っていた魚人の『アーロン』なのだから、意外と世の中分からないものだ。
 窓ガラスを押し上げて開き、格子の隙間から流れ込んだ海の香りの風を受けて、気持ちの良いそれに目を細める。
 じゃら、と音が聞こえたのでアーロンが俺の腕についている鎖を拾い上げたようだが、強く引っ張られないのでまだ窓を開けていてもいいんだろう。
 見上げた先に覗く小さな空を雲が流れていくのを見送って、いくらか新しい窓を堪能したところで、ふと先日のことを思い出す。

「そういえば」

「あァ?」

 言葉を漏らして振り向くと、ベッドに座ったままのアーロンがこちらを見ていた。
 その片手はしっかりと俺の鎖を掴んでいて、たわんだそれが俺とアーロンを繋いでいる。

「あの時、なんで壁を殴ってたんだ?」

「………………」

 しばらくの沈黙の後、寄越された返事は『てめェに教えてやる義理はねェ』だった。

「馬鹿面晒して眠りこけていやがるからだ」

 憮然とした顔でそんな風に唸られて話を打ち切られたので、結局、答えは分からないままだった。



end


戻る | 小説ページTOPへ