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海の森の彼2 (1/3)
※子アーロンも出現につき注意
※グランドラインご都合主義






 ナマエがこの世界にきたのは、全くの偶然だった。
 ナマエは確かに階段の上でつまづいただけだというのに、気付けば『別の世界』へ来てしまっていただなんてこと、もはや二度と起きないに違いない。
 目を覚まし、目の前の相手をみつけてすぐに、ナマエはそこが自分が生まれ育った『世界』ではないということを理解した。
 鼻先の尖った、瞳孔や肌の色ですら全く違う子供が、ナマエのことを見下ろしていたからだ。
 更には『アーロン』と名乗り、シャハハハと笑うのだから、ナマエの頭が昔読んだ漫画を思い出してしまっても仕方の無いことだろう。
 漫画の世界に来てしまった、だなんてことは何とも非現実的な話ではあるが、見回した周囲はどう考えてもナマエの知っている『日本』ではなかった。
 それに、自分がいると言うことは誰にも言わないでほしい、と伝えたナマエに口止め料を要求し、身に着けていたものでそれを支払ったナマエに『これから先もこうして上納金を納めるなら』と言った子供は、確かにあの『アーロン』なのではないだろうか。
 それからというもの、ナマエはこの海の森で暮らしていた。
 聞けば聞くほど、『魚人』と『人間』は対立していて、ここから出ていくなんてことは考えられもしないことだったのだ。
 毎日やることと言えば、アーロンに与えられていたバブリーサンゴを使い、シャボンの外の難破船から宝を集めることくらいである。
 水場はあるが食料はなく、そのままでは一人で生きていくことも出来なかったかもしれないが、アーロンは頼めばナマエへ食料などを運んできてくれた。
 ナマエが支払う『上納金』には、それらの代金も入っているという計算なのだろうか。
 よくわからず、どうして持ってきてくれるのかとと尋ねたナマエへ、『お前がほしいって言ったんだろう』と告げて首を傾げたアーロンは、その後もナマエに食料を運んだり衣服を運んだりして、ナマエを養ってくれていた。
 その目的が何なのかをナマエは全く知らなかったが、ひょっとすると、ただ単に好かれただけの話だったのかもしれない。

「それなら、つぎはお前をよこせ」

 『上納金』とすべき宝が何も手に入らなくなった、と告げたナマエへアーロンがそう言った時、ナマエはふとそんなことを考えた。
 きっと不機嫌になるだろうと思ったのに、指先で最後の一枚であるコインをもてあそびながら言い放ったアーロンは、妙に楽しげな笑みを浮かべている。
 まるで、今の言葉を言いたくて言いたくて仕方が無かったとでもいうようだ。

「俺は一人しかいないから、『俺』を支払うとその次が払えないんだが」

 ナマエが尋ねてみると、ぴん、と上へ跳ねたコインをナマエより小さいのにナマエより力のある手でぱしりと掴まえる。
 小さなその手が、触れると少しざらついていることをナマエは知っていた。
 なぜなら、ナマエの目の前の子供は、ノコギリザメの魚人だからだ。
 コインを中に入れたままで拳を握ったアーロンの、少し呆れたような眼差しがナマエへ注がれる。

「ばかか。おれによこしたんなら、つまりお前はおれのもんだろ」

 ぐっと力を入れた手が開かれると、中にあったコインがひしゃげて現れた。
 相変わらずの馬鹿力だとそれを見て確認してから、そうだな、とナマエは頷く。

「おれのもんを隠すのは、おれの勝手だ。いちいちナマエからたのまれるまでもねェ」

 お前は『ニンゲン』だからな、と呟くアーロンの言葉に、ぱちりとナマエの目が瞬く。
 少しだけ考えてから、その顔にはわずかな微笑みが浮かんだ。
 ナマエの顔を見やり、なにをわらってんだ、と少し不機嫌な声を出したアーロンへ、ナマエは穏やかに尋ねた。

「俺がお前のものになっても、俺をここに置いていてくれるのか?」

 時々アーロンがナマエに語る魚人街は、ナマエから言わせれば『人間』への恐れと差別と憎悪に塗れた場所だった。
 『海の森から出るな』『他の魚人に姿を見せるな』と言うアーロンの言葉をナマエは忠実に守ってきたが、もちろんアーロンにそう言われていなくても、同じように行動しただろう。
 ナマエはただの人間で、いつだったか読んだ漫画のキャラクター達のように『魚人』と対抗できるわけでもないのだ。
 ナマエの言葉に、当たり前だ、とアーロンが呟いた。

「お前がおれのもんになるなら、いままでどーりくいものだってはこんでやる。イヤなら、もう口止めはきかねェ」

 そこまで言ってから、どーする、と尋ねて持っていたコインを落としたアーロンが、両手を苔の上へと乗せた。
 汚れるぞ、とそれに声を掛けたナマエの方へと、小さな体がそろりと近寄る。
 座り込んでいた場所から体を前に倒したせいで、膝も苔に触れて汚れていくのがナマエの視界に入った。
 向かいに座るナマエににじり寄り、それに気付いて身を引いたナマエの膝の上に小さな体が乗り上げて、汚れた手がナマエの着ている上着に触れる。

「どーする、ナマエ」

 先ほどと同じ言葉を繰り返してナマエの顔を見上げるアーロンの顔は、傲慢なことを言っている癖に、妙に幼く見えた。
 幼いこの魚人は、ナマエがこの海の森で目を覚ましてから今まで、随分とナマエの世話を焼いてくれていた。
 水場も、バブリーサンゴの使い方も、ナマエの知らない魚人街のことも、子供を乗せると足がしびれるだなんてことも教えてくれた。
 その目的が何なのかをナマエは今まで少しだって知ろうとも思わなかったが、ひょっとすると、アーロンはナマエのことを『珍しい生き物』として気に入ってくれていたのかもしれない。
 小さな手に服を掴まれたまま、そんなことを考えて、ナマエは優しげに微笑んだ。
 いつ『元の世界』へ戻れるのかも分からないが、帰ることが出来るようになるまでの間位なら、アーロンの言うように『彼のもの』になったっていいかもしれない。
 そんな楽観的でどうしようもない安易な考えが、ナマエの口から言葉を滑らせる。

「そうだな……大事にしてくれるなら、そうしようか」

 囁いたナマエに、アーロンがにやりと笑った。
 嬉しげにシャハハハと笑い声を零す子供に、わあ悪い顔だ、といつものように言って笑みを返して、ナマエの両腕がアーロンの背中を支えるようにゆるく回される。
 その腕に、『首輪の代わりだ』と言ってアーロンが小さな革ベルトを巻き付けたのは、その翌日のことだった。







 『ゴール・D・ロジャー』という名前の海賊が少し前に入国したらしいと聞かされて、何だか聞いたことがあるぞ、とナマエがわずかに思案したのは、ナマエの腕に所有の証がつけられてひと月ほどしてからのことだった。
 相変わらずやってくるアーロンは、ナマエの腕を見るたびご満悦の笑顔を浮かべている。
 先ほども、ナマエに食料を渡し、どんな海賊だったか教えてやると言って海の森を出て行ったのだ。
 小さな背中を見送った後、全く人のこない森の奥で水源の傍に座り込んだところで、ナマエはふと思い出した。

「…………ああそうか、漫画でだ」

 『ロジャー』というのは、確か『この世界』の『漫画』の登場人物の一人だ。
 ナマエが読んでいるところではシルエットや処刑台での発言程度しか出ていなかった気もするが、随分と有名な人物であった筈である。
 今も既に『海賊王』と呼ばれているのかどうかをナマエは知らないが、ナマエが知っている『漫画』では大人となって酷いことをしている魚人がまだ幼い姿なのだから、もしかするとまだ先のことなのかもしれない。
 アーロンが戻ってきたら聞いてみようか、なんてことまで考えつつ、アーロンが持ってきてくれた食料を確認しようと袋を開いたところで、ナマエの服の端が何かにくいと引っ張られた。

「……ん?」

 声を漏らして、ナマエはくるりと後ろを振り返る。
 そうして、そこにあったものに、その目が丸く見開かれた。
 その場所にはナマエ以外におらず、ナマエの後ろには水源と空間があるだけだと言うのに、どうしてかナマエの真後ろの空気が歪んでいるからだ。
 引っ張られた服はそのおかしなひずみに吸い寄せられているようで、ナマエが見ている間にさらに引き寄せられ、めくれた服の下から裸の背中が露出した。

「うわっ! 何? 何だ?」

 小さく悲鳴を上げて、ナマエが慌ててそれから距離をとる。
 戸惑い見つめた先にある歪みは変わらず空気を歪ませて、ナマエのことを吸い込もうと引力を発揮していた。
 おかしなことに、ナマエとナマエが身に着けているもの以外は、その引力をものともしていないようだ。ナマエの足元に落ちている小石など、引き寄せられるどころか揺れもしない。

「何だ、これ……」

 誰もいないその場所で呟いて、ナマエはまじまじと歪を観察した。
 ナマエの目の前で空気をゆがませ、まるでナマエを吸い込もうとしているかのように引力を発揮しているそれを、ナマエは今の今まで見たことが無い。海の森について語った時のアーロンも言っていなかったから、少なくともアーロンはこれを知らないだろう。
 何だか怖いものを感じながら、どうしてかその場から逃げ出すこともできずに、ナマエの足が恐る恐るとそれへと近づく。
 ゆっくりと伸ばされた右腕がそれに触れようとした途端、歪みの発する引力が強さを増した。

「っ!」

 慌てて身を引いても間に合わず、ナマエの体が前へと傾く。
 引き寄せられた自分の体を支えようと夢中で両手が周囲に振り回されて、先ほどアーロンから受け取っていた袋が下へと落ちた。
 空気を掻いた右腕と左腕が先に歪みへと飲みこまれて、肘から先に感じた冷たさにぞわりと背中を揺らしたナマエが、必死になって足に力を入れる。
 その抵抗を感じたように、引力が更に強くなり、ナマエの体を引きずった。

「な、に……っ!」

 思わず声を零しても、それ以上の抵抗など叶わず、ナマエの体がそのおかしな何かへと引きずり込まれる。
 ナマエを飲みこんだところでその歪みは消え去って、後にはいつも通りの海の森と、落ちて汚れた食料入りの袋があるだけだった。







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