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紛うかたなき
変態気味主人公シリーズ
デートの約束ですの続きかもしれない



 好意を抱いている相手との二人きりでの外出が、嬉しくない人間などこの世に存在するのだろうか。

「……何だらしねェ顔してんの」

「え? そんな顔してますか?」

「鏡でも見せてやりてェくらいには」

 呆れた顔で言われてナマエがもぞりと身じろぐと、向かいの相手からため息が漏れる。
 声の主の両手が太い縄を持っていて、そのままくるりと自分の体にそれがまかれていくのを、ナマエはなすすべもなく見守った。
 何せ、ナマエの体は寝袋の中にあり、前の合わせはしっかりと閉じてしまっていて、外気に触れているのは顎より上だけというような状態なのだ。抵抗できるはずもない。
 もちろん内側から閉じたのだからナマエの意思で合わせを開くことは出来るだろうが、ナマエにそのつもりはなかった。
 足先まで覆われているそれが、くるくるとナマエに縄をかけている目の前の男なりの気遣いだと分かっているからだ。

「まァ、こんなもんか。どう、苦しい?」

 尋ねつつその腕がひょいと縄を持ち上げて、ナマエの体が吊り上げられる。
 力を分散するように巻かれたらしい縄がナマエの体をがんじがらめにしているが、寝袋越しということもあってか、負荷がかかる場所への痛みはまるでなかった。

「大丈夫です!」

 言葉と共に敬礼をしようとして、勢いのある動きが寝袋で阻害され、ナマエの体が吊られたままで揺れる。
 何暴れてんの、とそれを見て面白がるように言葉を放った相手が、ひょいとナマエをそのまま背中側へと回した。
 海軍本部にいる時は大体その背中に羽織っているどっちつかずの『正義』は、今はそこにはない。
 目立つから、汚してしまうからという理由でおいていかれる海軍の象徴がいつも陣取る位置に背中を預ける格好になったナマエは、背負われたままで少しだけ視線を上げた。
 見上げた先には真っ青な空と、それからちらりと視界に入り込む黒いくせ毛がある。

「今日はいい天気ですねェ、クザン大将」

「マリンフォードは大体天気がいいでしょうや」

 適当な返事を寄越しつつ、ナマエの入った寝袋をきちんと背負ったらしい海兵が、それからよいしょと声を零した。
 わずかな物音が聞こえ、そうしてやがて規則的な音と共に滑り出した周囲の風景に、ナマエは『出発』したのだということを理解した。
 マリンフォードに常駐する海軍の最高戦力のうちの一人、大将『青雉』には、少しだけ他とは違う癖がある。
 時折、マリンフォードを離れてあちこちへと出かけてしまうのだ。
 規則的に聞こえてくる車輪の回る音は、彼がよく使う自転車のそれだろう。
 悪魔の実の能力者であるこの海軍大将は、船など出さずとも自力で海の上を優雅にわたることのできる稀有な海兵だ。
 いつもなら、ナマエはそれを見送る立場だった。
 置いていかれるのは寂しいが、彼には彼なりの考えがあってのことだろうとナマエは思っているし、何よりかつてのナマエもまた、そうやってマリンフォードを離れていた海軍大将によって助けられた哀れな人間のうちの一人だった。
 自分と同じようにどこかで誰かが助けられるのだとすれば、ナマエにできるのはマリンフォードでその帰りを待ちながら、戻って気が向けばすぐに片づけられるように書類を整え、些事を片付けておくことくらいなものだ。
 ナマエが働けば働くほど、放浪して戻ってくる大将『青雉』の負担が減ると知ってからは、なお一層頑張るようにしている。

『俺かなりの良い妻だなって思うんですけどどうですか傍から見て!』

『オォ〜……前向きだねェ〜……』

 先日、上司である大将『青雉』の不在の間に手伝いを頼まれて向かった先で、書類を片付けながら拳を握ったナマエに対し、なんともいえない顔でそんな風に言っていた海軍大将の顔を思い出し、ナマエは寝袋の内側でそっと自分の腹のあたりに手を当てた。
 そこに連れてきた子電伝虫は、今のところはまだ大人しい。
 これが鳴ったら終わりだと大将『青雉』が言ったので、ナマエにできることはこの彼だか彼女だかが静かにしていてくれることを祈る程度のことだ。

「はい、海に入ったよ」

 パキパキ、と音をわずかに響かせてそんな風に言った『青雉』の言葉が、冷たい風にあおられて流れた。
 寝袋から出ている頬を撫でる冷えたそれと、それから鼻に感じる強い潮の香りに、ナマエは目を丸くする。
 思わず周囲を見回してみるが、背負われた寝袋の中からは遥か彼方の水平線が見えるだけで、真下に広がるだろう冷えの原因に目が届かない。

「今、下が凍ってるんですか?」

「まァね。あんまり暴れてっと落っこちるかもよ、薄くしか張ってねえから」

 自転車をこいでいる海軍大将がそんな風に言い放ち、それから、ああそれとも、と言葉が続いた。

「もしかして怖くなっちまった? 戻るか」

 背中越しに響く声でそんな風に問いが寄越され、ゆるりと進み方が大きめの弧を描いたのをナマエは感じ取る。
 来た道を戻ろうとするようなそれに慌てて、いいえ! とその口が声を上げた。

「せっかくなのにそんな、勿体ないです!」

 『戻る』ということはすなわち、先ほど始まったばかりの『これ』が終わることを示している。
 せっかく海の上に二人きりだというのに、と寝袋の下で拳を握ったナマエに対し、彼を背負っている海軍大将が、自転車をこぎながら深く長い溜息を吐いた。
 冷えた空気の中に帯を引くそれが流れていく方向からして、大きく弧を描く自転車の動きはまるで変わっていない。
 けれども、青空に浮かぶ流れの遅い雲を見ている限り、ゆるゆると描く進路が丸く大きな円を描いたということが、ナマエにも分かった。

「……こんな荷物みたいに運搬されてて、よくそんなことが言えるよ」

「俺は少し寒くてもクザン大将の腹筋触り放題な方がいいですけど」

「あらら、おれァ勘弁だ、それは」

 くすぐられちゃ能力を使うどころじゃない、と笑いを含んだ声を零して、ぽんぽん、とナマエの寝袋のどこかが軽く叩かれる。

「それに、体が冷えて風邪ひかれちゃあ困るからな。そのまま大人しくしてなさいや」

 穏やかで優しげなその声には、確かな打算が感じられる。
 ナマエは間違いなく自分を背負っているこの海軍大将のことが好きで、面と向かって告げるそれを決して相手が受け入れてくれないことも知っていた。
 だから、どちらかと言えば後ろから抱きつかれて腹をまさぐられる方が嫌なんだろう、ということは分かっているのだ。
 それでも、その言葉の端にはわずかな本気も感じとれるのである。
 大体、ナマエに触られたくないというだけなら、ほかにも運搬方法はある。こんな寝袋まで用意して、体に負荷をかけないように縄をかける必要だってない。
 もっと言えば、今までずっと一人で行っていた『外出』に、ナマエを誘う必要だってないのだ。
 もしもこれが、大将『青雉』の不在中に二人の海軍大将の仕事まで手伝ったナマエへのご褒美なのだとすれば、大将『青雉』はよくよくナマエのあつかいを心得たおそろしい海軍大将だ。
 二人きりの二人旅、特別扱い、かすかな気遣いと優しさ。
 ナマエの腹をくすぐるには十分な単語ばかりが頭に浮かんで、今朝からすっかりしまりのなくなってしまった唇がまた緩む。

「………………ふふっ」

「ちょいと、今絶対すげェだらしねェ顔してるでしょ」

「そ、そんなことはないですっ!」

「嘘つき」

 見なくてもわかるんだけど、とナマエを背負って自転車をこぎながら言葉を落としてくる相手に、ナマエは寝袋の中でどうしようもなく身もだえてしまった。
 苦しかったのか、のそりとはい出てきた子電伝虫になんとも不満げな顔をされたのだが、仕方のないことだったのである。絶対に。



end


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