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※『特別扱い。』→『宣誓待ちのコーヒータイム』→『ゆびきりげんまん』のさらに続き
ひんやりとした空気に、ふ、と零した息が白く凍ったのを見て、クザンは少しばかり眉を動かした。
春の手前の冬の冷え込みはどうしようもなく、さしもの氷結人間の体も冷え切っている。
久し振りに副官に泣きつかれたクザンは、久しぶりに執務机の上に積まれた書類の山たちと再会し、お互いの無事をののしり合いながら相手を完膚なきまでに叩きのめしてきたところだった。
普段ならさっさと自宅に帰るなり、もしくは寒さを忘れて眠れるよう酒をひっかけに行くところだが、クザンの足はそのどちらでもない方向へと進んでいる。
ほんの数回しか歩いたことのない道のりを間違いなく進んでいけるのは、クザンの記憶力がいいというよりも、『覚えよう』と言う努力の表れだった。
路地を抜け、そうしてたどり着いた小さな家の扉の前で足を止めてから、少しだけ控えめに扉を叩く。
室内にノックの音が響いたのか、少ししてから鍵が開く音がして、あまり厚みの無い扉がかちゃりと開かれた。
「あれ? クザンさん」
現れたクザンの顔を見上げて少しばかり不思議そうな顔をしていたのは、クザンより年下のクザンの『恋人』だった。
※
ナマエと言う青年は、クザンが頻繁に通うようになった小さなカフェの店主だ。
クザンよりも年下で、クザンに何も言わずに姿を消そうとした相手で、同性だった。
告白はクザンからだったが、白状させた『特別扱い』を考えるに、ナマエもまただいぶ前からクザンに好意を抱いてくれていたのではないだろうか。
どちらにしても今さらその口が紡いだ『好き』を覆させるつもりはクザンには無く、年下の恋人を海軍大将青雉なりに大事にしている。
だからこそ、会うのは『店』でにしましょうと言われた時だって、少しばかり不満ながらも頷いた。
確かそれはクザンが初めてナマエの家を訪れた後に言われた言葉で、案外奥ゆかしいところのあるナマエにはまだ距離の詰め方が早かったのか、とクザンはこっそりと一人で反省した。
しかしどうにもナマエが気をつかってくれていただけらしいと知ったのは、『二回目』があった時だ。
「あらら。また、なんか増えてんね」
呟きつつ、クザンはソファの手前に敷かれたラグを見やった。
厚みのある柔らかそうで温かな色味のそれが、冷たそうなフローリングの上からクザンを見つめ返しているかのようだ。
テーブルは少し端に追いやられており、ソファに座ったクザンの足がもふりとラグを踏んでみる。
「転がっても大丈夫な奴ですよ」
なんとなく確かめるように足を動かしていたら、すぐそばのキッチンで飲み物をいれたらしいナマエが戻ってきてそう言った。
その手が持っていたマグカップを差し出してきて、クザンの手がそれを受け取る。
クザンの手にちょうどいい大きさのそれは、以前ナマエがクザンへ贈った誕生日プレゼントだった。
クザンの求めの通り、ナマエはクザンをもてなす時には必ずこのマグカップを使う。
温かな液体で満たされたそれに唇を押し付け、中身を飲んだところで自分の体が冷え切っていたことを把握したクザンは、マグカップの中身の殆どを飲み干してから息を吐いた。
「はァー……あったけェ……」
「最近また急に冷えましたもんね」
もう一杯いれましょうか、なんて言われて頷くと、ナマエはクザンからマグカップを引き取っていった。
キッチンへ向かう小さな背中を見送ってから、なんとなくクザンの目が室内を見回す。
ここは、ナマエの家だ。
そこかしこに置かれた家具や物品もほとんどがナマエに見合った大きさで、散らかってはいないがどことなく生活感を漂わせている。
そうして、そんな中で多少異彩を放っているのが、『この部屋に住んでいる人間』には見合わない大きさのいくつかの物だった。
ソファに置かれたクッションは、ソファには見合わない大きさだ。今でもすでに、三人掛けの筈のソファにナマエの座る場所がない。
玄関には、特大と思われる靴ベラが『通常』の靴ベラの横に並んでいた。
大きめのラグの端に置かれているテーブルも、ソファを見ずに買ったとしか思えない大きさだ。
壁にかかったままのハンガーは、あの高さではナマエの手が届かないだろう。
先ほどのマグカップも、ナマエの手には大きさが余る。この家にはクザンの手に合う大きさの食器があるという事も、クザンは知っている。
「…………」
もやり、と身の内によぎった感覚にクザンの手が動かされ、ソファからクッションを落とした。
それから小さなソファからずり落ちるようにラグの上へと降りて、胡坐をかきつつ腰を落ち着ける。
小さなソファに座り続けるよりも楽な姿勢を取りながら、クザンは自分が落としたクッションをそっと抱えた。
大きめのそれは、クザンにはやっぱりちょうどよい大きさだ。
「……よっと」
声を漏らしつつ、ころりとクザンはラグの上へと寝転んだ。
先ほど家主も、『寝転んで構わない』というような発言をしていたのだ。問題ないだろう。敷かれたラグも、まるで狙ったかのように、クザンが寝転んでも足すらはみ出ない大きさだ。
枕の代わりに頭の下にクッションをいれてみたが、柔らかすぎるそれに眉を寄せて、抱え込むような形へと戻し、自分の腕を枕にする。
「どうですか、それ」
そこへ戻ってきたナマエが声を掛けてきて、いい感じ、と答えたクザンが転がったままでナマエを見上げた。
「柔らかくて気持ちいいね、これ」
「ですよね、かなり選ぶのに時間かかったんですよ」
嬉しそうに言いながら、やってきたナマエがテーブルの方へとクザンのマグカップを置く。
そのうえでソファの方へと向かった相手に気付いてクザンがラグを軽く叩くと、その意図を感じたらしいナマエが足を止めてクザンの傍に座り込んだ。
「後は枕があれば最高なんだけど」
転がったままで見上げた相手へクザンが言えば、うちで寝るつもりですか、とナマエが笑う。
恋人の笑顔を見て、クザンも少しばかり目を細めた。
あの大量の書類と対峙しなくてならないと把握したとき、クザンは『今日は会いにいけねェや』と連絡をしてあった。
それじゃあ今日は早く店を閉めようかな、なんて言って笑っていたナマエは、クザンが急に訪れたというのに嫌な顔の一つもしない。
それに気を良くしてころりとクザンが寝返りを打つと、仕方ないですね、とナマエが呟いた。
「さすがにそのまま寝ると風邪をひいてしまいそうですから、今度毛布でも新調しときますね」
「そこは別に、ナマエのでいいよ」
「俺のじゃクザンさんには小さいじゃないですか」
うちには一枚しかないし体が冷えちゃいますよ、と続けるナマエは、どうという事もない顔で笑っている。
『二回目』に訪問した日から、クザンが何度か言われてきた台詞だった。
確かに、クザンとナマエでは体の大きさが違う。ナマエの持ち物はどれもクザンには小さく、うまく扱うのはなかなかに大変だ。
初めてこの家に来たクザンの様子でそれが分かったらしいナマエは、だからこそ『店で会おう』と言ったのだと、後で何ともないような顔で告げていた。
確かに、店にはいろんな人間が訪れるからか、クザンが使うのに問題ないグラスやカトラリーも揃っていた。
けれども今のナマエの家は、クザンに言わせるならナマエの『店』よりも快適だ。
家主すらも使わないような『クザン専用』のものが増えていくのだから、それも仕方のないことだろう。
緩みかけた口を引き締めて、クザンは気のないふりで声を漏らした。
「あー……それじゃ、うちから持ってくるか。使ってねェのがあるわ、そういえば」
「あ、じゃあそうしてください。置く場所は適当に決めときますね」
クザンの提案をあっさりと受け入れる相手に、堪えられるものが堪えられなくなったクザンは、もう一度ごろりと寝返りを打った。
座っているナマエから顔を逸らすようにして、自然な仕草を心がけてクッションを引き寄せ、口元が隠れるように顔を寄せる。
「…………クザンさん? どうしたんですか、そんな笑って」
けれども、普段と違いクザンを見下ろしているナマエには、どうやらクザンの唇のゆるみなど丸見えだったらしい。
俺何かおかしなこと言いましたか、と少しばかり不安そうな声を出してきたナマエに、クザンは少しばかり恥ずかしい気持ちで否定を返した。
実際のところ、クザンの恋人は何もおかしなことは言っていない。
ただ少しばかり、クザンを喜ばせるのが得意だというだけのことだ。
end
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