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ゆびきりげんまん
※『特別扱い。』→『宣誓待ちのコーヒータイム』の続き
※トリップ系一般人である主人公は大将青雉とお付き合いしている



 しばらく前のことだが、ナマエには恋人なるものが出来た。
 この世界の生まれでもない、はたから見れば移民であるナマエとは比べ物にもならない肩書を持った相手は、海軍大将青雉だ。
 男らしく、格好良く、本人に言えば否定するだろうが可愛らしくもある。
 同性で年上でどう考えても立場の違いというものがあるが、頭の中でそれを並べても駄目なほどナマエはクザンが好きだったし、何より相手も同じ気持ちを抱いてくれていたのだから、二人は間違いなく恋人同士だった。

「明日から、ですか」

 閉店の看板を出した後の二人きりの店内で、ナマエの声が静かに響く。
 そう、と頷いた向かいの恋人は、普段と変わらぬ表情の中でその目を申し訳なさそうに陰らせた。

「急な遠征でね、一週間くらいかかるんだと」

 おれだけ先に出てもよかったんだけど部下も連れてけって言うから今は準備中、と言葉を続けた男が『海軍大将』だということを、ナマエはもう本人から聞いていて知っている。
 『知っていた』と答えたら『そりゃそうか』と少しだけ笑った顔を思い出しながら、そうですか、と言葉を零した。
 明日から一週間、というその言葉はそのまま、それだけの期間をマリンフォードから離れるという宣言になる。
 それはすなわち、二日後に控えた約束が反故になるということだった。
 遅くに現れることは増えたものの、なかなか簡単に休みを取れないらしいクザンが、『休みを取った』と宣言した一か月前に交わした約束だ。
 数日間二人でキューカ島に出かけようと決めていて、すでにいろいろと準備をしていた。
 しかし、明日から一週間もマリンフォードを離れるというのなら、全ての予定をキャンセルしなくてはならない。
 とても残念だが荷ほどきするしかないだろうと把握して、ナマエはそっとその唇に微笑みを浮かべた。

「お休み返上だなんて大変ですね、体を壊さないように気を付けてください」

 ねぎらうようにそんな風な言葉を零したナマエの向かいで、クザンが軽く眉を動かす。
 どことなく面白くなさそうにその目が眇められ、不機嫌さをあらわにした相手に気付いたナマエが、手に持っていたポットをひょいと持ち上げる。
 それをそのままクザンの手元のコーヒーカップへ近付けると、クザンの手がそれを奪い取った。
 いつもなら客にそんなことをされては困ってしまうが、閉店の表示をしているこの時間、店の中はプライベートな空間なので、ナマエも慌てて手を伸ばすようなことはしない。
 クザンの手が自分のカップにコーヒーを注いで、ポットをナマエの手の届かないところへ置いてしまう。

「……もっとこう、詰ったりとかしねェの」

 そのうえで頬杖をついた年上の恋人に問いかけられて、そう言われても、とナマエは困った顔をした。
 この世界での海軍というのが公務員のようなものなのかナマエにはよく分からないが、前々からとってあった休みを返上させて『遠征』とやらを組むということは、間違いなくクザンの力を必要としている誰かがいるということだ。
 その『誰か』を見捨てるなんてことをクザンはしないだろうし、ナマエにだって『見捨てて自分をとってほしい』なんていう馬鹿な発言をするつもりはなかった。
 聞き分けがいいね、とそんなナマエへ向けて言葉を放ち、クザンがため息を零す。

「でも、俺がわがままを言っても仕事は無くならないですよ」

「そりゃそうだけど。ナマエがワガママ言ってくれるんなら、おれだってワガママ通しやすくなるってのに」

「ええ?」

 それは大事な仕事を放棄するという意味だろうかと目を瞬かせたナマエの向かいで、クザンが頬杖をついたままで言葉を紡いだ。

「年下の恋人を仕事に無理やり同伴させたら、やっぱり怒られると思う?」

 紡がれたそれに混じっていた『恋人』に顔をわずかに赤らめてから、最後まで言葉を聞いたナマエの頭が、クザンの発言の意味を把握する。
 慌てて首を横に振って、駄目ですよ、とそちらへ向けて言い放った。
 わかってるよとそれに答えて、クザンの口からもう一度ため息が漏れる。

「せっかく約束したってのにさァ」

 とても残念がっている様子に、そうですね、とナマエも頷いた。
 それからはたと思い出して、その目がちらりとカウンターの内側に置いてある自分の鞄を見やる。
 仕事の合間にあちこちを見て回り、今日ようやっと納得して購入してきたものが、ちらりとその包みの端を覗かせていた。

「ナマエ?」

 自分以外へ視線を向けたナマエへ向けて、クザンがその名前を呼ぶ。

「ちょっと待っててください」

 そちらへそう返事をしてから、ナマエはひょいとカウンターの内側へと屈み込んだ。
 自分の鞄へと触れて、掴みだしたものを手に姿勢を起こしたところで、すぐ目の前にあった顔にびくりと体を震わせる。

「び、びっくりした……」

「びびりすぎでしょうや」

 体を乗り出してナマエの動きを見ていたらしいクザンの方は、悪戯が成功した子供のような顔で笑っている。
 ちゃんと座ってください、とその体を押しやると、ナマエの恋人は大人しく椅子へと腰を落ち着けた。

「それ、何?」

 そのうえで、その目がナマエの持っているものへと向けられる。
 どことなく興味をひかれているらしい相手に笑いかけて、ナマエはそれをそのままクザンの方へと差し出した。

「どうぞ」

「……おれに?」

「はい。遅くなるよりは、早い方がいいですよね」

 不思議そうな相手へ頷けば、クザンの手が包みを受け取る。
 不思議そうな目が手元のものを見つめて、それから何かに気付いたように軽く瞬きをした。
 その手がシンプルな包みを開いて、中からナマエが何日もかけて選びに選んだ贈り物が現れる。

「お誕生日おめでとうございます、クザンさん」

 使ってください、なんて言葉を紡いだナマエがクザンへ贈ったそれは、クザンの手に見合う大きさのマグカップだった。
 持ち手が少し通常と違っていて指を這わせやすく、カップの形状は下へ行くほどその幅を広げている。
 色合いは白の入り混じった青で、いつだったかクザンが見せてくれた氷結した波の色に似ていると思ったら、ついつい選んでしまったものだ。
 ナマエとクザンが二日後から旅行の予定を組んでいたのは、二日後にクザンの誕生日があるからだった。
 クザン自身からその発言はなかったが少なくともナマエにとってはそうだったし、旅行先でだってちゃんと祝うつもりだったのだ。
 けれどもそれも叶わないなら仕方ないと言葉を放ったナマエの向かいで、クザンがそっとマグカップを持ち上げる。
 それからゆっくりとそれを降ろして、なんだ、とその口が言葉を零した。

「ちゃんと知ってたんだ?」

「そりゃそうですよ。つ……付き合ってますからね!」

 特に『大将青雉』ときたら有名人のうちの一人だ。調べようと思えばいくらでも調べることができるのである。
 ナマエの発言に、そうなんだ、と言葉を零してから、クザンの視線がマグカップからナマエの方へと向けられる。

「じゃあ、次からはこれでコーヒー淹れてくれる?」

「え? いや、店でだったらここのカップの方がいいんじゃないですか」

 それは普段使いにしてください、とナマエが言葉を紡ぐと、もったいなくて職場にはもってけねェよ、とクザンが答えた。

「怒られてるときに間違って割られたら困るでしょうや」

「カップ割られるほど怒られるんですか……」

 それは教育的指導という名の鉄拳制裁か何かなのか、それとも海軍元帥というのはとても乱暴なのだろうか。
 海軍は怖いところなのかもしれない、なんていう誤解を抱いたナマエの向かいで、家では飲み物淹れたりもしないし、とクザンが言葉を続ける。
 だからやっぱり、と言ってくる相手の向かいで、少し悩んだナマエが、思いつきにぽんと手を叩いた。

「それじゃあ、俺の家に置きましょう」

「…………ん?」

「また今度うちにいらっしゃったときに、それでコーヒーお淹れしますから」

 以前一度だけ家へと誘った時、ナマエにとってはちょうどいい家具や食器は何もかもがクザンには小さかったのだ。
 申し訳なかったからこそその後の逢瀬は全て店で行っているが、少し大きな食器なども揃い始めた頃ではあるし、クザンのカップを置いておけば、クザンが来た時に飲み物を淹れて出すこともできる。
 名案だと嬉しげな顔をしたナマエの向かいで、少しばかりクザンが沈黙する。
 ややおいて、クザンは手元のマグカップをそっと紙包みに戻して、先ほどのポットと同じくナマエの手の届かないところへそれを置いた。

「……それじゃ、遠征帰りにそのまま持ってくるよ」

「え? 俺がお預かりしてても大丈夫ですけど……」

「おれが、自分で持ってくから」

 ナマエの言葉を遮るように言葉を重ねて、だから、と声を零したクザンの片手がひょいとナマエの方へと差し出される。

「今回はごめん。一週間後、約束な?」

 放った言葉と共に小指を差し出されて、ナマエはその目を瞬かせた。
 それから、ふふ、と笑い声を零して、同じように伸ばした小指を相手の小指へと絡める。

「指切りなんて子供みたいですよ、クザンさん」

「いいでしょうや、たまには」

「そうですね」

 そんな風に言って笑い合いながら、ナマエは一人で、約束の当日には数日遅れの誕生祝いをしようと決めた。
 出迎えてケーキのある食卓へと案内したら、クザンはきっと喜んでくれることだろう。
 ナマエの恋人殿は、存外可愛らしいのだ。


end


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