062
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「心臓を引っこ抜け」
 あっさりと言われたその言葉に、ぼくはしばらくその場で硬直してしまった。
 見開かれた目の後ろでは、ぼくの人工頭脳がうんうん唸っている。
 目の前のすべてがぐるぐると回ってきそうなので、ぼくは無理やり思考を止めた。
 ぎゅっと目をつむり、上を向いてみる。
 それでも、うんうんと脳が勝手に動いていた。
「無理ですよ!」
 当然ながら、ぼくはそう言う。
「なんでだ。お前の親父さんは、何かの証拠がないと真実でも信じない。だからこそ、お前達に“消させた”人々の映像を撮らせるんだろう」
 マルシェさんはすぐにそう返し、げっぷをして牢の中に寝転がった。
 毎回思うんだけれど、マルシェさんは公司館に来たときにはもう目も見えず、公司の激しい攻撃を受け、半死半生のまま、この牢に入れられたはずだ。
 それなのに、
「どうしてそんなことまで知っているんですか?」
 ぼくは顔を顰める。
 すると、マルシェさんは瞼を下ろし、すまし顔であっさりと答えた。
「勘だ」
「勘なんて……そこまでわかるなんて、普通じゃないですよ」
「あぁ、じゃあ俺は普通じゃないんだ」
 マルシェさんがにやりと笑う。
「俺は普通じゃない。だから心臓のひとつやふたつ、取ったって平気だろう。あ、いや、ひとつは残しておかないとな」
 マルシェさんはそう言ってケラケラと笑い、真面目に反論するぼくをバカにするようにもう一度言う。
「俺は普通じゃない」
 だから大丈夫だ。そう言い張るマルシェさんに、いつものぼくならば、この人の言うことはすべて正しいなんて思い込まされるんだろう。でも今は、ただの無鉄砲な若者にしか見えない。
 まったく、これだから、この人は!
「絶対に無理だ! 心臓はヒトの一番大切なところじゃないか。いくら二つもあるからって、取ってしまったら、絶対死んじゃうよ!」
「違う、人の一番大切なものは心だ」
 必死に止めようとするぼくに、マルシェさんはあっさりとそう返す。
 ぼくはいらつきのあまり音をたてて爆発しそうになっている頭を抱え、大声を出した。
「死んでしまったらどうするんですか! 人間に、換えの部品はないんですよ!」
 ぼくらは壊れた部分の換えはいくらだって造れるし、全身が壊れたって記憶や人格データさえ壊れなければ、ぼくはぼくで居られる。
 その証拠に、ぼくはゼルダから分離した。ぼくはこの体でいても一切不便はない。むしろ、前よりも軽くなって、自分がより自分に近づいた気がする。
 これはもっともな意見だろう、と胸を張って言ったぼくに、マルシェさんはあっさり「確かにそうだ」と頷く。
 しかしすぐ後に、再び自信ありげに鼻を鳴らした。
「そうだ、換えの部品なんかない。だが、俺は俺のすべてを賭けてこの体を外へ出すと、すべてをお前に預けると言ってんだぜ」
 この意見には、ただパクパクと口を上下させるしかなかった。
 反論が見つからない。それどころか、初めてぼく、頼られた。
 確かに、マルシェさんの言うとおり、お父様は証拠を見せないと何も認めない。
 マルシェさんを殺すふりをして、その映像を届けたって、お父様はすぐに見破るだろう。そういう人だ。
 まして、マルシェさんは囚人としてこの地下牢獄に閉じ込められていたんだ。
 いくら優等生のゼルダのふりをしたって、証拠もなく信じてもらえる確率は、かなり低い。
「……わかりました、やってみます。ただ、ちょっとぼくにそのための新しいデータを入れなければいけないし、清潔な場所で、麻酔も打ってやりますよ」
 ぼくは渋々頷き、一応嫌そうにそう答えた。
 しかしマルシェさんは駄々をこねる子供のように、ぶんぶん首を横に振る。
「いやだ」
「いい加減にしてください!」
 ぼくの怒鳴り声に、さすがにマルシェさんも顔を顰める。
 そして、渋々(かなり、本当に嫌そうだけれど)頷いた。
「だが、どうするつもりだ? お前、一人でそれができるのか?」
「まぁ……一応、GXですから。ヒトと違って、ぼくらはデータがあればすぐに動くことができます。何年もかけて医療知識を覚える必要などないんです。五分もぼくの本体の前に立って太いコードに繋がれていれば、この世界の医療知識はすべて体の中に取り込める。ぼくらにとって知識は無限なんです。急激に新しいデータを取り込んだって、慣れるまでに少し体が重いと感じるぐらいで、外見やその他の機能に影響はありません」
 ぼくは頭の中のすべてを総動員して、簡単に判るよう、一気に説明した。
「無限なんてものがあるわけないだろう。いや、それにしてもそれは便利だな」
 マルシェさんは最新型の家電でも見るような目でぼくを見て、何度か頷いた。
 ようやく、これでわかってくれたかな……。
「だが、いやだ」
 順調に膨らませていたぼくの期待を、マルシェさんはまたも簡単にしぼませた。
 ぼくはまた眉を寄せ、いらいらとマルシェさんを睨む。
 そんなぼくに、マルシェさんも顔を顰め、「いいか」と人差し指をあげた。
「無理はするな。これはいつもキヨハルが言っていたことだ。いくら自分に自信があり、自分自身で大丈夫だと思っていても、無限などあるわけないんだ。自分自身でも気づかないほど、自分の限界がすぐ側にある事だってある。絶対に無理はするな。お前が壊れてしまってからでは、取り返しがつかない。茶色い小僧のように、俺はお前を修理できないからな」

「今のお前で、精一杯できることをすればいい。絶対に成功する」

 さすが、キヨハルさん、なのだろうか。
 強引に押し流されるような演説に、ぼくは妙に、納得してしまったのだ。



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