061
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 まさか、二週間もあのラボラトリーの中で気を失っていたなんて。
 しかも、ぼく、何やってたんだろう。ヴォルトの事ですっかり自分をどこかに落っことしてしまっていて、マルシェさんのことを、ずっと頭の外に追いやっていた。
 建物は崩れなかったものの、あれほどの大爆発や大地震ともいえる騒ぎが起きたのに、あの後すぐに助けに行かず、放っておいてしまったんだ。
 どうしよう、絶対怒られるよ。
 ぼくはどんなことを言われるのだろうと顔をひきつらせたまま、地下三階へ急いだ。
 両手にいっぱい食料を抱え、その中にはぼくの分のお菓子も入っている。
 これで機嫌を直してくれるぐらい、マルシェさんが子供だとは思って居ないけれど。脱獄のときにうっかりマルシェさんを忘れてしまったことと、それからずっと姿を見せなかったことの、せめてもの償いだ。
 不思議と、あの後マルシェさんが瓦礫の下に押しつぶされてしまったんじゃ、という不安は、ぼくの中のどこにもなかった。
 あれだけの大爆発があったのに、ぼくが慌てて引き戻してきたときは、マルシェさんは牢の中で普通にくつろいでいたんだ。
 半年間、ほとんど食べ物も与えられず、少しの光も見えない牢獄に入れられていても、気が狂うわけでもなく、平然と生きてきた。
 そのマルシェさんが、大爆発や地震ごときで、そう簡単に死ぬはずがない。
 赤い絨毯の廊下を延々と早足で歩き、しばらくして、足元が石畳に変わった。
 ぼくは足を止め、一息つく。
 ランプや松明など、照明がひとつもない真っ暗な空間が、牢獄をどこまでも続いているように見せる。
 あの騒動の後、大破した公司館のあちこちを修復するために、全公司と一般人の中から選りすぐりの職人が導入されたが、真っ先に修理されたぼくらの部屋の周囲とは違い、ここは誰も手をつけていないようだった。
 忘れ去られた瓦礫の山が、今も小山となってあちこちに散らばっている。ぼくが苦戦した瓦礫の壁には穴があいていたが、それもぼくが崩した時とそう変わりはなかった。
 あの日は手ぶらだったから手も足も使って瓦礫を崩せたが、今はそうはいかない。ぼくは持ちきれないほどの食料をちらりと見下ろし、そして、ぱっと両手をあげた。
 もちろん、持っていた溢れんばかりの食料は、石畳の床へ真っ逆さま。
 床に触れるか触れないかのところで、ぼくは両手でひょいっと空を切った。
 すると、落ちたパンやケーキはぴたりと止まり、ぼくがもう一度両手を軽く上げると、食料がすべてぼくの胸の辺りまで上がってきた。
 自分で見ていて、まるでぼくの指先から魔法の糸が出て、それらを操っているような気分になる。
 こういう時は、やっぱり、こういう能力を持って生まれてよかったって思うよ。
 “生まれた”というか、正確には、ぼくらは“造られた”のだけれど。
 ぼくは片手を浮いている食料にかざしたまま、もう片手で明かりを点けた。
 明かりといっても、人差し指の先にほんの少しポッと灯った光だ。けれど、これだけでも十分前を照らすことはできる。
 懐かしいな。初めてこの地下三階へ来た時、震えながら同じようなことをやったっけ。
 ぼくは、空中で少しずつ浮き沈みしている食料がぼくと共に動くことを確認し、再び足を進めた。
 足で瓦礫を蹴飛ばし、浮かせた食料を壁や天井に当てないようにしながら、薄暗い牢を進む。初めてここへ来た時と同じ、ひんやりとした空気が、ぼくを包み込んだ。
 ぼくは、ロボットだ。だけどヒトと同じように、寒さや暑さを感じることができるし、食べ物を食べる事だってできる。
 ただ、たとえ大怪我をしたって、ヒトと同じような激しい痛みは、感じない。
 腕が取れても、足が取れても、たとえ体がバラバラになったとしても、ぼくらはそれほど痛みを感じないし、絶対に、死ぬことはない。
 ぼくらは、造られたものだから。
 ぼくは、ロボットだから。
「マルシェさん!」
 突き当たりの壁が見えてきたところで、ぼくは一気に足を速め、一番奥の牢屋に駆け寄った。
 今になって、もしもマルシェさんが瓦礫の下敷きになってしまっていたらどうしよう、とか、空腹で倒れていたらどうしよう、とか、様々な不安がぼくの脳裏を過ぎる。
 大丈夫だよ、あのマルシェさんが死ぬはずがない。……多分。
「マルシェさん!」
 明かりの点いた人差し指を柵の間から中に突っ込んで、牢の中を照らした。
 急に現れた光に、寝転がるマルシェさんが照らし出された。
「……なんだ、アランか」
 あの日と変わらず、腕を枕にして、崩れかけた牢の中でゆったりと寝転がっている
 前よりも髪は伸びているし、ひげも伸びてはいるが。しゃべったと言うことは、まだ生きているし、気も確かだ!
「よかった! もし、どうにかなっていたら、どうしようかと思った……」
 ぼくはそう言って安堵の笑みを浮かべながら、力の抜けた腰を下ろした。
 そして、まだちょっと不安な浮遊能力を使って、牢の前に積みあがっている瓦礫を退ける。今回は力が暴走することはなく、すぐに瓦礫は反対側の空きの牢の奥へ押し込められた。
 マルシェさんがクックッと低く笑いながら、牢の中で起き上がる。
「誰が。暗闇の世界で動き回るぐらい、俺には日常のことでしかないんだよ」
 マルシェさんの言葉に、食料を確認していた手が、思わず止まった。
 そうだった。マルシェさんは、目が見えないんだ。
 ぼくは、しょっちゅうそのことを忘れてしまいがちになる。
 どうしてだろう、ぼくって、どうしてこうも無神経なんだろう……。
「……すいません」
 ぼくがぽつりと呟くと、マルシェさんは柵の間から手を伸ばし、石畳から少しだけ宙に浮いている食料を探り、パンを手に取った。
 それを口に運びながら、マルシェさんが首を横に振る。
「いや、気にするな。お前は少し、人のことを気にしすぎだ。もっと気楽にいけよ」
 パン越しに、くぐもり声でそう言ってくる。
「ようは腹が減ってること以外は、何の問題ないってこった」
 もっとよこせ、と手を伸ばしてくるマルシェさんを見て、ぼくは小さく笑った。
 よかった、何ひとつ変わっていない。やっぱり、この人はぼくのヒーローなんだ。
「それで、あいつらの脱獄は、成功したのか?」
「はい。ぼくもあれ以来外に出ていないから、その後の二人がどうなったかはわからないんだけど……一番安全な逃げ道を教えておいたし、きっと、あの二人なら上手く隠れてくれると思うんだ」
「あぁ、そうだな。毎日飯食ってある程度鍛えてりゃあ、逃げ切るぐらいの体力はついているだろう。それにボルドア。あいつは中々な戦略家だ。いざとなった時のことは、考えてあっただろうしな」
 マルシェさんはそう言いながら、ぼくのものであった苺のショートケーキをたった二口で食べ終え、次に、チョコレートがたっぷりかかったドーナツに手を伸ばした。
 また一口で半分を口に入れ、噛みしめながら顔を顰める。
「お前達は、甘いものしか食わないのか?」
「いえ、そういうわけではないです。ただ、ティーマが好きなだけで」
 ぼくは食料と合わせて持ってきたティーカップに、テイルが淹れたお茶を注ぎながら答えた。
「ティーマ?」
「GX.No,7です。ぼくらの中でも最新型で、性能がとても高い。だけど、幼い女の子の姿をしています。ぼくらの一番下の妹みたいなものです」
「……なるほど、ロボットでも人間でも、女はこういう甘いもんが好きなわけだ。そういえば、お前達はどれだけの能力を持っているんだ? お前達には気配がないから、わからない。まぁ、ここもお偉いさんは考えて造ったんだろうけどな」
 マルシェさんが固いパンに噛みつきながら言ってくる。
 ちょうどいい機会だ。ぼくが知っていることは、すべて話そう。
「そうだな……瞬間移動、透視、テレパシー、浮遊。それらはもう、ぼくらには基本の能力として備わっています。その他にも、ぼくには水が操れるように、他の仲間にも、それぞれ特殊能力が備わっていて……炎、風、光陰、重力、水、そして、命」
「命?」
 最後の一言に、マルシェさんが顔を顰めた。
 ぼくは頷く。
「ティーマです。ぼくが水使いと呼ばれるように、ティーマは“生命のみこと”呼ばれていて……その意味は、ぼくもよくわからないんです。ティーマが特殊能力を使っているところは、見たことがないから」
 そう、他のGXは見たことがあるけれど、ティーマだけは、未だに特殊能力を発揮するところを、見たことがなかった。
 最近では、もしかしたらゼルダが言うように、常にその能力を使っているのかもしれない、なんて思うようにもなってきた。
 ぼくが水を操るように、ティーマが命を――実際、そういうように見えたことは、一度もないけれど。
「生命だって? お偉いさんの考えることは、とんでもねえな」
 マルシェさんが、ぼくがお茶を注いだティーカップを手で探りながら、そう言った。
 喉に詰まった食べ物を流し込み、一息つく。そして、再び考え込むように眉を寄せた。
「水に炎、風に天候に重力、そして命か。……待てよ、一つ足りないじゃないか。お前達は、全員で七人だと聞いた」
 ずばり明確なその質問に、ぼくはうつむいて苦笑いをするしかなかった。
 いくらマルシェさんでも、いや、マルシェさんだからこそ、それだけは言えない。
 ぼくはうつむいたまま、黙っていることにした。
 ついさっき、何もかも話そうと誓ったばかりなのに。そんな後ろめたさが、ぼくに圧し掛かってくる。
 何もかも話してしまえれば、どんなに楽なんだろう。
 落ち込んでいるぼくに、気を使ってくれたのだろうか。マルシェさんはそれ以上追及せず、別の質問に移った。
「それで、次はどうする気だ?」
 変わった質問に、ぼくは顔を上げる。
「次?」
「なんだ、俺はここから出られないってのか?」
 マルシェさんがそう言って、にやりと笑う。
 ぼくは慌てて首を横に振った。
「い、いいえ、一応考えてあるんだけれど、どうも上手く行かない気がして……」
 そうなんだ――あれから、ぼくなりに考えてみたんだけれど、マルシェさんの脱獄計画はいくらシュミレーションを重ねても、成功率が三十パーセントを超えない。
 気を失っていた時間も長かったし、今回は味方がぼくひとりだけだ。それに何より、ぼくの人工知能は穴のあいた網だもの。
「じゃあそれは却下だ」
 落ち込んで重いため息を零すぼくに、マルシェさんはさらに追い討ちをかけるようにあっさりと言った。
 当然だけど、何の労りもないその言葉に、ぼくは膨れ顔でマルシェさんを見る。
「自信のない計画なんかに、俺の命が預けられるか。ただでさえ、公司は並のミュータントより高能力者なんだぞ。それの集まりの中心を抜けようってんだ。中途半端なものでは無理だ」
 ごもっとも。
 マルシェさんはよくわかってる。そう、ここを抜けるには、ちょっとやそのぐらいのことでは、絶対に無理。
 ぼくはまたため息を零し、頭を抱えて背中から壁に寄りかかった。
 あぁ、もうダメかもしれない。どうしてお父様はぼくにもっと優秀な頭脳をくれなかったんだろう。
 ……こういう後ろ向きなところが、ぼくの嫌なところだ。
 悩むぼくを値踏みするように見つめながら、マルシェさんが突然呟いた。
「今こそ、余分なものを使う時だ」
 マルシェさんは、自信ありげに言いきった。
 ぼくは眉を下げたまま、困り顔を上げる。
 そんなぼくに、マルシェさんは口をへの字に曲げて、生意気なヴォルトのようにあごを突き出した。
「薬なんてものは、嫌いだ。後ろ頭を一発殴れば、気を失うだろう。いや、情けなく気を失っているのも、なんだか嫌だな。いい、そのまま引っこ抜け」
 命令なのか、独り言なのか。ぼくは問いたがったが、なんとなくその言葉の意味がわかっていた。
 以前、言っていたんだ。マルシェさんには、あるものがふたつあると。
 想像しただけで恐ろしいような計画に、ぼくは顔をひきつらせる。
「まさか……」
「心臓を、抜くしかないんだろう」
 マルシェさんは何の恐れも見せず、さらりとそう言った。



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