001
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 ――ここは地下の街。かつて地上から追放された罪人や、悪魔だ怪物だと忌み嫌われた、フリーク、超能力者たちが住まう世界。
 そしてその街の中心に、この地下世界を治め、政治を行うために選ばれた、公司と呼ばれる者たちが集う大きな屋敷があった。
 平和に見えるその地下街。豪華な装飾の施された公司館の扉を、今、赤い手がゆっくりと押し開ける。
「GX.No,5、帰りました」
 大きくしなる公司館のガラスの正面扉を開け、血まみれの青年が入ってきた。
 雨に当たったように濡れた深緑色の髪を揺らし、足元のやわらかい絨毯を踏みしめる。丸めた背中を伸ばすと、長身なほうだと言えるだろう。
 若者の帰還に、ロビーに散らばっていたスーツ姿の男たちが血相を変えて集まり始めた。
 男たちは瞬く間に一本の絨毯にそって並び、そろって青年に深々と頭を下げる。
「お疲れ様でした」
「ご苦労様です」
 青年も軽く礼を返し、出迎えの男たちを抜ける。
 絨毯の先には、華奢な金の螺旋階段があった。絡まる蔦や花なども金細工でできており、職人の繊細な技術が伺える。青年は手すりに汚れた手で触れないようにしながら、軽い靴音を立てて階段を上っていった。
「アラン!」
 その時、青年の頭上から、元気のいい声が呼びかけてきた。
 青年は顔を上げ、声の主を見つける。そして瞳孔のない目を細めて、ニコリと微笑んだ。
「ただいま、ティーマ」
 明るい声の持ち主は、見事な赤い長髪を持つ、幼い少女だった。人懐っこそうな顔立ちで、可愛らしい印象を受ける。さくらんぼのようなまん丸の目を輝かせ、床に着くほど長い髪は上のほうでふたつに括っていた。
 アランが手を振ると、ティーマは嬉しそうに飛び上がり、ニッコリと笑顔を返した。
「お、つかれ、さまでした!」
 そしてぎこちない言葉づかいでアランを労い、待ちきれないというようにぴょんぴょんと飛び跳ねる。
 アランは「今行くよ」と答え、急ぎ足で階段を上りきった。
 しかし上りきったとたん、ティーマが勢いよく腰に飛びついてきて、アランは危うく頭からロビーに逆戻りさせられるところだった。
「おかえり、なさい!」
「ただいま、ティーマ。汚れちゃうよ」
 アランは見た目より強烈な体当たりに苦笑いし、ティーマの頭を撫でてやる。
 ティーマは満足そうにシャツに顔をこすりつけると、アランを放し、またぴょんと飛び上がった。
 得意げに人差し指を上げ、バレリーナ人形のようにくるりと回ってみせる。
「着替えたら、お茶を、するって、テイルが、言って、いました!」
「あぁ、わかった。お父様に報告を済ませたら、着替えをすませて行くよ」
 アランが丁寧に答えてやると、ティーマは体ごと大きく頷き、音がしそうなほどニッコリした。
 そしてバイバイとアランに手を振って、赤い絨毯の長い廊下をバタバタと走っていく。
 遠くのほうでティーマがドアに体当たりする音を聞き届け、アランは右側の廊下へ足を進めた。
 少し進むと、すぐに階段に行きついた。廊下と同じく丁寧に絨毯が敷いてある階段を、アランは静かに上っていく。
 六段ほど上がると、曲がり、そしてまた上る。それを淡々と繰り返し、ようやく目的の最上階で足を止めた。
 この階だけはいつ来ても、人影が見当たらない。静まり返った長く伸びる廊下を見回し、アランは再び歩き始めた。
 果てがないように思うほど長い廊下には、より高級そうなふかふかの絨毯の他、足元から頭上までを照らす赤いランプが点っている。
 シャツにこびりついた真っ赤な染みが、赤い光に照らされ、アランが進むたびに黒くちらついた。
 突き当たりの見えないほど長かった廊下。無心のままぼんやりと進んでいくと、ようやくゴールが見えてきた。同じ歩幅で近づくにつれて、天井を突き破らんばかりにそびえ立つ、黒い扉の姿が迫ってくる。
 扉の前で、アランはようやく足を止めた。
「お父様」
 黒光りする扉に向かって、アランは呟くように話しかける。
 すると扉の向こうから、太い声が返ってきた。中年の男性を思わせる、少ししゃがれた声だった。
「ゼルダか」
「はい」
 アランは扉を見つめたまま、微笑んで返事をする。
「入れ」
 その言葉に、アランは扉の前で深く礼をし、一歩進み出た。
 手を触れたわけでもないのに、扉はまるでアランを避けるように両側へ開き、アランを中へ招き入れる。
「ただ今戻りました、お父様」
 アランは部屋に入ると、もう一度深く頭を下げた。
 後ろで扉が軋む音をたて、ひとりでに閉じていく。
 扉の閉まる重い音と共に、暗闇と沈黙が、アランを包み込んだ。
 まるで窓のない地下室のように、明かりなど一つもなく、廊下同様、音もない。
 キン、と小さく嫌な耳鳴りが耳をついたところで、部屋の奥で椅子の軋む音がした。
「あぁ、ご苦労だったな」
 闇の中から、あの声が聞こえる。
 アランは体を起こし、小さく頷いた。
「今日は、何人だ?」
 体が背もたれに寄りかかる、大きく椅子の軋む音と、太い声が部屋に響く。
 聞き慣れたその言葉に、アランは背筋を伸ばし、口を開いた。
「36人です。そのうち3人はまだ息があったようですが、きっと時間の問題でしょう」
「そうか。証拠を見せてみなさい」
 厳格そうな太い声が、真っ直ぐにアランに向かって飛んでくる。
 アランは小さく頷き、暗い天井を見上げると、自分の両目を片手で覆った。
 目の裏で映写機が起動される機械音と共に、アランの目が赤く染まっていく。
 アランが手を退けると、天井に白い画面が現れた。それはすぐに無音の映像に代わり、アランが先ほど見てきた現場の全てが映し出された。
 土煙の漂う中、目線の主を避け、人々が逃げ惑う。
 音はないが、その場の壮絶な叫び声、助けを請い泣き叫ぶ声、そしてこちらに向けられた銃声がまるでその場に居るように聞こえてくるようだ。
 最後の一人が目を見開き、見えない何かに額を撃ちぬかれる頃、勝ち誇ったような高笑いが静かな部屋に響いた。
 映像が途切れると同時に、赤く光っていた目が、徐々にもとの緑へ戻っていく。
 アランはまぶたを閉じ、また声の主のほうへ向きなおった。
「あぁ、よくやった。確かに全滅しているな」
 しゃがれた太い声が、満足げな笑みを含んで、急に猫撫で声になる。
「疲れたろう、リビングで子供たちがお茶をしているはずだ。お前も行って、休むがよい」
 その言葉を聞いて、アランは暗闇に向かってほっと微笑みを零した。
「はい、お父様」
「そうだ。着替えを持っていかせよう。だがいつも同じ姿では飽きるだろうな。何か欲しいものは? どんなものがいい?」
「いつものもので、結構です。お父様が選んでくださったものなら、なんでも」
「そうか、そうか。お前はいつも素直だな。よろしい、今日はとびきりの菓子を出してやろう。それならば、あの子も喜ぶ」
 上機嫌で椅子を揺らす音と共に、愛してやまない愛娘を思う甘い声が聞こえてくる。
 そしてそれと同じ声で、今日もおなじみのセリフが囁かれた。
「私の従順な息子や。この父のために、次も全力を尽くしてくれるのだろうな?」
「はい、もちろんです」
「あぁ、いい子だ。さぁ、ゆっくり休みなさい。下がっていいぞ」
「はい、失礼します」
 アランは深く礼をし、また手も触れずに扉を開け、赤い世界へ出た。
 部屋から出た後、ひとりでに閉まっていく扉にもう一度礼をし、振り返って来た道を戻っていく。
 赤い廊下に、コツ、コツ、と響く靴の音が、まるで心臓の代わりのように、一定のリズムを刻んでいた。
 アランは心臓があるはずの場所に、そっと手を当ててみる。
 しかし、心臓の音など、するはずもない。

 ぼくは、ロボットなのだから。



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