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 その頃、ようやく耳をつく甲高い警報音が公司館中へ鳴り始めた。
 ぼくらは赤一色の階段を、駆け上がり、曲がり、また駆け上がっていく。
 あと五階、このぐるぐる回る作業を終えれば、あの人の居る階に出る。
 しかしあと三度のところで、階段横の通路から強い衝撃がぼくを襲った。
 一人じゃない、複数の念力がぼくを床に押し倒す。ついてきたみんなも、すぐに床へ突っ伏された。
 先回りされた!
「やったぞ!」
 その声と共に、通路からバタバタと大勢の足音が聞こえてきた。
 人数を確認したいけれど、頭が床に押しつけられて、上げることができない。
 くそっ……もう少しだったのに……!
「んーん」
 しかしその時、ぼくの足元でティーマが唸り声をあげた。
 ぼくがピクリとも動けない中で、ティーマだけが手足をばたつかせているのがわかる。
 ティーマの手が、ぼくの足首を掴んだ。
 そしてゆっくりと、ティーマの体が起き上がっていく。
 こんなに大勢の気に押しつけられ、動けるはずがないのに。そんなティーマに、公司が驚きを隠しきれず、ざわついた。
「め――――っ!!」
 その時、ティーマの大声と同時に、まるで突風が吹いたかのようにぼくらの体が浮き上がった。
 まるで無重力状態の中で、公司群だけが暗い廊下の奥まで吹き飛ばされていく。
 赤黒い廊下の突き当たりで、ドン! と鈍い音が響いた。
「何だよ、何だよこれ!」
 宙に浮かびながら、セイがもがいた。
 ぼくにも理解できない。だけど、これはティーマの力だ。
 こんなに大勢を、いとも簡単に吹き飛ばし、浮かせることができるなんて――なんて力だ。公司の研究は、ついにこんなところまで達していたのか。
 その時、たった一人だけ力に反して浮かび上がらなかったティーマが、じっと公司たちの飛んで行ったほうを睨んだ。
 あめ玉みたいな赤い瞳が、ゆっくりと、さらに赤く光っていく。
 まずい!
「ティーマ、待って! 殺しちゃダメだ!」
 ぼくは必死に手を伸ばし、体を下ろそうと力を込めた。
 しかし、まるで見えない糸に吊るされているかのように、一歩も進めない。
 マリオネットになった気分だ。ぼくがどんなにもがこうと、ただ腕だけが空しく宙を引っ掻く。
 ティーマの結った髪がふわりと浮き上がった。たった一人の少女だというのに、どこか冷たい威圧感を感じさせる。
 ぼくは無駄だとわかっていても、もう一度手を伸ばした。
 その思いに反し、ティーマの両腕が攻撃態勢に入る。
「ティーマ!」
「07−D83ISP!」
 その時、ギリギリのところでヒロノブさんが早口で何かを叫んだ。
 どうやら何かのパスワードだろう。とたんに、ティーマがピタリと止まり、突然崩れるように腰を下ろした。
 ぺたん、とティーマが座った瞬間、ぼくらも無重力状態から開放される。
 重力に引きずられ、ぼくは慌てて着地の態勢をとり、足がつくと同時にティーマに駆け寄った。
 ティーマはぼんやりと宙を見つめているだけで、瞳は相変わらず赤いままだが、強制終了はされていない。
 ぼくがティーマの頬を叩くと、ティーマがはっと目を見開き、意識を取り戻した。
「いたい!」
「待て! 行かせるな!!」
 ティーマの意識が戻ったのはよかった。だけど、公司が動き出してしまったのは良くない。
 ぼくはキーキー声で非難するティーマを抱き上げ、慌てて次の階段を上り始めた。
 追ってくるのは、セイとアンドリューだけじゃない。無駄にもがきすぎて汗だくになった公司たちもだ。
 早くこの場から逃げないと! しかしその中で、ヒロノブさんだけは残り、白衣の内ポケットから銃のようなものを取り出した。
 拳銃ほどの大きさだ。でも、拳銃じゃない。ぼくが見たことがない機械だ。
「ヒロノブさん!」
 ぼくは足を止め、振り返った。
 しかし、ヒロノブさんは答えずにその銃を掲げる。そして引き金を引くと、網状のものがヒュッと飛び出していった。
 それはまるで蜘蛛の巣のように通路を封じ、公司たちの行く手を阻む。
 そして今度は、ヒロノブさんがこちらへその銃を向けた。あっと声をあげる間もなく、ぼくらの後ろの階段にも網が張られてしまった。
「行くんだ! 大丈夫、これはそう簡単には破られない。それに君なら、他の通路も知っているだろう。私はこれから下へ戻り、メリサとフランのもとへ行く。だけどなるべく早く、事を済まして帰ってきてくれよ!」
 ぼくの止める間もなく、ヒロノブさんは下への階段を駆けていってしまった。
 だけど、きっとそのほうがいい。メリサもフランさんも、あれ以上公司が増えてしまえば抑えていられなくなるだろう。
 網に阻まれた公司がぼくらに罵声を飛ばす。だけど念力が飛んでこないということは、あの網は対超能力用でもあるんだ。
 その時、セイが下からぼくを小突いた。
 顔を引きつらせたままのセイが、明らかに無理をして苦笑いする。
「もう、戻れないんだぜ。早く行け!」
 その言葉に、アンドリューも頷いた。
「大丈夫、僕らも居るから」
 アンドリューがぼくの背中を叩き、一歩階段を上がる。
 ぼくも頷き返し、そしてティーマを抱えたまままた階段を駆け始めた。
 もう後戻りはできない。だけど、するつもりもない。
 ぼくはお父様に会いに行く。そして精一杯、怒鳴りつけてやるんだ!
「遅いわねぇ。待たせるじゃないか」
 目的の階へはあと一階、というところで、突然ぼくの手が何者かに掴まれた。
 その感覚に、ドグラスを思い出して思わずゾッとする。案の定、ぼくは同じように思いきり引っ張られ、廊下に投げ出された。
 ドッ、と背中から打ちつけられる。ティーマは何とか守ったけれど、多分ぼくの背骨はどこか折れた。
 片目をつむりつつ、体を起こす。すると、やっぱり彼女が居た。
「マーシア……!」
「こんなに隙だらけなのに、どうしてあの時始末しなかったかねぇ! 何に手こずったんだか」
 マーシアが不機嫌そうにフンと鼻を鳴らし、手のひらとこぶしをすり合わせて歩み寄ってくる。
 まずい――ぼくはマーシアが苦手だ。性格がどうとかいうものじゃない。水であるぼくは、太陽であるマーシアと戦っても勝てっこないんだ。
 ヴォルトとぼくが、どんなに戦ってもヴォルトには勝てなかったように。
 絶体絶命。これで終わってしまうのか――……いやだ、絶対に!
 ぼくは立ち上がり、ティーマを後ろへ押しやった。
 そしてマーシアを睨みつけながら、ゆっくりと体勢を低くする。
「なんだい、あたしに勝てると思っているのかい?」
 マーシアがニヤリと笑い、片手をぼくに向けた。
 とたんに、まるでカメラのフラッシュのように真っ白な光に目を突かれ、ぼくは思わずまぶたを閉じる。
 しまった……! 目を開けたら目を焼かれてしまう。ロボットといえど、ぼくも目がなければ何も見ることはできない。
 それでもこんな所で終われない! ぼくは思いっきり腕を突き出し、当てずっぽうに攻撃をしかけてやろうとした。
 しかし、ぼくが指先に力を込める前に、マーシアの短い悲鳴が聞こえた。
 ふと、まぶたの向こうで光が止んでいく。
 恐る恐るまぶたを上げると、そこにはいつかのぼくのようにセイに乗っかられ、髪を引っ張られるマーシアが居た。
「目を潰そうったって、無駄だぜ! オレは、見えなくてもわかるんだからな!!」
 セイがマーシアの肩に乗っかりながら、マーシアのオレンジ色の髪をぐいぐいと引っ張る。
 マーシアは甲高い声をあげながら、予想外な攻撃を仕掛けてくるセイを引っ張ろうと、頭の上で手をばたつかせた。
「や、やめてよ! 離れなさいよ!!」
 マーシアが叫ぶ。そしてついにセイの腕を掴み、宙へ振り投げた。
 細腕からいとも簡単に投げ飛ばされたセイを、ぼくが慌てて受け止める。
 マーシアがすぐにぼくらへ指先を向けた。しかし攻撃が放たれる前に、アンドリューがその指先を掴んだ。
 シュン、と小さな音がして、恐らくレーザーが吸い込まれる。二人の手の間から、細い煙が上がった。
 鉄も溶かしてしまうほどの威力のはずなのに。それでも、アンドリューは顔色ひとつ変えず、マーシアに遠慮なくこぶしを振り上げた。
 顔面を殴られる前に、マーシアが先に体を引く。
「な……何よ! 人間のくせに!」
「残念ながら、ただの人間じゃないんでね」
 殴り損ねた、と苦笑いをするアンドリューには、もうフェミニストの影すらない。
 セイが頭をさすり、ぼくの腕から飛び降りた。そしてアンドリューの隣へ駆け寄り、ふんと鼻を鳴らす。
「人間なめんなよ。わけわかんないけど、オレは目が見えなくたってわかるんだからな」
「わけわかんないけど、僕には容量オーバーな能力があるしね」
 アンドリューが軽く手を払う。すると、廊下の絨毯がふわりと宙に飛び上がった。
 能力抵抗さえさせず、いとも簡単にマーシアも浮かび上がり、嫌悪に細めていた目をまん丸に見開く。
 いつも思うけど――人の力って、未知だ。
「アランくん、早く行け。ここは僕とセイで十分だ」
 アンドリューがぼくに背を向けたまま、行けと肩で指示を出した。
 隣で、セイも胸を張ったまま頷く。
「で、でも……!」
「僕を誰だと思ってる? あのキヨハルさんの、後継者だよ」
「あと、スーパーヒーロー」
 行け! とセイがこぶしを突き出した。
 それを見て、ぼくの後ろでティーマがぼくの背中を押した。
「ティーマ」
 ぼくは振り返り、背中を押すその手を取る。
 すると、ティーマはまん丸に頬を膨らませ、今までずっと不安げだった眉をつり上げた。
「おとう、さまに、会いに、いくの」
 膨らんだ頬の真ん中で、小さく口が動く。ぼくは、目を見開いた。
 何を弱気になっていたんだ――ぼくは、アンドリューとセイの強さを、しっかりと知っているのに。
 ティーマがまたぼくを押す。ぼくは一度二人のほうを振り返り、そして今度はぼくがティーマの背を押した。
「行こう。もうすぐだ」
 ぼくはまた、駆け出した。



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