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「待ちな!」
 マーシアが行かせまいとしてぼくらを念力で縛ってきた。
 重い何かに圧し掛かられ、ぼくは思わず仰け反った。しかしすぐにそれを振り払い、再び階段を駆け上がっていく。
 ティーマにいたっては、マーシアの攻撃すら感じていないらしく、けろりとしてぼくより先に階段を上がった。
 マーシアがぼくを罵る声がする。しかし階段の半分も行った頃、その矛先はアンドリューとセイに向けられたようだ。
 突然大きな爆発音と強烈な光が背後からぼくらを押し、ぼくは思わず振り返った。
 建物が揺れる。それはまるで、脱獄の時のようで――ぼくは思い出しかけたことを、今は必死に奥へ押しやった。
 大丈夫、二人は大丈夫だ。ヴォルトだって、まだきっとぼくの中に居る。
 そうだ、ヴォルトも、テイルも、居なくなってしまったけれど、ぼくが覚えている。ぼくの中に居るんだ。
 そう思ったら、急に勇気が湧き上がってきた。ティーマが上からぼくを呼びかける。ぼくは濛々と上がってくる煙を振り払い、ついに最上階まで上りきった。
 すると、ティーマが急にぼくの手を引き、一目散にあの部屋の扉へ駆け出した。
 その目は、ぼくの気持ちとは裏腹に、嬉しそうに輝いていた。
 お父様に会えることが、ティーマにとっては、こんなに嬉しいことなのか。
 扉が近づいてくる。本当は、すごく怖い。もしもお父様に会っても、何も変わらなかったとしたら――
 だけど、逃げ出したくはない。ぼくは、まだ進める。
 高く高く伸びた、黒い大扉。その向こうが、果てしない冥界のように思える。
 ティーマに握られた、指先が震える。ティーマはこんなに嬉しそうなのに、ぼくは思わず歩みが重くなる。
 逃げるな、逃げるな、臆病者。
 まだ進めるんだ。ぼくは、一人じゃない。
「コン、コン」
 黒い扉の前に立ち、ティーマが扉を叩くふりをして、口でそう言った。
 ぼくの奥底がざわめく。体の全体が、足の裏に引っ張られているような感覚がある。
 重たい。――返事が、来ない。
「コン、コン」
 ティーマがもう一度、扉を叩く仕草をした。
 そして赤いリボンを揺らし、体ごと大きく首を傾げる。
「――ティーマかい」
 その時、扉の向こうから返事が返ってきた。相変わらずの、低く、太い声に――ぼくは思わず、こぶしを握る。
「そうだよ! ティーマだよ!」
 返ってきた返事に、ティーマがぱぁっと顔を輝かせた。
 そして扉がひとりでに開くのも待たず、両手で扉を押し開ける。
 ギイ、と、軋む音がした。
 ――変わらぬ声と同じく、中も相変わらず、真っ暗だった。
 廊下の赤い明かりが差し込んでも、奥に居ると思われるお父様の姿は見えない。
 お父様が、この部屋から出ることは少ない。だからぼくらのほとんどが、その姿を見たことがない。
 またぼくも、見たことがなかった。外出中だという噂はいくつか聞いたけれど、実際に姿を見たことはない。
 ティーマが中へと入っていく。ぼくはまだ足を進められないまま、いろいろな考えを巡らせていた。
 お父様は、本当にここに居るのだろうか? まさか、公司や、GXの中の誰かが、お父様だったのか?
 なぜお父様は姿を見せないんだ? なぜ、ぼくらを直接破壊しようと思わないのか……――?
「おお、久しぶりだね、ティーマ。元気だったのかい? こちらへ、おいで」
 暗闇から、猫撫で声が飛んできた。父親というより、むしろ愛孫を可愛がる祖父のような声だ。
 ティーマは扉を止まるまで押し開き、そして暗闇の中へ駆けていく。
「ティーマ、元気! アランも、元気だよ!」
 ぱたぱたという小さな足音と共に、ティーマはそんなことを言ってしまった。
 ぼくが思わず、ビクンと震える。
 握ったこぶしが、固まっていくのを感じる。のどの奥で何かがつかえて、怒鳴りつけてやろうと思っていた言葉も、出てこない。
 真っ先に、ぼくは壊されるのだろうか。まるで、あの日の罰のように、苦しむだけ苦しめられて――
「お入り」
 しかし、ぼくのもとへ飛んできた言葉は、ティーマにかけられた言葉と何の変わりもなかった。
 驚いた。当然、出て行けとか、破壊してやるとか、罵声を浴びせられると思っていたのに。
 なぜ? どうして?
 戸惑う内面とは裏腹に、まるでその声に引き寄せられるように、体が進みだした。
 ヴォルトとテイルが死んでしまった時、完全に消えたと思っていた戸惑いが、ぼくの表情を強張らせる。
 闇に体が吸い込まれる。そして――扉が、閉まった。
 完全に、視界が遮られた。
 でも、これはマーシアの攻撃ではない。マーシアの攻撃は何を使っても目を封じられて見えないけれど、きっと今、少し力を解放すれば、赤い世界にお父様の姿が浮かび上がってくるはず。
 でも、ぼくはできなかった。そうさせない何かが、その空間にはあった。
「ああ……お前に会うのも、ずいぶん久しいことだ。そうだろう、ゼルダ」
 闇の中から、笑みを含んだ声がぼくに届いた。
 その呼び方、相変わらず、ゾッとする。
「……はい」
 ぼくはぎゅっとこぶしを握り、小さく返事を返した。
 ぼくはゼルダじゃない。そう、強く思いながら。
 すると、突然奥から高笑いが響いた。
 まるで、大量虐殺映像でも見たような笑い方だ。そう、あの日にそっくりの。
「よくも、のこのこと出て来られたものだ。裏切り者の、出来損ないが」
 嫌な笑みと、明らかに嫌悪を込めて、ようやくその声が罵りの言葉を吐いた。
 その声が、ぼくの憎しみを再び呼び起こす。
 ぼくは強く口の中を噛み、そして暗闇を睨みつけた。
「なぜ、テイルにあんな危険なことをさせたんだ」
 ぼくの声が、闇に吸い込まれていく。
 短い沈黙の後、ギシ、と椅子の軋む音がした。
「あれは、お前が出て行ってからというもの、私の命令を何度も拒否した。仕事へも行かず、私の命令も聞かん。そんな役立たずを、いつまでも構ってはいられんだろう」
 悪びれる様子もなく、ため息交じりの声が返ってくる。
 ぼくはこぶしを強く握り、必死に怒りを抑えた。
 そしてまた、質問をぶつける。
「なぜ、ぼくらを造った?」
「――便利だからだ。人のように、反抗もせず、何でも「はい」と言うことを聞く。ただ、感情を作り出したのは、間違いだったな」
 また、最悪の言葉が返ってくる。
 ぼくはさらに手を強く握り締めた。耐え切れず、体が怒りに震える。
 この――人は――!
「アラン」
 その時、お父様が、ぼくの名を呼んだ。
 そう――ゼルダではない、ぼくの名を。ぼくは目を見開いた。
 また、椅子が軋む。靴音がし、そして立ち上がった。
 コツ、コツ、コツ、と、歩み寄ってくる音がする。
「私の子供たちも、ずいぶん反抗期を向かえ、そして居なくなってしまった。どうだ? もう一度、私のもとへ戻ってくる気はないか?」
 その言葉と共に、初めて手のひらがぼくの目の前へ浮かび上がった。
 予想より、少し骨ばった、青白い手だ。
 この手を、取れと言うのか――?
「ふざけるな!!」
 ぼくは怒鳴り、その手を振り払った。
 この人は、どこまでぼくらを傷つければ、気が済むんだ!
 憎しみが込み上げてくる。たくさんの命を奪い、この世界を我が物とし、ぼくの兄弟、仲間を殺し――それでもこの人は、罪悪感のかけらさえないというのか!
 怒りが抑えきれない。ぎゅっと握っていた手さえも、今大きく開いてしまった。
 その感情に任せ、大きな力が、一気にぼくから放出された。
 突風のような音と共に、カーテンがはためき、窓が割れる。今、机が倒れた。
 暗い空間の中で、おそらくぼく以外のすべては吹き飛ばされた。
 割れた窓から光が差込み、ぼくの隣でティーマが転がっていった。
 きゃあきゃあと高い声がぼくを怒る。ぼくはうつむいた顔を上げられないまま、力を押さえようともしなかった。
 部屋が揺れる。建物が揺れる。全部壊れてしまえばいい!!
 そしてついに、壁に亀裂が入った。ぼくの目の前は、いつの間にか真っ赤に染まっている。
 体が震える。周りが震える。すべてを巻き込んで、消えてしまえばいい。
 憎しみに顔が歪む。――しかしその時、ぼくははっと我に帰った。
 消えるなんて、ダメだ!
「やめろ!!」
 ぼくはぼくに叫んだ。すると、放出してしまった力が落ち、叩きつけられた床がドンと音をたてた。
 足が震えた。久々に感じた強い破壊衝動に、自分が急に怖くなった。
 ぼく……今、なんてことを……!
 ほんのひとつだけの窓が割れ、薄明かりに部屋が浮かび上がる。
 思ったより広く、シンプルな部屋だった。目の前には、割れた窓を背後に、椅子と大きな机が倒れている。
 コンピューターが机から落ち、漏電の音をさせていた。
 ぼくは恐る恐る、両手を持ち上げた。
 どちらも大きく震え、体がぼくを恐れている。
 ぼくの右横で、ティーマがうつぶせに倒れていた。しかし意識はしっかりとしているようで、その両頬はいつものようにまん丸く膨らんでいる。
 ティーマは無事だ。よかった……。
 そ……そうだ、お父様は……――

 ――目線を横切らせた瞬間、ぼくの前で、時が止まった。

 見開いたぼくの目の前に写ったのは、お父様ではなく、そこに居るはずのない人の姿だった。
 それでも、ずいぶん見慣れた顔だった。
 黒のスーツをしっかりと着込み、黒い瞳でぼくを見つめていた。
 瞳と同じく黒い短髪に、不健康そうな青白い顔には、無精ひげが目立つ。
 何が……起こっているんだ……?

「ど……うして……あなたが……」

 ぼくの口から、情けない声が漏れた。
 あの人の口元が、ニヤリと持ち上がる。
「どうした、アラン。父の顔は、そんなに珍しいか」
 お父様の声が聞こえた。しかしその声は机から落ちたコンピューターから聞こえ、それに重なるように、聞き慣れた声が同じ言葉を吐いていた。

 ――理解できない。

 信じたくない。

 嘘だ。


「……マルシェさん……」


 ぼくは見開いた目を閉じられないまま、目の前の人の名を呼んだ。



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