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 夜――暗闇で一人になると、どうしても考えてしまう。
 過去のこと、ぼくの罪、そして、これから起こるであろう未来のことを。
 絶望だとは考えたくない。でも、その悪い予感はどうしても拭い去れない。
 ぼくは気持ち悪くなるような不安に顔を顰めながら、その日は一晩中瞳を赤くし、アンダーグラウンドへの侵入がないかを見張っていた。
 ぼくが辺りを見回すと、細い線で描かれた立体の地図が見える。それはぼくの体の中で勝手にプログラムが作られたもので、アンダーグラウンドの住民は赤い点、認知していない侵入者は黄色で表示される。
 無数の赤い点が、その中で時々動くが、大体は寝ているからぴくりともしない。
 たとえセイのように最悪に寝相が悪くても、寝相通りに赤い点が動くほど、ぼくの機能は高性能じゃない。
 しかしただひとつ、緑に光る点のぼくの隣に、人でないもの、つまり青色をしたものが、じっと居座っていた。
 これはヴォルトだ。ヴォルトはいつの間にかぼくの部屋の隣部屋を借りて、今はぼくと同じように、集中してアンダーグラウンド内を見回している。
 ヴォルトは……自分は壊れると、ぼくに言った。
 だけどぼくはそれを信じない。だってヴォルトは今までも何度も壊れそうになったけれど、こうしてまだぼくの隣に居てくれる。
 きっと大丈夫、ヴォルトは強い。だからきっと、今度も乗り越えてくれる。
 きっと、ヒーローがこの世界を――マルシェさんが、この世界を変えてくれるまでは、ぼくらは壊れることはできないんだ。
 そうだ、マルシェさんなら絶対この世を変えてくれる。お父様を倒し、政権を奪い、この世界をこのアンダーグラウンドのように、助け合いを基本とした優しい世界に変えてくれる。
 そんな事を思いながら、ふと、キヨハルさんを慕ったマルシェさんも、きっとこんな気持ちだったのだろうな……と、ぼくは思った。

 もしも――まだキヨハルさんが生きていてくれたなら、この世界はどんなに平和だったのだろう。
 たったひとつ、手を差し伸べるだけで、たくさんの人々の心を開いたキヨハルさん――
 もしキヨハルさんが生きていたなら、お父様も、いつかは心を開いていたかもしれないのに。
 何の犠牲もない、平和な世界は……本当に、作り出すことはできないのだろうか?

「そもそも、世界を作るっていう考えが間違ってんだよ」

 突然、ヴォルトの声が頭に響いた。
 ぼくは思わず壁際に目をやり、隣の部屋を透視する。
 ヴォルトの赤い目が、ぼくのほうへ向いていた。
「間違ってるって、どうして?」
 ぼくはシオンのように口を動かさず、顔を顰めて声を送る。
 すると、ヴォルトが足を組みなおし、ふんと鼻を鳴らした。
「別に、生き物が自分なりに生きていれば、世界なんざ自動的にできちまうだろ」
「それは……それはそうだけど、でもさ、少なからず人が意思を持って世界を変えないと、とんでもない世界になっちゃうんじゃないかな」
「それが生き物のあるべき姿なんじゃないか? 本能のままに、弱肉強食。結局は何らかの犠牲のもとにこの世界は成立しているんだ。その犠牲を助けるために、強者も何らかの手助けをしている」
「だけど、そんなことしたら世界は発展しないじゃないか。今、ぼくらがここに居ることもありえなかった。ただ猿人類のまま進化をせずに居たら、世界は何も変わらないまま」
「それでよかったんじゃないか。少なくとも、あの頃、この世界は緑に満ちていた。そうさ、お前の大好きな命の色だろ。それを奪い、あの灰の世界に変えたのは、誰だ? 人間なんじゃないのか。たった少し他の生き物より知識を得ただけで、我が物顔で世界を勝手に変えようとしている。というか、変えてしまった。太陽の光、本物の空のない、この世界に」
 ヴォルトのその言葉に、ふとあの地上の記憶が甦ってきた。
 色のない、廃れた世界――確かに、あれは人の欲がもたらした最悪の結果かもしれない。
「だけど、ヴォルトは今の人のすべてを否定するわけじゃないだろ? だって、殺戮兵器として造られたぼくらに、こんなにもよくしてくれているんだから」
「まあな。確かに、人の情は暖かい。だけど、そんな殺戮兵器を造り出したのは誰だ? たとえそれさえも造り出された存在だとしても、オヤジも人間だろ。オヤジを造ったのも人間だ。進化ゆえの犠牲――すべては、人に与えられた知識が引き起こしたものだ」
「それは……そうだけど、でも……」
 沸くように次々と意見をぶつけてくるヴォルトに、ぼくはいつの間にか顔をうつむかせていた。
 返す言葉が見つからない。ティーマにしても、ヴォルトにしても、どうやらぼくは責められることが苦手らしい。
「別にお前の考えを責めているわけじゃない」
 ぼくの思考を読んだのか、ヴォルトが小さく笑った。
 ぼくが顔を上げると、ヴォルトが首を横に振っている。
「ただ、本当の悪は何かをちゃんと決めろってことだ。悪っていっても、人それぞれ信じるものが違えば、悪は善にもなりえる。もちろんその逆もある。だが、お前はあくまで個人だ。たくさんの人じゃない。お前自身が悪だと思うものを憎めばいい」
「でもさ、ぼく……悪とか、憎むとか、そういうの嫌だよ。いくら酷いことをした人だってさ、それに到る酷い過去があるんだ」
「だから仕方ない、って言いたいのか?」
 ヴォルトが唸り、嫌そうに顔を顰めた。
 ぼくは首を横に振る。
「違うよ、そういうわけじゃない。確かにお父様は悪いことをした。だけど、その理由を聞くことぐらい、あってもいいと思ったんだ」
「お前、あのオヤジの相談相手にでもなりたいってのか」
「違うよ、ちょっと違う。そういうわけじゃないんだ……ただ、誰にだって救いを与えてもいい」
 ぽつりと呟いたぼくの言葉に、ヴォルトが小さくため息を零した。
 うつむいた顔の横で、ヴォルトが背もたれに寄りかかり、呆れた様子で天井を仰いでいるのがわかる。
 少し前までは、ぼくの悪はお父様そのものだったのに……もう、わからなくなってきた。
 お父様が哀れに思える。だけど、そのお父様を造り出した人を憎むこともできない。
 その人だって、家族や大切な人を守りたいがために、アーティフィシャル・チルドレンという兵器を造り出したんだ。
 すべては、みんな、みんな、守りたい物があるからこその行為。
 だからそれを、すべて悪だと決めつけることなんて、できないよ……――
「うじうじアランが帰ってきたな」
 膝に額がつくほどまでうつむいたぼくに、ヴォルトがまた話しかけてきた。
 ぼくはいつかの眉を下げた情けない表情のまま、ヴォルトを向く。
 すると、いつも通り「バカじゃねぇの」と顔を顰められた。
「この優柔不断。だからお前はいつまでたっても頼りねぇんだよ。甘ったれもいい加減にしろ」
 ぴしゃりとそう言われ、ぼくはよりいっそう惨めな気分になった。
 落ち込んだ表情が表れていたのか、ヴォルトは鼻を鳴らすように、短くため息をつく。
「まあ……その弱っちい考えを、優しさと取る奴も居るけどな」
 ヴォルトは素っ気なくそう言うと、立ち上がってぼくに背を向けた。
 素直じゃないその行動。でも、どこか温かみのある言葉に、ぼくは思わず、顔を緩める。
「……ありがと」
 嬉しそうな顔をうつむかせたまま、ぼくは小さく呟いた。


 ――話し合いから数時間、朝が来た。
 朝といっても、このアンダーグラウンドには太陽がないから、窓から清々しい朝日が射すわけじゃない。
 少なくとも、ぼくの体内時計は、今ちょうどAM5:59を差していた。
 あと一分で、センターの最初の時刻を伝える鐘が鳴る。
 それで起きる人も居るけれど、セイやメリサなんかは、どうせ起きてこないんだろう。
 いつか朝、セイの部屋へ行った時に見た、あの超人技と言えるほどの寝相。
 それが今のぼくには、思い出すだけでほっとする、とても平和な光景のように思えた。
 あと三十秒。アンダーグラウンドの今日が始まる。
 ――しかしその時、赤い線だらけのぼくの視界の中に、二つの黄色い点が入り込んできた。
 とたんにぼくの中で警戒音が鳴り、それと同時にぼくは立ち上がる。
 ヴォルトも同じようだった。ビーッ、ビーッ、と嫌な音を体に響かせ、ぼくはヴォルトのほうを向く。
「人だ」
 ヴォルトが呟いた。確かに、黄色い点は生き物の証。GXじゃない。
「能力は?」
「ある。それも公司並のな」
 ヴォルトはそう答え、苦笑いするように顔を顰めた。
 ぼくの視界の端で、二つの黄色い点がゆっくりと動き出す。
「行くぞ。とりあえず姿を確かめよう」
 ヴォルトがこめかみに指を当て、動き出した点を睨みながら言った。
 ぼくは黙ったまま頷き、そしてテレポートをした。

 ――ぼくらは同時にアンダーグラウンドの中央通りに現れた。
 辺りはシンと静まり返っている。いつも賑わいに満ちた通りも、今はまだ薄暗いまま。
 ぼくらは一歩も動かないまま、侵入者の姿を探した。
 しかし、いつもの入り口から人は現れない。門番のエドワールさんも居ない。
 確か、ロストさんが入り口を隠していると言っていた。だとしたら、別の場所に入り口が移動しているのだろうか。
 ぼくは赤い目で滑るように辺りを見回した。何度見ても、人の姿は見当たらない。
 どういうことだろう――姿を隠せるほど、特殊な能力を持った人間なのか?
「場所は間違ってないだろ」
 ヴォルトもその姿を見つけられないのか、少し不機嫌そうに呟いた。
 その時、六時を知らせる鐘が、アンダーグラウンドの中に響き渡った。
 土壁に跳ね返されて幾重にも重なり、その音が地下の地下へ響いていく。
 なんて嫌なタイミングなんだろう。ぼくはその音に思わず耳を塞ぎ、音の鳴るセンターのほうへ振り向いた。
 その瞬間、突然ぼくの背に何かが突進してきた。
 足元が浮き、思わず息が詰まる。
 しかしこの感覚には、確かに覚えがあった。
「アラン!」
 そんな、まさか――!?
「ティーマ!?」
 ぼくは腰に回された細い手を解き、慌てて振り返った。
 そこには、確かにティーマが居た。あのまん丸の赤い目をきらきらと輝かせ、ぼくのほうを指さす。
「みつけたー!」
「ティ……ティーマ! どうしてこんな所に居るんだ!? まさか、お父様の命令で?」
「いや、違うだろ」
 パニック寸前のぼくの隣で、ヴォルトが冷静な声を返した。
 そしてヴォルトを指さし、「みつけたー!」を繰り返すティーマを、ヴォルトは不審そうに睨みつける。
「お前、ティーマか?」
「ティーマ、ティーマ、だよ!」
 ティーマは体ごと大きくこっくりと頷き、自分を指さした。
 それでもヴォルトは眉間のしわを伸ばさない。ぼくは不審かどうかなんてことより、久々に目にした元気そうな姿に、喜びを隠しきれていなかった。



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