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 ――それから、何の事件や襲撃も起きず、数日の時が経った。
 ぼくは散々迷った挙句、約束通り、アンドリューにキヨハルさんのことや、地上世界での真実を告げた。
 アンドリューは驚く様子もなく、ただずっと目を伏せたまま、ぼくの話す何もかもを聞き入れていた。
「……多分、僕もきっとキヨハルさんと同じことをした」
 ある程度全てを話し終わった後、アンドリューが呟くように言った。
 背後で無敵のヴォルトを潰そうと、セイとメリサと双子が騒いでいる。ぼくは一度そちらを振り返り、もう一度向き直った。
「え?」
「僕がその時のキヨハルさんだったら、僕も同じように、自分の世界に……アンダーグラウンドに、公司長を入れようとはしなかったと思う」
 アンドリューが青い瞳でぼくを見据え、きっぱりと言った。
「でもそれは、僕は公司長が危険人物だと知っているから。でも……きっとキヨハルさんは、そうじゃなかったと思う。自分の世界を作り出したアーティフィシャル・チルドレンたちの幸せを、自分と関わることで壊したくなかったからなんだ」
 あの人は底抜けに優しいから、と、アンドリューは少し苦笑いした。
 そしてまた青い目を伏せ、短くため息をつく。
「……地上は、荒れているよ」
「うん……ぼくは過去を見てきたんだけれど、やっぱり、今も……」
「いや、きっと過去とは違う荒れ方だ」
 アンドリューが首を横に振った。ぼくはいつの間にかうつむいていた顔を上げる。
「昔の戦争で人口が減り、世界はどこも欲と福にまみれている。貧しさなんて一遍もない。だけど、その分人々の心が貧しい」
「心が貧しいのは人の常だ。その分愛情を注ぐ相手もいるから」
 その時、ぼくの背後でヴォルトが言った。
 振り返ると、ヴォルトの向こうに重なって気を失っている四人が見える。
 いつの間にか静かになったと思ったら……。
「表面は平等だとか言っても、誰だって頭のどこかで差別をしてんのさ」
 ヴォルトはため息交じりにそう言い、一人掛けのソファに腰を下ろした。
「セイたちは?」
「寝かした。ここのところ、あいつらずっと俺にかまってきやがるから」
「……殴った?」
「催眠術だよ、バカ」
 そんなの使えたの? と顔を顰めるぼくに、ヴォルトはいつもの「バカじゃねぇの」という表情を返す。
 偉そうな態度のヴォルトから目を離し、ぼくはアンドリューに向き直った。
「それじゃあ、今の地上はあんなに荒れていないんだね?」
「まあ……昔よりはね。争いは相変わらずあちこちで起こるよ。それはもう、過去と同じように富や幸をめぐってね」
 裕福こその争いか……さらに富みを求めるのは、貧しさを知らない人が多いからなのだろうか。
 もう、あの廃れた街の様子を――あの戦争の時代を知っている人は居ない。きっと、そういうことだ。
「……今でも、ミュータントを追いやるようなことをしているの?」
「しているよ。だからこそ、僕もセイの家族もここへ来たんだけれどね。ある日家に警官のような男が来て、大きな穴のような所へ大勢集められたと思ったら、突然閉じ込められてね。それからはただ当てもなく、うす暗がりの階段を歩かされたよ。二、三日かかったかな。あの時は、薄暗い地下へ続く階段に響いた泣き声が、メリサだとは思わなかったよ。まさか、ついてくるなんてね。それに、予想はしていたけれど……メリサも能力を持っていた」
 アンドリューは語りながら、不恰好に重なって寝息をたてる四人のほうへ目をやった。
 そして左手をすっと上げ、指示を出すように指先で宙を切る。
 すると、アンドリューの手の動きに合わせ、四人の体が浮き、それぞれ並んでベッドへ落とされた。
 音も立てず、そっと優しく動かせるほどの能力は、なんともアンドリューらしい。
 ぼくは無造作に丸めてあった毛布が全員を覆うのを見届け、前に向き直った。
「やっぱり、あの時シオンの攻撃を止めたのは、メリサだったんだね」
「うん、確かにあれはメリサが命令をしたようだ。僕らの能力は、感情によって一時的に増加する場合があるからね……。それこそ、兵器にはぴったりなんじゃないかな」
 アンドリューはそう言って、少し苦笑いする。
 ぼくは同じように苦笑いし、今度はヴォルトのほうへ意見を求めた。
「ヴォルトは、その……あんまり驚いてなかったね。さっきの話を聞いて」
「まあ……少しは前もってわかっていたからな」
 ヴォルトはソファの背もたれに寄りかかり、ため息交じりに言った。
 また出た。ヴォルトの意外な情報力。
「いつから知っていたの?」
「少し前だよ。お前がぶっ倒れて、俺がまだ体を持っていなかった頃。ここのメインコンピューターはなかなかのものだからな。公司館のメインコンピューターから入って、GXのそれぞれの本体に入り込んでたんだ。まあ、ハッキングだな」
 さすがにオヤジの情報までは得られなかったけど、とヴォルトは肩をすくめる。
 そうか、そうすればシオンが得た情報も少しは覗き見することができる……だけど、ハッキングだなんて。
「ハッキングって、簡単に言うけど……そんなこと」
「できるぜ、俺なら。シオンもそうやってここのメインコンピューターにアクセスしてきたんだろ。おそらく俺たちの内容量を受け止められるのはこれしかないからな。シオンはそれを予想して、ここのメインコンピューターにデータを送り込んだんだ」
「でも、あのお父様だ。トラップぐらい仕込んでいたんだろう? あの人なら入り込んだものを片っ端から攻撃しかねないよ。大丈夫だったの?」
「まあ……足の指先ぐらいは削られたけど、別に特別なものは消されてないぜ。少しトラップデータをからかってやったし、侵入跡は無理やり消した。あとは向こうが自動修正してくれんだろ」
「相変わらず乱暴なことするね」
 ぼくは短くため息をつき、呆れたよ、と肩をすくめた。
 そしてふと目を戻すと、アンドリューが眉を寄せ、珍しく「わけがわからない」と顔を顰めている。
「よくわからないけど……何か君らって、すごいね」
 端整な顔のくずれたアンドリューにそう言われ、ぼくらは顔を見合わせて苦笑いした。

 ――お父様を悪と思うべきか。それはとっくに、決まっていたはずなのに。
 あの日、ヴォルトに真実を告げられた時に、地下三階で、マルシェさんに出会った時に。
 だけどいまさら、どうしてぼくはこんな気持ちで居なきゃならない?
 あの人は悪だ。わかっている。だけれど、前のように奥底からの憎しみが沸いてこない。
 むしろ哀れみを感じてしまう。縋るしかすべを知らない子供を、あの人を悪に変えた、あの暗闇を見てしまったから……――

「しかしなぜ、彼らは心を悪と決めた?」
 人一人居ない廊下に、その声が響いた。
 ぼくははっと顔を上げ、その声の主を探す。
 誰もが寝静まった今、廊下を歩くのはぼくだけだと思っていたのに……――
「なぜ人は、ちっぽけな感情ひとつで誠実にも残忍にもなれるのだろうか」
 また声が聞こえた。
 しかし、ぼくの目の前には誰も居ない。ただ、廊下の先は暗闇に包まれたまま。
「そもそも、感情とは何か?」
 すごく近くで声が響き、ぼくははっと振り返った。
 青と赤の瞳が、薄明かりにキラリと光る。
「ロスト……さん」
「えぇ、こんばんは」
 ぼくの肩あたりまで下げた顔を、ロストさんはニッコリとさせた。
 突然の出現に、思わずひやりとさせられた胸を、ぼくは苦笑いしてさする。
「今……一体、どこに……」
「ずっとここに居ましたよ。えぇ、あなたの後ろにね」
 ロストさんはそう言い、長身の体を起こす。
 相変わらず、体は長い黒マントに包まれたままで、どこかシオンのような不思議な雰囲気を感じさせた。
「不思議だね、兵器として造られた君が、私などの気配に気づかないとは」
「いえ……ちょっと、考え事をしていて」
 ぼくはそう言いながら、苦手なオッド・アイから目をそらした。
 何だか、ロストさんの目は怖い。考えの何もかもを貫かれ、覗かれているような気がする。
 いつかも、こんなことがあった……――そうだ、地下三階で、マルシェさんに出会った時。
「盲目の人は、それ以外の感性が異常なほど発達するというからね」
 まるでぼくの考えを読んだかのように、ロストさんが言った。
 ぼくは驚き、目を見開いたが、ロストさんは「今のは独り言だ」と両手を挙げる。
「少し、君が心配でね……驚かせてしまって、すまないね」
 ロストさんがそう言い、ようやく人間らしい心配そうな表情を見せた。
 ぼくには、この人がどこか造られた人形のように見えていたから、ようやく引きつった顔が緩む。
「ぼくが、心配って……どうして?」
「人一倍繊細だから、かな」
 ぼくの問いに、ロストさんはにっこりと答えた。
 そして切り傷のような目をすっと押し開け、今度はぼくに問いかける。
「君は死を――生き物の最後を、怖いと思うかい?」
 その問いかけに、ぼくはまた眉をひそめた。
 色の違えた両の目に見つめられる感覚に、自然と体中の皮膚が逆立つ。
 ぼくが唇を結び、答えを出さないでいると、ロストさんはまた小さく微笑んだ。
「人が死ぬのは、終わりでもあり、始まりでもある。その人にとっても、周りにとっても。事実、この世は、キヨハルの死というものをきっかけに、様々なことが終わり、そして始まりを迎えた。人は死を知り強くなり、そして本当に守りたいものに気づく。――私はキヨハルの死で、自分の無力さを知り、また自分の大切さに気づいた」
 ぼくは答えを出すこともできず、ただ小さく頷く。
 すると、ロストさんは包帯の巻かれた手をすっと上げ、それをぼくの頭に軽く当てた。
 体温の感じられない手の感覚に、ぼくは顔を上げる。
「もし君が、造られた存在である君が、“死”を恐れるのであれば……それは、君が“生きている”という、何よりの証だよ」
 ロストさんは目を細めてそう言うと、その場からスッと消えてしまった。
 ただ、どこか「そうであって欲しい」と聞こえたような言葉が、誰も居ない廊下でたたずむ、ぼくだけに響く。
 耳鳴りが聞こえてきそうなほど静まった中で、ぼくはようやく、問いかけの答えを出していた。

 自分自身の、“死”は、怖くない。

 大切な人との“別れ”が、とても、怖い。



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