第九章 紅茶伯爵と最後の約束 ダージリンはぴたりと足を止め、振り返りかける。しかしぎゅっとこぶしを握り、また顔をそらした。
「フォーシーズンズ・ガーデンはプライドの高い、頑固者でね。絶対に叶わない願いしか、叶えてくれないんだよ」
そんなダージリンの背中へ、伯爵は語りかける。
その言葉に、ダージリンが少し反応した。しかし、迎えに来た警護官の手に背中を押されたため、また渋々歩きだす。
背後で、ニルギリが何か呟いたような気がした。でもそれより、警護官が腰につけたナイフや銃の音が大きく響き、声がかき消される。
「またおいで。今度はちゃんと正面から、私の友人として。いつでも歓迎いたしましょう」
伯爵が少し声を張り、しっかりと聞こえるようにそう言った。
その声は、確かにダージリンの耳へ届いていた。しかし歩みを緩めることなく、ダージリンは前へ進んでいく。
そして文句も何も言わぬまま、家出少年は噂の変人伯爵の屋敷を後にした。
*
――家に帰ってすぐ、大勢の召使いと、駆けつけた親類やお偉いさんがおれを出迎えた。
傷だらけのおれを見て、何人ものメイドが耳元でヒソヒソ話をしていた。誰もが遠慮なくじろじろとこちらを見てくる。これ以上気持ち悪いものはない。
いつか叩き崩してやろうと思っていた華美な階段を上がると、選択肢も与えられないまま奥のほうにある一つの部屋の前に連れていかれた。
廊下を歩きながらすぐにピンと来た。ここはおれの勉強部屋。ありとあらゆる嫌な思い出が詰め込まれた、おれ専用の“説教部屋”だ。
背中を小突いて連れてきた警護官たちは、何か目配せするなり、さっさと背を向けて去っていく。
深呼吸して扉を叩き、開くと、大きな出窓を背に、二人並んだ影がこちらを向いて立っていた。
おれの両親――つまり、この国の皇帝と后だ。
「……ただいま帰りました」
ダージリンは顔をそらしたまま、不機嫌そうにそう呟いた。
その声を聞き、母親が思わず上ずった嗚咽を零す。擦れた泣き声の中で、「心配したのよ」などと引きつった呟きが聞こえた。
さすがにこれには少し、罪悪感が浮かぶ。ダージリンは少し目線を落とし、つま先を揺らした。
背後で、扉の閉まる重い音がする。ダージリンはそれに押されるように、渋々歩き出した。
「今まであの伯爵家に居たそうじゃないか。どういうつもりだ? お前は、この国を継ぐたった一人の存在なんだぞ」
近づいてくるダージリンに向かって、皇帝が声を張り上げる。
その言葉に、ダージリンは一瞬足を止めた。しかし、逆らっても無駄なのだと自分に言い聞かせ、うつむいたまま歩み寄っていく。
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