「何じゃ、お前は儂に喰われたいのか」 胴をつまむようにして脇腹を擽ってやると、龍臣は笑って身を捩ったが、顔は伏せたままだった。 「僕……幸せなんだ。だって僕が死んだら、ニシが食べてくれるでしょう? そうしたら、ずっとニシと一緒に居られるよね。ひとりぼっちにならないよね」 そう言う龍臣の声は、心なしか震えていた。 あぁ、そうか。此奴も、孤独が怖いのか。 そう思った途端、まるで龍臣と己とが重なったように見えた。そして同時に、なぜ己がこの小僧と居ることに心地良さを覚えるのか、はっきりと合点がいった。 共に居て心地良いのは、龍臣が妖怪を人と同等に扱うせいだと思っていた。しかし、それだけではなかったのだ。 同じ、同じなのだ。儂らは、ひとりになる恐怖に怯えて生きている。 あの日、この鋭い手に触れた頬の温かさに儂が救われたように、此奴も、儂を死後の縁として、縋り合って生きていたのだ。 魂を喰らうという口約束は、人と妖怪とが関わりを続けるために、無理矢理理由付けるこじつけのようなものだ。 たとえ死んだとて、もとより龍臣を喰おうなどという気はない。 しかし、此奴がそれに縋ることで、立ち上がり、歩き続けることが出来るのなら。 「ふん……そういう“約束”であろう」 それで此奴の背負う影が晴れるのなら、儂はそう応えよう。 龍臣はちらと顔を上げ、くすぐったそうに笑ったかと思うと、そのまま安心したように瞼を閉じた。 やわらかな栗色の頭を親指で撫で、言葉を付け加える。 「青臭い魂など御免だぞ。せいぜい長く生き、美味い魂を喰わせろ」 「うん、わかった。ありがとう、ニシ」 その日は、結局、朝まで森の中で眠った。 腹の上で寝息をたてている龍臣の体を指で測り、その成長の早さを改めて実感する。 出会った時は片手に乗るほど小さかったというのに、いつの間にこんなに大きくなっていたのだろう。 時の流れは早いものだ、と笑った此奴の先祖を思い出し、本当にそうだ、と記憶の中の面影に返事をする。 人間は、ほとんどの者が、大人になるにつれ“見る”力を失っていく。 龍真のように、老いても儂らの姿を鮮明に見ることのできる人間もいるが、血を継いでいるからとて、龍臣もそうであるとは限らない。 歯がゆいが、こればかりは神のみぞ知る、としか言えぬのだ。 ある日突然力を失えば、ひどく狼狽えるであろう龍臣のことを思うと、やはり胸が痛んだ。 その時の為に、儂もそろそろ覚悟を決めねばならん。 生者が妖怪や幽霊にばかり触れて生きていることは、決して良い事とは言えぬ。 此奴が人間の世界でも生きていけるように、何とかして道筋をつけてやらねば。 せめて此奴にだけは、「ひとりぼっち」に怯えて生きる一生など、送らせたくはない。 瞼を伏せ、何か手がかりはないものかと、遥か昔の記憶を辿っていく。 あれこれ考えを巡らせているうちに、いつの間にか浅い眠りに落ちていた。 人間だった頃の記憶に触れたせいか、その日は何百年ぶりに夢を見た。 若者の龍真が、棒を振りながら、孫はまだか、孫はまだか、と囃し立てている夢だった。 龍真よ、もうしばし此奴を儂に預けてくれ。儂はどうやら、この小僧が大事で大事で、仕方がないのだ。 牛鬼よ、お前はけちだなぁ、と龍真が言う。 ふん、強欲を絵に描いたような男に、言われとうないわ。 安心しろ、来るべき時が来たら、儂は必ずこの手を離すと約束しよう。 だからその時が来るまで、もう少し、もう少しだけ、待ってくれ……ーー。 夢の中の龍真の姿が、ふと成長した龍臣の面差しと重なる。 龍真とも、龍臣ともはっきりしない人影が寂しげに微笑むと、そうか、ではさよならだ、と手を振って消えたところで、はっと目が覚めた。 びくりと覚醒し、腹の上に龍臣がいることを確認してほっと息をつく。 やれやれ、思ったより儂は、この小僧に依存しておるようだ。 寝相で剥がれた着物を直し、剥き出しの足が寒くないよう両手で囲む。 よもや鬼に身を落とした立場で、神に願おうなどという気は起きぬ。 それでも、何というわけではないものに、願わずにはいられなかった。 どうか、あと少し、あと少しだけ、この温もりを奪わないでくれ。 しかしこの時、その別れの足音は、もうすぐそこにまで迫っていた。 (26/43) 前へ* 最初へ *次へ栞を挟む |