「そうか」
「うん。ねぇニシ、今朝、漁師さんたちが海坊主を見たって言ってたけど、本当?」
「あぁ。この辺の漁師は必ず煙草を咥えておると、儂に文句を言いに来たのだ。奴らはあの煙を嫌うからのう……大方、お前の入れ知恵だろう」
「ふふ、そう。船をひっくり返されたら困るからね。まだ近くに居るかなぁ? お詫びをしたいんだけど」
「やめておけ。沖に居るかもしれんが、必要以上に妖怪と関わるなと言うたであろう」

はいはいと相槌をうちながら、龍臣は下駄を脱ぎ捨て、儂によじ登ってくる。
儂の忠告など、それこそ聞いているようで聞いていないようなものだ。勝手に顔の横から両足を投げ出し、この牛鬼に肩車などさせて、洟たれ小僧は肩を弾ませる。

「ねぇニシ、お願い! 早くしないと、帰っちゃうよ」
「やれやれ……」

仕方なしに海の見える場所まで連れていってやると、日の沈みかけた海岸線に、まだ小山のような影が蠢いていた。
頭の後ろで動く気配がし、龍臣が放った酒瓶が岩壁を避け波間に落ちていく。
上手いこと沖へ行く海流に乗り、ぷか、と瓶が浮き上がったところで、大きく息を吸い込む音がした。

「おーい! 海坊主さぁーん! この度は、すみませんでしたぁー! 今度は、美味しいお酒をいっぱい乗せた船を用意しておくので、思う存分、沈めてくださいねー! また来てくださいねぇー!」

小さな酒瓶と力いっぱい手を振る龍臣の声を、妖気に乗せて沖へ流してやる。
届いたのだろう。暗闇にぽっかり空いた穴のような目が、ぎょろりと振り返った。

「聞こえたのかなぁ」
「さぁてのう」

ザブンと波をたて、海坊主が触手を空へ伸ばす。
それがまるで手を振るような仕草をすると、龍臣は歓喜の声をあげ、影が消えて見えなくなるまで手を振っていた。

「ニシ見た!? 応えてくれたよ! 僕の声、聞こえたんだ! おぉーい、また来てくださいねぇー!」
「耳元でそうキンキンと声をあげるな。冷えて来たのう、さぁて、帰るぞ。またお前が風邪をひいて、頭の上に洟を垂らされてはかなわん」
「もう洟なんか垂らさないよ!」

海坊主や儂に限らず、龍臣はこうして時々、土地にやってくる妖怪や霊たちを友人や客のように扱った。
無闇に恐れるでもなく、矢鱈畏るでもなく。しかしだからと言って、礼儀を弁えぬわけでもない。
この小さな頭で、どこまで考えているのかはわからんが、人と妖怪、双方が折り合っていける丁度いい道を、まるで綱渡りをするように此奴は渡り、いつの間にやら繋がりを作ってしまう。
そうして龍臣の作り出す関係は、不思議と心地よく感じた。
今思えば、儂は龍臣の作り出すその曖昧な境界線に、無意識に縋っていたのだろう。
人でもなく鬼でもない、どちらにも戻れぬ寂しさを、龍臣は紛らわしてくれる。
そうした心地良い時間に気を取られ、天真爛漫な笑顔に時折さす影のことなど、この時はさして気に留めていなかった。




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