長い間止まっていた鼓動が、どくん、と鳴ったような気がした。 それを合図かのように、周囲から一切の音が消えた。何か恐ろしい事が起こる。そう悟った途端、まるで堰を切ったように記憶の濁流に襲われた。 戻ってくる。この足で歩いた、森や川や山のにおい。打たれた雨の冷たさや、胸いっぱいに吸い込んだ空気の味。旅で回った村の数々。頼まれ救った人々の顔。血を流した時の痛みや、人の肌に触れたぬくもり、腹を抱えて笑ったことや、身を絞れられるような切なさも。 そして、決して忘れたくなかった――あの人の姿も。 ごうという風の音とともに、意識が引っ張られ、語り続ける小僧の声が遠くなる。代わりに、まるで時を遡ったかような鮮明な光景が、目の前に蘇った。 頼まれると断り切れない性分だった。その日もたまたま立ち寄った村で、困り果てた様子の村人を放ってはおけなかった。 簡単な仕事ではなかった。人を喰い続け、力をつけた鬼との戦いはひどく苦戦を強いられた。しかし旅するうちに培った知識や、様々な奇蹟が運良く重なり、村人から授かった鬼を殺す力を持つという短刀を、この手で鬼の胸に突き立てた。 それから――それからのことは、途切れ途切れにしか覚えていない。 日の落ちた薄暗い世界。強い空腹と炎の色。ぐんと高くなった視界からの眺め。傍で溶けゆく“何か”の残骸に、口の中に広がるのは、人の―― あぁ。 あぁ……。 (14/43) 前へ* 最初へ *次へ栞を挟む |