閉じた瞼を透かす陽光が眩しく、抗うように寝返りを打つと、何かやわらかいものに触れた。布団にしては固く、壁にしては心許ない。そして妙に生あたたかい。……。
恐る恐る目を開けば、短いながらもふわふわの金髪。それからふっくらとした白皙の肌。ちいさく丸まって眠っているのは、そう、まぎれもなく子供だった。
「……夢じゃなかった……」
寝起き早々頭を抱えたが、そうしたところで現実が変わるはずもない。幸い今日は休みだった。子供ことサボくんは起きる気配もなく、私はひとまず布団から抜け出した。
(朝食は適当でいいかなあ……)
愛用のマグカップでインスタントコーヒーを啜りながら、ぼんやりと考える。目下悩むべきは彼の処遇だが、警察に連れて行くにせよ、食事抜きでは可哀想だ。
さほど食料の備蓄があるわけでもない。文句を言われないように祈りながら、簡素な朝食を作るべく私は冷蔵庫の扉へ手を伸ばした。
サボくんが起きたのは、それから一時間後のことだった。いまだ夢に引きずられたままのサボくんを横目に、朝食の仕上げをする。
器に盛ったサラダをテーブルへ移動させてから、卵液がしっかり染み込んだ食パンをフライパンで両面焼く。バターの香ばしい匂いがあたりに立ち込めれば、フレンチトーストの出来上がりだ。
「サボくん、起きてる?」
「……んー」
「まだ眠いかな。朝ごはんできたんだけど」
「食う!」
飛び起きたサボくんをテーブル前に座らせ、挨拶もそこそこに食事にする。私がコップにオレンジジュースをとくとくと注ぐうち、サボくんのお皿は見る間に空になっていった。
古式ゆかしい貴族然とした服装や、ちょっとした仕草に育ちのよさを滲ませる彼だったが、食事作法は思ったよりも豪快らしい。
食事を終えひと息ついてから私は、「それじゃあ」と切り出す。
「今洗ってるお洋服が乾いたら、一旦出かけようか」
「出掛けるってどこにだ?」
「……お散歩かな」
「ふーん。わかった」
洗濯後、乾燥機にもかけてすっかり綺麗になったサボくんのジャケットは、太陽光の下では目にも鮮やかな青色をしていた。
手を繋いで交番への道のりを歩けば、辺りの何もかもが珍しいらしく、サボくんの目線が忙しなく動く。きょろきょろと景色を見回す彼の浮世離れした言動に不安を覚えるものの、それでもこれ以外に打つ手はないのだと自分自身に言い聞かせる。
道中、すれ違う人々から怪訝そうな目を向けられたのは気のせいだと思いたかった。……誘拐犯に見えただろうか?
◇
「……え?」
耳を疑うような言葉に思わず聞き返した。警察官はそんな私を胡散臭げにじろりと見ると、大層なため息をひとつ零して、「ですから」と辛抱強い声を出した。
「今言ったでしょう。あなたの横にいったい誰がいるって言うんですか? いたずらは困りますよ」
お姉さん、そんなに暇ならね、どこか遊びにでも行ったらどうですか。お姉さん大学生?えっ社会人?そりゃちゃんと働いてるんでしょうね?
……そんな嫌味と共に交番を追い出されたものだから、とうとう私は呆然と立ち尽くしてしまった。繋いだ手の先へ目を遣れば、同じく困惑した様子のサボくんがじっと私を見上げていた。
時はつい先刻まで遡る。
交番は私の住むマンションから徒歩10分程度の道角にあった。気持ちのいい秋晴れの空の下、道行く市民を見守る警察官の笑顔は朗らかそのもので、私は安心して歩み寄った。
「すみません、ちょっといいでしょうか」
「どうかなさいましたか?」
「ええ、あの……この子のことなのですが」
言って、すぐ脇に立つサボくんを目線で示す。
「家出したようなんです。昨晩気がついたら私の家にいて……とにかく保護したのですが、警察の方にお任せしたほうがよいかと思いまして。……捜索願いとか出てますか?」
ひと息に言ってしまえば、ずいぶんと気持ちが楽になった。これに加えて懸念しているサボくんの怪我や態度を伝えさえすれば、あとはプロの人に任せたほうが間違いないだろう。私の杞憂でしかない可能性も高いのだから。
そうして警察官の顔を伺い見れば、どうしたことだろう、男は呆気に取られたようにぽかんと口を開き、私を見ていた。
勢い込んで話し過ぎただろうか。
「あの、この子、家出したみたいで……」
家に帰そうとされているらしい。遅ればせながらそう悟ったサボくんの逃げる手を絡め取りながら、警察官の前に突き出す。
「そちらで保護していただきたいのですが」
「……何を仰ってるんです?」
「……え?」
警察官はあからさまに眉根を寄せ、不審者を確かめるかのような眼差しを私に向けた。
「あなた、誰も連れていないでしょう」
ぴしゃりと投げつけられた言葉は容赦なく私を混乱の渦へ叩き落とした。そうして、先ほどのやり取りに至ったわけである。