忠犬




はなはパソコン室の扉についている小さなガラス窓にそっと両手を乗せて、こっそりと中の様子を伺っていた。
パソコン室の中では、椅子に座る湊海がラブラモンの両手を持って、何やら真剣に話している。



「あれ?はなちゃん…入らないの?」

「あ…京さん…!」

「湊海ちゃんもいるじゃない!」

「うん…でも…」



京に視線を向けていたはなは、その視線をガラスの向こう側の湊海に戻した。



「湊海さん、元気がないみたいで…」

「え?ああ…うん、よく見たら確かに…何かあったの?」

「湊海さんには内緒だよって言われてたんだけど…でも…」



何かに葛藤していたはなは「だけど、湊海さんがあのまま落ち込んでるのは見たくない」と、ぽつりぽつりと話し始めた。

それは、昨日のこと-…。

昨日、湊海ははなと一緒にデジタルワールドへと来て、ダークタワーを倒していた。



「まだまだ先は長いけど…だいぶすっきりしたね」

『うん、ダブル忠犬のお陰かな』

「湊海様のお褒めにあずかり、光栄です」


『…相変わらずだね、君は』

「はな、ぼく頑張ったでしょ?」

「うん、かっこよかったよ!ありがとう、テリアモン!」

「はな、怪我は大丈夫?」

「ん?これ…?全然平気だよ、こんなの」

「もう、そう言って無茶ばっかりするんだもん」

「でも、これは本当の本当に平気だって!」



はなはそう言って、右手をひらひらと振った。
そんな様子に湊海が目を細める。



『こちらも相変わらず…そして、ラブラモンに負けず劣らずの忠犬っぷり』



はなとテリアモンがきゃっきゃとするのを、湊海は顎に手を当てながら、こくりこくりと頷いて見つめていた。



「君たち、人のものを勝手に壊してはいけないって教わらなかったのかい…?」



突然、背後から人を見下すような声が聞こえて、はなも湊海もハッとして振り返る。



「デジモンカイザー!」

『あなたこそ、この世界をあなたのものにして良いなんて、そんなの間違ってる』

「僕は天才なんだ…君たちとは格が違うんだよ、同じレベルで話をされては困る」

『あなたって人は本当に…!』



湊海がそこまで言いかけて、ハッとして振り返った。
はなは強い瞳で、だけど、少し怯えたようにカイザーの姿を見つめている。
そして、その左手は自分の右手をしっかりと握っていて…。



(そうだ、はなちゃんは同じ紋章を持ってるから狙われてるんだっけ…それに怪我もしてるし…わたしがしっかりしないと…)

『はなちゃん、任せて!わたしがはなちゃんたちを守ってあげるから!』

「湊海さん…だけど…」

『はなちゃんにこれ以上怪我させたら、太一さんになんて言われるか…』



不安そうに湊海を見つめるはなの頭を湊海はくしゃくしゃと撫でて笑った。



「美しい友情ごっこか…?馬鹿馬鹿しい。行くんだ、シェルモン」



デジモンカイザーが大きく手を振り上げると、砂の中から黒いリングに操られたシェルモンが飛び出す。
湊海がD-3を握り締めて、それを青い空へと高くかざした。



『デジメンタルアーップ!』

「ラブラモン、アーマー進化!誇り高き慈悲!ムースモン!」



ムースモンとシェルモンはじりじりと睨みあう。
ムースモンが跳び上がると、シェルモンが砂を巻き上げた。
その砂にムースモンは一瞬ひるむものの、空中で綺麗に1回転を決めると、シェルモンの後ろを取る。



『よし、ムースモン、行けるよ!』

「シェルモン、そっちは後だ…手薄になってるあっちを攻撃するんだ」



そう言うと、デジモンカイザーは意地悪く笑いながら、はなを指さした。
はなはD-3を取り出そうとするけれど、怪我をした右手にD-3が手元から落ちてしまう。
テリアモンがはなの手から飛び出して、シェルモンのほうへと駆けて行った。



(まずい…!テリアモンだけじゃ、さすがに敵わないよ…!ここは…)

『シェルモーン!狙うならこっちを狙いなよ!』

「湊海さん!?」

「湊海!?」

「湊海様!?」

『わたしを倒せば、ムースモンも一緒くたにやっつけられるよ!どう?』



湊海ははなを守るために手をぎゅっと握りしめて、危険な賭けに出る。
シェルモンは一瞬悩んで、それから湊海を追いかけた。



(よし、かかった…!あとはわたしが頑張るだけ…!)



しかし、湊海は砂浜の砂に足を取られて、思ったよりも早く走ることができない。
シェルモンが湊海のその姿を捉えて、真っ赤な目をより赤く染める。



「お望み通りやってしまえ、シェルモン」

「湊海さん、危ない…!」

「ハイドロプレッシャー!」



迫りくる大量の水に覚悟をしてはいたけれど、湊海は目をぎゅっと閉じて、頭を抱えた。



「湊海様!」



その声に湊海が顔を上げると、ムースモンが湊海を庇うように湊海の目の前に飛び出していた。
まるでスローモーションのようにムースモンに攻撃が当たり、砂浜に倒れるのが目に入って、湊海は目を見開く。
ムースモンは光に包まれると、ラブラモンへと退化した。
湊海は思わずラブラモンに駆け寄る。



『ラブラモン…ラブラモン…!』

「こんなひどいことをするなんて、絶対に許せない!デジメンタルアップ!」

「テリアモン、アーマー進化!咲きほこる優しさ、シープモン!ウールボールブースター!」



シープモンの攻撃は真っ直ぐにシェルモンの黒いリングへと飛んで行った。
そして、そのリングを破壊すると、はなはぎゅっとカイザーを睨む。
カイザーは一瞬口元を歪めたものの、ラブラモンの姿を見ると、どこか満足そうに笑ってどこか遠くへと飛んで行った。

はなはシェルモンと少し話して海へと返すと、湊海とラブラモンの元へ駆け寄る。
けれど、自分を庇うために湊海が飛び出していき招いた結果に、はなは罪悪感でいっぱいの胸をきゅっと握りしめて、歩幅も小さくなってしまう。
湊海の手元でラブラモンはぐったりとしながらも、湊海に小さく笑顔を向けた。
湊海が目元をごしごしとこする姿に、はなは思わず口をつぐんで、それでも、やっとのことで声を出した。



「湊海さん…あの…ごめんなさい…わたしのせいで…」



湊海はゆっくりとはなを振り返ると、にっこりと笑う。
そして立ち上がって、はなの頭をくしゃくしゃと撫でた。



『大丈夫、はなちゃんのせいじゃないし、そんな泣きそうな顔しないで。はなちゃんが泣いたら、わたしまで辛くなっちゃう。それにね、結果的にはなちゃんにシェルモンを助けてもらっちゃった。ありがとう』



そう言う湊海の目元は赤く、鼻も赤くなっている。
そんな姿にはなは胸の前で握る手にきゅっと力を込めた。



「だけど…」

「…はな様、湊海様はお強い方ですし、私もこの通りぴんぴんしております」

『そうだよ!だから、元気出して!元気出してくれないことのほうが、わたしにとってはよっぽど心配なことだから』



尻尾をふるラブラモンと、ぐっと手を握る湊海に、はなも心配な気持ちは消えないけれど、なんとかすぅと息を吸ってから、にっこりと笑った。



「ラブラモン、湊海さん…守ってくれてありがとう」

『うん、やっぱりはなちゃんには笑顔が似合うね!』




「…ということがあったんだ」

「湊海ちゃんらしいな」

「きっと、責任を感じてるんでしょうね、ラブラモンに」

「本当はわたしのせいなのに…」

「それは違うわ」

「憎むべきはデジモンカイザーだよ」



いつの間にか、はなの後ろには大輔、伊織、ヒカリ、タケルも到着して、はなの話を聞いていた。



「何とかして、湊海さんを励ましてあげられないかな…」



はなのその呟きに、みんなが考え込んだその時、京が一歩下がってふふっと考えあり気に笑う。



「何だよ、京。突然笑ったりして…」

「ふふふ…じゃじゃーん!これ見て!」



京は何か紙の束を片手に握りしめて、それをぐっと振り上げた。
みんなはそれを見るために、顔を上へと向ける。



「見えません」

「あー…ははっ、ごめんごめん、これよ!」

「これって…遊園地のチケット?」



ヒカリが京の手元を覗き込んで嬉しそうにそう言った。



「ビンゴ!うちのコンビニで取ってる新聞屋さんがくれたの!みんなで行こうと思ってたんだけど、丁度良くない?」

「うん、良いアイディアだね、京さん」



タケルがそう言って頷くと、にっこりと笑う。
伊織が冷静に京の手元を見て、チケットの枚数を数えた。



「1、2、3、4…これ、全部で9枚ありますね」

「わたしたちは7人だから…あと2人」



京がそう言ってきょろきょろと辺りを見回す。
その時、6年生の男子が歩いてきて、わらわらとみんなで集まってるのを見ると、きょとんと不思議そうに首を傾げた。



「京…それにみんなも…何やってるんだ?」

「飛鳥くん、なーんてナイスタイミングなの!ねぇ、一緒に遊園地行かない!?」

「ゆ…遊園地…?」

「京さん、唐突すぎて飛鳥さんが困っています」




「そうよね…実は、無料券をもらって、一緒に行く人を探してたの。メンバーはわたしたちと湊海ちゃん。どうかしら?」

「俺も行っていいの?」





外でそんな話をしている頃、パソコン室の中では、湊海がラブラモンの包帯を巻いた手をさすっていた。



『ごめんね、ラブラモン…痛かったよね』

「いいえ、湊海様のことを思えば、この程度の傷、どうってことございません」

『傷の大きさじゃないの…わたしがあの時、走ったから…あの時、はなちゃんたちをもう少し信じていたら良かったって…昨日からずっと考えていて…』



思わず、飛び出してしまったけれど、おそらくあのタイミングならば、はなはテリアモンをアーマー進化させることもできたはずだ。
それを、咄嗟に自分に攻撃を向けさせて、はなに心配をかけさせただけでなく、ラブラモンを傷つけてしまった…そんな後悔の気持ちが湊海の中でぐるぐると巡っていた。
そんな湊海の手にラブラモンが自分の手を重ねて、きゅっと力を込める。



「湊海様、私のことを思ってくださり、ありがとうございます。ですが、湊海様は大切なことをお忘れです」

『大切なこと…?』

「私は、はな様を身を挺して守るような湊海様だから、あなたをパートナーとしてお慕いしているのです。湊海様がした無理のぶんだけ、私はあなたをお守りしますから、どうか、私のためにもそのようなことは言わないでください」

『ラブラモン…君って本当に…』

「…私はいつまでもあなたの忠犬ですよ」



パソコン室の中で湊海とラブラモンがぎゅっと抱きしめあっているその頃…。



「ところで、はなちゃん怪我してるの?」

「う…うん…ほんのちょっと…」



京の言葉に、はなが気まずそうに頬を掻いた。
その指には確かに絆創膏が貼られている。



「大丈夫?」

「うん、全然…あのね、調理実習でほんのちょっと指を切っただけなの…だから、全然大丈夫って言ったんだけど…」



ヒカリの問いかけにそう言ってふにゃりと笑うはなにみんながぽかんとする。
飛鳥がそんな様子に少し上を見上げて、渇いた笑いを浮かべた。



「湊海ってそういうところ、あるよな…」

「うん…利き手は大事にしなさいって…」

「まぁ、利き手は大事だよな」



大輔はそう言いながらも、うーんと首を捻って腕を組んだ。
そんな微妙な空気を変えるように、京がポンと手を打つ。



「そうだ!遊園地のチケット、あと1枚あるんだけど、誰誘う?」

「んー…あ、飛鳥さんの妹さんはどうかしら?」



ヒカリがそう言うと、飛鳥と伊織が目を合わせた。
そして、少し気まずそうに苦笑いを浮かべる。



「うーん…アイツは無理かも…」

「そうですね…」

「じゃあ、やっぱり保護者かなぁ…だれか先輩…」



その時、パソコン室にお馴染みの人が歩いて来る。
その姿に、京が瞳をきらきらと輝かせた。



「やあ、みんな揃ってどうしたの?」

「泉先輩、この偶然は運命です!一緒に遊園地に行きましょう!」

「ゆ…遊園地…?」

「だから京さん、唐突過ぎて光子郎さんが困ってます」



伊織のツッコミに京がまた頭を掻いて、光子郎に状況を説明する。
光子郎はその話を聞くと、こくりと頷いてにっこりと笑った。



「良いですよ、行きましょう」

「やったー!ビンゴ!」

「それにしても、湊海さん、そんなことがあったんですね…」

「うん…でもきっと、光子郎さんが励ましてくれたら、湊海さんも嬉しいと思うんだ。だから、光子郎さんが行くって言ってくれて嬉しい」

「そうですかね…」



光子郎ははなのその言葉に少し頬を赤らめて、パソコン室の中へと視線を向けた。
はなの言葉に、大輔が不満そうに口を尖らせる。



「えー!俺は!?」

「うーん…大輔くんが大好きなのはヒカリちゃんだからなって…」

「それは…そうだけど…」

「あら、良いのよ、湊海お姉ちゃんに乗り換えてくれても…」

「それはダメ」

「なんでタケルが答えるんだよ」

「あ…」



光子郎さんの声に、わたしたちはパソコン室のほうへと視線を向けた。
中からパタパタと走ってくる音が聞こえて、扉ががらりと開く。
目を見開く湊海と、突然扉が開いてざわざわとしていたのが何を言ったら良いかわからずに急に静かになった京たちが、数秒間見つめ合う。



『み…みんな…?飛鳥くんに光子郎さんまで…揃いも揃ってどうしたの…?』

「湊海ちゃん、遊園地に行こう!」

『ゆ…遊園地…?』

「京さん、僕、もう突っ込むの疲れました」



伊織の言葉に苦笑いしながら、京は湊海に遊園地の話を持ちかける。



『良いね、楽しそう!』

「やったー!湊海ちゃんも行くの、嬉しいなー!」

「もう、調子良いんだから…」



にこにこと笑う大輔に、ため息をつくタケルに、湊海がくすくすと笑う。



「よーし、そうと決まれば!早速計画を立てましょう!選ばれし子どもたち、出動!」

「…俺は違うけど…」

「違くない!遊園地に選ばれし子どもだから!」

「何ですか、それ…」



京がそう言って、パソコン室の中へと入っていった。
それに続くように、みんなもパソコン室の中へとわらわら入っていく。
そんなみんなの様子を湊海が顎に手を当てて、しみじみと見つめていた。



『うーん…光子郎さんも行くなんて、珍しいなぁ…』

「ふふ、湊海さんが行くって言ったら、二つ返事だったよ」

『はなちゃん…!』



はなが湊海ににこにこと笑顔を向ける。



『それより…みんな、昨日のこと知ってるでしょ…?』

「うっ…やっぱりばれちゃったよね…ごめんなさい…。だけど、湊海さんに元気を出して欲しかったの…それで…」

『…わかってる。ほーんと、はなちゃんは良い子だなぁ』

「…怒ってない?」

『ぜーんぜん!はなちゃんがわたしを想っててくれて、むしろ嬉しい」



湊海がはなの頭をくしゃくしゃと撫でると、はなは嬉しそうに笑った。

こういう時のはなは何だかラブラモンに似ていて…。



『もしかして、はなちゃんも…』



そこまで言って、湊海は言葉を飲み込んだ。
さすがにはなにそれを言うのは失礼なような気がして…。
はなは首をひねって、きょとんと湊海を見つめるけれど、何かを思いついたようにぽんと手を叩いた。



「忠犬?」

『…え?あ…うーん…ちょっと思ったけど…さすがに失礼かなって…』

「ふふ…全力でお慕いしておりますよ、湊海さま!」



少しラブラモンを真似して、はながそう言った。
そんな様子に湊海がぷっと笑う。
はなは少し恥ずかしそうに頬を掻いた。



「あ…あれ…?やっぱり似てなかった?」

『似てるかどうかはともかく、かわいかった!』

「湊海ちゃん、俺はー!?」

「大輔くん、耳良すぎだよ…」



湊海が発した「かわいい」に頬を赤らめながら、はなは大輔のほうへと視線を向けた。
湊海も少し困ったように、けれど優しい笑顔で大輔へと視線を向ける。



『はいはい、大輔くんもかわいいよ』

「やったー!」

「…大輔くん、湊海お姉ちゃん、ちょっと困ってるよ」

「だー!ったく…どうしてお前はそうやって…!」

「ははっ…湊海は人気者だなあ」



ご機嫌モードからすっかりムカムカモードへと切り替わった大輔と、目が笑ってない笑顔でさらりと大輔にそう言うタケルを見て、飛鳥が爽やかに笑った。



「だって、みんなの湊海お姉ちゃんだもの。ね、光子郎さん?」



ヒカリは飛鳥にそう言うと、いたずらっぽく光子郎に問いかけた。
光子郎は突然話を振られて、珍しく少し慌てて頭を掻く。



「そ…そうですね…」



そんな光子郎の様子に首を傾げる湊海の両手を、はながぎゅっと握ると、にっこりと笑った。
そして、そのままパソコン室の中へとくっと湊海を引き込む。



「湊海さん、わたしたちも行こう!」

『…うん!』



湊海は嬉しそうに笑って、みんなのところへと駆け寄って行った。






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