E組と私B


「……ん」

 朝日の眩しさに、意識がはっきりとしてくる。



「ふわあ……」

 私は起き上がって、ひとあくびした。今何時……の前に、私ったらいつ寝たのだろう。その辺りの記憶が全くない。


「おはようございます、一条様」

「えっ」


 その聞き慣れない声に横を見る。そこには古き良きメイドの姿があった。ロングスカートなのは好印象である。――ではなく。いや、メイドがいるのも十分おかしいが、このベッドも、部屋も、外の景色も、全く知らない場所だ。



「え? え? ここ、どこ……!?」

「起きたのか、蘭」

 キョロキョロと周りを見渡していると、ドアから浅野くんが入ってきた。



「あ、浅野くん……ってことは、ここは……」

「そう。僕の家だ」


 ことの経緯はこうらしい。どうやら私は、浅野くんの腕の中で寝落ちしたようだ。随分寝つきが良いが、恐らく最近眠れてなかったからだろう。……癪だが、浅野くんの体温はとても落ち着いた。本当に癪だが。
 さすがの浅野くんも困ったようで、とりあえず車を呼んで、彼の家に連れて帰ることになったらしい。
 私の携帯から、父や母に連絡したところ、「今日は忙しくて迎えにいけない」と言われたらしく、その流れで浅野くんの家に泊まることになったらしい。
その間の私? それはもうぐっすり眠っていたようだ。こんなふかふかのベッドならそうだろうね!


「……ご迷惑、おかけしました」

 私は深々と、浅野くんに頭を下げた。


「君からそんな言葉が聞けるとは思わなかったよ」

「私もこんなこと言うつもりなかったけど! お世話になって、暴言吐けるわけないじゃない!」

 私はため息をついて、ベッドから立ち上がった。



「なんか今度お礼するよ……」

「ふーん……」

 浅野くんは顎に手を当てると、何かを思いついたように手を打った。


「じゃあ、休日一緒に出かけようか」

「ええ……」

 私の口から思わず不満が出る。浅野くんとふたりで出かけるの、疲れそう……。



「お礼してくれるんだろ?」

「はー……わかったよ、また連絡する」

 私はひらひらと手を振った。最近の中学生って、どこに遊びにいくのだろうか。めんどくさいし、浅野くんの行きたい場所でいいや。



「とりあえず朝食でも食べよう。お腹減っただろ?」

「いいの?」

「いいも何も、君は客だ。ほら」


 浅野くんはこちらに向かって手を伸ばした。私がその手を取ると、彼はスタスタと歩き始めた。



「手を繋ぐ意味は?」

「なに、エスコートさ」

 浅野くんは肩をすくめながら、そう答えた。紳士か。

 ダイニングには、既に食事が用意されていた。とても朝食とは思えない、豪華なものだ。いつもこんなもん食べてるのか、こいつ。



「おや、お目覚めかね」

「うわあっ!」

 いきなり声をかけられたので、驚いて声をあげてしまう。ゆっくりと後ろを振り返ると、そこには――。


「り、理事長……」

「席につきたまえ。朝食を食べようじゃないか」

 私は冷や汗をかきながら、椅子に座った。そうだよな、浅野くんは理事長の息子。と、なると、お父さんの理事長がこの家にいるのは当然だ。
 相変わらずこの理事長は、冷たい目をしている。その目で見られると、どうも落ち着かない。



「……昨晩は、泊めて頂いてありがとうございます」

「おや、珍しい言葉遣いだね」

 私が頭を下げてお礼を言うと、理事長は、先ほどの浅野くんのようなことを言い出した。


「さすがに助けてもらって乱暴な口きくのは……」

「普段からそうなら、まさしく模範生なのだがね」

「……私は、A組に行くつもりはないから」

「それは君が決めることじゃない。昨日も担任の申し出を断ったそうだね?」

 もうそこまで話がいったのか――。 私は理事長から目を逸らした。ずっと見ていると、威圧されているようで気分が悪くなる。……特に、自分の都合が悪いときは。



「一条さんの優秀さは耳に届いている。君のためにも、来年度からはA組に行ってもらう。これは決定事項だ」

 理事長の言葉に、私は息をついた。みんながE組に行ってしまった今、私がA組を断る意味はあるのだろうか。もちろん、理事長や浅野くんの意見には賛成できない。しかし、E組を差別しているのはA組だろうがD組だろうが変わらないわけで――。何だかもう、どうでもいい気分になっていた。


「……もう、わかったよ」

 私は諦めて、理事長にそう答えた。それを聞いた浅野くんが、目を輝かせる。


「蘭……!」

「どうせ他のクラスになったところで、誰も友達いないし……いいよ」

「よし、いい子だ」

「……ふん」

 理事長は満足げに頷いていたが、私は腕を組んで目を逸らした。こいつらの言いなりになるのは癪だが、私が頑張ればもしかしたら、E組の扱いが多少緩和されるかもしれない。――それに、浅野くん自体は嫌いじゃないし。こうしてお世話になったわけだし。……仕方ない。仕方ないんだ。



「蘭、本当に来るのかい?」

「何かとんでもないことを私がやらかさない限りは、そうなるね」

 朝食をご馳走になり、私はお暇することになった。いつまでも浅野家の世話になるわけにはいかない。その帰り際、浅野くんは訝しげに私に尋ねた。



「……楽しみにしてるよ」

「あっそ……」

 私は肩をすくめた。浅野くんは確かに嫌いではないけど、好きでもない。何故なら、一緒にいると疲れるからだ。ぶってるときは気持ち悪いし、素でいるときは面倒くさい。カルマくんも中々だが、それとは違うかったるさがある。まあ、多少は慣れてきたが――それなら、カルマくんの方がマシだ。


「そうそう。これ、あげる」

 そう彼が差し出したのは、シャープペンシルだった。パステルグリーンのシンプルなデザインだ。ワンポイントで花が描かれており、こういうのも癪だがオシャレだ。センスまでいいのか、こいつは。


「ふうん、結構可愛いじゃん」

「壊れたって言ってただろ? 昨日プレゼントしようと思って、買ってきたんだ」

 どうやらショッピングモールは、これを買うために出向いたらしい。浅野くんにしてはやけに世間じみしていると思ったが、そういう中学生らしいところは嫌いじゃない。それに、私との何気ない会話を覚えているのも、悪い気はしない。


「……ありがと、嬉しい」

 私はつい、素直にお礼を言ってしまった。……彼はこういうところが、狡い。どう頑張ったって、嫌いになんかなれないじゃないか。



 翌日学校に行くと、学年中が大騒ぎになっていた。いや、もしかしたら学校中かもしれない。私が浅野くんの家に泊まったことも、A組に行くことも、何もかもが伝わっていた。おーい、どういうことだよ。

 ミーハーなクラスメイトたちの質問攻めをのらりくらりとかわしていると、久々に前の担任の佐藤から呼び出しがかかった。あいつ、今更何の用なんだろう。

 進路相談室に出向くと、佐藤が待ち構えていた。前の言いつけ通り、ジュースが用意されている。オレンジジュースという選択肢はさておき、私は佐藤に促されたので仕方なく席に座ってやった。


「……本当に、A組に行くの?」

 どうやら佐藤の耳にも、噂が入ってきていたらしい。私はオレンジジュースの缶を開け、飲みながら答えた。


「いいよ、別に」

「……友達が、間近でいじめられてるのを見て、耐えられるのかって言ってるの」

 その佐藤の言葉に、私はジュースを飲む手を止めた。


「それは……」

「A組に行くのは、理事長の言う通り貴女にとって、とても良いこと。待遇面でも、勉強面でも。……だけどそれは、あくまで表面上の話」

 佐藤は私の目を真っ直ぐ見据えた。――こいつの目も、理事長とは違う意味で苦手だ。子どもみたいに、一点の曇りもなく、じいっと私を見つめる。どこか見透かされているようで、やっぱりいい気分はしない。


「貴女の心は? 貴女は本当に、A組に行きたいの? 友達がそばにいなくて、いいの?」

 私が何も答えられずにいると、佐藤は畳み掛けるように話を続けた。


「……浅野くんは貴女の友達には違いないわ。話を聞く限り、大切に思ってくれてる。でも、彼と貴女の考えは正反対。彼の近くにいたら、苦しむのは一条さんよ」

 その一言に、胸がずきんと痛む。――そうなのだ。いくら浅野くんが友達だとしても、私の目指しているものと浅野くんの目指しているものは全く違う。正反対と言っても、過言ではない。かたやE組の制度に反対し、全員平等を求める。かたやE組制度に賛成し、筆頭して差別をする。そんなふたりが一緒にいて、上手くやれるか――上手くやるためにはどちらかが感情を抑えなければならない。この場合は……私、だ。


「貴女のそれは逃げ。もしくは、全部諦めたとでも言うべきかしら。……一条さんらしくないと思うな。私は」

 私らしい、とはどういうことなのだろう。こういうのも何だが、私は自分らしさなんてもの、全然分かっちゃいない。諦めるのは私らしくない? それは私が何でもできるから? 
何でもできる、なんてただのまやかしだ。私はひとりじゃ何もできない。友達すら助けることのできない、役立たずだ。それなのに、こいつは……。私は佐藤を睨みつけた。しかし彼女は微動だにしない。


「……じゃあ、」

 その態度にカチンときて、私は彼女の肩を掴んだ。


「じゃあ! どうしろって言うのよ! 私ひとりでどう戦えって言うの!? E組の生徒の味方なんて、誰もいない! 私の味方……友達だって、もうここにはいないのに! 私なんて、本当は何も出来ないんだよ! なのに、どうしろって……!」

 私は佐藤の肩を思いっきり揺らした。自分自身がどうしたらいいのかなんて、とっくの昔にわからなくなっていた。糸がぷつんと切れたように、彼女に感情をぶつける。しかし、佐藤の表情はやっぱり変わらない。どこか困ったように笑いながら、私のことを見つめるだけだった。
私はやるせなくなり、肩を離して椅子に座り込んだ。もう、私には何も……。


「……味方がいないというのは、間違えよ」

 その言葉に、私は顔をあげた。



「ここにいるでしょう。ちゃーんとね」

 佐藤はにっと笑って、自分を指さした。その姿は大人というには幼かったが、私にはとても頼りがいがあるように見えた。こんな感覚久しぶりだ。絶対にもう呼ぶことのないと思っていたのに――。


「佐藤、先生……」

 私はぽろりと、そう呼んでしまった。小学校の中学年以来、教師をまともに呼んだことなんてなかった。私のことを真剣に考えてくれる教師なんて、いなかった。A組に行くな、なんて教師、いるわけがなかった。この先生は最初からずっと、私のことを……。


「……一条さん。貴女は、一体どうしたいの?」

 佐藤先生は私の手を握り、そう問いかけた。


「……E組の制度を、なくしたい。でも、それが無理なのはわかってる。それならせめて……」

 私はずっと心に閉まっていたことを、先生にぶちまけた。



「私がE組に行って、みんなを支えたい」

「はい、よく出来ました」

 そう言い切ると、佐藤先生は私の頭を撫でて微笑んだ。そのまま立ち上がり、くるりと背を向ける。


「勉強なんて、どこででも出来るの。大事なのは環境、つまり心の安定。貴女が1番落ち着ける場所は、きっとE組なんだね」

 先生は窓の景色を見ていた。方向は、E組の校舎がある方だ。もちろんここからは見えないが、先生自身も思うところがあるのだろう。


「でも、私はどうやったらE組に……」

「んもう、何のための先生だと思ってるの?」

 先生は私の方を振り返ると、くすくすと笑った。しかしすぐに、表情が真剣なものに変わる。今まで見たことのない先生の様子に、私は固唾を飲んだ。


「ようやく私の出番が、来たみたいだ」







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