E組と私C

 今日の数学の時間は、研究授業だ。理事長や校長、教頭など、普段あまり関わることのない大人たちが、授業の様子を見守っている。
 おかげで授業にあまり集中できず、私は少々苛立っていた。子どもやお年寄りならともかく、気持ち悪いおっさん共に見守られたって、何も嬉しくはない。まあ私たちの様子を見る、というより数学教師の教え方を見ているだけなのだが。不快なものは不快だ。
 ちなみに、その数学教師というのは――。


「はーい。だから、このxは2になるわけですねー」

 いつも通り、間抜けな声を出して授業をしていた。名は佐藤。私が初めて授業を乗りとったのも、こいつである。そして、そこの答えは2でははない。あまりの凡ミスに私はため息をつきながら、挙手をした。


「あら、どうしたの一条さん」

「そこ間違ってるんだけど。2じゃなくて、5でしょ。yの方と逆になってる。しっかりしなさいよ」

 その私の指摘に、佐藤は見る見るうちに顔色を青くさせ、教科書を見直した。やはり間違っていたようで、慌てて黒板を消して書き直した――のだが、突然こちらを睨みつけ、大粒の涙を目にためた。


「あ、貴女はいつもそうだわ……! 教師のことを小馬鹿にして、ちょっと間違えただけで揚げ足をとるんだもの! この前なんか、授業を乗っ取られて……もう、耐えられない!」

「だって、あんたの教え方が下手くそだから……」

「そんなことない! ちゃんと実績だって出てる。この学年の数学の成績、ちゃんも伸びてるもの! ねえ、学年主任?」

「えっ? あ、まあ……」

 突然話を振られた学年主任は、戸惑いつつも頷いた。どうやら成績が伸びているのは本当らしい。


「もう……もう、耐えられない。こんな無茶苦茶な生徒、教えることができないです!」

 佐藤な私を指さし、目をうるませた。


「一条さんを、E組に落としてください。そうじゃないと私、この学校辞めます」

 その佐藤の発言に、クラス中がざわめきだす。後ろにいたおっさんたちも「なんてことを……!」「そんなの無理に決まってるだろう」と怒声をあげている。そんな中理事長は平然とした様子で口元を歪めた。


「勝手に辞めればいい。 一条さんは優秀な生徒だ。もうA組に行くことも決まっているし、E組なんて以ての外だ。確かに佐藤先生。貴女も結果が出ている分ー優秀な教師であることには間違いないが……授業をこんな形で止める教師、こちらから願い下げですよ」

「いいえ、
これは大事な問題ですから。一条さんは他の教師に対しても、このように横暴な態度です。これを見過ごしたら、他の生徒にも悪影響を及ぼす。……いえ? 実際にもう出ているんじゃないかしら。だってこの子の友達はみんな、E組に行っているのだもの。これが悪影響でなかったら、何なんでしょうね?」

 先ほど泣きべそをかいていたのが嘘のように、佐藤は冷酷な表情でこちらを見つめた。騒いでいたクラスメイトも、理事長と佐藤の迫力に沈黙する。やはりこいつ、今まで猫かぶっていやがったな。


「そ、そんなことはどうでもいいんだ! 佐藤、お前理事長に逆らうとどうなるか……!」

「あら、貴方にそんな口聞かれる筋合いないわ。教頭センセ?」

 佐藤は微笑みながら、ハゲの教頭の言葉を遮った。その様子が恐ろしかったのは、私だけだろうか。


「もし、私の申し出が聞き入れられないなら……」

 数学の時間に何故用意されているか分からなかったプロジェクター。佐藤はその電源を入れ、教室の電気を消した。


「な……!」

 教頭は絶句し、画面を見つめる。そこには嫌がる佐藤のお尻を触る教頭の姿があった。写真は複数あるようで、胸やら首元やら、これでもマシな写真を選んできたんだろうが、目を背けたくなるようなおぞましい画像が次々と映される。再びクラス中がざわめき出した。


「う、うそ……」

「気持ち悪い!」

「あの、教頭先生が……?」

「こら、お前たち!」

 後ろのおっさんたちが慌て様子でプロジェクターの電源を消したり、私たちを宥めたりしていたが、全て逆効果である。あんなものを見せつけられて、落ち着けるはずがなかった。


「こ、こんなの、で、でたらめ……」

『まゆみちゃ〜ん、今日ホテルに行こうよぉ。大丈夫、気持ちよくしてあげるからさぁ……何?いやだ?馬鹿言ってんじゃないよぉ、出世したいんでしょお?じゃあ僕ちんの言うこと聞かないとねぇ……』

 佐藤は畳み掛けるように、無言でボイスレコーダーの音声を流す。下品な会話に、汚らしい声。このハゲに間違いはない。教頭はついに、床に膝をついた。


「これをマスコミ各社に送ったら、どうなるんでしょうねぇ。おっと、圧をかけても無駄ですよ。私も強力なパイプを持っているので。いくら理事長のようなお方でも、絶対に止められません」

 俗に言うセクハラに、佐藤は今までずっと耐えてきたのだろう。どこかすっきりした表情でそう言い放つ彼女に、私は何も言うことができなかった。


「はっ……」

 すると突然、理事長が声をあげた。思わず、後ろを振り返る。


「はっはっはっはっはっ!」

 高らかに笑い出した理事長を、私たちは呆気にとられて見つめた。


「いやあ……ここまで用意周到に準備しているとは思わなかったよ、佐藤先生。そうだね、今回は私の負けだろう。でも、逆に確信しました。貴女を雇って正解だったと。この学校には、貴女のような教師が必要だ。
教頭は今日限りで免職。一条さんも、E組への転級願いを出そう。確かに、今までの行動は素行がいいとは言えない。最も、彼女の成績ならすぐに抜け出せるでしょうが……」

 理事長はつらつらと述べながら私の方を見る。ついでのようにクビを命じられた教頭は、この世の終わりのような顔をしていた。
 私が理事長を睨み返すと、奴は目を細めた。気持ち悪い。



「それはまあ、置いておきましょう。さあ、事は片付きました。授業の続きを」

「ま、待ってください、理事長! わたしは、私はあああああ!」

 目から鼻から口から、色々な液体を出しながら足元にすがり付く教頭を、理事長は見ようともせず、携帯を取り出した。


「もしもし、私の場所はわかっているな? 至急この教室に来て、不審者を外に出してくれ」

「り、理事長……理事長おおおおおお!」

 教頭はあっという間に追い出され、その後何事もなかったように授業は続けられる。他のおっさんたちは何とも言えない表情をしていたが、理事長は涼しい表情だ。そして、こんな空間で授業をし続けられる佐藤も、中々の根性をしている。
――こうして私は、授業の50分の間に、E組行きが決まったのだった。


 そもそも、佐藤先生が何故こんなことをしでかしたか。事は相談室での作戦会議まで遡る。今日の一連の出来事は、全て佐藤先生が仕組んだものだ。私は事前に説明を受け、その通り動いた。


「でも、よくこんなの……取っといたね。あんた大丈夫なの?」

「私、教師の前は警察やってたの。こういう物証を取るのは得意よ。これでもエリートだったんだからね? 先生、とっても優秀だったの」

「へえ……意外」

 私は佐藤先生の過去に、率直にそう述べた。


「教頭が気持ち悪くて何度背負い投げしようと思ったことか……。本当はもっと早くおさらばしようと思ってたんだけど、写真や音声は多い方がいいから。あ、動画もあるのよ。気持ち悪すぎて見せられないけど」

「……先生って、結構すごい人?」

「どうだろう。何とか持ち直したけど、最初は授業も下手っぴだったし。私は、一条さんの方がすごいと思うよ。その才能と感性は、大切にした方がいい」

 佐藤は私に笑いかけた。確かに授業はあまり上手くはなかった。でも、こうやって私に真摯に向き合ってくれるところを見ると、教師には向いているのではないかな、と思う。もちろん教えるのが上手いに越したことはないが、私はそれよりも、生徒に寄り添ってくれるような先生がいい。……佐藤先生みたいな先生に、もっと早く出会いたかった。

 しかしこの作戦をとると、私と佐藤先生は相性最悪で仲違いをしている、ということになる。実行したら関われなくなるので、事前にお別れを済ました。


「寂しくなるわね。ほとぼりが冷めたら、顔見せに来てちょうだい」

「何よ、それならあんたが来ればいいじゃん。あの校舎なら本校舎の人たちなんて来ないよ」

「……それもそっか」

 佐藤は納得したように頷くと、私の手を握った。


「向こうでも頑張ってね、一条さん。先生、ずっと応援してるから」

「……うん、ありがとう。佐藤先生」

 後押ししてくれた先生のためにも、私が友人たちを支えていかないと。








「蘭!」

「浅野くん……」

 私のクラスの騒ぎを聞きつけたらしい浅野くんは、放課後になるやいなや、教室まで飛んできた。クラスメイトたちが注目しているにも関わらず、私の腕を掴み、外へと連れ出した。人気のない廊下にたどり着いたところで、ようやく手を離される。


「なんで、よりにもよってE組なんかに! そんなの、あの数学教師の陰謀じゃないか! 僕は君と、この学校を……!」

「……ごめんね」

 私は小さな声で謝った。彼は目を見開いて、こちらを見つめる。


「やっぱり私は、貴方とは違う。一緒に手を取り合うことは、できないよ」

「蘭……」

「それでも私は浅野くんのこと、嫌いになれない。A組とE組じゃあ、もう関わることなんてないだろうけど……でも、」

「……関係ない」

 私の言葉を遮り、浅野くんは首を振った。


「関係ないさ、そんなの。A組の蘭だろうが、E組の蘭だろうが、そんなのいいんだ、どうでも。だって僕は、蘭が、君自身が……」

 何かを言いかけた浅野くんだったが、思うところがあったようで口を閉ざす。そして気を取り直すと、こう言った。


「……友達、だと思ってるから」

「……ありがとう。私も、友達だと思ってる。私といるときの浅野くん、年相応の感じがして、好きだよ

 私はくるりと背を向けて、浅野くんにそう伝えた。普段素直になれない……なってはいけない分、自分の気持ちを伝えるのは小恥ずかしい。


「……春休み。前の約束通り、遊びにいってあげる。それで私たちは、最後だ。
A組の浅野くんは、E組の一条蘭に肩入れしちゃいけない。貴方が椚ヶ丘中生徒会長の浅野学秀である限り、私と一緒にいてはいけない。……そうでしょ?」

「……蘭」

 私は振り返り、浅野くんに笑いかけた。


「じゃあ、またね。……学秀くん」

 今度こそ、戻れない。もう仲良くすることは出来ないかもしれないけど――私は、私の正義を通したい。E組なんて間違っている。絶対、分からせてみせる。……友達である、貴方のためにも。





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