E組と私A
「蘭、ごめんね……」
泣きそうな表情で、一枚の紙を握る渚くん。――その紙はもちろん、E組行きへの通知書だ。
「謝らなくていいんだよ。渚くんは私の大切な友達。他のクラスメイトとは違う」
渚くんにE組行きへの通知書が渡された途端、クラスメイトの態度は一変した。中にはアドレスを消すなどと喚いている奴もいたが、締めあげた後、こちらからアドレスを消しておいた。――そんなの、友達でも何でもない。
「私こそ、出しゃばった真似してごめん」
「ああ、蘭が強くて驚いたけど……ちょっとスッキリした。ありがとう」
先ほどとは違う、いつもの笑顔の渚くんに、私は頷いた。やっぱり彼には笑顔が似合う。
「私の友達も、何人かE組に行くんだ。仲良くしてあげてね」
「蘭の友達か……」
渚くんは腕組みをすると、こう聞いた。
「男子もいるの? 千葉くんと、あとは?」
「磯貝悠馬くんって子。学級委員をやってて、とても格好良いんだよ。すごく優しくて、みんなから好かれてる」
「……蘭も、その子のこと好きなの?」
渚くんは怪訝そうな様子で私に問いかける。
「そりゃ好きだけど、友達としてかな。私、初恋もまだだし」
これは恥ずかしいから内緒ね、と口の前に人差し指を立てる。格好良い子にドキドキしたり、可愛い子にキュンとしたりするけれど、この気持ちはきっと、恋未満のもの。本当に人を好きになったら、私はどうなってしまうのだろう。友達とは違う好きって、何なのだろう。
「……そうなんだ」
「うん」
私の返事に、渚くんは満足そうに頷いていた。
「……なら、チャンスはあるわけだ」
「え?」
「何でもないよ」
いつになく不敵に笑う渚くんに、私は首を傾げた。何か面白いこと言ったっけな……?
「来年は一緒のクラスになれないけど……蘭がいるなら、僕は大丈夫だよ」
大丈夫――何度も聞いたその言葉に、心が揺れ動く。それは、本心かもしれないけれど、そうではない。彼は――彼らは、自分に、私に、そう言い聞かせているのだ。
「お互い、頑張ろうね」
「……うん」
渚くんが握ってくれた手を、そっと握り返す。私は本当に、本校舎で頑張れるのだろうか。
その数日後。通知音が鳴ったので携帯を見ると、面倒くさいチャットがきていた。
『中学最後の年くらい、蘭と一緒のクラスが良いんだ。そろそろクラス移動の打診が担任から来るはず。受け入れては貰えないだろうか?』
「はあ……」
定期的に連絡はくるものの、この類いのものは正直無視したい。しかし、無視したらしたでこれまた面倒なことになるので、一応返事をする。
『あら?クラス移動というのはE組へのものかしら?浅野くん、何しちゃったの?大丈夫?』
少々煽った文章を送ると、秒で返事がきた。どうやらずっと画面を見ていたらしい。
『じゃあ、いい返事待ってるからな』
「会話しろや!」
思わず鋭くツッコミをいれる。一体何なんだこいつは。だから美少年でも奴は嫌いなんだ。
「どうしたの、蘭。スマホに向かって叫んじゃって」
不意に肩を組まれ、話しかけられる。――もう唯一となった、同じクラスになれるかもしれない友人。
「……カルマくん」
「元気ないね。ほら、これでも飲みなよ」
そう言うとカルマくんは、私に乳酸飲料を渡してきた。
「まーた子ども扱いしてる」
「でも、好きでしょ?」
「……まあね。ありがとう」
私はカルマくんから飲み物を受け取った。こういう気遣いをさり気なくしてくれる彼に、荒れ切った心が癒される。
「で、何があったの?」
私はひと息ついて、一連の出来事を説明した。
「……この時期って、担任や生徒会長さんが私をA組に推薦してくるんだよ。昨年もあったし」
「蘭、先生に態度悪いの以外は特に問題起こさないもんねえ」
カルマくんは頷きながらそう言った。
「でも私は、A組なんて行きたくない。……カルマくんと同じクラスがいいの」
「蘭……」
私は床へ目を伏せて、小さく呟いた。カルマくんが、心配そうに私の名前を呼ぶ。私の頭をぽんぽんと撫でると、こう質問した。
「……友達、みんなE組に行っちゃったんだって?」
私は無言で頷いた。――みんな、私から離れていってしまった。
「……そっか。渚くんも行っちゃうしね」
カルマくんは寂しそうに笑った。彼もやはり、思うところがあるのだろうか。
「前はどうやってA組断ったの?」
「担任の先生に行きたくないって言ったら、上手い具合にやってくれた」
「それじゃあ今回も、俺たちの担任に相談してみたら?」
「……大野に?」
私はカルマくんの提案に、眉を歪ませた。
「昨年もそうしたんでしょ? それに、あの先生は俺のこといつも庇ってくれるし、味方してくれる。蘭にだって、そうしてるじゃん」
「……それは、そうだけど。あまり過信しない方がいいよ。ここの先生は」
大野は、私たちの成績が良いから、そう接しているだけだ。カルマくんが問題を起こしても、私の態度が最高に悪くても、一切怒らない。――ただ、私たちの成績が下がるなど、大野にとって不利益なことをしたら、簡単に見捨てるだろう。あいつは絶対、そういう奴だ。……ああいう大人は、一番嫌いだ。
「大丈夫だって。とりあえず言ってみた方がいいよ」
カルマくんはそう言うと、私に背を向けてこう呟いた。
「……俺も、蘭と同じクラスに行きたいし」
「カルマくん……」
あいつにお願いするのは、癪に障るが、カルマくんのためなら仕方ない――か。私も、A組に行くのはごめんだ。
「……うん。分かった」
私が返事をすると、カルマくんは振り返り、満足そうに頷いた。
その日の帰り道のこと。途中の路地裏で、何やらケンカをしていた。
遠目だとよく分からないので、ゆっくりと近づいていく。
どうやら同じ学校の生徒たちがやり合っているらしい。――いや、でもあれは……。
「……一方的にやられてる?」
「……みたいだね」
「全く、何やってんだか!」
私が駆け寄ろうとすると、カルマくんがそれを制止した。
「ここは俺に任せて」
カルマくんはそう言うと、私の肩をぽんと叩き、路地裏へ向かっていった。
「ひとりで行かないで、私も……!」
「あれくらいなら余裕だよー」
彼はいつもと同じ、ひょうひょうとした様子で手を振る。
その間にも、リンチは激化していく。加害者のクソメガネが、被害者の生徒に殴りかかろうとした。
「危ない!」
間一髪のところで、カルマくんが受け止める。私はほっと息をついた。
その後は早かった。あっという間にカルマくんは、クソメガネを片付けていく。
「お、お前! 何を……!?」
普段のケンカはともかく、今回の件は正当防衛である。こんな程度の低いリンチがあるなんて、うちの学校はどうなっているんだか……。
すると、カルマくんが更にクソメガネを痛めつけようとするので、急いで間に入る。
「だー! オーバーキル、オーバーキル!」
「ええ……? でも」
「でもじゃないって!」
私はクソメガネを振り返ると、こう促した。
「ほら、早く行きなよ。死にたくなければ!」
「ひ、ひえええええ!」
その言葉を聞いたクソメガネは、一目散に逃げていった。人間は命の危機に瀕すると、いくらボロボロになっても早く走れるようだ。良い勉強になった。
「なんで止めたの?」
「向こうが悪くても、やり過ぎたら罪に問われるの。……まあそれを言うならもっと早く止めるべきだったんだけど」
私は頬をかいてカルマくんの方を向いた。
「……私も、ちょっとムカついてたから」
「さっすが蘭」
その答えに、カルマくんはにやりと笑った。
足元を見ると、生徒手帳が落ちていたので、それを拾ってハンカチと共に渡す。
「はい、どうぞ。大丈夫?」
「あ、ありがとう……」
その様子を見ていたカルマくんが、先輩の生徒手帳を覗き込んだ。
「3-E……あのE組? 大変だね、そんなことで因縁つけられて」
「本当嫌になるよ、この学校には」
私はため息をついた。E組になった生徒は人間以下という考え、いい加減に捨てて欲しい。こんなことをする方が、よっぽど人間ではない。
「先輩、大丈夫? 手貸そうか?」
私が手を伸ばすと、先輩は首を横に振った。
「あの、ハンカチ……」
「あげるよ、傷ひどいし。お大事にね」
「今度から用心した方がいいよー」
少し心配が残るが、私たちはその場から去った。とりあえずは動けるようなので、家には帰れるだろう。
「……やっぱりあの学校、嫌いだ」
「……俺も、好きじゃないかな」
私の呟きに、カルマくんが頷く。――いつまで私は、この学校のしがらみに縛られるのだろうか。早くこんな学校、卒業してしまいたい。
その翌日。カルマくんと私は、職員室に呼び出された。
「昨日のことかな……」
「大丈夫だよ。あの先生なら、わかってくれる」
「……そうだといいんだけど」
職員室に向かいながら、カルマくんと会話をする。怒られるか、褒められるか、はたまた……。
扉の前に立ち、軽くノックをする。流石の私も、職員室に入る際は緊張する。特に、昨日のような出来事の後は。
大野の席まで行くと、その後ろに、昨日のクソメガネがいた。結構な大怪我をしたようだ。そりゃそうだろうな。
「……来てあげたけど」
私は大野を睨みつけながらそう言った。
「何で呼ばれたかはわかってるな?」
「昨日のことでしょ? あれは……」
「何てことしてくれたんだ、赤羽!」
カルマくんが説明するや否や、大野の大声で怒鳴る。予想外の反応に、カルマくんの目が大きく見開く。――ああ、やっぱりこいつは……。
「うん? 俺が正しいよ。いじめられている先輩助けて何が悪いの?」
「いいや赤羽。どう見てもおまえが悪い」
その大野の言葉に、カルマくんは言葉を失った。
「なんで……」
「頭おかしいのかお前! 3年トップの優等生に重症を負わすとは! E組なんぞの肩を持って未来ある者を傷つけた……。彼の受験に影響が出たら、俺の責任になるんだぞ」
生徒の意見を聞こうともしない、横暴な判断。成績の良い生徒だけを可愛がる、不平等。自分のクラスの生徒ですら、守ろうとしない。こいつは一体、なぜ教師をやっているのだろう。
「おまえは成績だけは正しかった。だからいつも庇ってやったが、俺の評価に傷がつくなら話は別だ」
カルマくんの目がすうっと冷静になっていく。――いや、そう見えるだけで、彼の感情は今にも爆発しそうだ。
「あんた、ちょっと良い加減に……」
「俺の方からおまえの転級を申し出たよ。おめでとう赤羽くん。君も3年からE組行きだ」
私の制止も全く聞かず、奴は話を続け、トドメの一言を言い放った。
その瞬間、なにかの糸が切れたように、カルマくんが暴れだした。辺りのものを全て投げ、大野の周りをめちゃくちゃにしていく。奴はビビってその場から一歩も動けなかった。
そしてカルマくんは、黙って職員室を出ていった。
「ひ、ひい……!」
「カルマくん!」
震えている大野をどかし、私はカルマくんを追いかけようとした。
「ま、待て、一条!」
奴に呼び止められ、仕方なく振り返る。
「……なに?」
「ちょっと時間をくれ……」
大野はそう言うと、深呼吸を何回かした。生徒に脅かされるとは、情けない奴だ。
「……ふう。彼から一条が止めたと言うのは聞いたよ。よくやったな」
「はあ? どこに目つけてんだよハゲ!」
「は、ハゲぇ!?」
大野は自分の頭を触り確かめると、微妙な表情をしてこちらを向き直した。
「ま、まあいい……。一条を呼び出したのはこの件のことだけじゃない。実は、A組へのクラス移動願がここに」
「行くわけねえだろ、おっさん」
「お、おっさんって……」
大野の言葉を遮り、キッパリと断る。生徒の嘘も、本当の気持ちも分からないような奴の言うことなんて、絶対に聞かない。そもそも、A組に行くつもりは、さらさらない。
「話はそれだけ? 私も暇じゃないの、じゃあね」
「お、おい、こら! 一条! 待ちなさい!」
私は大野を無視して、職員室を出ていった。1回待ってやったんだから、これ以上待つ必要なんてない。
それよりも早く、カルマくんを探さなければ――。
カルマくんに電話やチャットを送ってみたが、全く反応がない。学校中探してみても、全然見当たらない。もしかしてと思い、教室に戻って確かめたが、鞄はあったので、恐らくまだ校内にはいるはずだ。
「あとは……」
私は心当たりのある場所へ、足早に向かった。
この学校の屋上は、現代にしては珍しく解放されている。そこから眺める景色はとても綺麗で、この学校の唯一の良いところと言っていいだろう。何か辛いことがあったり、嫌なことがあったときに見ると、効果テキメンだ。つまり――。
「カルマくん、みっけ」
「蘭……」
それは、彼も同じ。カルマくんは屋上のベンチに腰掛け、景色をじっと眺めていた。彼の隣に座ると、ぽつりと話し始めた。
「……蘭の言う通りだったよ。あいつは、信じちゃいけなかった」
「気にしないで。悪いのはあいつなんだから」
カルマくんに微笑みかけると、彼は小さく頷いた。いつもの元気は見られない。
「……渚くんに、蘭をよろしくって言われたんだけどな」
その言葉に、私の心臓がドクンと鳴る。――カルマくんもE組に行くということは、私にはもう、本校舎での友人はいない。……私のことを考えてくれる人は、ひとりもいない。
「……ごめんね、蘭」
そうカルマくんが謝ってきたので、首を横に振った。1番辛いのは彼なのだから、私が嘆いてはならない。
「大丈夫だよ。カルマくんも、E組で頑張って。時々、顔見に行くからさ」
「……サンキュー」
カルマくんはそう言うと、私のことを抱き寄せた。
「か、カルマくん……?」
「……ひとりにさせて、ごめん」
その言葉に、体がぴくりと反応する。彼は、気づいていたのか。
「……大丈夫、だよ」
――多分私は、有希ちゃんや悠馬くんたちと、同じ顔をしていたのだと思う。
カルマくんと別れた帰り道。私はひとりでゆっくりと歩を進めていた。
「蘭……?」
聞き覚えがある声に振り向くと、そこには浅野くんがいた。彼と帰る方向は、真逆のはずだ。――と、その前に格好が私服なので、一回帰宅したのだろう。
「……何でここに?」
「少し用事があって、こちらの方面に来てたんだ」
その言葉は嘘じゃないらしい。彼は紙袋を手に持っていた。この辺りにある、ショッピングモールのものだろうか。
「……何があった?」
私の顔を覗き込んだ途端、浅野くんはそのようなことを言い出した。
「別に、何も……」
「何もないのに、そんな表情するわけない」
浅野くんは、心配そうに私の手を握る。
「今にも泣きそうだぞ、お前……」
「え……?」
その瞬間、私の目からポロポロと涙が溢れた。
「蘭……!」
「馬鹿……。そんなこと、言わないでよ……」
私は涙を拭いながら。顔を伏せた。自分で思っていた以上に、今回の件が心にきていたらしい。涙が溢れて、止まらなかった。
「ほら、擦るな……」
浅野くんはポケットからハンカチを取り出し、私の目を優しく拭った。――色々な感情が私の中から溢れ出す。
「……優しくしないで」
浅野くんは困ったように笑うと、私のことをそっと抱きしめた。
「それは無理な相談だよ、蘭」
「……大嫌い」
私はそう言って、浅野くんの背に手を回した。
「浅野くんなんて……大嫌い……」
力を込めて、浅野くんのことを抱き返す。――嫌いだけど、嫌いじゃない。A組だけど、E組のことを見下してるけど、友人たちの敵だけど、嫌いじゃない。私が嫌いなのは……彼を嫌いになれない、私自身だ。辛いのは彼らなのに、心配をかけてしまう、私が嫌いだ。弱っちい私が……大嫌いだ。
浅野くんは何も言わず、私の背中を撫で続けた。――そういうところが、狡い。
私は一体、どうしたらいいのだろう。彼の体温を感じながら、意識が遠のいていった。