05



 雨の日だった。
「これは雨降り花っていうんだって」
 摘むと雨が降るから雨降り。そのまんまだ。
「あなたは花の情緒ってものが分からないの?」
 そんなの分かんないに決まっていた。もう雨は降ってるのに、これから雨が降る話をされてもねえ。



 朝は湿気ていた。じっとりと空気が重たい。はるか頭上の空にすっぽりと雲の蓋がはまっていて、その影に家ごと包まれているみたいだ。
 反対に、玄関から見る町は今日もごみごみと賑やかで、人も犬猫も、植物だって、同じ雨を受けてるくせに、この家とは別の光の下で生きてるように思える。そこへこれから、雲の蓋をすり抜けて出て行かなきゃならない。
 盾のように、傘を差す。背中はコートで、守っていることにする。だけど、あんまり頼れそうもないなあ、なんて。
 襟をちょっと引っ張って、笑みの浮かぶ口元を隠した。どうしても隠さなきゃいけないものではないけれど、つい。
 揺れる傘の、つっぱった布の上で雨粒が弾ける。透明な粒が、砕ける度に音がする。気持ちのいい音だった。また唇が緩んだけれど、今度は隠しはしなかった。
 ぱつん、ぽつん、と、繰り返す音はなにかの呼び声みたいだった。一度そんな空想をすると、もうそれが本当のことみたいに思えてきて、ふいっと肩越し、振り返る。
「…………」
 当たり前だ。そこにはなんにもいなかった。雨は変わらず、何かを呼ぶように降り続けていた。

 その日は一日、雨音が呼び声のようにつきまとった。冷たい水に、ずっと背中から呼びかけられながら一人きり。
 その声に答えることもなく、くるりと傘を回す。傾いた布の滑り台を、幾筋もの水が流れ落ちていく。わずかな反動を最後に傘が止まると、またその上に水が溜まっていく。
 雨は変わらずぱたぱたとやかましいが、雲の向こうから夕方の日差しが透けていた。これより西には雲がないのかもしれない。そうしたら、明日は今日とは違う天気になるだろう。
 そんな期待を乗せて日が沈む。星はさすがに見えなかった。
 夜が来たと、分かっているくせに時計を見る。思った通りの時間だった。仕事が終わった実感というのは、案外こういうところにあるようだ。
 玄関を開けると、朝のままの湿気が足元から立ち上ってきた。傘を閉じると、ぼたぼたと大きく膨れた水滴が床を濡らす。傘は壁に預けて、コートに滲みこまずに貼りついた水を軽く払った。ドアを閉めれば、人のいない建物はしんと静かになる。
 その沈黙を、かちゃりと鍵が破ろうとして、ふと。
 傘の先から、滲むように広がっていく水たまり。じっと見ていると、遠い雨の日のことが思い出された。
 雨降り花、だっけか。摘んだら雨を降らす花。背中から呼びかけるような雨脚。
 振り切るように、顔を上げた。緩く頭を振って、穏やかな血のめぐりを感じる。かちゃりと、今度こそ静寂を鍵で破って、せっかく上げた頭をまたうつむかせて、廊下に上がる。
 雨音が聞こえないから、明日までに止む強さかどうかは分からなかった。



13'10/6 皇 巫琴


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