09


 それはとても静かに。周りの音を吸い込んで。
 誰の為に花は咲くのか?
 誰の為に雨は降るのか?
 雨は、何故、泣くのだろうか。

「雨降り花、だなんて……とても粋な名前なこと。」

 その花を摘めば、雨が降るという。
 静寂に濡れる一輪の花――ならば試しに手折ってみようか。衝動が体を麻痺させる。
 行き場のない衝動を抑えるように。
「なぜ笑っているんです?」
 ――笑っている? この私が? 何故?
「まあ、貴方には到底解りませんよね。この素晴らしい情緒が……もっとも、判ろうという気もさらさらないことでしょう、ねえ。」
 どうやら私の態度に機嫌を損ねたようだった。私に一瞥くれ花を撫でる彼女は、まるで幻のように。
 雨に溶けていくように、静かに、どこか哀愁を漂わせて呟く。
 肩に落ちる濡れ髪が、彼女の儚さを無慈悲に私に思い知らせる。

「雨は、誰の為に泣くのでしょう……。」

 彼女の繊細な指を、じっと佇んで見ていたかった。
 雨はしとしとと、相も変わらず私達を濡らしていく。


 * * *


 重苦しい空気。部屋の窓は閉め切ったまま。
 やっとつい先ほど、体をもたげてカーテンを開けたのだが、あまりの気だるさにまた定位置へと戻ってしまった。
 雨が窓をノックする様を、私はただただベッドに横たわり眺める。――否。ただただ、目に映るままに。
 憂鬱、というのは、こういう日のことをいうのだろう。
 激しく音を立てて屋根が窓が家全てが鳴き声をあげる。夕暮れと錯覚するような薄暗い空。

 ようやく体を起こし、窓の傍に立つ。
 春の花々のようだ、と。柄にもなくロマンチックなことを考えたりして。
「……馬鹿馬鹿しい。」
 傘の中の彼らの足取りは、私の憂鬱なんて露知らず。とても軽い。
 踊る傘は、さながら風に揺れる花弁――。
「馬鹿馬鹿しい。」
 もう一度、溜息と共に毒吐く。愛用のコートを羽織り、傘を掴む。
 直後、私は扉を開けて憂鬱の中へと足を踏み出すのだろう。

 溜息は、最後に部屋を灰色に染め上げた。


 同じ調子で傘を叩く雨音。かじかんだ手で、さっと傘を揺らし露をはらう。
 どうやら風が強くなってきた。このままでは雨足も強まるだろう。
 このコートはお気に入りなのだ。あまり濡れてほしくはない。
――ならどうしてわざわざ雨の日に着てきたのだろう……。
 答えは決まっている。どうせ、憂鬱な気分をコートに晴らしてもらおうと思ったのだ。
 そんなことで気分が晴れるなら、世界はこんなにも生きづらくなんかないのに。
 自嘲。いつの間にか癖になってしまったそれを隠すように、コートの襟を立て足早に仕事場へと向かう。
 コートが憂鬱に染まってしまう、その前に。

 例えば雨が歌に聴こえるだとか、今日はとにかくやたらとロマンチックな思考らしい。
 気分はこんなにもブルーなのに。
 そういえばブルーという色には、「慈愛」という意味が込められているらしい。
 今の私はブルーであると共に、ブルーに溢れているというのか。
「馬鹿馬鹿しい。」
 自嘲ではなく、なんだかとても可笑しくて可笑しくて。
 ああ、なんだか楽しくなってきた。
 雨音は先ほどからご機嫌なハーモニーを奏でている。
 リズム。弾ける。メロディ。
 誰かが歌っているような気がして、何気なく振り返る。
 もちろん誰も歌ってなどいない。街中で、往来の中で突如歌う者など、余程の変わり者だ。
 街の雑踏が、広がっていた。各々に無機質に無意識に無感情に無表情で歩く姿。
 彼らは一体、何を思い歌声の中を彷徨うのだろう。
――なあ、教えてくれよ。
 たんとん、たんとん。雨だけが私のブルーを掻き立てていく。


 *  *  *


 雨は人を取り込む。孤独にさせる。

 帰路につく頃には、雨は朝よりも激しく、慈愛すら流してしまったようだ。
 いつ止むのだろう……。そう見上げた空。灰色の厚い雲の上、西の彼方に、ほのかな光を見た。
 雨の中から見る夕日というのも、粋なものだ。
 憂鬱な気分で憂鬱な仕事から開放された喜びが、心を綺麗にしてくれたらしい。
 街灯が明るく照らされる。
 世界が幸せになる時間がやってくる。
 これから世界中の人々が自分の居場所へ戻り、この憂鬱を脱ぎ捨てるのだろう。
 
 すっかり見慣れた扉を開く。飽きるほどの日常へと戻ろう。
 部屋の中は空気が淀み、晴れ晴れとした心は何処へ。
 適当に玄関ポーチへ傘を立てかけ、コートの露を無造作にはらう。
 あっという間に、足元は灰色の湖と化す。
 静寂。寂寞。
 どうして人は、静けさに寂しさを感じるのだろうか。
 ロックをかけようと扉の鍵に手を触れる。刹那、視界の隅に映る濡れた傘と水溜り。
 何故だか何かが引っかかり、私はその様に釘付けになった。
「――花。」
 じわりと広がっていく水溜りは、まるでゆっくりと花弁を開く花のように。
「雨降り、花……。」
 幽かな記憶。微睡むような追憶。

『――貴方は、わかるかしら?』

 いつかの雨。脳裏に蘇る声。刺々しくも、優しく慈愛に満ちた、澄んだ声。

 懐かしみを感じ、胸が熱くなる。
 頭を降り追憶を露と共に振り払う。馬鹿馬鹿しい。今日はどうにかしてしまっている。
 激しい雨音が、扉越しに聞こえてくる。
 顔を上げると、廊下の先、寝室のカーテンが開きっぱなしなのが目に付いた。
 そうだ、カーテンを閉めて出るのを忘れていた。さほど問題もないわけだが。
 カーテンに手をかけ、もう一度だけ街の灯りを見下ろしてみる。
 家々の暖かな光が虚しさを引き立てた。


 もしも。
 あの時、あの花を手折っていたら。
 雨は泣いただろうか。
――雨は、誰の為に降るのだろう?
 手折られた花の苦しみを励ますのか。
 散りゆく花に思いを寄せる、彼女に慈愛を。
 それとも、衝動に従った私を罰するつもりか。
 
 カーテンを閉める。遠ざかる雨音。
 明日の朝には、雨は去るだろうか。

 目を閉じて。追憶を、どうか流しておくれ。


10/24 アヤスガサキモリ

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