愛 | ナノ
 騎士団会議が終わり、皆が各々立ち上がる。報告を終えたセブルスは用はないとばかりにすぐさまドアに向かい、それを見ていたシルヴィアは慌てて彼を追った。陰気で埃っぽい屋敷の中を、セブルスは足早に歩いていく。その後ろ姿に声をかけた。
「夕食、食べていかないの?」
 立ち止まったセブルスは、くるりとこちらを向いた。
「モリーの手伝いをしようと思ってるの。腕によりをかけて……」
「調合薬の材料も、等分に切れない君がかね?」
 セブルスの言葉に、シルヴィアは肩をすくめる。そして、ドアノブに手をかけた彼にこう言った。
「気を付けて、セブルス」
「……ああ、君もな」
 扉が閉まり、セブルスは出ていった。セブルスの任務は、闇の陣営の密偵。ホグワーツの教師を務めている今、再びデスイーターにすんなりと戻ることはできなかっただろう。皆危険な任務に就いているが、セブルスの任務はその比ではない。例のあの人には騎士団のスパイとして話しているのだろうが、彼が実はこちら側だったと知ったとき――セブルスの命はない。
 ぼんやりと扉を見つめていたシルヴィアは、後ろから聞こえてきたざわめきに、扉の脇へと退いた。団員たちが扉から出ていく。
 騎士団員との顔合わせが行われたのは、つい先日だった。中にはオーラーであるキングズリー・シャックルボルトや、去年トランクの中から見つかった本物のムーディがいた。シルヴィアは初対面の彼らと握手をし、旧知の仲であるアーサー・ウィーズリーやリーマスと抱擁を交わした。
 騎士団員の中で、もっとも危なっかしい人物と言えばトンクスだった。彼女と会って数日しか経たないが、トンクスはおっちょこちょいなのだとシルヴィアは認識していた。もちろん彼女の七変化も明るい性格も魅力的なのだが、その慎重さに欠けるという点は、危険な欠点に思えた。
 だから、錠前をかけ終わり、トンクスが傘立ての方へ歩いていくのが見えたとき、嫌な予感がした。シルヴィアは囁くように言った。
「トンクス、お願いだから傘立てに気を付けて――」
 遅かった。トンクスが倒れると同時に、カーテンが開いた。
「ごめん! これで二度目――」
 あとの言葉は、耳を裂くような、恐ろしい叫び声に呑み込まれてしまった。肖像画の老女――ブラックの母親は涎を垂らし、白目を剥き、叫んでいるせいで、黄ばんだ顔の皮膚が引きつっていた。ホール全体に掛かっている他の肖像画も目を覚まして叫び出した。あまりの騒音に、シルヴィアたちは片手で耳を塞ぎながらカーテンを引き、老女を閉め込めようとした。しかし、カーテンは閉まらず、ブラックの母親はますます鋭い叫びをあげて、顔を引き裂こうとするかのように、その長い爪を振り回した。
「穢らわしいクズども! 雑種、異形、でき損ないども、ここから立ち去れ! わが祖先の館を、よくも汚してくれたな――」
 ブラックの母親には生前にも会ったことがあったが、これほど嫌悪を示すとは思っていなかった。最初は怒鳴る彼女を見て、唖然としたものだ。
 トンクスは何度も何度も謝りながら、巨大なトロールの足の傘立てを引きずって立て直していた。モリーとシルヴィアはカーテンを閉めることを諦め、ホールを駆け廻って、他の肖像画に失神術をかけていった。すると、ブラックが飛び出して来た。
「黙れ。この鬼ババア、黙るんだ!」
 ブラックは、カーテンを掴んで吼えた。母親の顔が、血の気を失った。
「このォォ! 血を裏切る者よ、忌まわしや、わが骨肉の恥!」
「聞こえないのか――黙れ!」
 ブラックはリーマスと二人掛かりで、ようやくカーテンを元のように閉じた。叫びが消え、沈黙が広がった。少し息を弾ませ、長い黒髪を目の上からかき上げながら、ブラックは階段の方を見た。シルヴィアもそちらを向くと、そこにはハリー、ロン、ハーマイオニーがいた。初めてここへ来たハリーはやはり、呆然としていた。
「やあ、ハリー」
 ブラックが暗い顔で言った。
「どうやら、俺の母親に会ったようだね」

 ウィーズリーおばさんとロジエールの作った料理は、とても美味しかった。ルバーブ・クランブルにカスタードクリームをかけて、三回もおかわりしたあと、ハリーはジーンズのベルトがきつく感じた。
 ハリーがスプーンを置く頃には、会話もだいたい一段落していた。ウィーズリーおじさんは寛いだ様子で椅子に寄り掛かり、トンクスは元の鼻に戻り大きく欠伸をしていた。ロジエールとルーピンたちは食後のワインを飲んでいた。
「もう、おやすみの時間ね」と、ウィーズリーおばさんが欠伸をしながら言った。
「いや、モリー、まだだ」
 シリウスがハリーを向いた。
「いいか、君には驚いたよ。ここに着いたとき、君は真っ先にヴォルデモートのことを聞くだろうと思っていたんだが」
 部屋の雰囲気がさっと変わった。一瞬前は眠たげで寛いでいたのだったが、いまや警戒し、張りつめていた。ヴォルデモートの名前が出たとたん、テーブル全体に戦慄が走ったのだった。ワインを飲もうとしていたルーピンは緊張した面持ちで、ゆっくりとゴブレットを置いた。
「聞いたよ!」
 ハリーは憤然として言った。
「ロンとハーマイオニーに聞いたんだ。でも、二人が言ったんだ。僕たちは騎士団に入れてもらえないから、だから――」
「二人の言うとおりよ」と、ウィーズリーおばさんが言った。
「あなたたちは、まだ若過ぎるのよ」
 おばさんは、背筋を伸ばして椅子に腰掛けていた。
「騎士団に入っていなければ質問してはいけないと、いつからそう決まったんだ?」
 シリウスが尋ねた。
「ハリーは、あのマグルの家に一ヶ月も閉じ籠められていたんだ。何が起こったのかを知る権利がある――」
「ハリーにとって、何が良いのかを決めるのは、あなたではないわ!」
 ウィーズリーおばさんが鋭く言った。いつもは優しい顔が険しくなっていた。
「ダンブルドアがおっしゃったことを、よもやお忘れじゃないでしょうね?」
「どのお言葉でしょうね?」
「ハリーが知る必要があること以外は、話してはならない、という言葉です」
 ウィーズリーおばさんは、ことさらに強調して言った。
 ロン、ハーマイオニー、フレッド、ジョージの四人の頭が、シリウスとウィーズリーおばさんのあいだを、テニスのラリーを見るように往復した。ルーピンの目は、シリウスに釘づけになっていた。ロジエールはゴブレットを手に持ったまま様子を見ていた。
「俺はハリーが知る必要があること以外に、この子に話してやるつもりはないよ、モリー。しかし、ハリーがヴォルデモートの復活を目撃した者である以上、ハリーは大抵の人たちより――」
「この子は不死鳥の騎士団のメンバーではありません! この子は、まだ一五歳です。それに――」
「それに、ハリーは騎士団の大多数のメンバーに匹敵するほどの、いや、何人かを凌ぐほどのことをやり遂げて来た」
「誰も、この子がやり遂げたことを否定することはしません! でも、この子はまだ――」
「ハリーは子どもじゃない!」
「大人でもありませんわ! シリウス、この子はジェームズじゃないのよ!」
「そうよ、ブラック。ハリーはジェームズじゃないのよ」
 二人の間に、ロジエールが口を挟んだ。ジェームズと言った瞬間、シリウスがピクリと反応したのを、ハリーは見逃さなかった。
「いくら外見がそっくりでも、中身は母親似だわ」
「先生も、僕の父と母を知ってるんですか?」
 ロジエールは頷いた。
「ええ、同級生だったの。ジェームズとは幼馴染みだったわ」
 そう言って、ロジエールは切なげに目を細める。知らなかった。彼女と父さんが幼馴染みだったなんて。ロジエールはスリザリンだったと聞く。どうして父さんと接点があったのだろう。それを聞き出そうとする前に、シリウスが口を開いた。
「お言葉だがシルヴィア、俺はこの子が誰か、はっきりわかっているつもりだ」
「そうかしら。あなたがハリーのことを話すとき、まるで親友が戻って来たかのような口振りよね」
「それのどこが悪いの?」と、ハリーが言った。
「どこが悪いかと言うとね、ハリー。あなたはお父さんとは違うからですよ」
 ウィーズリーおばさんがシリウスを睨みながら言った。
「あなたは、まだ学生です。あなたに対して責任を持つべき大人が、それを忘れてはいけないわ!」
「俺が、無責任な後見人だという意味ですかね?」
「あなたは、向こう見ずな行動を取ることもあるという意味ですよ、シリウス。だからこそ、ダンブルドアがあなたに、家の中に居るようにと何度もおっしゃるんです。それに――」
「ダンブルドアが俺に指図することは、よろしければこの際、別にしておいてもらいましょう!」
「アーサー! アーサー、なんとか言ってくださいな!」
 ウィーズリーおじさんは、すぐには答えなかった。メガネを外し、奥さんのほうを見ずにローブでゆっくりとメガネを拭いた。そのメガネを慎重に鼻に乗せ直してから、はじめておじさんが口を開いた。
「モリー、ダンブルドアは立場が変化したことをご存知だ。いまハリーは、本部に居るわけだし、ある程度は情報を与えるべきだと認めていらっしゃる」
「そうですわ。でもそれと、ハリーに何でも好きなことを聞くようにと促すのとは、全然別です」
「私個人としては」
 シリウスから目を離したルーピンが、静かに言った。ウィーズリーおばさんは、やっと味方が出来そうだと、急いでルーピンを振り返った。
「ハリーは事実を知っておいたほうが良いと思うね――何もかもというわけじゃないよ、モリー。でも、全体的な状況を、私たちから話したほうが良いと思う――歪曲された話を、誰か――他の者から聞かされるよりは」
「そう」
 ウィーズリーおばさんは息を深く吸い込み、支持を求めるようにテーブルをぐるりと見回したが、誰も居ないようだった。先ほどおばさんの味方をしたロジエールも、ヴォルデモートについて話すことに関しては賛成のようだった。
「そう――どうやら、私は却下されるようね。これだけは言わせていただくわ。ダンブルドアがハリーにあまり多くを知って欲しくないとおっしゃるからには、ダンブルドアなりの理由がお有りのはずです。それに、ハリーにとって何が一番良いことかを考えている者として――」
「ハリーは、あなたの息子じゃない」
「息子も同然です。ほかに誰が居るって言うの?」
「俺が居る!」
「そうね。ただし、あなたがアズカバンに閉じ籠められていたあいだは、この子の面倒を見るのが少し難しかったのじゃありません?」
 シリウスは、椅子から立ち上がりかけた。
「モリー、このテーブルに着いている者で、ハリーのことを気遣っているのは、あなただけじゃない」
 ルーピンは厳しい口調で言った。
「シリウス、座るんだ」
 ウィーズリーおばさんの下唇が震えていた。シリウスは青白い顔で、ゆっくりと椅子に腰掛けた。
「ハリーも、このことで意見を言うことを許されるべきだろう。もう、自分で判断できる年齢だ」
「僕、知りたい。何が起こっているのか」と、ハリーは即座に答えた。
 ハリーはウィーズリーおばさんのほうを見なかった。おばさんがハリーを息子同然だと言ったことに胸を打たれていたのだった。しかし、おばさんに子ども扱いされることに我慢できなかったことも確かだった。シリウスの言うとおりだ。僕は子どもではない。
「わかったわ。ジニー――ロン――ハーマイオニー――フレッド――ジョージ。皆キッチンから出なさい。すぐに」
 たちまち、どよめきが上がった。
「俺たち、成人だ!」と、フレッドとジョージが同時に大声を出した。
「ハリーが良くて、どうして俺は駄目なんだ?」とロンも叫んだ。
「ママ、わたしも聞きたい!」と、ジニーが泣き声のような声を出した。
「駄目!」
 ウィーズリーおばさんが叫んで立ち上がった。目がらんらんと光っていた。
「絶対に許しません――」
「モリー、フレッドとジョージを止めることはできないよ」
 ウィーズリーおじさんが疲れたように言った。
「二人とも、確かに成人だ」
「まだ、学生だわ」
「しかし、法律ではもう大人だ」
 おじさんが、また疲れたような声で言った。おばさんは真っ赤な顔をしていた。
「私は――ああ、仕方がないでしょう。フレッドとジョージは残ってもいいわ。でも、ロン――」
「どうせ、ハリーが俺とハーマイオニーに、皆の言うことを全部教えてくれるよ! そうだ――そうだよね?」
 ロンはハリーの目を見ながら、不安げに言った。ハリーは一瞬、ロンに一言も教えてやらないと言ってやろうかと思った。何にも知らされずにいるということがどんな気持ちか味わってみればいい、と言おうかと思った。しかし、その意地悪な衝動は、互いの目が合ったとき、消え去った。
「もちろんさ」
 ロンとハーマイオニーがにっこりと笑った。
「そう! そう! ジニー――寝なさい!」
 ジニーは、おとなしく引き下がってはいなかった。階段を上がる間ずっと、母親に喚き散らし、暴れている音が聞こえた。二人がホールに行ったとき、ブラック夫人の耳をつんざく叫び声が騒ぎに加わった。ルーピンは静寂を取り戻すため、肖像画に向かって急いだ。ルーピンが戻り、扉を閉めてテーブルに着いたとき、シリウスがようやく口を開いた。
「オーケー、ハリー――何が知りたい?」

 ハリーに例のあの人の話をした後、シルヴィアはモリーの皿洗いの手伝いをし、それからテーブルに戻って夕刊を開いた。シルヴィアの任務はアンブリッジに取り入り、魔法省の動向を把握すること。そのためには今から情報収集しておく必要がある。
 目を凝らして読んでいると、いつの間に隣にいたのか、ブラックに話し掛けられた。
「シルヴィア、アンブリッジの進捗はどうだ?」
「……これと言って何もないわ。ただ、アンブリッジがDADAの教師になることは確実よ」
「そうか……」
 そう言って、ブラックは黙る。シルヴィアはもう一度新聞に目を落としたが、特に得られる情報は書いていなく、夕刊を閉じた。
「……ねえ、あなたにも何かできることはあるはずだわ」
「この館の掃除とかか?」
 ブラックが自嘲するように言った。
「そうね……でもそれも大事な任務だわ。ここは唯一の拠点として使ってるんだから」
「そうだな」
 ブラックは仕方ないといったように頷いた。
「……だから、フラストレーションを溜めて、セブルスと喧嘩しちゃダメよ。余計なエネルギーは使わない方がいいわ」
「……スネイプのことはファーストネームで呼ぶくせに、俺のことはシリウスと呼ばないんだな」
 ふて腐れたように、ブラックは言った。この男はまだ子供なのだ。ずっとアズカバンで過ごしてきたというのもあるが。
「何? シリウスと呼んでほしいの?」
「別に……そういう意味で言ったんじゃない」
 ではどういう意味で言ったのだ。シルヴィアはそう思ったが、とりあえず頷いた。
「わかったわ。これからシリウスって呼ぶから……それでいいでしょ?」
「ああ……まあ、いい……シルヴィア、一昨年俺がスネイプに捕まったとき、君はダンブルドアに事実を言って、その上俺の無実を証言しようとしてたんだってな」
 シルヴィアは驚いてブラックを見つめた。
「……誰に聞いたの?」
「ダンブルドアが、前に教えてくれた――礼を言わなければと思ってた……ありがとう、シルヴィア」
 そう言って、ブラックは微笑んだ。昔の整った――あまり認めたくはないが――面影は、今ではほとんどなかったが、その笑みを見て、女生徒が彼に夢中になっていた気持ちが少しわかった。
 
 ホグワーツに戻ってきた生徒がご馳走を食べ終わり、大広間がガヤガヤと騒がしくなりはじめたとき、三つ隣にいるダンブルドアが再び立ち上がった。皆の顔が校長のほうを向き、話し声はすぐに止んだ。
「さてと、素晴らしいご馳走を、皆が消化しているところで、学年度はじめのいつものお知らせに、少し時間をいただこう。一年生への注意だが、校庭内の禁じられた森は生徒立ち入り禁止じゃ――上級生の何人かも、そのことはもう理解しておることじゃろう」
「フィルチ管理人からの要請で、これが四六二回目になるそうじゃが、全生徒に伝えて欲しいとのことじゃ。授業と授業のあいだに廊下で魔法を使わないでもらいたいとのこと。その他もろもろの禁止事項だが、すべて長い一覧表となったものが、いまはフィルチ管理人の事務所のドアに貼り出してあるので、確かめられるとのことじゃ」
「今年は、先生が二人かわられた。グラブリー・プランク先生がお戻りになったのを、心から歓迎申し上げる。魔法生物飼育学の担当じゃ。さらに、ご紹介するのが、アンブリッジ教授、闇の魔法に対する防衛術の新任教授じゃ」
 礼儀正しく、しかしあまり熱のこもらない拍手が起こった。シルヴィアはなるべくアンブリッジに大きく聞こえるように拍手した。
 ダンブルドアが言葉を続けた。
「クィディッチの寮代表選手の選抜の日は――」
 ダンブルドアが言葉を切り、何か用ですかな、という目でアンブリッジを見た。アンブリッジが「エヘン、エヘン」と咳払いをして、スピーチをしようとしていた。
 ダンブルドアは、ほんの一瞬驚いた様子だったが、すぐ優雅に腰を掛け、アンブリッジの話を聞くことほど望ましいことはないと言わんばかりの表情をした。これまで新任の教師が、ダンブルドアの話を途中で遮ったことなどなかった。ニヤニヤしている生徒が多く見受けられた。シルヴィアは驚きつつも、ダンブルドアと同じくアンブリッジの話を聞けるなんて光栄だという顔を繕った。
「校長先生。歓迎のお言葉、恐れ入ります」
 女の子のような甲高い、ため息混じりの話し方だった。何度聞いても癇に障る話し方だ。強い嫌悪感を抱きながらも表情には出さず、アンブリッジを見つめた。再び軽い咳払いをして、アンブリッジは話を続けた。
「さて、ホグワーツに戻って来られて、本当に嬉しいですわ!」
 笑うと、尖った歯が剥き出しになった。
「そして、皆さんの幸せそうなかわいい顔が私を見上げているのは喜ばしいことですわ!」
 見渡すかぎり、幸せそうな顔など一つもなかった。皆愕然としていた。
「皆さんとお知り合いになれるのを、とても楽しみにしておりました。きっと良いお友達になれますわよ!」
 これには、皆顔を見合わせた。冷笑を隠さない生徒も居た。
 アンブリッジは、また咳払いをした。次に話し出したとき、ため息混じりが少し消えて、話し方が変わっていた。ずっとしっかりした口調で、暗記したように無味乾燥な話し方になっていた。
「魔法省は、若い魔女や魔法使いの教育は非常に重要であると、常にそう考えてきました。皆さんが持って生まれた稀なる才能は、慎重に教え導かれ、養って磨かなければ、ものになりません。魔法界独自の古来の技は、後代に伝えていかなければ、永久に失われてしまいます。われらが祖先が集大成した魔法の知識の宝庫は、教育という気高い天職を持つものによって、守り、補い、磨かれていかなければなりません」
 アンブリッジは、ここで一息入れ、教授陣に会釈した。シルヴィアは仕方なく会釈を返した。アンブリッジは満足したように笑うと、また軽く咳払いをして、話を続けた。
「ホグワーツの歴代校長は、この歴史ある学校をおさめる重職を務めるにあたり、何らかの新規なものを導入してきました。そうあるべきです。進歩が無ければ停滞と衰退あるのみです。しかしながら、進歩のための進歩は奨励されるべきではありません。なぜなら、試練を受け証明された伝統は、手を加える必要がないからです。そうなると、バランスが大切です。古きものと新しきもの、恒久的なものと変化、伝統と革新――」
 生徒は額を寄せ合って囁いたりクスクス笑ったりしていた。アンブリッジは、聴衆のざわつきなど気がつかないようだった。
「――なぜなら、変化による改善の変化もある一方、時が満ちれば、判断の誤りと認められるような変化もあるからです。古き慣習のいくつかは維持され、当然そうあるべきですが、陳腐化し、時代遅れとなったものは、放棄されるべきです。保持すべきは保持し、正すべきは正し、禁ずべきやり方とわかったものは何であれ切り捨て、いざ、前進しようではありませんか。開放的で、効果的で、かつ責任ある新しい時代へ」
 アンブリッジが座った。ダンブルドアとシルヴィアが拍手したのは同時だった。それに倣って教授たちもそうした。生徒も何人か一緒に拍手したが、大多数は演説が終わったことで不意を衝かれていた。ちゃんとした拍手が起こる前に、ダンブルドアがまた立ち上がった。
「ありがとうございました。アンブリッジ先生。まさに啓発的じゃった。さて、先ほど言いかけておったが、クィディッチの選抜の日は――」
 ダンブルドアが生徒たちに話す中、シルヴィアはアンブリッジの言葉をかみしめた。「進歩のための進歩は奨励されるべきではありません」――「禁ずべきやり方とわかったものは何であれ切り捨てる」――魔法省がホグワーツに干渉することを、宣言されたのだった。
 シルヴィアは翌日、アンブリッジと話しながら闇魔術に対する防衛術の教室に入った。最初の授業はグリフィンドールの五年生の授業――ハリーたちの授業だった。シルヴィアは嫌な予感がしていた。ハリーはアンブリッジに牙を剥くだろうと確信していた。
 結果としてその予感は当たった。例のあの人の復活を認めず、実技をしない方針のアンブリッジにハリーは突っかかった。アンブリッジはハリーにマクゴナガル先生への手紙を渡し、ハリーは何も言わずに受け取り、教室から出ていった。

 アンブリッジに擦り寄ることで精神を消耗したシルヴィアは、彼女からの情報をダンブルドアに報告したあと、地下に寄り、セブルスに愚痴を言うことが習慣となっていった。
「睨んできたの、ハリーが……嫌になっちゃうわ」
 思い出すのは、書き取りの罰則をしている最中のハリーの視線。怒りに満ちた彼の瞳に、アンブリッジの部屋で紅茶を飲んでいたシルヴィアは萎縮した。
「あんな悪趣味な部屋で、あんな性悪なカエル女とお茶なんて! 一体誰が好き好んでするのよ……セブルス、あんまり授業でハリーを刺激しない方がいいわよ。ただでさえこの状況にイライラしてるんだから」
「ほう。愚痴だけではなく私に忠告する気かね? 私も忙しいんだが」
 机に座っていたセブルスが、羊皮紙から目を離さずに言う。ソファに座っていたシルヴィアは、彼を見つめた。
「ごめんなさい……あなたといると、とても落ち着くの、だから……」
 思えば、学生時代の頃からそうだ。初めて素を出せる相手がセブルスだった。それ以来、ずっとセブルスには自分を出している気がする。ふと恥ずかしくなり、シルヴィアは持っていた紅茶を飲み干した。
「もう行くわ……聞いてくれてありがとう、邪魔したわね」
「……別に邪魔だと言っている訳じゃない」
 セブルスは再びレポートに目を通したまま答える。言葉の奥に柔らかい響きを感じて、立ち上がりかけたシルヴィアは、ソファに腰掛けた。同時にセブルスが杖を振り、シルヴィアのカップを満たす。ありがとうと礼を言い、カップに口をつけた。
「……それで、動向は掴めたか?」
「ええ。近々高等尋問官に任命されるみたいよ」
 アンブリッジの統制下を思い、ため息をつく。高等尋問官となった暁には、様々な教育令が出されるだろう。このホグワーツがどうなるのか。シルヴィアは不安だった。
 その不安は的中した。アンブリッジはグループを解散させる令から始まり、教育令第二五号(高等尋問官は、ここに、ホグワーツの生徒に関するすべての処罰、制裁、特権の剥奪に最高の権限を持ち、他の教職員が命じた処罰、制裁、特権の剥奪を変更する権限を持つものとする)まで制定した。
 一方、アンブリッジに擦り寄るシルヴィアの辛抱も、堪らなくなっていた。アンブリッジのことでイライラしていたその時、後ろから声をかけられ、思わず何?と声を荒らげてしまった。
「ご、ごめんなさい、ロジエール先生」
 そこにはグリフィンドールの女生徒がいた。クロエ・カベンディッシュ。豊かな赤い髪に緑の瞳。どこかリリー・エヴァンスを思い起こす生徒だった。シルヴィアはすぐに反省した。生徒の前で個人的な感情は見せないと決めていたのに。
「いいえ、私が悪いわ。ごめんなさい、少しイライラしていて……何かしら」
「あの、わからないところがあって……」
 NEWTを控えた七年生は、しばしばこうしてシルヴィアに防衛術を尋ねに来る。クロエも例外ではなく、図書館から持ってきた本を掲げた。シルヴィアが丁寧に教えれば、クロエはパッと笑った。
「ありがとうございます、先生。すごくよくわかりました!」
「そう、よかったわ」
 シルヴィアも思わず微笑む。そしてふと前を向くと、セブルスがこちらにやって来るのが見えた。
「おはよう、セブルス」
「ああ、おはよう」
「おはようございます、先生」
 シルヴィアに続いてクロエも挨拶する。セブルスはちらりとそちらを向き、「おはよう」と返事をした。そして通りすぎていった。
 セブルスの背中を見ながら、シルヴィアは不思議な胸の痛みを感じていた。クロエとセブルスが挨拶しただけだ。それなのに。二年前に経験した痛みと同じだったが、そのときよりも痛みは大きかった。
 シルヴィアはふと過った考えをかき消した。まさか、そんなことはないだろう、と。
- 13 -
prev / next

[ back to top ]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -