愛 | ナノ
 ハリーはキッチンのドアを開けた。中にはシリウスとスネイプ、ロジエールの三人の姿が見えた。三人は長テーブルに座っていたが、シリウスとスネイプは目を背けて反対方向を睨みつけていた。互いの嫌悪感で、重苦しい沈黙が流れていた。シリウスの前に手紙が広げられていた。
「ハリー、久しぶりね」
 ロジエールがこの重苦しい空気を振り払うかのように、にこやかに手を振った。スネイプの脂っこいカーテンのような黒髪に縁取られた顔が、振り向いてハリーを見た。
「座るんだ、ポッター」
「いいか」
 シリウスが椅子ごと反っくり返って、椅子を後ろの二本脚だけで支えながら、天井に向かって大声で言った。
「スネイプ。ここで命令を出すのはご遠慮願いたいですな。なにしろ、俺の家なのでね」
 スネイプの血の気のない顔に、険悪な赤みがさっと広がった。ハリーは、シリウスの脇の椅子に腰を下ろし、テーブル越しにスネイプと向き合った。
「ポッター、我々は君一人だけと会うはずだった」
 スネイプの口元が、お馴染みの嘲けりで歪んだ。
「しかし、ブラックが――」
「俺は、ハリーの後見人だ」と、シリウスが大声を出した。
「我々は、ダンブルドアの指示でここに来た」
 スネイプの声は、だんだん低く不愉快な声になっていった。
「しかし、ブラック、良かったらどうぞ居てくれたまえ。気持ちはわかる……関わっていたいわけだ」
「何が言いたいんだ?」
 シリウスは後ろ二本脚だけで反っくり返っていた椅子を、バーンと大きな音とともに元に戻した。
「別に他意はない。君は、きっと――あー――イライラしているだろうと思ってね。何にも役に立つことができなくて――騎士団のために」
 今度はシリウスが赤くなる番だった。ハリーの方を向きながら、スネイプの唇が勝ち誇ったように歪んだ。
「校長が、君に伝えるようにと我々を寄越したのだ、ポッター。校長は来学期に君が閉心術を学ぶことをお望みだ」
「何を?」
 ハリーは、ポカンとした。スネイプは、ますますあからさまに嘲けり笑いを浮かべた。
「閉心術だ、ポッター。外部からの侵入に対して心を防衛する魔法だ。世に知られていない分野の魔法だが、非常に役に立つ」
 ハリーの心臓が、急速に鼓動しはじめた。外部の侵入に対する防衛? だけれど、自分は取り憑かれてはいない。そのことは皆が認めた……。
「その閉何とかを、どうして、僕が学ばないといけないんですか?」
「なぜなら、校長がそうすることが良いとお考えだからだ。一週間に一度個人教授を受ける。しかし、何をしているかは誰にも言うな。とくに、ドローレス・アンブリッジには。わかったな?」
「はい。誰が教えてくださるのですか?」
 スネイプの眉が吊り上がった。
「私だ」
 ハリーは、腸が溶けていくような恐ろしい感覚に襲われた。スネイプと課外授業――こんな目に遭うなんて、自分が何をしたって言うんだ? ハリーは助けを求めて、急いでシリウスとロジエールの顔を見た。
「どうして、ダンブルドアが教えないんだ?」と、シリウスが食ってかかった。
「なんで、おまえが?」
「たぶん、あまり喜ばしくない仕事を委譲するのは、校長の特権なのだろう」
 スネイプは滑らかに言った。
「言っておくが、私がこの仕事を懇願したわけではない」
「私は、アンブリッジが来ないかどうか見張る係よ」
 二人の険悪な雰囲気を無視してロジエールが言った。スネイプが立ち上がった。
「ポッター、月曜の夕方六時に来い。私の研究室に。誰かに聞かれたら、調合薬の補習だと言え。私の授業での君を見た者なら、補習の必要性を否定するまい」
 スネイプは、旅行用の黒マントを翻し、立ち去りかけた。
「ちょっと待て」
 シリウスが椅子に座り直した。スネイプは顔だけをこちらに向けた。冷笑を浮かべていた。
「私はかなり急いでいるんだがね、ブラック。君と違って、際限なく暇なわけではない」
「では、要点だけ言おう」
 ブラックが立ち上がった。ブラックは、スネイプよりかなり背が高いということ、そして、スネイプがマントのポケットの中で、杖の柄と思われる部分を握り締めたことに、ハリーは気づいた。
「もし、閉心術の授業を利用してハリーを辛い目に遭わせていると聞いたら、俺が黙ってないぞ」
「感動的だな。しかし、ポッターが父親そっくりなことに、当然、君も気づいているだろうね?」
「ああ、そのとおりだ」と、シリウスが誇らしげに言った。
「さて、それならわかるだろうが、こいつの傲慢さときたら、批判など一切受けつけない」
 シリウスは荒々しく椅子を押し退け、テーブルを回り込み、杖を抜きながら、つかつかとスネイプのほうに進んだ。スネイプも自分の杖をさっと取り出した。二人は、真正面から向き合った。シリウスは怒りで青ざめ、スネイプはシリウスの杖の先から顔へと目を走らせながら、状況を読んでいた。
「シリウス!」
 ハリーとロジエールが同時に叫んだが、シリウスには聞こえないようだった。
「警告したはずだ、スニベルス」
 シリウスの顔は、スネイプからほんの一フィートのところにあった。
「ダンブルドアが、お前が改心したと思っていても、知ったことじゃない。俺のほうが良くわかっている――」
「おや、それなら、どうしてダンブルドアにそう言わんのかね?」
 スネイプが囁くように言った。
「それとも何かね、母親の家に六ヶ月も隠れている男の言うことは、真剣に取り合ってくれないとでも思っているのかね?」
「ところで、この頃ルシウス・マルフォイはどうしてる? さぞかし喜んでいるだろうな? 自分の飼い犬(ドローレス・アンブリッジ)がホグワーツで教えていることで――」
「犬と言えば、君がこの前、遠足などに出掛ける危険を冒したとき、ルシウス・マルフォイが君に気付いたことを知っているかね? うまい考えだったな、ブラック。安全な駅のプラットフォームで君が姿を見られるようにするとは……これで鉄壁の口実ができたわけだ。隠れ家から今後いっさい出なくていいという口実がね?」
 シリウスが杖を上げた。
「やめなさい、シリウス!」
 ロジエールが二人の間に割って入った。シリウスの杖腕を掴んでいた。シリウスははっとしたように彼女を見つめた。腕を掴まれたことにたじろいでいるようだった。
「お前の飼い主がやめろと言ってるぞ、ブラック」
 スネイプが嘲るように言った。シリウスは気を取り直したように鼻で笑った。
「お前の飼い主でもあるんじゃないか?」
「何を……」
「俺は知ってるぞ。学生時代、お前がシルヴィアの見舞いに行ったことを。お前こそシルヴィアに気があるんじゃないか?」
 スネイプは表情を変えなかった。ロジエールに目を移すと、彼女は固まっていた。目を見開き、ただシリウスを見つめていた。
 突然キッチンのドアが開き、ウィーズリー一家全員と、ハーマイオニーが入って来た。皆幸せ一杯という表情で、その中心をウィーズリーおじさんが誇らしげに歩いていた。縞のパジャマの上に、レインコートを着ていた。
「治った!」
 おじさんが全体に元気よく宣言した。
「全快だ!」
 おじさんも、他のウィーズリー一家も、目の前の光景を見て、入口に釘づけになった。見られたほうも、そのままの形で動きを止めた。シリウスとスネイプは互いの顔に杖を突きつけ、ロジエールがシリウスの腕を掴んでいた。
「なんてこった」
 ウィーズリーおじさんの顔から笑いが消えた。
「いったい何事だ?」
 シリウスもスネイプも、杖を下ろした。ハリーは、両方の顔を交互に見た。二人とも、これ以上はない軽蔑の表情だったが、思いがけなく大勢の目撃者が入って来たことで、正気を取り戻したようだった。スネイプは、杖をポケットに仕舞うと、さっとキッチンを横切り、ウィーズリー一家の脇を物も言わずに通り過ぎた。ドアのところで、スネイプが振り返った。
「ポッター、月曜の夕方、六時だ」
 そして、スネイプは立ち去った。そのあとを我に返ったロジエールが追いかけたが、ウィーズリーおじさんに声をかけることを忘れてはいなかった。
「ああ、アーサー本当によかったわ、おめでとう……セブルス、待って!」

「おはよう」
「……ああ、おはよう、セブルス」
 朝食を取りに広間へ向かう途中、セブルスと会い、ぎこちなく挨拶する。シリウスの言葉を聞いてからと言うもの、シルヴィアはセブルスを意識していた。セブルスが自分に気があるから、あの時お見舞いに来てくれたという発想はなかった。セブルスに限ってそれはないだろうと頭では否定しつつも、奇妙な喜びの感情があった。シルヴィアはその感情を深く考えず、見て見ぬふりをしてやり過ごした。
 愚痴を言うのも躊躇ったが、聞いてくれる相手はセブルス以外に思い当たらなかったため、ダンブルドアへの報告をいつもの通りに済ませたあと、シルヴィアは地下に向かった。いつも通りに名乗るが、返答は返ってこなかった。シルヴィアは恐る恐る扉を開ける。そこにセブルスはいなかった。
 しばらくすれば来るだろうと思い、シルヴィアは待つことにした。薬品棚をぼんやり見ていると、瓶に入った真珠色の液体を見つけた。アモルテンシアだ。蓋を開けて、匂いを嗅いでみようか、という気持ちにかられた。どんな匂いがするだろう。ジェームズの匂いがするだろうか。それとも――。
 誘惑には勝てなかった。蓋を開けて鼻を近づける。最初に香ったのは甘い匂い。いつもつけている香水の匂いだった。そして、その次に香ってきたのは――
「!」
 薬品の匂い。セブルスの匂いだった。
「……アモルテンシアか」
 いつの間に戻ってきたのか、セブルスが隣に立っていた。シルヴィアはその声に驚き、動揺した。
「あ、ああ、セブルス、いたの」
 薬品の蓋を閉め、急いで棚に置く。セブルスはその様子を訝しげに見ていた。
「どうした? 何の匂いがしたんだ?」
「べ、別に……」
 そう答えながら、シルヴィアはふと、セブルスには何の匂いがするのだろうと考えた。きっと、エヴァンスの香りだ。そう思うと同時に、ずきりと胸が痛んだ。
 しかし、知りたかった。セブルスが惹かれる香りを。
「……あなたが教えてくれたら、教えるわ」
 腕組みをしながら、そう答える。セブルスは驚いたようにこちらを見つめてきた。シルヴィアは、顔に熱が集まるのを感じた。なんてことを聞いてしまったのだろう。これではまるで、自分がセブルスに気があるみたいではないか。それでもシルヴィアは目をそらさず、頑張ってセブルスを見つめた。
 セブルスは突然ふっと笑い、そしてこちらに手を伸ばしてきた。その手が頬を、優しく愛しげに撫でる。
「……知りたいかね?」
 柔らかくセブルスが囁く。シルヴィアは熱に浮かされながら答えた。
「……ええ、知りたいわ」
 瞬間、唇に柔らかな感触を覚えた。リップ音とともに、唇が離れる。至近距離にあるセブルスの黒い瞳が、切なげに細められた。そして、彼はこう囁いた。
「シルヴィア。君の香りだ」

 二人は、一週間に一度逢瀬を重ねた。そのまま寝てしまうことが何度もあり、彼の部屋には徐々にシルヴィアのものが増えていった。
 恋人になって気づいたことと言えば、彼は非常に優しいということだった。学生時代の時もそうだったが、自分の気を許す相手に対しては存分に甘やかす傾向があった。シルヴィアは遠慮せず、彼に甘えた。同時に甘えさせた。彼は想像以上に過去に縛られ生きている。そのうえ自分の弱さを見せない人だった。だから、恋人になってからは、その弱さを見せてほしいとシルヴィアは望んでいた。
 今、この時もそう。
 セブルスのねっとりした黒髪を撫でながら、シルヴィアは大丈夫だと繰り返した。辺りにはガラス片とゴキブリの死骸が散乱していた。
 ドラコからモンタギューが五階のトイレで見つかったと聞き、シルヴィアはセブルスと共についていった。研究室へ帰ってきた頃には、ハリーがペンシーブの中にいた。激怒したセブルスは、ハリーに材料の入った瓶を投げつけた――
 シルヴィアの胸の中にいるセブルスは、まだ怒りで震えていた。セブルスは誰にも言わないようハリーに言ったが、言われずともハリーは誰にも言わないだろうとシルヴィアは確信していた。シルヴィアはもう一度脂ぎった髪を撫でる。大丈夫だと伝えるように。しばらくして、セブルスが口を開いた。
「……もう閉心術は教えん」
「……それじゃあ、ダンブルドアとの約束を反故にするの?」
 セブルスは頷いた。
 シルヴィアは反論し掛けたが、すぐに口を閉じた。自分の最悪の記憶を人に見られたら、誰しもそう思うだろう。そう思いまた頭を撫でれば、セブルスはシルヴィアの腰元に巻いていた腕に力を入れ、ますますきつく抱き締めた。
「……君は私を恨んでいるだろう?」
 くぐもったセブルスの声が、胸元から聞こえてくる。唐突な質問に、シルヴィアは撫でていた手を止めた。
「どうして?」
「……私はポッターを殺した」
「……いいえ、恨んでなんかないわ」
 シルヴィアの心は穏やかだった。誰のせいで亡くなったかなど関係ない。亡くなったという事実がそこにあるだけだ。
「本当に?」
 顔をあげたセブルスに、シルヴィアは微笑む。
「ええ、本当に。大好きよ、セブルス」
「ああ、シルヴィア――」
 セブルスは感極まったようにこちらに手を伸ばし、唇を求めてきた。キスは徐々に情熱的に、深くなっていく。執拗に口内をまさぐるセブルスの舌に、自分の舌を絡ませれば、蛇のように絡め取られた。舌と舌で愛撫し合いながら、シルヴィアは思う。
 彼の愛はとても大きい。だからこそそれに等しいか、それ以上の愛を、彼に与えたいと。

 ハリーが結成した「DA」(ダンブルドア・アーミー)がアンブリッジにばれ、ダンブルドアはハリーをかばうためホグワーツから去ってしまった。代わりにアンブリッジが校長になり、ホグワーツは完全に魔法省の統制下となった。シルヴィアはダンブルドアなき今、アンブリッジに取り入らなくてもいいのではと思ったが、ここでやめるとダンブルドアがそう指示していたことがわかってしまうため、アンブリッジのそばにいることにした。しかし、フレッドとジョージがホグワーツを去るとき(これは後に伝説となるだろう)に残した、大きな沼や花火などは、自分でも消せないと嘘をついた。
 OWLの真っ最中である、ある夜のことだった。セブルスの腕の中で眠っていたシルヴィアは、バーンという大きな音で目が覚めた。セブルスも目を覚ましたらしく、こちらを見ていた。
「何の音……?」
「外からだな」
 二人はすぐに起き上がった。ペチコートのワンピースを着たシルヴィアは上にガウンを羽織り部屋を出た。
 城を出た瞬間、「卑怯者!」と、ハグリッドの叫ぶ声が聞こえてきた。
「とんでもねえ卑怯者め! これでも喰らえ――これでも――」
 小屋を見ると、四、五人がハグリッドに向かって、失神呪文を浴びせていた。シルヴィアは駆けだそうとしたが、セブルスに止められた。
「どうして止めるの!」
「危険だ、それにあの影をよく見ろ、アンブリッジだ」
 ずんぐりした人影は、確かに見覚えがあった。アンブリッジ側についているシルヴィアは、悔しく思いながらも駆けだすのをやめ、ハグリッドを見守った。失神呪文は巨人の血を引くハグリッドには効かず、ハグリッドは一番近くで攻撃していた二つの人影に攻撃した。あっという間に二人が倒れ、気絶したようだった。ハグリッドはしゃがむと、背中に何かを背負って立ち上がった。
「捕まえなさい、捕まえるんです!」と、アンブリッジが叫ぶ声がした。
 しかし一人残った助手はハグリッドの拳の届く範囲に近づくことをためらっていた。むしろ、急いで後退りしはじめ、気絶した仲間の一人につまずいて転んだ。ハグリッドは向きを変え、首に飼い犬を巻きつけるように担いだまま、走り出した。アンブリッジが失神呪文で最後の追い討ちをかけたが、外れた。ハグリッドは全速力で遠くの校門へと走り、闇に消えた。アンブリッジは悔しそうに足を踏み鳴らした。
 シルヴィアたちは同じように起きてきた教師たちと一緒に、小屋へと向かった。そこにはアンブリッジの助手だけでなく、なんとマクゴナガル先生も倒れていた。彼女は失神呪文を受けたらしく、気を失っているようだった。魔法で担架を出し、皆で彼女を担架に乗せた。皆、アンブリッジと助手たちがこの場にいないかのように振る舞っていたが、アンブリッジに対して怒っていたシルヴィアは、何か言わずにはいられなかった。
「どうしてハグリッドを襲うようなマネをしたんです?」
 アンブリッジは厚かましく答えた。
「あら、向こうから攻撃してきたのよ」
 ハグリッドがそんなことをするわけがない。はらわたが煮えくり返ったが、シルヴィアは彼女を無視して、マクゴナガルを医務室へ連れて行くため、皆と一緒に城へ向かった。

 魔法史の試験中、シリウスがヴォルデモートに拷問されている夢を見たハリーは、老教授の踵が大広間の敷居の向こうに消えたとたん、大理石の階段を駆け上がり、廊下を突っ走った。さらに、何階かの階段を矢のように走り、最後は、医務室の両開き扉を開けて嵐のように突っ込んだ。マダム・ポンフリーが――ちょうどモンタギューに口を開けさせ、鮮やかなブルーの液体をスプーンで飲ませているところだった――驚いて悲鳴をあげた。
「ポッター、どういうつもりです?」
「マクゴナガル先生に、お会いしたいんです。いますぐ――緊急なんです!」
「ここには居ませんよ、ポッター」
 マダム・ポンフリーが悲しそうに言った。
「今朝、聖マンゴ病院に移されました。あの年齢で、失神光線が四本も胸を直撃でしょう? 命があったのが不思議なくらいです」
「先生が――居ない?」
 ハリーはショックを受けていた。
 部屋の外で鐘が鳴り、いつものように生徒たちが、医務室の上や下の廊下に溢れ出す騒音が遠くに聴こえた。ハリーは、マダム・ポンフリーを見つめたまま、じっと動かなかった。恐怖が湧き上がってきた。
 話をすることのできる人は、もう誰も残っていなかった。ダンブルドアは行ってしまった。ハグリッドも行ってしまった。それでも、マクゴナガル先生にはいつでも頼れると思っていた。短気で融通が利かないところはあるかもしれなかったが、いつでも信頼できる確実な存在だった――
 ロジエール先生だ、と頭の中で声がした。
 ハリーはまた走り出した。医務室を出て彼女の部屋につき、急いでノックをするが、返事はない。ここにいないとしたら、いる場所はひとつ。アンブリッジの部屋だ。
 ハリーは諦め、ロンとハーマイオニーのもとへ駆け出した。

 用があり、仕方なくアンブリッジの部屋に入ったシルヴィアは、その光景に絶句した。
 ハリー、ロン、ハーマイオニー、ジニー、ネビル、ルーナが、ドラコたちと揉み合いながら立っていた。こちらを振り返ったアンブリッジは、にっこりと嫌な笑みを浮かべた。
「ああ、シルヴィア、良いところに来たわ。スネイプ先生を呼んできて」
「これは……この状況は……?」
「ポッターが私の部屋の暖炉を使っていたの。さあ、早く呼んできてちょうだい」
 有無を言わさずそう言うアンブリッジに、シルヴィアは頷き、出ていこうとした。その時――
「あの人が、パッドフットを捕まえた!」と、ハリーが叫んだ。
「あれが隠されている場所で、あの人がパッドフットを捕まえた!」
「パッドフット?」
 アンブリッジが、まじまじとハリーを見て、シルヴィアを見た。
「パッドフットとは、何なの? 何が隠されているの? シルヴィア、こいつは何を言っているの?」
 シルヴィアは肩をすくめた。
「さあ。わかりませんわ。セブルスを呼んできます」
 そしてドアを閉めた。向かう先はもちろん地下だ。
 パッドフット――かつてジェームズが呼んでいた、シリウスのあだ名。そのシリウスが、神秘部で例のあの人に捕らえられた。この時間帯であの人が行動することはあり得ない。罠という可能性もある。そこまで考え、シルヴィアはセブルスの部屋の戸を叩いた。
「セブルス、いるの?」
 扉はすぐ開かれ、中からセブルスが現れた。
「どうした? 何かあったのか?」
 中に入りながら、シルヴィアは頷いた。
「あの人が、シリウスを捕まえたらしいの」
「……連絡は?」
「まだしてないわ」
 そう言うと、セブルスはすぐさま杖を振り、猫のパトローナスを出した。伝言を伝え、猫は駆けていく。シルヴィアはソファへ腰掛けた。数分後、狼の形をしたパトローナスが、どこからともなくやって来た。リーマスの声が用件を言う。
「シリウスはここにいる。これはハリーを誘きだす罠かもしれない。今ハリーはどこにいる?」
「私、アンブリッジの部屋に行ってみるわ」
 立ち上がりかけたシルヴィアに、セブルスが言った。
「私も行く」
 アンブリッジの部屋には、失神したり痛みにうめくスリザリン生たちしかいなかった。セブルスはドラコのコウモリ鼻くその呪いを解き、話を聞いた。
 ハーマイオニーとハリーがアンブリッジを武器のところへ連れていったと言う。武器といってもハーマイオニーたちは知らないはずだ。では、どこへ行ったのか。皆の呪いを解き、部屋から帰した後、シルヴィアはコウモリのパトローナスを出してダンブルドアへの伝言を告げた。セブルスも再びパトローナスを出し、リーマスたちへ伝言した。
「ポッターたちの居場所はわからない。もしかしたら、神秘部に行ったのかもしれん。ブラックは残れ、ダンブルドアが本部に行くはずだ」
 きっと、騎士団員たちは神秘部に行くだろう。シルヴィアもそれに続こうと、暖炉に近づこうとした――が、肩を掴まれた。
「待て。どこへ行くつもりだ?」
「決まってるでしょう? 神秘部よ。ハリーたちが危ないわ」
 ブロンドの髪を振り乱しながら、シルヴィアは言う。セブルスは顔をしかめた。
「デスイーターたちと立ち向かうのは、君の任務じゃないだろう? 本来の任務はなんだ?」
「……あなたのサポートをすること」
 セブルスは驚いたように目を見開いたが、それは一瞬のことだった。
「……ならば、私と共にいるのが君の任務だろう?」
「でも……ハリーたちが……!」
「シルヴィア」
 セブルスに名前を呼ばれた途端、シルヴィアは彼に抱き寄せられた。
「君を、失いたくないんだ」
 彼の声は微かに震えていた。シルヴィアは抵抗を止め、セブルスへそっと腕を回した。
 ハリーたちは無事にホグワーツへ戻ってきた。ハーマイオニー、ロン、ジニー、ルーナ、ネビルは医務室に運ばれ、ジニー、ルーナ、ネビルの怪我は、マダム・ポンフリーがあっという間に治した。ハーマイオニーとロンは重傷だったが、薬のおかげでよくなってきていた。トンクスは聖マンゴ病院で入院することになったが、彼女も回復し始めていた。しかし、皆が無事なわけではなかった。ベラトリクス・レストレンジによって、シリウスはベールの向こう――「死」へ行ってしまったと、リーマスから聞かされた。シルヴィアはシリウスの死を悲しんだ。残るようセブルスが伝えたのに、彼はそうしなかった。学生時代は嫌っていたが、シリウスには生きていてほしかった。
 魔法省にいたデスイーターたちはアズカバンに入れられ、魔法省はとうとう例のあの人が復活したことを認めた上、アンブリッジをホグワーツから除籍した。予言者新聞も、一転してハリーを称えた。
 ダンブルドアがホグワーツに戻り、すべての問題は解決した。ハグリッドも戻り、フレッドとジョージが残した沼は、フリットウィック先生が三秒で消し去った。とても良い魔法だと言って、 窓の下に小さな水溜まりを残して、まわりをロープで囲った。
 学期も残すところ、あと数日だった。仕事をしていたシルヴィアは、晴れた青空を窓から見て、少し息抜きに外に行こうかと部屋を出た。日曜日にしても、城の中は静かすぎるようだった。皆陽光に満ちた校庭に出て、試験が終わり、復習も宿題もない時期を楽しんでいるに違いない。
 玄関ホールへの大理石の階段を下りようとしたとき、ホールにドラコとハリー、クラッブ、ゴイルの姿があった。ドラコとハリーは何か只ならぬ雰囲気だった。シルヴィアが慌てて階段を下りていると、「ポッター!」とセブルスの声が玄関ホールに声が響き渡った。自分の研究室に通じる階段から現れたセブルスは、四人の方へ大股で近づいて行った。シルヴィアもホールに下り、四人に近づいた。
「何をしているのだ、ポッター?」
「マルフォイに、どんな呪いをかけようかと考えているところです、先生」
 ハリーは激しい口調で言った。セブルスが、まじまじとハリーを見た。シルヴィアはセブルスに反抗するハリーに驚いた。
「杖を、すぐ仕舞いたまえ。一〇点減点。グリフィ――」
 セブルスは壁の大きな砂時計を見てにやりと笑った。
「ああ、点を引こうにも、グリフィンドールの砂時計には、もはや点が残っていない。それならば、ポッター、やむを得まい――」
「点を増やしましょうか?」
 マクゴナガル先生が、ちょうど正面玄関の石段をコツコツと城へ上がって来るところだった。タータンチェックの旅行用バッグを片手に、もう一つの手で歩行杖にすがってはいたが、それ以外はとても元気そうだった。
「マクゴナガル先生!」
 セブルスとシルヴィアは、勢いよく進み出た。
「これはこれは、聖マンゴ病院をご退院で!」
「お元気そうで本当によかった!」
「ええ、ありがとう」と、マクゴナガル先生は、旅行用マントを肩から外しながら言った。「すっかり元どおりです。そこの二人――クラッブ――ゴイル――」
 マクゴナガル先生が、威厳たっぷりに手招きすると、二人は大きな足をせかせかと動かし、ぎこちなく進み出た。マクゴナガル先生は、旅行用バッグをクラッブの胸に、マントをゴイルの胸に押し付けた。
「これを私の部屋まで持って行ってください」
 二人は回れ右し、大理石の階段をドスドス上がって行った。
「さて、それでは」
 マクゴナガル先生は、壁の砂時計を見上げた。
「そうですね。ポッターと友達とが、世間に対し、例のあの人の復活を警告したことで、それぞれ五〇点! スネイプ、いかがでしょう?」
「何のことですかな?」
 セブルスが噛みつくように聞き返したが、完全に聞こえていたと、シルヴィアにはわかった。
「ああ――うむ――そうでしょうな――」
「では、五〇点ずつ。ポッター、ウィーズリー兄妹、ロングボトム、ミス・グレンジャー」
 マクゴナガル先生がそう言い終わらないうちに、グリフィンドールの砂時計の下半分の球に、ルビーの砂が降り注いだ。
「ああ――それに、ミス・ラブグッドにも五〇点でしょうね」と付け加えると、レイブンクローの砂時計にサファイアの砂が降り注いだ。
「さて、ポッターから一〇点減点なさりたいのでしたね、スネイプ先生――では、このように――」
 ルビーの砂が数個、上の球に戻ったが、それでもかなりの量が下に残った。
「さあ、ポッター、マルフォイ。こんな素晴らしい天気の日には外に出るべきだと思いますよ」
 ハリーは杖をローブの内ポケットに仕舞い、セブルスとドラコのほうには目もくれず、真っ直ぐに正面扉に向かった。シルヴィアはセブルス達と同じく、誠に遺憾だという顔を作りながら言った。
「……残念だけど、しょうがないわね。私、外で息抜きしようと思ってるんだけど、セブルスも一緒に来ない?」
 セブルスは苦々しく首を振った。
「私はいい」
「ドラコは?」
「僕もいいです」
 二人の返答を予想していたシルヴィアは、特に残念とは思わなかった。そして、陽の光に輝く芝生へ足を踏み出した。
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