愛 | ナノ
 コツコツと窓をたたく音に、シルヴィアは書類から目を上げた。そこにはモリフクロウが得意げにサッシに留まっていた。日刊予言者新聞を持ってきてくれたのだ。
 コーヒーを置き立ち上がると、窓を開け、フクロウを中に入れた。そして、フクロウの足から新聞を取った。
「ありがとう」
 クヌート硬貨を革袋に入れ餌をあげる。フクロウは礼を言うように指を甘噛みし、飛び去って行った。窓を閉めて座ると、今まで見ていた書類を脇に寄せ、新聞を開いた。
『クィディッチ・ワールドカップでの恐怖』
 一面に大きな見出しと、上空に轟く闇の印の写真が目に入った。シルヴィアは息をのみ、記事を追った。
 記事によると、ブルガリアVSアイルランドの試合が終わった晩、仮面をつけた大勢のデスイーターたちがマグルの一家を宙に浮かせて笑い、そして何者かが森の中で闇の印を放ったという。その印を見たデスイーターたちは散り散りになり、彼らも、印を打ち上げた者も、魔法省は捕まえることができなかった。
 記事の後半は魔法省に対する批判が大半を占めていた。書いたのはリータ・スキーターだろう、と思い見ると、やはり彼女だった。スキーターは何かにつけて魔法省を非難する記事を書くのだ。
 真剣に記事を読み進めていると、ノックの音が聞こえてきた。返事をすれば秘書が入ってきた。彼はメガネをくいと上げ、言った。
「先生、ダンブルドア校長がいらっしゃいました」
「……今行くわ」
 新聞を折りたたみ、立ち上がる。応接室に入ると、三年前に会った時のような、奇妙なスーツを着たダンブルドアがいた。彼はこちらを見て微笑んだ。
「おはよう、シルヴィア。朝早くにすまんの」
「おはようございます、いえ、今新聞を読んでいたところで――」
 ダンブルドアの向かいに座る。彼は深刻な顔で頷いた。
「問題は、闇の印を打ち上げたのは誰かということじゃ……ヴォルデモートに今でも忠実なデスイーターが、野放しにされているということになる」
 ぞっとして、体が震える。闇の印は例のあの人に付き従うという証。それを打ち上げたことで、そのデスイーターは他のデスイーターたちに忠誠とは何かを示したのだ。
 ダンブルドアは半月型の眼鏡の奥からこちらを見つめ、言った。
「……今年は、トライウィザード・トーナメント(三大魔法学校対抗試合)があることを知っているね?」
「はい」
 中止されていたトーナメントが今年、ホグワーツで開かれることは、事前にマクゴナガル先生から聞いていた。頷けば、ダンブルドアは話を続けた。
「ホグワーツにやってくるダームストラング校の校長、イゴール・カルカロフは元デスイーターだった」
 それはシルヴィアも知っていた。当時の新聞で、カルカロフが仲間を売り釈放されたと報道されていた。
「加えて今回の闇の印……私は万が一のことを考え、アラスター・ムーディを闇魔術に対する防衛術の教師に迎えようと思っておる」
 シルヴィアは目を見開いた。彼は気遣わしげにこちらを見ていた。
「カルカロフを捕らえたのはアラスターだ。念には念を入れようと思う……君には防衛術を外れてもらい、七年生までの呪文学を――」
 彼の言葉を遮るように首を振る。
「いえ……大丈夫です。これまで通り、防衛術をさせてください」
 ダンブルドアは、驚いたようだった。目を丸くする彼に、シルヴィアは微笑む。ちゃんと笑えているか、自信がなかった。
「私は、平気ですから……心配していただかなくて、大丈夫です」
「じゃが――」
「本当に、大丈夫です」
 シルヴィアはきっぱりと言う。自分の個人的な事情で、ダンブルドアを煩わせたくはなかった。意志がかたいことが伝わったのか、ダンブルドアは口を閉じ頷いた。
「――わかった。君にはそのまま四年生以上の防衛術を担当してもらおう」

 ホグワーツに着いた、ハリー、ロン、ハーマイオニーは、足元を取られながら玄関ホールを進み、右側の二重扉を通って大広間へと入った。
 大広間は例年のように、学年はじめの祝宴に備えて、見事な飾り付けが施されていた。テーブルに置かれた金の皿やゴブレットが、宙に浮かぶ何百という蝋燭に照らされて輝いていた。各寮の長テーブルには、四卓とも寮生がぎっしり座り、喋ってはしゃいでいた。三人は各テーブルを通り過ぎ、大広間の一番奥にあるテーブルで、他のグリフィンドール生と一緒に座った。
 ハリーは、教職員テーブルを見上げた。いつもより空席が目立つような気がした。ハグリッドは、一年生を引率して湖を渡るために奮闘中だろう。マクゴナガル先生はたぶん、玄関ホールの床を拭くのを指揮しているのだろう。しかし、もう一つ空席があった。誰が居ないのか、ハリーは思い浮かばなかった。
「闇魔術に対する防衛術の新しい先生はどこかしら?」
 ハーマイオニーも、教職員テーブルを見ていた。ハリーは、ハイ・テーブルを端から端まで眺めたが、新しい顔は、全く見当たらなかった。
 小さなフリットウィック先生は、クッションを何枚も重ねた上に座っていた。その隣がスプラウト先生で、バサバサの白髪頭から帽子がずり落ちかけていた。彼女が話しかけているのが、シニストラ先生。シニストラ先生の隣は、土気色の顔、鉤鼻、べっとりした髪のスネイプ――ハリーが、ホグワーツで最も嫌いな人物だった。自分と負けず劣らず、スネイプもまたハリーを憎んでいた。
 スネイプの隣は呪文学と防衛術の助手である、ロジエール先生だった。彼女はとても緊張している様子で、整った顔が強張っていた。一体何に緊張しているのだろう。疑問に思っていると、彼女の様子に気づいたスネイプが、その背中をさすり何かを言った。ロジエールは微笑んだが、ぎこちなさがあらわれていた。
 ハリーは二年前にも、この光景を見たことがあった。しかし今度は特にショックはなかった。彼らが親密なのは、周知の事実だ。それが『友人』の枠を超えているかはわからないが。
 ハリーはこれまで、勝手に彼女を母親のように思っていた。しかし今では、そうではないと悟っていた。自分の母親は一人しかいないし、もうこの世にはいない。ロジエール先生はロジエール先生だ。ただスネイプと仲がいい先生であって、それ以上でも以下でもない。
 ロジエールの隣に目を移すと、そこは空席だった。マクゴナガル先生の席だろう。その隣がテーブルの真ん中で、ダンブルドア校長が座っていた。彼は長い指の先を組み、天井を見上げて、何か物思いに耽っているかのようだった。ハリーも、天井を見上げた。天井は魔法で本物の空と同じに見えるようになっているのだが、こんなにひどい荒れ模様の天井は初めてだった。黒と紫の暗雲が渦巻き、外でまた雷鳴が響いたときには、天井に樹木の枝のような形の稲妻が走った。
「ああ、早くしてくれ」
 ロンがハリーの横で呻いた。
「ヒッポグリフだって食っちゃう気分だ」
 組分けが始まったが、空腹のためか終わるのが長く感じた。ようやく「ホイットビー、ケビン!」(「ハッフルパフ!」)で、組分けは終わった。マクゴナガル先生は帽子と丸椅子を片づけた。
「いよいよだ」
 ロンは、ナイフとフォークを握り、自分の金の皿を見守った。ダンブルドア校長が立ち上がった。両手を大きく広げて歓迎し、生徒全員に向けて微笑みかけた。
「皆に言う言葉は、二つの単語だけじゃ」
 深い声が、大広間に響き渡った。
「たっぷりと、食べよ」
「いいぞ、いいぞ!」と、ハリーとロンが大声で言った。目の前の空っぽの皿が魔法でいっぱいになっていた。
 しばらくして、デザートもきれいさっぱり平らげられ、皿が輝くようにきれいになると、アルバス・ダンブルドアが再び立ち上がった。大広間を満たしていた声がほとんどいっせいにやみ、聞こえるのは風の唸りと叩きつける雨の音だけとなった。
「さて!」
 ダンブルドアは、笑顔で全員を見渡した。
「皆よく食べ、よく飲んだことだろう。いくつか知らせることがある。もう一度耳を傾けてもらおうかの」
「フィルチ管理人から皆に伝えるようにとのことだが、城内持ちこみ禁止の品に、今年は次のものが加わった。『叫びヨーヨー』、『噛みつきフリスビー』、『殴り続けブーメラン』。禁止品は、全部で四三七項目あるはずじゃ。リストは、管理人の事務所で閲覧可能。確認したい生徒がいればだが」
 ダンブルドアの口元がヒクヒクッと震えた。
「いつものとおり、校庭内にある森は、生徒立ち入り禁止。ホグズミード村も、三年生になるまでは禁止じゃ」
「寮対抗クィディッチ試合は、今年は取りやめじゃ。これを知らせることは私の辛い役目での」
 ハリーは、絶句した。
 同じクィディッチ・チームのフレッドとジョージに振り向いた。二人ともあまりのことに言葉もなく、ダンブルドアに向かってただ口を動かしていた。
 ダンブルドアの言葉が続いた。
「これは、一〇月にはじまり、今学年の終わりまで続くイベントのためじゃ。先生方もほとんどの時間とエネルギーをこの行事のために費やすことになる――しかし、私は、皆がこの行事を大いに楽しむであろうと確信しておる。ここに大いなる喜びを持って発表しよう。今年、ホグワーツで――」
 ちょうどこのとき、耳をつんざく雷鳴とともに、大広間の扉がバタンと開いた。
 戸口に一人の男が立っていた。長い歩行杖に寄り掛かり、黒い旅行用マントを纏っていた。天井を走った稲妻が、その男の姿をくっきりと照らし出した。男はフードを脱ぎ、たてがみのような、長い暗灰色まだらの髪の毛をブルッと震うと、ハイ・テーブルに向かって歩き出した。
 一歩踏み出すごとに、コツッ、コツッという鈍い音が大広間に響いた。テーブルの端に辿り着くと男は右に曲がり、一歩ごとに激しく身体を浮き沈みさせながら、ダンブルドアのほうに向かった。再び稲妻が天井を横切った。ハーマイオニーが息を呑んだ。
 その男の顔は、ハリーがいままでに見たどんな顔とも違っていた。ノミの使い方に不慣れな誰かが、風雨に曝された木材を削って作ったかのような顔だった。その皮膚は、一インチの隙もないほど傷痕に覆われているようだった。しかし、男の形相が恐ろしいのは、何よりもその目のせいだった。片方の目は小さく、黒く光っていた。もう一方は大きく、鮮やかな明るいブルーの色だった。ブルーの目は瞬きもせず、もう一方の普通の目とはまったく無関係に、グルグルと、上下左右に絶え間なく動いていた――その目玉がくるりと裏返しになり、瞳が真後ろを見る位置に移動したので、正面からは白目しか見えなくなった。
 正体不明のその男は、ダンブルドアに近づき、手を差し出した。その手を握りながら、ダンブルドアが何かを呟いたが、ハリーには聞き取れなかった。その男に何か尋ねたようだったが、男はニコリともせずに頭を振り、低い声で答えていた。ダンブルドアが頷くと、自分の右手の空いた席へと、その男を誘った。
 男は席に着くと、暗灰色の髪を顔から払い除けた。そしてソーセージの皿を引き寄せ、鼻のところまで持ち上げて匂いを嗅いだ。旅行用マントのポケットから小刀を取り出し、ソーセージに突き刺して食べはじめた。片方の正常な目は、ソーセージに注がれていたが、ブルーの目はグルグル動き回り、大広間や生徒たちを観察していた。
「闇の魔術に対する防衛術の新しい先生を紹介しよう」
 静まり返った中でダンブルドアの明るい声が言った。
「ムーディじゃ」
 新任の先生は、拍手で迎えられるのが普通だったが、ダンブルドアとハグリッド以外は職員も生徒も誰一人として拍手しなかった。二人の拍手が寂しく鳴り響き、すぐにやんだ。ほかの人々は、ムーディのあまりに不気味なありさまをただじっと見つめるばかりだった。彼の隣に座るロジエールは、卒倒するのではと思うほど、青ざめていた。
 ムーディは、お世辞にも温かいとはいえない歓迎ぶりにも、まったく無関心のようだった。旅行用マントから今度は携帯用の瓶を引っ張り出して飲みはじめた。
 ダンブルドアが咳払いした。
 釘付けにされてしまったかのようにマッド・アイ・ムーディを見つめ続けている生徒たちに向かって、「先ほど言い掛けていたのだが」と、ダンブルドアはにこやかに語り掛けた。この張り詰めた空気を変えることは不可能に思えたが、彼がトライウィザード・トーナメントを開催すると言った瞬間、生徒たちは一斉に歓声を上げた。
 皆、顔を輝かせていた。どの寮のテーブルでも、うっとりとダンブルドアを見つめる者や、隣の生徒と熱っぽく語り合う光景をハリーは目にした。

 生徒たちが興奮でざわめきながら大広間を出ていく中、シルヴィアは隣に座るムーディをそっとうかがった。彼は小刀でソーセージを食べていた。
 ――挨拶しなければ。
 拒もうとする口を無理やり開き、シルヴィアはムーディに声をかけた。
「ムーディ、先生」
 ムーディはこちらを向いた。今までグルグルと動いていた魔法の目も、こちらを見据えた。シルヴィアは強張った頬を強引に上げて微笑んだ。
「お食事中、すみません。ご挨拶をしようと思いまして……DADAの助手を務める、シルヴィア・ロジエールです」
 手を差し出すが、ムーディはその手を握ってくれなかった。代わりに、斜めに曲がった口をますます歪ませた。笑っていると気づいたのは、彼が乾いた笑い声を出したからだ。
「そうか、君がロジエールか……お目にかかれて光栄だ……」
 シルヴィアは差し出した手を戻し、ぎゅっと握った。その様子を見ながら、ムーディは言う。
「助手などいらんとアルバスに言ったが、聞いてくれなかったようだな……まあいい。私から君に仕事を与えることはないが、それでも助手がしたいと言うなら、好きにすればいい」
 歓迎されるとは思っていなかったが、ここまであからさまに敵視されるとも思っていなかった。唇を噛み、顔を俯かせるシルヴィアに、隣にいたセブルスが囁いた。
「行こう」
 頷き、彼と席を立った。後ろにある教職員用の扉から出るまで、背後からずっと視線を感じていた。
 二人はしばらく無言で、誰もいない廊下を歩いた。最初に口を開いたのはセブルスだった。
「……気に病むことはない。ムーディは、少しでも闇と接触している者を敵視する傾向がある……ダンブルドアは、君を防衛術の助手から外そうとしなかったのか?」
「外そうとしたわ……でも私が、大丈夫って言ったの」
 セブルスは驚いたようにこちらを見た。
「何故そう言った? 今の君を見る限り、大丈夫ではなさそうだが……」
 シルヴィアは弱々しく微笑んだ。
「お兄様の死を、私の中では受け入れてるし、大丈夫だと思ったの……でも今日会って、少しも大丈夫じゃないってことに気づいたわ」
「なら、今からダンブルドアに言って……」
 いいえ、とシルヴィアは首を振る。
「それはしないわ。私が決めたことだし、それに、逃げたくないから」
 セブルスは納得していないようで、眉間に皺を寄せたが、何も言わず前を向いた。シルヴィアにはその反応がありがたかった。
 ムーディによる最初の授業を受けるのは、グリフィンドールの六年生だった。授業開始の鐘とともに教室に入ったシルヴィアは、ムーディがまだ来ていないことに気づいた。授業に手出ししないよう言われていたため、生徒たちの後ろに立つと、フレッド、ジョージ、リーがこちらを振り向いて手を振ってくれた。シルヴィアは手を振りかえしたが、うまく笑えているかはわからなかった。
 まもなく、廊下を近づいて来るコツッ、コツッという音が聴こえてきた。紛れもなくムーディの足音だった。教室に入ってきた彼は、歩くたびにローブの下から鉤爪つきの木製の義足が見えた。
 ムーディは教科書をしまえと言い、出席を取り始めた。普通の目は名簿の順を追って動いていたが、「魔法の目」はグルグル回り、生徒が返事をするたびに、その生徒をじっと見据えた。
 出席簿の最後の生徒が返事をし終えると、「よし、それでは」と、ムーディが言った。
「まず、お前たちに自覚してもらわなければならない。それは、呪いの扱い方について、お前たちが非常に遅れているということだ。そこで私の役目は、魔法使い同士が互いにどこまで呪い合えるものなのか、おまえたちを最低ラインまで引き上げることにある。私の持ち時間は一年だ。その間におまえたちに、どうすれば闇の魔術に対抗できるかを教える。では――すぐ取り掛かる。呪いだ。呪う力も形もさまざまだ。さて、魔法省によれば、私が教えるべきは反対呪文であって、そこまでで終わりだ。違法とされる闇の呪文がどんなものか、六年生になるまでは生徒に見せてはいかんことになっている。ちょうど、お前たちの年だ」
 全員が真剣に聞いていた。
「さて――魔法界の法律によって、最も厳しく罰せられる呪文が何か、知っている者は居るか?」
 何人かが、中途半端に手を挙げた。ムーディは、アンジェリーナを指し示した。
「服従の呪文です」と、彼女ははっきりと答えた。
「ああ、そのとおりだ」と、ムーディが褒めるように言った。
 ムーディは立ち上がり、机の引き出しを開け、ガラス瓶を取り出した。黒くて大きなクモが三匹、中で這い回っていた。ムーディは、瓶に手を入れ、クモを一匹つかみ出し、手のひらに載せて皆に見えるようにした。そして杖をクモに向け、一言呟いた。
「インペリオ!」
 クモは糸を垂らしながら、ムーディの手から飛び降り、空中ブランコのように前に後ろに揺れはじめた。脚をピンと伸ばし、後ろ宙返りをし机の上に着地したかと思うと、今度は円を描きながら横回転をはじめた。ムーディが杖を上げると、クモは二本の後ろ脚で立ち上がり、タップダンスとしか思えない動きをはじめた。
 ムーディとシルヴィアを除いて、皆が笑った。
「面白いと思うのか?」と、ムーディは低く唸った。「私が、おまえたちに同じことをしたら、喜ぶか?」
 笑い声が、一瞬にして消えた。
「完全なる支配だ」
 ムーディが低い声で言った。
「私はこいつを、思いのままにできる。窓から飛び降りさせることも、水に溺れさせることも――何年も前になるが、多くの魔法使いたちが、この服従の呪文に支配された。誰が無理に動かされているのか、誰が自らの意思で動いているのか、それを見分けることが、魔法省にとってひと仕事となった」
 ムーディは、宙返りをしているクモを摘み上げ、ガラス瓶に戻した。
「ほかの呪文を知っている者はいるか? 何か禁じられた呪文を?」
 再び手がパラパラと挙がった。
「何かね?」ムーディは、魔法の目をぐるりと回してイーニアスを見据えた。
「磔の呪文」と、彼は答えた。
 さよう、とムーディは、全員のほうに向き直り、ガラス瓶から二匹目のクモを取り出し、机の上に置いた。クモはじっとして動かなかった。
 ムーディは、杖をクモに向けた。
「クルーシオ!」
 たちまち、クモは脚を内側に折り曲げて引っくり返り、痙攣しはじめた。ムーディは、杖をクモから離さず、クモはますます激しく身体を振りはじめた――。生徒たちは怯えたようにクモを見ていた。ムーディがようやく杖を離すと、クモの脚が緩んだ。しかしまだヒクヒクしていた。
 ムーディは、クモを瓶に戻した。
「苦痛。礫の呪文が使えれば、拷問に親指締めもナイフも必要ない――これも、かつて盛んに使われた。よろしい――ほかの呪文を何か知っている者は居るか?」
 手を挙げる者は少なかった。
「何かね?」と、ムーディがアリシアを見ながら言った。
「アバダケダブラ」と、彼女は囁くように言った。
 何人かが、不安げにアリシアを見た。
「ああ」
 ムーディは、曲がった口をさらに曲げて微笑んだ。
「そうだ。最後にして最悪の呪文。アバダケダブラ――死の呪いだ」
 ムーディが、ガラス瓶に手を突っ込んだ。すると、三番目のクモは、ムーディの指から逃れようと、瓶の底を狂ったように走り出した。自分の運命を知っているようだった。しかし、ムーディはそれを捕らえ、机の上に置いた。そして、杖を振り上げた。
「アバダケダブラ!」
 目も眩むような緑の閃光が走り、まるで目に見えない大きなものが宙に舞い上がるような音がした瞬間、クモは仰向けに引っくり返った。女子生徒が何人か、あちこちで声にならない悲鳴を上げた。シルヴィアは目を伏せた。
「良くない」ムーディの声は、静かだった。
「気持ちのよいものではない。しかも、反対呪文は存在しない。防ぎようがない。これを受けて生き残った者は、ただ一人。この学校にいる。さて、反対呪文がないなら、なぜおまえたちに見せたりするのか? それは、おまえたちが知っておかなければならないからだ。最悪の事態がどういうものか、おまえたちは認識しておかなければならないのだ。しかし、そんなものと向き合うような目に遭わないようにすることだ。不断の警戒!」
 声が轟き、皆が飛び上がった。
「さて――この三つの呪文だが――アバダケダブラ、服従の呪文、傑の呪文――これらは、許されざる呪文と呼ばれる。同類である人間に対して、このうちどれか一つの呪いをかけるだけで、アズカバン監獄で終身刑を受けるに値する。おまえたちが立ち向かうのは、そういうものなのだ。そういうものに対しての闘い方を、私はおまえたちに教えなければならない。備えが必要だ。武装が必要だ。しかし、何よりもまず、常に絶えず、警戒することの訓練が必要だ。羽根ペンを出せ――これを書き取れ――」
 それからの授業は、許されざる呪文のそれぞれについて、ムーディはノートを取らせた。授業終了の鐘が鳴るまで、誰も何も喋らなかった――しかし、ムーディが授業の終わりを告げ、皆が教室を出るとすぐに、お喋りで湧き返った。
 生徒たちに続いてシルヴィアも教室を出ながら、ぼんやりと思った。ムーディは、あの杖で、あのようにして兄を殺したのだろうか、と。

 それからの二日間は、とくに事件もなく過ぎ去った。もっとも、ネビルが調合薬学の授業で、溶かしてしまった大鍋の数が六個目になったことを除けばだったが。
 夏休みの間に、報復意欲に一段と磨きがかかったスネイプが、ネビルに居残りを言い渡した。そして樽一杯の角ヒキガエルのはらわたを抜き出す、という処罰を終えて戻ってきたネビルは、ほとんど弱っていた。
 ハーマイオニーがネビルに、爪の間に入り込んだカエルのはらわたを取り除く研磨呪文を教えているのを眺めながら、「スネイプがなんであんなに険悪ムードなのか、わかるよな?」と、ロンが言った。
「ああ」と、ハリーは答えた。「ムーディのことで」
 スネイプが、闇の魔術に対する防衛術の教職に就きたがっていることは、皆が知っていた。そして、今年で四年連続、スネイプはその職に就き損ねたのだった。これまでの防衛術の教師を、スネイプはさんざん嫌っていて、はっきり態度にもあらわしてきていた――ところが、マッド・アイ・ムーディに対しては、奇妙なことに、正面きって敵意を見せないように用心しているかのように見えた。事実、二人が一緒に居るところをハリーが目撃したときは――食事のときや、廊下ですれ違うときなど――必ず、スネイプがムーディの目(魔法の目と普通の目の両方)を避けていると、ハリーは、はっきりそう感じていた。
「スネイプは、ムーディのこと、少し怖がってるような気がする」と、ハリーは考え込んで言った。「それに、ロジエール先生も」
 ロジエールは、スネイプ以上にムーディを恐れているようだった。ムーディが近くにいる時の、彼女の表情を見ればすぐにわかった。いつもの穏やかさは消え、緊張からか顔が強ばっていた。
「確かに、ロジエール先生、ムーディ先生が来てからあんまり廊下で話してくれなくなったわ。先生の部屋で質問すると答えてくれるけど……」
 ハーマイオニーがこちらを振り返りながら言う。
「ムーディとロジエール先生たちは、過去に何かあったのかな?」
「そうね、何かありそうね」
 結局、原因は本人にしかわからず、ロンが話題を変えた。
「よし、ネビル、爆発スナップやろうぜ――」

 いつもの通り、シルヴィアは鐘と同時に教室に入り、生徒たちの後ろに立った。ハリーたちのクラスの授業は、これで二回目だ。教室に入ってきたムーディは、驚いたことに、服従の呪文を生徒一人ひとりにかけて、呪文の力を示すことで、果たして生徒がその力に抵抗できるかどうかを試すと発表した。
「ムーディ先生」
 これにはシルヴィアも、黙っていることはできなかった。
「それは違法です、同類である人間に使用することは――」
「ロジエール」
 ムーディの顔が不機嫌そうに歪んだ。
「私の授業に口出ししないよう言ったはずだが? それにダンブルドアが、これがどういうものかを、体験的におまえたちに教えて欲しいと言っている」
 ムーディの魔法の目が、ぐるりと回ってシルヴィアを見据えた。ダンブルドアから許可を得ているなら、何も言えない。シルヴィアは口を閉じた。
 それでも、服従の呪文がかけられていく生徒たちを見るのはつらかった。呪いのせいで、次々と途方もないことをする生徒たちを、シルヴィアは心配しながら見ていた。誰一人として呪いに抵抗できた者はいなかった。ムーディが呪いを解いたとき、はじめて我に返った。
「ポッター」と、ムーディが唸るように呼んだ。「次だ」
 ハリーが、教室の中央、ムーディが机を片づけて作った空間に進み出た。ムーディが杖をハリーに向け、唱えた。「インぺリオ」
 ハリーは膝を曲げ、跳躍の準備をした。しかし、飛び上がると同時に、飛び上がるのを自分で止めようとした――その結果、机にぶつかり、机を引っくり返した。シルヴィアはまじまじとハリーを見つめた。まさか、服従の呪文に打ち勝とうとした?
「よーし、それだ! それでいい! おまえたち、見たか――ポッターが闘った! 闘って、そして、もう少しで打ち負かすところだった! もう一度やるぞ、ポッター。あとの者はよく見ておけ――いいぞ、ポッター。とてもいいぞ! やつらは、おまえを支配するのにはてこずるだろう!」
 ムーディは、ハリーの力量を発揮させると言い、四回も続けて練習させ、ついにはハリーが完全に呪文を破るところまで続けさせた。シルヴィアは気が気でなかった。授業終了の鐘が鳴り、生徒たちが出ていく中、シルヴィアはハリーに声をかけた。
「ハリー、大丈夫? あんなに服従の呪文をかけられたら、体力がなくなるわ」
 大丈夫です、とハリーはふらつきながらもそう言った。はっきりとした意志を感じ、シルヴィアはそう、と心配しながらも頷く。
「なら、いいけど……ロン、その足、あと一〇分もすれば治ると思うわ――」
 一〇月三〇日は、心地よい期待感が城の中を満たしていた。夕方に、ボーバトンとダームストラングからお客が到着するということに気を取られ、誰も授業に身が入らないようだった。全ての授業が終わり、玄関ホールに行くと、各寮の寮監が、生徒たちを整列させていた。シルヴィアは、最後尾の教師たちの並ぶ列に加わった。
「楽しみね」
 隣に並ぶチャリティが笑みを浮かべて言った。シルヴィアも微笑みながら頷く。
「ええ、どうやって来るのかしらね」
 ボーバトンの一行は、巨大なパステルブルーの馬車でやってきた。空中から現れた馬車は、金や銀に輝く大きなバロミノが引いてきた。
 ダームストラング校の一行は、なんと湖からやってきた。難破船のような船は、水面を波立たせ、岸に向かって滑り出した。乗員は皆モコモコの分厚い毛皮のマントを着ていた。城まで全員を率いて来た男性――カルカロフだけは、違うものを着ていた。その髪と同じく、滑らかで銀色の毛皮だった。
「ダンブルドア!」
 坂道を登りながら、カルカロフが朗らかに声を掛けた。
「やあやあ、しばらく。元気かね」
「元気いっぱいじゃよ。カルカロフ校長」と、ダンブルドアが挨拶を返した。
 カルカロフはダンブルドアに近づき、両手で握手した。
「懐かしのホグワーツ城」
 カルカロフは城を見上げて微笑んだ。しかし、目が笑っていなかった。冷たい、抜け目のない目だった。
「ここに来ることができたことは嬉しい。実に素晴らしい――ビクトール、こっちへ。暖かいところへ来るがいい――ダンブルドア、かまわないかね? ビクトールは風邪気味なので――」
 カルカロフは、生徒の一人を招いた。
 その青年が通り過ぎたとき、シルヴィアはチラリと顔を見た。曲がった目立つ鼻、濃くて黒い眉――クィディッチの世界的選手、ビクトール・クラムだった。
 
 翌日の夕方、シルヴィアが大広間に入ったときには、ほぼ満員の状態だった。炎のゴブレットは、いまはまだ空席のままのダンブルドアの席の正面に移されていた。セブルスの隣に座ると、彼はこちらを向いた。
「遅かったな」
「少し、秘書から送られてきた緊急の仕事があって……」
 セブルスはそうか、と頷いた。ムーディが来てから、彼はなんだか心配してくれているように思える。その優しさが身に沁みた。
 ダンブルドアの言葉でハロウィーン・パーティが始まった。ムーディの席から離れていることもあって、シルヴィアはセブルスとの会話を楽しむことができた。パーティが終わり、金の皿がもとのきれいな状態になると、大広間の騒がしさが急に大きくなったが、ダンブルドアが立ち上がると、一瞬にして静まり返った。ダンブルドアの両脇に座っているカルカロフとマダム・マクシームも、皆と同じように緊張と期待感に満ちた顔をしていた。ルード・バグマンは、生徒たちに笑い掛け、ウィンクしていた。しかし、バーテミウス・クラウチは、まったく無関心で、ほとんどうんざりした表情をしていた。
「さて、ゴブレットは、ほぼ決定したようじゃ。私の見込みでは、あと一分ほど。さて、代表選手の名前が呼ばれたら、その者たちは、大広間の一番前に来るがよい。そして、教職員テーブルに沿って進み、隣の部屋に入るように」
 ダンブルドアは、テーブルの後ろの扉を差し示した。
「――そこで、最初の指示が与えられるであろう」
 ダンブルドアは杖を取り、大きく一振りした。とたんに、くり抜きかぼちゃを残して、蝋燭がすべて消え、部屋はほとんど真っ暗になった。炎のゴブレットは、いまや大広間の中でひときわ明々と輝き、キラキラした青白い炎が、目に痛いほどだった。
 ゴブレットの炎が、またもや突然赤くなり、火花が飛び散りはじめた。次の瞬間、炎が宙を舐めるように燃え上がり、炎の舌先から、焦げた羊皮紙が一枚、無い上がった――全員が固唾を飲んだ。
 ダンブルドアが、その羊皮紙を掴み、再び青白くなった炎の明かりで読もうと、腕の高さに差し上げた。
「ダームストラングの代表選手は――ビクトール・クラム」
 大広間中が拍手の嵐、歓声の渦となった。ビクトール・クラムが、スリザリンのテーブルから立ち上がり、前屈みにこちらへ歩いてきた。右に曲がり、テーブルに沿って歩き、その後ろの扉から、クラムは隣の部屋へと消えた。
「ブラボー、ビクトール!」
 カルカロフの声が轟いた。拍手の音にもかかわらず、全員に聞き取れるほどの大声だった。
「わかっていたぞ、君がこうなることは!」
 拍手とお喋りがおさまった。いまや全員の関心は、その数秒後に再び赤く燃え上がったゴブレットに集まっていた。炎に巻き上げられるように、二枚目の羊皮紙が中から飛び出した。
「ボーバトンの代表選手は――フラー・デラクール!」
 綺麗な少女が優雅に立ち上がり、シルバーブロンドの豊かな髪の毛をサッと振って後ろに流し、レイブンクローとハッフルパフのテーブルの間を滑るように進んだ。フラー・デラクールも隣の部屋に消えると、また沈黙となった。今度は、興奮で張り詰めた沈黙が、ひしひしと身体で感じ取れるかのようだった。次は、ホグワーツの代表選手だった――
 そして、またもや炎のゴブレットが赤く燃え上がった――溢れるように火花が飛び散り――その先から、ダンブルドアが三枚目の羊皮紙を取り出した。
「ホグワーツの代表選手は――セドリック・デイゴリー!」
 ハッフルパフの生徒が総立ちになり、叫び、足を踏み鳴らした。セドリックがニッコリ笑いながら、その中を通り抜け、教職員テーブルの後ろの部屋へと向かった。セドリックへの拍手があまりに長々と続いたので、ダンブルドアが再び話し出すまでに、しばらく間を置かなければならないほどだった。
 大歓声がようやくおさまり、「結構、結構!」と、ダンブルドアが嬉しそうに呼び掛けた。
「さて、これで三人の代表選手が決まった。選ばれなかったボーバトン生も、ダームストラング生も含め、皆打ち揃って、あらんかぎりの力を振り絞り、代表選手たちを応援してくれることと信じておる。選手に声援を送ることで、皆が本当の意味で貢献でき――」
 突然、ダンブルドアが言葉を切った。何が気を散らせたのか、誰の目にも明らかだった。
 炎のゴブレットが、再び赤く燃えはじめたのだった。火花が飛び散った。突然、空中に炎が伸び上がり、その先にまたしても羊皮紙が舞い上がった。ダンブルドアが長い手を伸ばし、羊皮紙を掴んだ。そこに書かれた名前をじっと見つめていた。
 大広間中の目がダンブルドアに集まっていた。やがて、ダンブルドアが咳払いし、読み上げた――
「ハリー・ポッター」
 シルヴィアは、グリフィンドールの席に座るハリーへ目を向けた。ハリーは、唖然としていた。
 誰も、拍手しなかった。怒った蜂の群れのような騒音が、大広間に広がりはじめた。凍りついたように座ったままのハリーを、立ち上がってよく見ようとする生徒も居た。
 マクゴナガル先生が立ち上がり、ルード・バグマンとカルカロフの後ろを通り抜けて、何事かをダンブルドアに囁いた。ダンブルドアは微かに眉を寄せ、マクゴナガル先生のほうに身体を傾け、耳を寄せていた。そして、マクゴナガルに向かって頷き、身体を起こした。
「ハリー・ポッター!」と、再度ダンブルドアが名前を呼んだ。「ハリー! ここへ、来なさい!」
 ハリーは立ち上がりざま、ローブの裾を踏んでよろめいた。グリフィンドールとハッフルパフのテーブルの間をハリーは進み、ダンブルドアのすぐ目の前に立った。ハリーは困惑したような、青ざめた表情をしていた。
「さあ――あの扉から、ハリー」と、ダンブルドアが言った。ダンブルドアは、微笑んではいなかった。
 ハリーは、教職員テーブルに沿って歩き、大広間から出る扉を開け、部屋へと入った。
 ダンブルドアが生徒たちに寮へ戻るよう言うと、何百という生徒が騒ぐ中、ハリーたちのいる部屋へ入っていった。クラウチ、カルカロフ、マダム・マクシーム、マクゴナガルも後に続く。セブルスと目配せし、シルヴィアも彼と一緒に部屋に入った。
「マダム・マクシーム!」
 フラーがマクシームのところへ、歩み寄った。
「この小さい男の子も競技に出ると、みんな言ってます!」
 マダム・マクシームは、背筋を伸ばし、全身の大きさを十二分に見せつけた。形の良い頭がシャンデリアを擦り、黒サテンのドレスの下で、巨大な胸が膨れ上がった。
「ダンブリー・ドール、これは、どういうことですか?」声は威圧的だった。
「私も是非、知りたいものですな、ダンブルドア」と、カルカロフも言った。冷徹な笑いを浮かべたブルーの目が、氷のかけらのようだった。
「ホグワーツの代表選手が、二人とは? 開催校は二人の代表選手を出してもよいとは、誰からも伺ってはいないが――それとも、私の規則の読み方が浅かったのですかな?」
 カルカロフは短く、意地悪な笑い声を上げた。
「セ・タァンポシーブル(有り得ないことですわ)」
 マダム・マクシームは豪華なオパールに飾られた巨大な手を、フラーの肩に乗せて言った。
「オグワーツが、二人も代表選手を出すことはできません。そんなことは、とても正しくないことです」
「我々としては、あなたの年齢線が、年少の立候補者を締め出すだろうと思っていたわけですがね、ダンブルドア」
 カルカロフの冷たい笑いはそのままだったが、目はますます冷ややかさを増していた。
「でなければ、当然ながら我が校からも、もっと多くの候補者を連れて来てもよかった」
「誰の不手際でもない。ポッターのせいだ。カルカロフ」
 隣に立つセブルスが低い声で言った。黒い目が、悪意に満ちて光っていた。
「ポッターが、規則は破るものと決めてかかっていることを、ダンブルドアの責任にすることはない。ポッターは、本校に来て以来、決められた線を越えてばかりいるのだ――」
「もうよい、セブルス」と、ダンブルドアがきっぱりと言った。
 セブルスは黙って引き下がったが、ハリーを睨んでいた。今度はダンブルドアが、ハリーを見下ろした。
「ハリー、君は炎のゴブレットに名前を入れたかね?」と、ダンブルドアが静かに尋ねた。
「いいえ」と、ハリーは言った。
 セブルスは隣で、イライラするように低い音を立てた。落ち着くよう、シルヴィアが彼の腕に触れると、音を立てるのをやめた。
「上級生に頼んで、炎のゴブレットに君の名前を入れさせたのかね?」と、ダンブルドアが尋ねた。
「いいえ」と、ハリーは激しい口調で答えた。
「ああ、この人は嘘をついてます」と、マダム・マクシームが叫んだ。セブルスは、口元に薄ら笑いを浮かべ、今度は首を横に振っていた。
「この子が、年齢線を越えることはできなかったはずです」と、マクゴナガル先生が鋭く言った。「そのことについては、皆さん、異論はないと――」
「ダンブリー・ドールが線を間違えたのでしょう」マダム・マクシームが肩をすくめた。
「もちろん、それは有り得ることじゃ」と、ダンブルドアは、礼儀正しく答えた。
「ダンブルドア、間違いなど無いことは、あなたが一番よくご存知でしょう!」
 マクゴナガルは怒っていた。
「まったく、馬鹿馬鹿しい! ハリー自身が年齢線を越えるはずはありません。また、上級生を説得してかわりに名前を入れさせるようなことも、ハリーはしていないと、ダンブルドア校長は信じていらっしゃいます。それだけで、皆さんには充分だと存じますが!」
 マクゴナガル先生は、とても険悪な様子で、セブルスを見た。
「ミスター・クラウチ――ミスター・バグマン」
 カルカロフの声が、熱心な声に戻っていた。
「お二方は、我々の――えー――中立の審査員でいらっしゃる。こんなことは異例だと思われますだろうな?」
 バグマンは、少年のような丸顔をハンカチで拭き、クラウチを見た。クラウチはそっけない声で答えた。
「規則に従うべきです。そして、ルールは明白です。炎のゴブレットから名前が出て来た者は、試合で競う義務がある」
「いやあ、バーティは規則集を隅から隅まで知り尽している」
 バグマンはニッコリ笑い、これで決着が付いたという顔で、カルカロフとマダム・マクシームのほうを見た。
カルカロフは炎のゴブレットをもう一度設置し、各校二名の代表選手になるまで、名前を入れ続けることを主張したが、炎のゴブレットはたったいま火が消えたとバグマンは答えた。
「――次の試合に、ダームストラングが参加することは決してない!」
 カルカロフは怒りを爆発させた。
「あれだけ会議や交渉を重ね、妥協したのに、このようなことが起こるとは、思いもよらなかった! いますぐにでも帰りたい気分だ!」
「はったりだな。カルカロフ」
 扉の近くで唸るような声がした。シルヴィアはどきりとし、振り向いた。ムーディが部屋に入って来ていた。
「代表選手を置いて帰ることはできまい。選手は競わなければならん。選ばれた者は全員、競わなければならんのだ。ダンブルドアも言ったように、魔法契約の拘束だ。都合のいいことにな、え?」
 ムーディは足を引きずって暖炉に近づき、右足を踏み出すごとに、コツッと大きな音を立てた。
「都合がいい? 何のことかわかりませんな、ムーディ」
 カルカロフの手は言葉とは裏腹に、固くこぶしを握り締めていた。
「わからん? カルカロフ、簡単なことだ。ゴブレットから名前が出て来れば、ポッターが闘わなければならぬと知っていて、誰かがポッターの名前をゴブレットに入れた」
「もちろん、誰か、オグワーツにリンゴを二口もかじらせようとしたのです!」
「おっしゃる通りです。マダム・マクシーム」
 カルカロフが、マクシームに頭を下げた。
「私は抗議しますぞ。魔法省と、それから国際連盟――」
「文句を言う理由があるのは、まずポッターだろう」と、ムーディが唸った。
「しかし――おかしなことよ――ポッターは、一言も何も言わん――」
「何故、不服を言いますか?」
 フラー・デラクールが足を踏み鳴らした。
「この人、チャンスをものにしたいのでしょう。私たちみんな、何週間も何週間も、選ばれたいと願ってた! 学校の名誉をかけて! 賞金の一千ガリオンかけて――みんな命をかけるほどのチャンスです!」
「ポッターが死ぬことを欲するものが居るとしたら」
 ムーディの低い声は、いつもの唸り声とは様子が違っていた。
 緊迫した沈黙が流れた。
 ルード・バグマンは、ひどく困った顔で、イライラと足を上下に揺すりながら、「おいおい、ムーディ――何を言い出すんだ!」と言った。
「みなさん、ご存知のように、ムーディ先生は、朝から昼食までの間に、ご自分を殺そうとする企てを少なくとも六件は暴かないと気が済まない方だ」
 カルカロフが声を張り上げた。
「ムーディ先生はいま、生徒たちにも、暗殺を恐れよとお教えになっているようだ。闇の魔術に対する防衛術の先生になる方としては、奇妙な資質だが、ダンブルドア、あなたなりの理由がおありなのだろう」
「私の妄想だとでも? ありもしないものを見るとでも? え? あのゴブレットに、この子の名前を入れるような魔法使いは、腕のいいやつだ――」
「おお、どんな証拠があるというのですか?」
 マダム・マクシームが、馬鹿なことを言わないで、とばかりに、巨大な両手を開いた。
「なぜなら、強力な魔力を持つゴブレットの目をくらませたからだ! あのゴブレットを欺き、試合には三校しか参加しないということを抹消させるには、並外れて強力な錯乱の呪文をかける必要があったはずだ――私の想像では、ポッターの名前を、四校目の候補者として入れ、四校目はポッター一人しか居ないようにしたのだろう――」
「この件には、随分とお考えを巡らされたようですな、ムーディ」
 カルカロフが冷たく言った。
「それに、実に独創的な説ですな――しかし、聞き及ぶところでは、最近あなたは、誕生祝いのプレゼントの中に、バジリスクの卵が巧妙に仕込まれていると思い込み、粉々に砕いたとか。ところが、それは旅行用の時計だと判明したとか。これでは、我々があなたの言うことを真に受けないのも、ご理解いただけるかと――」
「何気ない機会を捉えて、悪用する輩は居るものだ。闇の魔法使いの考えそうなことを考えることが、私の役目だ――カルカロフ、君なら身に覚えがあるだろうが――」
「アラスター!」
 ダンブルドアが警告するように呼び掛けた。ムーディは口をつぐんだが、それでも、カルカロフの様子を楽しむかのように眺めていた――カルカロフの顔は、燃えるように赤くなっていた。
「どのような経緯で、こんな事態になったのか、我々には分からぬ」
 ダンブルドアは言った。
「しかし、結果を受け入れるほかあるまい。セドリックもハリーも、試合で競うように選ばれた。したがって、試合にはこの二名の者が――」
 ――危険過ぎる。
 シルヴィアは口を開きかけたが、前学期にダンブルドアから言われた言葉を思い出し、口を閉じた。ハリーはもう子供ではない。代わりにマクシームが言った。
「おお、でもダンブリー・ドール――」
「まあ、まあ、マダム・マクシーム。何かほかにお考えがおありなら、喜んで伺いますがの」
 ダンブルドアは答えを待ったが、マダム・マクシームは何も言わず、ただ睨むばかりだった。マダム・マクシームだけではなかった。セブルスは憤怒の形相だったし、カルカロフは青筋を立てていた。しかし、バグマンは、むしろ楽しんでいるようだった。
「さあ、それでは、開始といきますかな?」
 バグマンは、ニコニコと手を揉みながら、部屋を見回した。
「代表選手に、指示を与えないといけませんな? バーティ、主催者としてのその役目を務めてくれますか?」
 何かを考え込んでいたバーテミウス・クラウチは、急に我に返ったかのような顔をした。
「フム」と、クラウチが言った。「指示ですな。よろしい――最初の課題は――」
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