愛 | ナノ
 二ヶ月ぶりに戻ったホグワーツの自室は、ハウスエルフが掃除してくれたらしく、埃一つなかった。シルヴィアは感謝しながらトランクを開けて杖を振り、本を棚に、服をクローゼットに入れていく。スーツの上に黒いローブを羽織った時には宴が始まる三〇分前になっていた。部屋を出て自室に鍵を掛けると、シルヴィアは広間へ歩きだした。
 ハイ・テーブルにはすでに教師たちがまばらに座り、話をしていた。シルヴィアは一通り挨拶していき、定位置に座った。両隣はおらず、またセブルスもいなかったが、こうした宴の席は決まっているため、移動して他の教師と話すことはできない。トレローニー先生の声を聞きながらシルヴィアは今年来るであろう防衛術教師を思い浮かべた。
 ギルデロイ・ロックハートにはパーティーなどで何度か会ったことがある。確かにハンサムだが目立ちたがり屋で自分をよく見せようとする欠点がある。会うたびに彼は何かとボディタッチをしてきたが、明らかにそれは純粋な好意ではなく、シルヴィア・ロジエールを侍らせている自分を演出したいという計算からだった。話していても専門的な会話は逃げようとする傾向があり、何故ダンブルドアは彼に教師を頼んだのか不思議だった。いくらクィレルのことがあったとしても、ロックハートに頼むのは間違っている。
 シルヴィアはため息をついた。五年生以上にはちゃんとした防衛術を教えたい。自分が教鞭を執りたくもなったが、それは許されないだろう。
 ホグワーツ特急が到着し、ざわざわと生徒たちが広間に入ってくる中、水色の派手なローブを着たブロンドの男が颯爽と通路を歩いてきた。ところどころ黄色い声が上がり、手を差し出す女子生徒たちに握手をしながら、彼はスターのようにハイ・テーブルへ上がってきた。険しい視線を送る教師たちに怯まずニッコリと白い歯を見せ、そして目が合うと、すぐさまこちらへ移動し手を差し出した。
「やあ、シルヴィア! 久しぶりだね、相変わらずとても美しい!」
 シルヴィアは立ち上がって手をとった。
「相変わらずお世辞が上手ですね、ギルデロイ。あなたが防衛術の教師になるとは思いませんでした」
「君もそう思うかい? だがね、これには深い訳があるんだ」
 ロックハートは悪戯っぽくウインクした。
「何でしょう?」
「君が深く関係しているよ」
 考えてごらん、と手を離して白い歯を満遍なく見せる彼に、シルヴィアは首を振った。
「わかりませんわ」
 ロックハートは芝居がかった口調で言った。
「それはね、君が助手をするからだよ」
 予想通りの答えだったが、シルヴィアはわざと驚いてみせた。
「もう、本当にうまい人ね」
「冗談じゃないさ、会ったときから君に虜になっているよ――隣に座っても?」
「ええ、ここは前の防衛術の先生が座っていた席だから、大丈夫だと思うわ」
 ロックハートと共に席についたシルヴィアは、それから組分けが始まるまでずっと彼の相手をしなければならなかった。とはいえ、喋り続けているのはロックハートだけだったため、相づちを打つだけでよかった。
 頷きながら、シルヴィアは組分けが始まっても姿を現さないセブルスが気にかかっていた。何かあったのだろうか。心配していると、彼は組分け後にハイ・テーブルに現れた。自分と目が合い、セブルスは薄く微笑んだ。彼はダンブルドアとマクゴナガルに何か言った後、マクゴナガル先生を連れて広間を出ていった。確実に何かあったようだ。それにしては機嫌が良さそうだったけれど。
 この一年で彼の機微が感じられるようになったシルヴィアは、それが心に引っ掛かった。セブルスの機嫌がいいということは、ハリー関係かもしれない。ぼんやりと扉を見つめていたシルヴィアは、突然肩に回された腕にはっと我に返った。
「ロックハート先生、あなたのファンに怒られますわ」
 少し語気強く言えば、彼は何でもないようににこやかに笑った。
「大丈夫さ、美男美女の戯れは絵になるだろう? その美しさに嫉妬もなくなるよ」
 その自信はどこから来るのか、羨ましくもある。シルヴィアはため息をついて、腕はそのままにナイフを動かした。
 相づちを打つ作業をしているうちに、ダンブルドアとセブルスが戻ってきた。先程とは打ってかわり不機嫌そうな彼に、何があったのか聞きたかったが、ロックハート越しに尋ねることはできなかった。
 宴が終わったら聞こうと思っていたシルヴィアは、二人で呑み直そうと誘ってきたロックハートを断り、地下への階段の途中にあるセブルスの部屋を訪ねた。ノックをした後に入ると、彼はデスクで書き物をしていた。眉間に皺が刻まれ、とても不機嫌そうだ。
「久しぶり、セブルス」
 彼の傍に立つが、セブルスはこちらを見向きもしなかった。
「ああ……なんだ、ロックハートと呑み直すのではなかったか?」
「いいえ、断ったわ――なあに、妬いてるの?」
 セブルスは鼻で笑いこちらを見た。
「馬鹿な。それで何の用だ?」
「式の時に何かあったのかと思って」
「夕刊を読んでいないのか?」
「ええ、ロックハートに拘束されてて――」
 デスクにあった新聞を渡される。見出しを見れば、空飛ぶフォードアングリアと書かれていた。関係しているのかと読むと六、七人のマグルが中古のフォードアングリアが空を飛んでいるのを見たとのことだった。
「ポッターとウィーズリーが運転し、暴れ柳に突っ込んだ」
 はっと顔を上げれば、セブルスは苦々しげに付け加えた。
「二人は無事だ。退学にできると思ったが、ミネルバはそうしなかった」
 ほっと胸を撫で下ろす。最後の言葉は聞かなかったことにした。
「そう、よかった――」
 夕刊を返し、そのまま彼の手元を見る。細やかな華奢な字は昔と変わらない。自分の字よりも上手かもしれない。
「まだ何かあるのか?」
 こちらを見上げたセブルスに、シルヴィアは微笑み腕にかけたバスケットを掲げた。
「一緒に呑み直したいなと思ったの」
 案の定セブルスは眉間の皺を深め、聞こえなかったかのように再び手を動かし始めた。
「仕事、終わらないの?」
「……これは今週中に提出する資料だ。今やらなくてもいい」
 本当のことを言ってくれた彼に思わず笑みが浮かぶ。
「セブルス、呑みましょう? あなたも彼の隣で楽しくなかったでしょう?」
「自分と呑んだ方が楽しいとでも?」
「少なくとも、私はあなたと一緒にいた方が楽しいわ」
 そう言うとセブルスは手を止め、立ち上がった。
「……一杯だけだ」
 セブルスはソファに座り、シルヴィアはほっとしながらその隣に座る。バスケットからワインとチーズなどの大量のおつまみを取り出すと、彼は顔をしかめた。
「そんなに食べる気か?」
「ハウスエルフたちがあれもこれもとくれたの。これでも断ったのよ――ありがとう」
 グラスに注いでくれた彼に礼を言い、彼もグラスを持ったところで掲げた。
「じゃあ、乾杯しましょう」
「何にだ?」
「……新学期に?」
 セブルスはふっと笑い、グラスを合わせた。
 
 美味しいワインとおつまみのお陰で、話は弾んだ。今日来たロックハートについての話から始まり、呪文や魔法の専門的な話まで、二人はこれまで以上に話をした。一杯だけと言っていたセブルスも、シルヴィアに合わせ、一本空けてしまった。彼女はかなり酒が回ってしまったらしく、頭を抱えていた。
「弱いくせによく呑もうなどと言ったな」
 セブルスは険しい声で言った。
「ごめんなさい、楽しくて……」
 それは自分も同じだったが、セブルスはこう言った。
「ロジエール、そろそろ帰れ。明日も早いだろう?」
「そうね、もう寝ないと」
 シルヴィアは立ち上がったが、足に力が入らず倒れそうになった。セブルスが瞬時に腰元を支える。
「ごめんなさい……」
「部屋まで送る」
 セブルスはシルヴィアを抱えながら、暗い階段へと出た。
 人気のない静かな廊下にヒールと靴の音が響く。シルヴィアはなるべく自分にもたれないようにしようとしているようだったが、酩酊した体は言うことを聞かないらしく、時折こちらに体重を預けてきた。おかげでセブルスは、彼女の体を感じてしまう。その柔らかさに、彼女への熱がぶり返してしまう。
 本人は意識していなくとも、こちらはとうに異性として意識している。学生時代に見て見ぬふりをしていた熱は、一年前の今日、彼女と再会してから再び帯び始めた。そして今、その熱は確かな存在として自分の中にあった。彼女に触れたいという欲さえ生まれていた。しかし、その日は絶対に来ないだろう。彼女は死んだ人間を思い続けているし、何より自分に彼女を口説く権利はない。
 拷問のように長く感じた歩みは終わり、ようやくシルヴィアの部屋の前にたどり着いた。
「もう大丈夫だな?」
 シルヴィアは頷いた。
「ありがとう、セブルス」
 セブルスは手を離した。温もりがなくなったことを寂しく思う自分に心の中で苦笑する。
 シルヴィアはローブから鍵束を取りだし、鍵を開けて中に入ると、そっと挨拶した。
「おやすみなさい、セブ」
 ずいぶんと久しぶりに聞いたその愛称に、セブルスは面食らった。シルヴィアはそんな自分を見て不思議そうな顔をしていた。自分が今なんと言ったか認識していないようだった。
「……ああ、おやすみ。ロジエール」
 声を絞り出して言えば、シルヴィアは微笑み、ゆっくりとドアを閉めた。

 翌朝、頭痛で目が覚めた。手で額を抑えながらゆっくりと起き上がる。スーツのまま眠ったらしく、ところどころ着崩れている。
 幸い、まだ朝食の時間になっていなかったため、シルヴィアはシャワーを浴びようと起き上がった。ずきずきと頭が痛む。セブルスとの話に夢中になって、つい呑みすぎてしまった。そして彼に迷惑をかけてしまった。朝一で謝らなければ。
 そう思っていたシルヴィアだったが、不幸なことにロックハートに捕まってしまった。
「おはよう、シルヴィア! 今日も美しい!」
 朝から白い歯を輝かせる彼が二日酔いの頭にとって眩しすぎたが、ロックハートはそんなことを知りもせず、当たり前のように自分の肩を抱いた。
「……おはようございます、ロックハート先生」
「どうしたんだい? 元気がないようだが」
 あなたのせいです、と言いたかったが、言葉をのみ、ロックハートと広間に入った。セブルスはすでにテーブルについていた。こちらを見た彼に眉を下げ、昨日はごめんなさいとジェスチャーする。彼は頷いてくれた。許してくれたようだった。安堵するシルヴィアをよそに、隣に座るロックハートは今日やる授業の内容が、どんなに素晴らしいものであるかを熱心に語っていた。
 ロックハートの言う『素晴らしい授業』を、シルヴィアはすぐに思い知らされた。ロックハートに関する五四もの問いに関するテストをし、彼でも捕らえることのできる、主に家庭に有害な魔法生物を大量に教室に解き放つ授業だ。低学年には大変かもしれないが、高学年にもなると一瞬で退治できる。これは予想していなかったようで、大幅に余った時間に、ロックハートは自分の武勇伝を再現する劇をやろうと提案し、生徒に役を当て嫌々演じさせた。授業の体裁を全く取っていない。自分を隣に立たせた彼を見上げ、シルヴィアは大きくため息をついた。
 セブルスは日に日に機嫌が悪くなっていった。原因は自分ではなく、ロックハートにあるらしいと、ロックハート越しに不快そうに食事する彼を見て判断した。とはいえ、自分の行動を知られているのか、ロックハートは行く先々で現れ、振りきることができずにいた。夜になればロックハートの悲惨な授業を受けて自主学習する生徒が数多く質問しに来るため、セブルスともチャリティとも話せず、シルヴィアは寂しく感じていた。
 そうして二週間が経ったある日の午後、防衛術教室へ急いでいると、スリザリンの監督生クエンティン・ワトソンが好青年らしい笑みを浮かべながら話し掛けてきた。
「ロジエール先生、こんにちは。少しいいですか?」
「こんにちは、クエンティン。どうしたの?」
 クエンティンはその整った顔を少し曇らせた。
「先生にお願いがありまして、その――OWLに向けて、先生に防衛術を教えてもらいたいんです」
「私に防衛術を?」
「そうです。先生はロックハートなんかより、ずっと呪文にお詳しいでしょうし、質問に対する答えがとても分かりやすいんです。ですから、是非、僕と個人授業を――」
 毎晩、あれほど多くの生徒が来るのだから、授業をした方が早いかもしれない。五、六、七年生をそれぞれ教えるのなら、それほど負担にもならないだろう。
「わかったわ」
 ダンブルドアもきっと了承してくれるはず。微笑んで頷くと、彼は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「曜日は後で連絡するから、それまでは待っていてね」
「はい、ありがとうございます、先生」
 クエンティンは颯爽と去っていった。

 ある日、ハリーたち三人がグリフィンドールの談話室に戻ると、掲示板の前に人だかりができていた。気になった三人が見てみると、そこにはこう書かれていた。

 五年生以上の防衛術学習者へ
 闇魔術に対する防衛術の課外授業を、シルヴィア・ロジエールが行います(校長から許可を頂きました)。
 毎週土曜日、場所は呪文学教室。
 時間は次の通り。

 五年生:午前一〇時〜一一時まで
 六年生:午後一時〜二時まで
 七年生:午後二時半〜三時半まで

 教科書は以下のものを使用します。

 五年生:『闇に対抗する力』クエンティン・ぺラム著
 六年生:『顔のない顔と対面する』ルパート・ウォルポール著
 七年生:『上級防衛術』ハンフリー・カヴェンディッシュ著

 購買希望者は今週までにこのリストに記名してください。来週の月曜の朝、ふくろうが運んできますので、その時にお金を払ってください。

 ※尚、このことはロックハート先生に口外しないでください。

 その下にあるリストにはずらりと名前が書かれ、どうやら名前が紙を埋めると下に伸びていく魔法が掛けられているらしく、床にまで伸びていた。
「残念だな、先生が三年生以下を担当してたらよかったのに」
 ハリーがそう言うと、隣にいたロンがニヤリと笑った。
「どういう意味だい?」
 ハリーは慌てて言った。
「僕らもちゃんとした先生に教わりたかったってことだよ」
「あら、ロックハート先生がちゃんとした先生じゃないって言うの?」
 ハーマイオニーが憤慨したように言い、ロンはうんざりした顔をした。

 土曜の授業にはほとんど全員が集まり、机が足りないほどだった。シルヴィアは足りない分を魔法で出し、初めての授業を行った。ちゃんとできるか少し不安だったが、生徒たちにはかなり好評だったようだ。彼らがわかるよう噛み砕いて説明したのがよかったようだった。
 生徒たちの中を歩きながら、シルヴィアは昼食を食べに広間へ向かった。幸い、ロックハートはおらず、ほっとしながらセブルスの隣についた。こちらを一瞥したセブルスに微笑み、厄介な人物が来ないうちにと急いで食べ始める。こうして彼と顔を合わせたのは久々で、いろいろ話したかったが仕方がない。
「防衛術の授業をしているらしいな」
 唐突に話しかけられ、口元を抑えながらサラダを飲み込んだ。
「ええ、さすがに不安だったけど、みんな面白いって言ってくれるわ」
 そう言えば、彼は不機嫌そうに鼻を鳴らした。どうしたのだろう。訝しく思ったが、すぐに生徒から聞いたことを思い出した。
「……私の助手なら、空いてるけれど。それじゃあ嫌でしょう?」
 セブルスはふっと笑って首を振った。
「君に使われるほど私は墜ちていない」
「どういう意味? それ」
 ふと、広間の扉が大きく開いた。ロックハートだ。彼は教員用扉を使わず、わざわざ広間を歩いてくる。捕まりたくなかったシルヴィアは、口元をナプキンで拭い、フォークを置いてすぐに立ち上がった。驚いたようにこちらを見上げるセブルスに、またねと手を振り広間を出た。
 一〇月になり、ハロウィーンが近づいてきた。パーティーには、ダンブルドアが骸骨舞踏団を招待したと聞き、生徒たちは皆ハロウィーンを待ちわびていた。それはシルヴィアも同じだったが、ロックハートがそばにいると何も楽しくなくなるのだとすぐに思い知った。
 舞踏団とは知り合いだだの、自分に言ってくれれば魔術師バンドも連れてきたのにだのと高らかに言い、シルヴィアはうんざりして「ええ」、「そう」、「さすがね」などと適当に頷き、ほとんど聞き流していた。二時間ほどでようやくお開きになり、彼から離れられることにほっとしたシルヴィアは、広間を出るとすぐにセブルスの隣へと避難した。ロックハートは自分を探していたが、セブルスと一緒に生徒に紛れたお陰で見つけられなかったようだ。シルヴィアは振り返り、まいたことを確認すると、そっと彼の腕を離した。セブルスは眉を寄せてこちらを見下ろした。
「私を巻き込むな。これでは地下に戻れん」
 彼の言葉に周りを見ると、満足そうな生徒たちに囲まれ、波をかき分けて後ろに戻るのは困難な状態だった。最も、セブルスなら生徒たちはさっと道を空けてくれるだろうが。ちらちらとこちらを不思議そうに見る生徒たちの視線を受けながら、シルヴィアは彼を見上げた。
「ごめんなさい、私、とっさに……」
「無意識に私を巻き込んだと言いたいのか?」
 その時、生徒の進行が止まった。ざわざわと文句を言う生徒たちの中、セブルスと目を交わし前へと進んだ。道を空ける生徒たちの波を通り抜け、途中でダンブルドアたちと合流しロックハートに再び捕まりながら三階まで上がると、フィルチの金切り声が聞こえてきた。
「おまえだな! おまえだ! おまえが私の猫を殺した! あの子を殺したのはおまえだ! 私がおまえを殺してやる! 私が――」
「アーガス!」
 フィルチが非難していたのは、ハリーだった。そして傍にロンとハーマイオニーがいた。後ろで光を放つ文字に目を向ければ、

 秘密の部屋は開かれたり
 継承者の敵よ、気をつけよ

 と書かれていた。松明にはなんとミセス・ノリスがぶら下がっていた。
 その光景に呆然と立ち尽くす。ぞっとするような光景だった。じっと見つめているうちに、先頭にいたダンブルドアが素早く三人の脇を通り抜け、ミセス・ノリスを松明の腕木から外した。
「アーガス、一緒に来なさい。ミスター・ポッター、ミスター・ウィーズリー、ミス・グレンジャー。君たちも来なさい」
 隣にいたロックハートが前に進み出た。
「校長先生、私の部屋が一番近いです――すぐ上です――どうぞご自由に――」
「ありがとう、ギルデロイ」
 得意げにダンブルドアのあとを追うロックハートから離れ、シルヴィアは一番後ろ、セブルスのあとに続いた。ランプのような目を見開いたミセス・ノリスの顔が、頭から離れられなかった。

 部屋に入ると、ロックハートは机の蝋燭を灯し、後ろに下がった。ダンブルドアはミセス・ノリスを磨き上げられた机に置き、調べはじめた。ハリーたちは蝋燭の灯りが届かないところにある椅子に座り、その様をじっと見つめた。
 ダンブルドアは半月形の眼鏡を通してミセス・ノリスをくまなく調べた。マクゴナガル先生も身を屈めて同じくらいに近づき、目を凝らしていた。スネイプはその後ろに立ち、何とも奇妙な表情をしていた。笑いを必死にかみ殺しているかのようだった。しかし、その隣に佇むロジエール先生の沈痛な面持ちをちらりと見ると、いつもの険しい表情に戻った。そして、後ろに組んでいた手を解いて何やら動かした。暗くてよくわからないが、ハリーにはスネイプが彼女の背中を少し擦ったように見えた。その証拠に、ロジエール先生は彼を見上げ、スネイプに何かを囁くように言われると、微かに強ばった表情を和らげた。ロジエール先生がスネイプと親しいのは周知の事実で、それは学校の七不思議となりつつあったが、今のはまるで恋人同士のような空気が漂っていた。まさか。ハリーはぎょっとし目を凝らしたが、二人はもう話そうとしなかった。
 しばらくして、ダンブルドアがようやく身体を起こし、やさしく言った。
「アーガス、猫は死んでおらんよ」
 ロックハートはこれまで自分が未然に防いだ殺人事件の数を数えている最中だったが、慌てて数えるのをやめた。
「死んでいない?」
 フィルチが声を詰まらせ、指の間からミセス・ノリスを覗き見た。
「じゃ、どうしてこんなに――こんなに固まって、冷たくなって」
「石化しただけじゃ。ただ、どうしてそうなったのか、私には答えられん……」
「あいつに聞いてくれ!」
 フィルチは涙で汚れ、まだらに赤くなった顔でこちらを振り向いた。
「二年生に、こんなことができるはずがない」
 ダンブルドアはきっぱり言った。
「最も高度な闇魔術をもってして、はじめて――」
「あいつがやったんだ、あいつだ!」
 たるんだ顔を真っ赤にして、フィルチは吐き出すように言った。
「あいつが壁に書いた文字を読んだでしょう! あいつは見たんだ――私の部屋で――あいつは知ってるんだ、私が――私が――」
 フィルチの顔が苦しげに歪んだ。
「私がスクイブだって知ってるんだ!」
「ミセス・ノリスに指一本触れていません!」
 ハリーは叫んだ。皆の目が、壁の写真のロックハートの目さえもが、自分に集まっているのをいやというほど感じた。
「それに僕、スクイブが何なのかも知りません」
「バカな! あいつはクイックスペルの手紙を見やがった!」
「校長、一言よろしいですかな」
 影の中からスネイプの声がした。嫌な予感がした。スネイプは一言も自分に対して有利な発言をすることはないと確信していた。
「ポッターもその仲間も、単に間が悪くその場にい合わせただけかもしれません」
 スネイプは自分はそう思わないとばかりに、口元を微かに歪めて冷笑していた。
「とはいえ、一連の疑わしい状況が存在します。何故彼らは三階の廊下にいたのか? 何故ハロウィーンパーティーにいなかったのか?」
 ハリー、ロン、ハーマイオニーはいっせいに命日パーティの説明をはじめた。
「……ゴーストが何百人もいましたから、僕たちがそこにいたと、証言してくれるでしょう――」
「では、その後パーティに来なかったのは何故だ?」
 スネイプの黒い瞳が、蝋燭の灯りでギラリと光った。
「何故、あそこの廊下に行ったのかね?」
 ロンとハーマイオニーがこちらを見た。
「それは――つまり――」
 ハリーの心臓は早鐘のように鳴った。自分にしか聞こえない、姿のない声を追っていたと答えれば、こじつけに思われるだろう。
「セブルス」
 口を開きかけたその時、スネイプの脇から咎めるような声がした。ロジエール先生が美麗な眉を吊り上げ、スネイプを見上げていた。
「校長がおっしゃった通り、二年生に石化魔法はできないわ。ハーマイオニーでも難しい……あなたもよくわかってるでしょう?」
 スネイプはピクリと眉を動かした。
「私がポッターたちを疑っているとでも言うのかね?」
「ええ。そうじゃないの?」
 頷いたロジエール先生に、スネイプは冷笑を浮かべた。その顔に、先ほど彼女に囁いていた時の穏やかさはどこにもなかった。
「私は最低限の疑問を問いただしているだけだ。疑ってはいない」
 ロジエール先生も負けじと言った。
「……疑っていないなら、その最低限の疑問の答えを聞いても意味がないんじゃない? ハリーたちがやったという証拠もないし」
 ハリーという言葉に、スネイプの口端が不快そうにひくひくと痙攣したが、彼は何も言わず、校長を見た。ダンブルドアは微かに笑みを浮かべながらきっぱりと言った。
「彼女の言う通りだよ、セブルス」
 スネイプはぎりと歯を噛み締めた。言い負かしたロジエール先生は、微笑んでいると思いきや、沈痛な顔で彼を見つめていた。その気遣わしげな表情に、ハリーの胸がずきりと痛んだ。
 ダンブルドアに帰っていいと言われ、三人は走りこそしなかったが、その手前の早足で、できるかぎり急いでその場を立ち去った。ロックハートの部屋の上階の、誰もいない教室に入ると、そっとドアを閉めた。ロンが言った。
「危なかったな、ロジエール先生のお陰で助かった」
「うん、そうだね」
「どうした? 何か嬉しそうじゃないけど」
 ここが暗くてよかった。でないと自分の沈んだ顔が見えてしまっていただろう。ハリーは慌てて声のトーンを少し高くした。
「いや、そんなことないよ。そういえば、壁になんて書いてあった? 『部屋は開かれたり』……これ、どういう意味なんだろう?」
「待って、なんか思い出しそう」
 ロンはゆっくりと言った。
「誰かが、ホグワーツの秘密の部屋のことを話してくれたことがある……ビルだったかもしれない……」
「スクイブっていったい何?」
 ハリーの問いに、何がおかしいのか、ロンは笑いを噛み殺した。
「あの――本当はおかしいことじゃないんだけど――でも、それがフィルチだったから……スクイブってのは、魔法族の家に生まれたのに魔力を持ってない人のことなんだ。マグルの家に生まれた魔法使いの逆かな。でも、スクイブって滅多にいないけどね。もし、フィルチがクイックスペル・コースで魔法を学ぼうとしてるなら、きっとスクイブだと思うな。これで、いろんな謎が解けた。たとえば、なんであいつは生徒をあんなに憎んでるのか、なんてこと」
 ロンは満足げに笑った。
「妬ましいんだ」
 どこかで時計の鐘が鳴った。
「零時だ。早くベッドに行かないと。スネイプが来て、別なことで僕たちを落とし入れないうちに」
 スネイプ、と言ったところで先ほどのロジエール先生の表情がちらついた。違う。僕が気にすることではない。先生はスネイプの友人で、僕はただの一生徒だ。スネイプを気にかけるのは当たり前じゃないか。
 ハリーはいつの間にか、ロジエール先生を母親のように慕っていた。頭を撫でてくれた優しい手、クィレルから自分を必死に守ろうとしてくれた姿。
 僕は、ロジエール先生がスネイプと仲が良いのを受け入れられないのかもしれない。
 ハリーはふと思った。何を馬鹿なことを。ロジエール先生は他人だ。母親でも何でもないじゃないか。ハリーはこのもやもやした感情を、心から追い出した。
- 6 -
prev / next

[ back to top ]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -