愛 | ナノ
 クィディッチ試合当日の土曜日は快晴だった。広間を出る生徒たちとともに球技場へ向かい、教員席に上がる。教師たちの中から黒い影を見つけ、隣に移動すると、彼がこちらを見た。
「おはよう、セブルス。あなたって全身真っ黒だからすぐ見つけられていいわね」
「おはよう――君だって黒いだろう?」
 言われて自分の服装を見てみると、確かに黒かった。ローブの袖を捲りながら頷くと、上からふっと笑う声が聞こえた。
「双眼鏡まで提げて、随分気合いが入っているな」
 シルヴィアはにこやかに彼を見上げ、胸元に提げた双眼鏡を手に持った。
「だって久しぶりの観戦だもの。それに、ハリーがシーカーになったんでしょう? 最年少シーカーの勇姿をしっかり見ておかないと」
 興奮気味だったため、思わず口を滑らせてしまった。はっとした時には、彼の微笑みはなくなり、怒りで顔を歪めていた。
「グリフィンドールの応援席はここじゃない。早く移動しろ」
 ああ、地雷を踏んでしまった。ハリーが戸口から覗いたとき、彼の前でジェームズとハリーのことは絶対に話さないと決めたのに。シルヴィアは自分に呆れながらセブルスを見上げた。
「ごめんなさい、もちろんスリザリンを応援するわ。だから一緒に観戦しましょう?」
 許してもらえたらしく、彼は仕方がないとでも言うようにため息をついて頷いた。安心したシルヴィアは、周りの様子を見た。全校生徒が集まったと言っても過言ではなく、全ての観客席が人で埋まっている。皆、これから始まるクィディッチを楽しみにガヤガヤと騒いでいた。
 ふと、向かいの席にはためく大きな旗が気になり、双眼鏡を覗くと、ポッターを大統領にという文字とともに、大きなライオンが光っているのが見えた。傍にいるのはロンとハーマイオニー、シェーマスにディーン、それからネビルだ。これはハリーが喜ぶだろう。
「――何を笑っている?」
 自然と笑っていたらしく、隣から声を掛けられた。双眼鏡から目を離して怪訝そうな顔をしている彼を見上げた。
「クィディッチを観るの久しぶりだから、楽しみだなって――」
 最後まで言葉を続けられなかった。大歓声が割れるように上がったのだ。選手が入場してきたらしい。
 身を乗り出したシルヴィアは、緑のローブから紅のローブへと自然と視線が移り、ハリーの姿を探してしまう。彼はフレッドとジョージの後ろにいた。心底緊張しているようで、眼鏡に手を掛けたり、髪を撫で付けたりしていた。
 そして、マダム・フーチの笛とともに一五本の箒が飛び上がった。箒はほぼ観客席と同じ高さを飛び回る。リー・ジョーダンの解説に笑いながら(その度隣の彼は顔をしかめたが)、双眼鏡で選手たちを追った。
 ブラッジャーが進む方向を見れば、上空でスニッチを探すハリーを見つけた。ブラッジャーを避け、フレッドがそれを叩き込んだことに人知れず胸を撫で下ろし、それからハリーを見ていることに決めた。ハリーの安全も任務のひとつだ。そうするのが当たり前だろう。そう自分をごまかしながら見ていると、彼の箒が少しぐらついたのがわかった。
 今のは――?
 じっと双眼鏡越しに目を凝らすと、再びぐらぐらと箒が揺れ出した。間違いない、あれは――。
 双眼鏡を外したシルヴィアは、後ろにいるはずのクィレルに、心の中で舌打ちした。この観衆の声で聞こえないのをいいことに、箒に呪いを掛けている。
 シルヴィアは遠くにいるハリーを見つめ、解除呪文を唱え始めた。今や箒は方向転換もできないようだった。ふと隣から手が伸び、双眼鏡が手からなくなったが、隣を向かなかった。この強力な呪いを解くにはハリーから目を離さず、また瞬きしてもいけない。すぐに、自分の声に被せるように隣から解除呪文が聞こえてきた。ハリーはもうしがみついているのが奇跡のような状態だった。いけない。もっと集中しないと――。そう息をついだ時、何かの焦げる匂いがした。
「な、何――セブルス、ローブに火が!」
 下を見ると、煙が彼のローブから上がっていた。セブルスが慌てて裾を振れば、火はあっけなく消えた。なぜ突然火がついたのかはわからなかったが、はっとしてハリーを見れば、彼は再び箒に跨がっていた。先ほどのぼやでクィレルは目を離したのだろうか?
 持ち直したハリーはすぐに地面へ急降下していった。そして、四つん這いに着地し――何かを吐き出した。金色のボール。スニッチだった。
 わっと沸き上がった歓声とともに、シルヴィアは笑顔で手を叩いた。リーがグリフィンドールの勝利を叫ぶ中、隣を見れば、苦虫を噛み潰したような顔をしたセブルスが手を叩いていた。
「……ぼやに救われたわね」
 そう小声で囁くと、彼は頷いた。
「ああ、どこから火が出たのかはわからんが――奴は本気でポッターの命を狙っているらしい」
 シルヴィアは胴上げされているハリーを見ながら、無言で頷いた。クィレルは本当にハリーを殺そうとしている。それを再認識すると同時に、重圧、そして恐怖が沸き上がってきた。ハリーの安全どころではない。彼の命を任されているのだ。
「――大丈夫か?」
 セブルスの声に、現実に戻る。黒い瞳の中に、微かに心配の色が見えた。
「思い詰めるな。君は奴の監視だけしていればいい。余計なことを考えるのはやめろ」
 シルヴィアは目を伏せて頷いた。本当は、セブルスと同じ任務を任されている。しかし彼にはそれを隠し通さなくてはならない。
 小さな罪悪感を抱いていると、左肩に軽く大きな手が乗った。
「行くぞ」
 周りの教員や生徒たちは移動を始めているようだった。シルヴィアはセブルスに促されるように、競技場を後にした。

 それから二〇分ほど経った頃、ハリーはロンとハーマイオニーとともにハグリッドの小屋にいた。
「それが……スネイプと、ロジエール先生だったんだ。君の箒に、二人とも目を離さずにブツブツ呪いをかけてた」
「そんな……!」
「バカな!」
 ハリーとハグリッドの声が重なった。ハリーには信じられなかった。信じたくなかった。
「本当かい? 本当にロジエール先生が唱えてたのかい?」
 二人はハリーの問いにゆっくりと頷いた。その沈んだ顔が、それが事実であることを表していた。ハリーは一気に心が沈み、顔を俯けた。あの優しい笑みは、慈愛に満ちた瞳は、自分の頭を撫でた手は、全て偽りだったのか? 本当は心の中で、自分を殺してやりたいと思っていたのか?
 無言になる三人に、ハグリッドが呼び掛けた。
「おいおい、おまえさんたち、何を本気にしちょる? スネイプとロジエールが、そんなことをする必要がどこにあるんだ? ただの見間違いだろう」
 三人は互いに顔を見合わせた。ハリーは、本当のことを言おうと決めた。
「……僕、少し知ってることがあるんだ。スネイプはハロウィーンの日、三頭犬の裏をかこうとして咬まれたんだよ。何かは知らないけど、あの犬が守っているものを盗もうとしたんじゃないかと思うんだ。それで、スネイプの怪我を、ロジエール先生が手当てしてた」
 ハグリッドはティーポットを落とした。
「なんで、フラッフィーを知っちょるんだ?」
「フラッフィー?」
「そう――あいつの名前だ――去年パブで出会ったギリシャ人のやっこさんから買ったんだ――俺がダンブルドアに貸した――守るために――」
「何を?」ハリーが身を乗り出した。
「もう、これ以上聞かんでくれ。トップシークレットなんだ、これは」
「だけど、スネイプが盗もうとしたんだ」
「バカな」
 ハグリッドは繰り返した。
「スネイプはホグワーツの教師だ。そんなことするわけないだろう」
「なら、どうしてハリーを殺そうとしたの?」
 ハーマイオニーが叫んだ。
「ハグリッド。私、呪いをかけてるかどうか、一目でわかるわ。たくさん本を読んだんだから! じっと目を逸らさずに見続けるの。スネイプと……ロジエール先生は、瞬き一つしなかったわ。この目で見たんだから!」
「おまえさんは間違っちょる! 俺が断言する。俺はハリーの箒が何であんな動きをしたのかはわからん。だがスネイプもロジエールも、生徒を殺そうとしたりはせん! 三人ともよく聞け――おまえさんたちは関係の無いことに首を突っ込んでる。危険だ。あの犬のことも、犬が守っちょる物のことも忘れるんだ。あれはダンブルドア先生とニコラス・フラメルの――」
「あっ、ニコラス・フラメルっていう人が関係してるんだね?」
 ハグリッドは口を滑らせた自分自身に、猛烈に腹を立てているようだった。
 ハグリッドから情報を得ても、ハリーの心は晴れなかった。それはロンとハーマイオニーも同じようで、三人は何も話さず夕食を食べていた。グリフィンドールの席は皆、勝利に浮かれ騒いでいたが、ハリーには、それが自分とは遠い世界のもののように感じた。フレッドとジョージに心配されたため、軽く微笑んでみせた。二人が戻った後、ロンに腕を軽く叩かれた。
「何?」
「ハイ・テーブルを見て」
 そう言われ上座の方を見ると、スネイプとロジエールが夕食を取っている姿が見えた。それは特におかしなことではない。二人は時々隣り合わせで食事している。しかし、ロジエールもスネイプ側にいると知った今では、彼女らが話している内容がハリーに関することなのではと邪推してしまう。
 三人は、じっとスネイプとロジエールを見つめた。これほど、彼らを見つめたことは今までなかった。二人はフォークを片手に、何やら話をしていた。ロジエールは深刻そうな顔をしていたが、スネイプが言った言葉にふと安心したような笑みを浮かべ、そして驚いたことに、スネイプもまた、薄く笑っていた。その笑みに冷たさや嘲笑はなかった。
「見たか? 今の……」
 隣のロンが呟き、二人に顔を向けた。
「笑いあってたぜ?」
「……正確には、微笑み合っていた、よ」
 ハーマイオニーは眉を寄せながら言った。
「二人の笑みに悪い感情はないみたいだけど……本当に信じられないわ……ロジエール先生が、ハリーの命を狙ってるなんて……」
「僕も信じられない……先生の笑顔も、何もかもが嘘だったなんて」
 あの時、廊下で頭を撫でた時のロジエールは、ハリーの心を優しく包み込んでくれた。それはまるで母親のように。
「それは俺も信じられないさ。でも、事実だろう? ロジエールはスネイプと一緒に、ハリーを殺そうとしたんだ。そうだろう? ハーマイオニー」
 ハーマイオニーはぎゅっと唇を噛んだ。ハリーと同じく、彼女もまたロジエールを慕っていた。ハリーは感情を押し殺し、口を開いた。
「――とにかく、今やるべきことはスネイプたちを阻止することだ。ニコラス・フラメルのことを図書室で調べてみよう。何かわかるかもしれない」

 クリスマス休暇前日、シルヴィアはフリットウィック先生とツリーの飾りつけをしていた。杖先から金色の泡を出し、花のように枝を飾っていく。毎年見ていた光景を自分が作り上げるのは、不思議な気分だった。
「よし、これで終わりでしょう。クリスマスが楽しみだ」
 梯子から下りてフリットウィック先生が言った。シルヴィアも空中から駆け降りる。複雑な魔法を掛けたこのヒールは、空中に足を踏み出すと、見えない段が作られ階段のように行き来することができた。
「ええ、当日は正装しようかと思ってます」
「ほう、では私も正装しようかな」
 言ってネクタイを正す真似をした先生に、シルヴィアは笑い、それから辺りを見回した。広間は巨大なモミの木と、柊のリースが均等に飾られ、金、赤、緑に輝いていた。本当に見事な光景だ。これを心から感動できたらいいのだが、今は心に引っ掛かることがあった。
 セブルスは「クィレルの監視だけしていろ」と言っていたが、彼にばかり任せてはいられなかった。大切な想い人の子を守りたかった。そのためにはクィレルに近づく必要があったが、彼は自分がセブルス側にいると、クィディッチの件で気づいたのだろう。クィレルはいつも通り振る舞っていたものの、授業以外で自分と会わないようにしているようだった。こんなことなら、恐れずに最初からひっついていればよかったと後悔しても遅い。
 休暇が始まると、シルヴィアは学者としての仕事に追われた。研究はもうしていなかったが、専門家としてのちょっとした一言や、コラムの依頼はひっきりなしに続いていた。これが嫌でシルヴィアは公表せずにここに来たのだが、とっくに情報は漏れているようだった。忙しくて開けていない手紙の山も今のうちに片付けようと、封を開けては依頼と個人的な手紙とを分け、依頼の返事を片っ端から書いた。パソコンを使って羊皮紙に印刷したいところだが、残念なことにホグワーツでは電気製品が使えない。食事以外はほぼ書斎に閉じ籠もったまま、シルヴィアはクリスマスを迎えた。
 夕食の一時間前、そろそろ準備をしようと肘掛け椅子から立ち上がったシルヴィアは、クローゼットから黒いシンプルなドレスを取り出した。スーツからドレスへ着替え、姿見に映してみる。スリットが太ももまで入っているが、胸はそれほど開いていない。ただ、シンプルすぎるため、この上にレースのきらびやかなショールを合わせようと、杖でトランクを開き、ショールを呼び出す。いつもより少し濃い化粧を施した後、部屋を後にした。
 広間に行く途中、同じくディナーを食べに下りてきたフレッドとジョージに出会った。二人は自分のドレス姿に驚いているようだった。
「ワーオ、先生、すごく綺麗だ!」
「ありがとう、あなたたちのセーターも素敵よ。お母さんからのプレゼント?」
 大きくアルファベットが入ったセーターを指差すと、二人はニヤリと笑った。
「そう、ウィーズリー家特製セーターです。パーシーも着てるんだ。よかったら感想言ってあげてください」
「先生に褒められたら、喜んで毎日着るだろうから」
 広間に入り、マクゴナガル先生やスプラウト先生にドレス姿を誉められながら、シルヴィアはクィレルとフリットウィックの間の定位置についた。
 早速褒めてくれたフリットウィック先生に褒め返し、まばらにいる生徒たちとともに、ローストチキンやチポラータなどに舌鼓を打った。ワインの入ったゴブレッドを傾けながら、ちらりとクィレルを見れば、彼はセブルスと話をしていた。こんな機会でないとクィレルと食事できなくなっていたため、彼と話をしたかったのだが仕方ない。
 フリットウィックの方に視線を向けると、彼はクラッカーに入っていたジョークを読み上げ、彼の向こうのダンブルドアが、それをくっくっと愉快そうに笑っていた。彼と目が合うと、自分の顔が強ばるのがわかった。賢者の石が隠されたドアが、わざと開閉呪文で開けられるようにされていたのではないか、という疑念はまだ心の中にあった。ダンブルドアに微笑まれ、シルヴィアは目礼を返した。彼に笑いかけることは出来なかった。
 
新学期に入ると、もっと忙しい日々が戻ってきた。教授としての仕事と助手としての仕事の両立はなかなか大変だ。ただ、ハリーのことを思うとそれは全く苦ではなかった。
 次の試合はグリフィンドール対ハッフルパフで、その審判をセブルスが務めるという噂で生徒たちは持ちきりになった。シルヴィアは、先のクィディッチの夕食時に彼が約束してくれていたため、前から知っていた。本当は自分が審判を名乗り出ようとしたのだが、セブルスに説得されたのだ。最初は何も言わなかったが、もう何年も箒に乗っていないことを知ると、ブラッジャーに当たったらどうするなどと心配された。再会してから、彼はあからさまに心配するようになった気がする。少し心配しすぎだ。自分の体を気遣ってくれるのは嬉しいが。
 新学期に入って、シルヴィアはハリーのことで一つ気になることがあった。最近、授業中によくハリーとロン、ハーマイオニーと目が合うようになったのだ。シルヴィアが微笑むと、すぐに目を反らされるか、ぎこちなく微笑み返され、彼らに嫌われるようなことをしただろうかと悩んでいた。懐いていた生徒にそんな態度を取られたら、少し傷ついてしまう。特にハリーによそよそしくされるのは身に堪えた。ハリーはいつの間にか大きな存在になっていた。
「――元気がないな、まだポッターを心配しているのか?」
 競技場への道を一緒に歩くセブルスが、眉間に皺を寄せながら言った。
「今日はダンブルドアも来る。その中で奴が危害を加えることはないだろう」
 シルヴィアは頷いた。
「うん、わかってる。頑張ってね、審判」
 自分以外の人たちは、彼がグリフィンドールを勝たせないために審判を名乗り出たと思っているだろう。せめて自分だけは笑顔で送り出そうと微笑めば、セブルスは「審判が何を頑張るというんだ?」と鼻で笑った。
 試合はグリフィンドールが勝った。それも、校内最短記録で。ハリーは前から早く試合を終わらせるよう言われていたに違いないと、セブルスの公平とは言えない審議を見ながら思った。とにかく、無事に終わってよかった。安心していたシルヴィアは、夕食の席にセブルスとクィレルがいないことを不思議に思ったが、特に気にかけなかった。

 深夜徘徊したハリーと他の一年生たちが原因で、グリフィンドールから一五〇点減点されたというニュースを聞き、シルヴィアは血の気が引いた。本人は命を狙われているのを知らないだろうが、なんて向こう見ずな行動を取るのだろう。その冒険心は父親から受け継いだのだろうが、まったく喜ぶ気にはなれなかった。きっと、ジェームズの透明マントを使ったに違いない。昼のみならず夜までも、透明になったハリーを目にかけるのは無理があった。本人たちが反省していることが、まだ救いだった。
 学期末の試験が終わり、シルヴィアは答案を持って教員室へ向かっていた。渡り廊下では、生徒たちが校庭ではしゃいでいる声が聞こえてくる。解放された彼らの声は、嬉しさがにじみでていた。この浮き立った空気も久しぶりだ。関係のない自分まで楽しくなってくる。
 足取り軽く歩いていると、ばったりセブルスに会った。彼も教員室へ向かうところらしかった。
「呪文学の答案か?」
 するりと答案を覗き込んで彼は言った。
「なかなか出来の悪そうな答案だな」
 シルヴィアは斜め後ろを歩く彼を見上げて笑った。
「まあ、そんなこと言って。フリットウィック先生へのご不満でしょうか? それとも私に対しての?」
「もちろん、生徒に対する不満だ。薬学の出来も例年通りに悪い。まだ採点してないがな」
「採点してないのに、酷い言いようね。あなたのお眼鏡にかなう生徒なんて、この学校にいるのかしら?」
 セブルスは片眉をあげた。
「ほう、それを君が言えるのか? ロジエール。君からすれば、何故生徒が呪文に失敗するのか理解できんだろう?」
「そんなことないわ。みんな、私の的確な助言で成功してるもの」
 的確な、を強調すると、彼は馬鹿にしたように笑い、自分を追い越した。シルヴィアは後ろから反論しようとしたが、突然彼が立ち止まったため、言葉をのんだ。
「ごきげんよう、諸君」
 セブルスの背中から向こうを見ると、ハリー、ロン、ハーマイオニーが、青ざめた顔で彼を見ていた。シルヴィアがその隣に立つと、三人はもっと恐ろしいような顔をした。その変化に傷ついたが、何も言わなかった。
「こんな日には室内に居るべきではない」
「僕たちは――」
「もっと慎重に行動して貰いたいものだ。こんな風にうろついていたら、何かを企んでいると思うだろう。グリフィンドールには、これ以上減点される余裕が無いはずだが?」
 ハリーは顔を赤らめた。そして外に出ようとした三人に、セブルスが後ろから呼び止めた。
「警告しておく、ポッター――これ以上深夜徘徊をするようなら、私自らが君を退学処分にする。良い一日を」
 シルヴィアは三人に微笑み、セブルスと教員室へ歩き出した。
「……退学は、少し厳しすぎるんじゃない?」
 そう漏らせば、彼はちらりと自分を見た。
「そのくらいの罰を受けなければ、愚か者にはわからんだろう。大体、君は生徒に――ポッターに甘過ぎる。一人の生徒を贔屓するのは、あまり感心できんな」
「……セブルスだって、ルシウスの子に甘いじゃない」
 シルヴィアの呟きは、彼には聞こえなかったようだった。
 その日の夜、採点に追われ、遅くにベッドに入ったシルヴィアは、リン、という鈴の音を聞き跳ね起きた。仕掛けておいた、ドアが開くとその魔法をかけた者に知らせる音。素早くガウンを着て部屋を出、杖を振った。
「エクスペクト・パトローナム」
 杖先から透明なベールが現れ、それが牡鹿の姿へと変わる。静かに自分を見上げる彼に、シルヴィアは言った。
「ダンブルドアへ伝言。クィレルが扉を開けました。私は後を追います、至急帰ってきてください」
 牡鹿は窓を通り抜け夜空へ駆けていった。
 シルヴィアは書斎を出て廊下のドアを開けた。途端に三頭犬が三つの鋭い牙をむき出し唸りをあげる。すでにクィレルは三頭犬を突破したらしい。ならばと杖を振ろうとしたその時、犬の足元にハープが落ちていることに気づいた。
「アクシオ ハープ」
 手の中に収まったハープを弾くと、犬は目をとろんとさせ眠り始めた。シルヴィアはハープを弾きながら跳ね上げ扉を開け、暗い穴の中へ飛び込んだ。
 悪魔の罠、魔法の鍵、生きたチェス、そしてセブルスのパズルを解き、最後の扉を開けると、そこに彼はいた。鏡の前に立つクィレルは、シルヴィアがここに来るのを待っていたかのようだった。杖を振り上げるやいなや、クィレルは指を鳴らし、瞬間、手首が後ろで縛り上げられた。指鳴らしで魔法を唱えたことに驚いたが、すぐに手首を捻り、杖で縄を叩こうとした。しかし、その前に彼は唱えた。
「エクスペリアームス」
 杖は手から離れ、クィレルの手へ収まった。歯を噛み締め、クィレルを睨み付ける。彼は動じることなく、笑みを浮かべながら言った。ひきつったものではない、邪悪なものだった。
「待っていたよ、ミス・ロジエール」
 吃りのないしっかりとした低い声に、ますます虫唾が走る。
「そう怒るな。美しい顔が台無しになる」
「私を待って、どうする気? 殺すのなら早く殺せばいい!」
 クィレルは鼻で笑った。
「まさか、殺すなんてことはしない。君には私と一緒に来て、生き長らえる方法を模索してもらう」
「誰が、あなたなんかに……!」
「ポッターの命がどうなってもいいのか?」
「ハリー――?」
「そう、直にここへやって来るだろうハリー・ポッターだ。前から石を嗅ぎ回っていたから、それを利用させてもらった。さすがグリフィンドールと言うべきか、彼は正義感が強すぎる」
「ここにおびき寄せたって言うの!? なんて卑怯な――っ!」
 もう一度クィレルが指を鳴らし、縄が口元から足首まで巻き付いた。バランスを崩し、うつ伏せに床に倒れこむ。クィレルは冷ややかにこちらを見下ろした。
「そこで大人しくしていろ」
 石床から彼を睨みながら、シルヴィアは自分の無力さを恨んだ。頼みの綱であるダンブルドアは、遠くへ出掛けていて伝言が届かないのか、いまだ来る気配はない。いくらなんでも故意にそうするはずはなく、早くダンブルドアが来るよう願った。だが、その前にドアが開いてしまった。
「あなたが!」
 ハリーはクィレルを見て息を飲み、それから床に転がされた自分に目を見開いた。
「ロジエール先生!」
 駆け出そうとするハリーに、クィレルは指を鳴らし縄できつく縛り上げた。傍に立つハリーをシルヴィアは見上げ、ここから早く逃げるように首を振った。
「勝手な真似をするな、ポッター」
「でも、何でロジエール先生が――僕は――スネイプだとばかり――」
「セブルスか? 確かに、セブルスはまさにそんなタイプに見える。彼が育ち過ぎたこうもりみたいに飛び廻ってくれたことが、とても役に立った。彼の傍に居れば、誰だって、か、か、かわいそうな、ど、どもりの、ク、クィレル先生を疑いはしないだろう?」
「でも、スネイプは僕を殺そうとした!」
「いや、いや、いや。殺そうとしたのは私だ。あのクィディッチの試合で、君の友人のミス・グレンジャーがスネイプに火を付けようと駆けていた時、たまたまぶつかって私は倒れてしまった。それで、君から目を離してしまったんだ。もう少しで、君を箒から落としてやれたんだが。君を救おうとしてスネイプもロジエールも反対呪文を唱えてさえいなければ、もっと早く落とせたのだ」
 ハリーはしどろもどろに自分を見下ろした。
「ロジエール先生が、スネイプが、僕を救おうとしていた?」
「その通り。彼が、次の試合で審判を申し出たのは何故だと思う? 私が二度と同じことをしないようにだよ。まったく、おかしなことだ……そんな心配をする必要は無かったのに。ダンブルドアが見ている前では、私は何も出来ないのだから。他の先生達は全員――ロジエール以外、スネイプがグリフィンドールの勝利を阻止するために審判を申し出たと思った。スネイプは憎まれ役を進んで買って出たわけだ……随分と時間を無駄にしたものよ。どうせ今夜、私がおまえを殺すのに。ポッター、君はいろんなことに首を突っ込み過ぎた。生かしてはおけない。ハロウィーンの時も学校中を動き廻って。賢者の石を守っているものが何なのかを私が見に行った時に、私の姿を見てしまったかもしれない」
「お前がトロールを入れたのか?」
「そうだ。私はトロールについては特別な才能がある――前の部屋で、私が倒したトロールを見ただろう? 残念なことに、あの時皆がトロールを探して走り廻っていたのに、私を疑っていたスネイプだけが、まっすぐに四階に来て私の前に立ちはだかった――私のトロールが君を殺し損ねたばかりか、三頭犬もスネイプの足を噛み切り損ねた」
 シルヴィアはぎっとクィレルを睨んだが、彼はこちらを見てせせら笑った。
「何だ、ロジエール? 恋人が襲われて怒っているのか?」
 頭が沸騰しそうなほど、怒りが全身を巡っていた。クィレルにも、油断していた自分自身にも腹が立っていた。
 ――冷静にならなければ。
 シルヴィアは深呼吸した。ハリーを守るために、自分に何が出来る?
「さあロジエール、ポッター、おとなしく待っているんだ。この興味深い鏡を調べなくてはならない」
 後ろにあった鏡の枠をクィレルが叩いた。
「この鏡が、石を見つける鍵だ。ダンブルドアなら、こういうものを考え付くだろうと思った……しかし、彼はロンドンだ……帰って来る頃には、私はとっくに遠くに逃げている……」
「僕、お前が森の中でスネイプと一緒に居るところを見た――」
「ああ。彼は私に目をつけていて、私がどこまで知っているのかを知ろうとしていたんだ。ずっと私を疑っていた。私を脅そうとした――私にはヴォルデモート卿がついているというのに、それでも脅せると思っていたのかね……」
 クィレルは背面を調べると再び前に廻り、食い入るように鏡に見入った。
「石が見える……マスターに差し出している私がいる……でもいったい石はどこだ?」
 石を見つけてしまうかもしれない。シルヴィアはクィレルの気をそらそうともがいたが、きつく縛られているため身動きが取れなかった。ダンブルドアの仕掛けた鏡が、どんなものなのかもわからず不安だった。
 ふと、ハリーの足がそっと床を叩いた。見上げれば、ハリーがこちらを見て頷いた。任せろと言うことか。彼はこの鏡を知っているようだった。頷くと、ハリーは口を開いた。
「でもスネイプは、僕のことをとても憎んでいた」
「ああ、そうだ。まったくそのとおりだ。おまえの父親と彼はホグワーツの同窓だった。知らなかったのか? 互いに毛嫌いしていた。だが、おまえを殺そうなんて思わないさ」
「でも二、三日前、お前が泣いているのを聞いた――スネイプが脅してるんだと思った……」
 クィレルの顔に初めて恐怖がよぎった。
「時には、マスターの命令に従うのが難しいこともある――あの方は偉大な魔術師だし、私は弱い――」
「それじゃ、あの教室でお前はあの人と一緒に居たのか?」
「私の行くところ、どこにでもあの方がいらっしゃる。世界を旅していた時、あの方に出会った。当時、私は愚かな若者だったし、善悪について馬鹿げた考えしか持っていなかった。ヴォルデモート卿は、私がいかに間違っているかを教えてくださった。善と悪が存在するのではなく、力だけがあるのだということを。そしてその力を求めるには、弱過ぎる者たちが存在するのだと……それ以来、私はあの方の忠実な下僕になった。もちろんあの方を何度も失望させてしまったが。だから、あの方は私にとても厳しくしなければならなかったのだ」
 突然、クィレルは震え出した。
「過ちは簡単に許してはいただけない。グリンゴッツから石を盗み出すことをしくじった時は、とてもご立腹だった。私を罰した……そして、私をもっと間近で見張らないといけないと決心なさった……どうなってるんだ……石は鏡の中にあるのか? 鏡を割ってみるか?」
 膝をつき、立ち上がって鏡を見たかったが、ハリーが任せろと言った手前、妙な真似はできない。ハリーは左へとにじり寄った。しかし、彼は足首をきつく縛られていたため、つまずいて倒れてしまった。クィレルは彼を無視し、独り言を言い続けていた。
「この鏡はどういう仕掛けなんだ? どういう使い方をするんだ? マスター、助けてください!」
「その子を使うんだ……その子を使え……」
 どこからか声が聞こえ、背筋が凍った。今の声は――まさか――。
「わかりました――ポッター――ここへ来い」
 彼が手を一回打つと、ハリーを縛っていた縄がほどけて落ちた。ハリーはゆっくりと立ち上がった。
「ここへ来るんだ。鏡を見て何が見えるかを言え」
 ハリーはクィレルの方に歩いて行き、鏡の前に立った。鏡の横からは何が映っているのか見えないが、ハリーの真っ青な顔に自分自身も血の気が引いた。
「どうだ? 何が見える?」
「僕がダンブルドアと握手をしている姿が見える。僕――僕のお陰でグリフィンドールが寮杯を獲得したんだ」
「そこをどけ!」
 ハリーが動く間もなく別の声が聞こえた。
「こいつは嘘をついている……嘘をついているぞ……」
「ポッター、ここに戻れ! 本当のことを言え! 今、何が見えた?」
 再び高い声がした。
「私が話す……直かに話す……」
「マスター、あなたはまだ充分に力がついていません!」
「このためなら……使う力がある……」
 クィレルがターバンをほどき始めた。シルヴィアはハリーと同じく、それを固まって見ていた。何をしているのだろうか。ターバンが落ち、クィレルはその場でゆっくりと後ろを向いた。
 悲鳴を上げようとしたが、口が塞がれているため声が出なかった。クィレルの後頭部に、もう一つの顔があった。これまで見たこともないほどの恐ろしい顔が。蝋のように白い顔、ギラギラと赤い瞳、鼻孔はヘビのように裂けていた。
「ハリー・ポッター……」
 それは囁いた。
「この有様を見ろ。ただの影と霞に過ぎない……誰かの身体を借りて、初めて形になる……しかし、私が自分の心の中に入ることを厭わない者が常にいる……この数週間は、ユニコーンの血が私を強くしてくれた……忠実なクィレルが、森の中で私のために血を飲んでいるところを見ただろう……エリクサーさえ有れば、私は自身の身体を創造することが出来るのだ……さあ……ポケットにある石をいただこうか?」
 ハリーはよろめきながら後ずさった。
「馬鹿な真似はよせ。命を粗末にするな。私の側に付け……さもないとおまえも、おまえの親と同じ目に遭うぞ……二人とも、命乞いをしながら死んで行った……」
「嘘だ!」
 クィレルが後ろ向きでハリーに近付くのを、シルヴィアは地面から見ていた。何が起きているのか、わからなかった。あれが、あの邪悪な顔が、例のあの人だというのか。
「胸を打たれるな……私はいつも勇気を称える……そうだ、おまえの親は勇敢だった……私はまず父親を殺した。勇敢に戦ったがね……しかし、おまえの母親は死ぬ必要が無かった……彼女はおまえを守ろうとしたのだ……さあ、母親の死を無駄にしたくなかったら、石を寄越すのだ」
「誰がやるか!」
 ハリーは炎の燃えさかる扉に向かって駆け出した。クィレルがハリーの手首を掴んだ。悲鳴を上げもがくハリーに、シルヴィアは膝をついて立ち上がろうとした。しかし驚いたことに、クィレルは手を離し身体を丸め、自分の指を見ていた――見るみるうちに指が水ぶくれになっていく。
「捕まえろ! 捕まえるんだ!」
 クィレルはハリーに跳び掛かり、それをシルヴィアが阻もうとした。なんとか立ち上がりクィレルを倒れさせようとしたが、彼は自分を避けたため、再び床に体を打った。
「邪魔をするな!」
 クィレルが指を鳴らすと同時に、目の前が暗くなっていく――こんなところで――ハリーを――ハリー――。

 目を開けて最初に見たのは、医務室の天井だった。
「――目が覚めたか」
 傍から聞こえた低い声に首を傾ければ、こちらを見つめるセブルスと目があった。
「ハリーは……?」
「……無事だ。隣で寝ている」
 隣のカーテンを彼は顎でしゃくる。
 一気に安堵が胸に押し寄せた。同時に、無力な自分への怒りとやるせなさも、それを上書きするように襲ってきた。
 守れなかった。あれだけ傍にいたのに。杖を奪われただけで、何もできないのだ。何て自分は弱いのだろう。これでハリーを守るなどよく言えたものだ。
「そう思い詰めるな。君も……ポッターも助かったんだ。それでいいだろう」
 頷くも、やりきれない思いは消えなかった。
「……ハリーの傍にいたのが私じゃなくあなただったら、もっと上手くクィレルと戦えたかもしれない」
「仮定の話はやめろ。結果、君たちは助かった。もう何も考えるな」
「そうね……」
 セブルスの言う通りだとは思う。けれど気持ちは晴れなかった。
 セブルスは未だ険しい顔をしていた。
「失礼する」
 そう言って彼の指が伸びたと思えば、そっと首筋を上からなぞられ、思わず少し首を反らしてしまう。そんな自分を一瞥し、再びなぞり始めた彼は、首の根元で指を止めた。
「……これだな」
 セブルスは杖を取りだし首元に向けると、呪文を唱えた。同時に鉄でできた首輪が現れる。ああ、知っていたのか、彼は。首輪をなぞりながら口を開いた。
「いつから、知っていたの?」
「……クィディッチ試合からだ。二人で呪文を唱えても一向に箒が止まらずおかしいと思ってな。それに君はあまりにも若すぎる」
 セブルスはじっと首輪を睨んだ。そこに刻まれた字と、埋め込まれた砂時計を見ているようだった。
「闇魔術だな。生と力を引き換えに、自分の時を止めているのか。何のためにそんな真似を」
「……二〇歳の頃から止めてるの。少し、自暴自棄になりすぎたと今は思ってるわ」
 第一、ハリーを守ろうとするならこんなものは取るべきだったのだ。机に置かれた自分の杖を手に取り、二、三言唱えれば、首輪はあっけなくはずれた。
「おい、大丈夫なのか?」
 焦りを浮かべるセブルスに微笑む。
「大丈夫。これで来年から年を取ることになるから。寿命は戻らないけれど」
 そう言えば、彼は複雑そうな顔をしたが、そうかと頷いた。しばらく沈黙が流れる。口を開いたのはセブルスだった。
「……私はそろそろ行く。これは私が処分しておくから君は寝ていろ」
「私ももう大丈夫――」
 外された首輪を杖で浮かそうとする彼の手を取ったが、もう片方の手でやんわり外されてしまった。手を取られたまま至近距離にある彼の瞳を見上げる。彼はこうも感情の読めない瞳をしていただろうか。暗いトンネルのような黒い目を見つめているうちに、セブルスは静かに言った。
「君は安静にしていろ。呪いを取ったばかりだ」
「自分でかけたものだもの、大丈夫よ……なんだかあなた、昔より心配性になったわね」
「君がこうして命知らずな行動を取ろうとするからだろう?」
 片眉を上げた彼に微笑むと、セブルスは手を離して立ち上がった。
「じきにダンブルドアが来る。どちらにしろ、ここで寝ているんだな」
 そう言ってカーテンを開けて出ていった。相変わらず、セブルスは優しい。しかしその優しさが今は堪えた。自分はそんなに頼りないだろうか。守られるべき対象なのだろうか。考え込むうち、ダンブルドアが入ってきた。
「具合はどうかね、シルヴィア」
「良いですよ、とても」
 ダンブルドアは先程セブルスが座っていた椅子に座り、それはよかったと頷いた。
「……あの、校長」
「ダンブルドアでいいよ」
「ダンブルドア……私、ハリーを――」
 彼は首を振った。
「君はよくやってくれた。自分を卑下することはない」
「でも、私にハリーを守れません……私は弱いです、力も精神も……」
 自然と顔が俯く。ダンブルドアは穏やかに言った。
「そんなことはない、シルヴィア。君はヴォルデモートに立ち向かった。とても勇気ある行動だよ」
 シルヴィアは首を振った。ただ、ハリーを守れなかったという事実があるだけだ。
「私には、あの子を例のあの人から守るなどできません……いつもセブルスに心配されて、それが情けなくて……」
「セブルスが君を心配するのは、君に力がないからではないよ。友人として……心配しているんだ」
「それは、わかってます……でも私にはとても……」
 ダンブルドアは軽く息を吐いた。呆れられただろうか。けれど、シルヴィアは構わなかった。自分にはハリーを守れないという確信があった。
「わかった。君がそう言うのなら、任務を変えよう――セブルスのサポートをしてくれないか?」
「サポート――?」
 彼は微笑んだ。
「そう。ハリーを七年間守る、セブルスを支えてほしい。彼の一番近くにいる人間は、君しかいない。これは君にしかできないことじゃ」
「支えると言うのは――具体的には?」
「ただ彼の傍にいるだけでいい。その為にも君を呼んだも同然だから、そう肩肘を張らなくていい。最初、調合薬学の助手も考えたんだが、君の成績では些か無理があってな。悪く思わんでくれ」
 いたずらっぽく笑うダンブルドアに、シルヴィアも薄く微笑んだ。それが役に立つと言うのなら、何も言わない。
 隣で物音がし、立ち上がったダンブルドアは挨拶すると隣のベッドへと去っていった。結局、どちらも触れなかった。ハリーにドアを開けさせたことを。
 ため息をつき、再びベッドに潜り込んだ。いつか話してくれればいいが、それまではこの不信感は消えないだろう。それが意図的だとすれば、セブルスはどうなるのだろう。そう思うとやりきれなかった。
 彼のなぞった首筋に手を当て、シルヴィアは目を瞑った。

 学期末の宴が終わり、シルヴィアはほろ酔い気分で自室へ戻った。スリザリンは寮杯を逃したが、特に残念とは思わなかった。逆に、ハリーのいるグリフィンドールが杯を取り嬉しかった。
 ハリーは何の怪我もしていなかった。それが唯一の救いだった。
 クィレルが何故ハリーに触れると指が腫れたのか、その疑問はダンブルドアが解決してくれた。
「リリーの防御魔法が発動したのじゃ。母の愛がハリーを守った」
「……エヴァンスの――」
 ヴォルデモートに触れられないように施した防御魔法。エヴァンスがハリーを愛していた証拠だった。
「……クィレルはそれから、どうなったんです?」
「クィレルはその魔法で灰になった……仕方のないことじゃ」
「例のあの人も……?」
「ヴォルデモートは、死んでいない」
 ダンブルドアはきっぱりと言い切った。
「ヴォルデモートの肉体はないが、魂はまだ存在している」
「それでは、またハリーを狙う可能性があると?」
「そう、大いにありうる」
 彼の瞳はいつになく真剣だった。
「……ハリーがホグワーツにいる間、我々はハリーを守らなければならない。シルヴィア、君にはできるだけセブルスの傍にいてほしい……君はセブルスにとって、拠り所となるじゃろう」
 ダンブルドアの言葉を思い出す。自分の存在がセブルスの拠り所となるのなら、進んで傍にいようと、シルヴィアは決意していた。セブルスには、学生時代に悩みを聞いてくれた恩がある。
 彼を思いながら服や本をトランクに詰めていると、ドアをノックされた。
「はい?」
「私だ」
 思い浮かべていた相手の声がした。ドアを開ければ、いつも通り険しい顔をしたセブルスが立っていた。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたもない。杖を忘れるなど、余程酔っているようだな」
 そう言ってかざした杖を、シルヴィアは受け取った。
「ああ、ありがとうセブルス。何か忘れてると思ったら」
 ひょいと杖を振り、詰めていたものをすべてトランクに入れた。セブルスはそれを見て呆れたようにため息をつき、それから窓辺の手紙の山を指差した。
「……それは何だ?」
「これ? これはラブレターよ」
 眉に皺を寄せた彼を、もう一度振り返る。
「違うわね、求婚の手紙よ。何だか知らないけれど、私、会う人会う人に気のあるように思われるみたい。私は人間関係を円滑にしたいだけなのに……」
「君は余計な愛想を振り撒きすぎる。そう思われても不思議ではない」
 そう言うと、セブルスはその場で杖を振り、手紙の山を消してしまった。
「どうして消すの!」
「どうせ受けないのだろう? 読んで情が湧く前に消した方がいい」
「それはそうだけど――まあ、いいわ」
 詰め終わったトランクを暖炉まで引きずり、それからセブルスに近寄った。
「じゃあ、二か月後にまた会いましょう」
 彼は何故か驚いていた。
「来年度もここに来るのか?」
「ええ、もちろん。来ちゃダメ?」
「いや、そうは思わないが……」
 再び皺を寄せ視線を反らした彼に、シルヴィアは笑いながら手を伸ばし、右肩に両手をかけた。
「ロジエール――?」
 背伸びをして、彼の頬にキスを落とした。リップ音とともにセブルスは目を見開き、頬に手を当てる。
「何を――!」
「どうしてそんなに驚くの? お別れのキスよ?」
 セブルスはこれまで以上に深い皺を眉に刻んだ。
「ロジエール、酔いすぎだ。それとも、誰彼構わずこんなことをしているのではあるまいな?」
「まさか、あんまりしないわ」
「あんまり?」
 ピクリと彼の眉が上がった。
「いくら酔っているとは言え、男の頬に口づけるのは感心せんな。君がこれ程男好きとは知らなかった」
 不機嫌そうに言う彼に構わず、シルヴィアは笑みを浮かべた。
「何とでも言って」
 彼を背にして暖炉の前に移動する。フルーパウダーを振り入れ、緑色の炎の中にトランクとともに足をいれた。そしてまだ顔をしかめているセブルスに手を振った。
「じゃあね、セブルス」
「……ああ、またな」
 少し笑ってくれた彼に微笑み、住所を呟く。ぐるぐると体が回転していくのを感じた。
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