愛 | ナノ
 ハロウィーンの日は、朝から四階の廊下にもカボチャの匂いが漂っていた。
 物を動かす練習をしようと言ったフリットウィック先生の言葉に、歓声を上げるグリフィンドールの一年生たちを見て、シルヴィアは微笑んだ。初めて魔法を習う嬉しさは、体験しているからよくわかる。フリットウィック先生に初めて褒められたのもこの授業だった。しかし、生徒たちはそう簡単にはいかないようで、あちこちに行ってまわらなければならなかった。
「シェーマス、羽をつついたら火花が出て燃えちゃうわ。必ず距離を取ってね」
 すんでのところでシェーマスに助言すると、今度は隣のハリーに目を向けた。
「ハリーはどう? できた?」
 ハリーは微かに頬を赤くしながら、呟くように言った。
「いえ、僕もまだ――」
「じゃあ、一度やってみて」
 ハリーはぎこちなく杖を、机の上に置かれた羽へ向け、呪文を唱えた。羽はびくともしなかった。
「うーん……もう少し、きちんと発音してみたらいいと思うわ。ウィング・ガー・ディアム・レヴィ・オー・サよ」
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
 復唱したハリーに、シルヴィアは頷きながら笑った。
「そうそう、最後の『サ』は伸ばさないの。その調子でね――ああ、ネビル、危ないわ――」
 ハロウィーンパーティーは夜に始まる。教員用扉を開けると同時に、羽音を響かせながらコウモリの群れが、深い夜空へと飛び上がった。今見ても、やはり感動する。ダンブルドアにしかできない魔法だ。
 シルヴィアは天井を見上げながらテーブルについた。二ヶ月もすると、座る位置は決まってくる。大体はクィレルとフリットウィック先生の間に座ることが多いが、今のようにクィレルがいなければセブルスの隣に座る。セブルスもいなければ年の近いマグル学のバーベッジ先生と。シルヴィアはすでにホグワーツに溶け込んでいた。
「ねえ、セブルス、生徒から聞いたんだけど――」
「何だ?」
 セブルスはナイフを動かしたままこちらを見た。彼はあれから帰れとは言わなくなり、少しは昔と同じように話してくれる。シルヴィアには、それが嬉しかった。
「あの――ハリーに辛辣だっていうのは、本当?」
 案の定、彼は眉間の皺を深くした。しかし、これは見逃せないことだった。セブルスがハリーに危害を加えることは絶対になく、ハリーを守る側だったが、ジェームズへの恨みを無実なハリーにまで被せるのはお門違いだ。
「――君には関係ないことだろう」
 そう低く言って顔を背けたセブルスに、シルヴィアは心の中で唸り、諭すように言った。
「セブルス――思春期の子が、理由もなく教師から辛く当たられたら、間違いなく擦れてしまうわ。歪んでしまうかもしれないのよ。教師として子供を育てる責任があると思うの」
 セブルスはせせら笑った。
「君から教師論を説かれるとは。随分偉くなったものだな、ロジエール」
 細められた黒い瞳には怒りが見え、シルヴィアは怯んだ。滅多に向けられない感情であるとともに、その目には激しい嫌悪の色が浮かんでいた。
「ごめんなさい、出過ぎた真似をしたわ……」
 セブルスに嫌われたくて、注意したわけではなかった。反省すると、セブルスはこちらを我に返ったように見つめ、それから呟くように言った。
「いや、私も悪かった……」
 二人の間にぎくしゃくした空気が流れる。シルヴィアが話題を変えた。
「――クィレル先生、少し遅いわね」
 隣の空席を見遣り、セブルスは頷いた。
「確かに遅いな……何をしているのか――」
「私、見てくるわ」
 シルヴィアが立ち上がり掛けた時だった。扉が大きく開かれ、クィレルが慌ただしく上座へと走ってきた。生徒たちが静まり返る中、彼はダンブルドアの前に手をついて、切れ切れにこう言った。
「トロールが……地下室に……お知らせしなければと……」
 そしてクィレルはその場で倒れた。
 悲鳴があちらこちらで上がり、皆が一斉に立ち上がった。混乱する生徒たちをダンブルドアは鎮め、監督生に指示を出すと教師たちと目を合わせた。教員たちは立ち上がり、教員用扉から出て地下室に向かった。もしトロールがクィレルの仕業なら、この混乱に乗じて廊下に向かうはず。そう考えたシルヴィアは、生徒のいない抜け道へ行こうとしたが、後ろから手首を捕まれた。振り返れば、いつから追ってきたのか、セブルスが険しい顔(彼の場合はいつもそんな顔なのだが)で立っていた。
「私が行く、君は地下に行け」
「だけど――」
「君も奴を嗅ぎ回っていると知れたらどうする?」
 そう静かに諭した彼に、シルヴィアは渋々頷いた。手首を離し、足早に去っていく彼を一度振り返ったあと、地下へと急ぐ。地下室への階段を下りていると、マクゴナガル先生と鉢合わせた。
「マクゴナガル先生、トロールは……!」
「ああ、シルヴィア、それが地下室にはいなかったので、これから上を探してみることに――」
 その時、上から轟音が鳴り響いた。ハッと顔を見合わせた二人は、すぐに階段を駆け上っていった。
「二階でしょうか?」
「いえ、音からして、おそらく三階か四階でしょう。臭いでわかるはずです」
 二人が三階へとたどり着いたとき、ちょうど四階からセブルスとクィレルが降りてきた。シルヴィアは思わず顔をしかめた。
「四階にはいませんでしたか!」
「ええ、きっとこの階です、行きましょう」
 マクゴナガル先生にセブルスが答え、四人は廊下を足早に歩いた。徐々に鼻をつく、酷い悪臭が強くなっていく。臭いが漂ってくるのは、女子トイレからのようだった。ドアを開けたマクゴナガル先生、セブルス、クィレルに続いて中へ入ると、ハリーと杖を持っているロンの姿、そして床に倒れているトロールが目に入ってきた。ひっと息を呑んで座り込んだクィレルを尻目に、シルヴィアはできるだけ息を止めながら(自分だけ鼻をつまむわけにはいかない)、トロールへと近づいた。
「気絶してる……?」
「ああ」
 傍でトロールを見ていたセブルスが頷いた時、マクゴナガル先生が口を開いた。
「いったい全体、あなた達は何を考えてるんです?」
 先生の声は怒りに満ちていた。
「殺されなかったのは運が良かった。寮に居るべきあなた達がどうしてここに居るんですか?」
 ハリーと目が合い、彼はうなだれた。本当にトロールを見に来たのだろうか、とその態度を見て不思議に思っていると、暗がりから小さな声がした。
「マクゴナガル先生、聞いてください――二人とも私を探しに来たんです」
「ミス・グレンジャー!」
 姿を現したハーマイオニーに、シルヴィアは心底驚いた。まさか彼女がここにいるなんて。
「私がトロールを探しに来たんです。私――私一人で倒せると思って――あの、トロールについては全部本で読んでいたので。もし、二人が私を見付けてくれなかったら、私、今頃死んでました。ハリーが、杖をトロールの鼻に刺し込んで、ロンはトロールの棍棒でノックアウトしてくれたんです。二人とも、誰かを呼びに行く時間はありませんでした。二人が来てくれた時は、私、もう殺される寸前で」
「まあ――そういうことでしたら……ミス・グレンジャー、なんて愚かなことを。たった一人で山トロールを捕まえようなんて、そんなことをどうして考えたのですか?」
 ハーマイオニーはマクゴナガル先生、そして後ろにいる自分を見つめ、うなだれた。シルヴィアには信じられなかった。規則を破っただけで、あれだけ狼狽していた彼女が、こんなことをするとは。
 マクゴナガル先生が五点減点したあとハーマイオニーは去り、ハリーとロンの番になった。
「いいですか。先ほども言いましたが、あなたたちは運が良かったのです。成長した山トロールに立ち向かえる一年生など、そうざらには居ません。一人五点ずつあげましょう。ダンブルトア校長に報告しておきます。帰ってよろしい」
 二人が出ていった後、マクゴナガル先生は校長に報告すると言い、トイレから去っていった。
「先生が戻ってくるまで、ここにいなきゃダメよね?」
 クィレルのいるトイレの戸口に避難したシルヴィアは、外からセブルスに声を掛けた。トロールを調べていた彼は顔をしかめた。
「一応防衛術の助手だろう? この場にいなくてどうする」
「そうよね――クィレル先生、しっかりしてくださいな」
 放っておくこともできず、未だ座り込んでいるクィレルの傍にかがみ、背中を擦ってやると、彼は驚いたように体を揺らした。
「ミ、ミ、ミス・ロジエール、だ、大丈夫だから、や、やめてくれないか」
 吃りながらもきっぱりと拒否したクィレルに内心驚きながらも、手を止めて立ち上がった。
「そうですか? なら、いいんですが――」
 セブルスはクィレルがいるからか、トロールが目を覚ますかもしれないからか、中で腕組みをして立っていた。自然とその足へと目が行ってしまう。トイレに駆けたとき、彼が足を引きずっていることに気づいていた。マクゴナガル先生たちの足音が近づいてくるまで、シルヴィアはクィレルの隣で、ぼんやりと彼を見つめていた。
 夕食後、フィルチから借りてきた包帯を手に、シルヴィアはスネイプの書斎の前に来ていた。彼の部屋に入るのは、これが初めてだ。扉をノックすると、「誰だ」と中から不機嫌そうな低い声がした。なるほど、生徒たちが彼を怖がっているのがわかる気がする。夕食の時に見た彼の顔が浮かんだが、頭から振り払った。
「ロジエールです」
「……入れ」
 入れてもらえたことにほっとしながら扉を開けると、部屋の中央で薬を調合しているらしいセブルスの姿が目に入った。彼は大鍋からこちらを一瞥して言った。
「何の用だ?」
「……足を噛まれたんでしょう? だから要るだろうと思って」
 包帯を掲げると、セブルスは薬を瓶に入れながら眉をひそめた。
「何故わかった?」
「トロールのところに駆けていたとき、あなた、少し足を引きずってたから――クィレルは廊下に来たのね?」
 そう尋ねれば、彼は頷いた。
「ああ。廊下に来ておいて、奴は未だ知らぬ振りをしている」
 彼はこちらを一瞬見た後、薬瓶を机に載せ、鍋に杖を振った。薬の消えた大鍋の底を、シルヴィアは見つめながら言った。
「……ベリタゼラムを使っては、ダメなの?」
 セブルスは材料を片付けながら答えた。
「奴はそこまで馬鹿ではない。匂いで入れたと気づくだろう」
「そうよね……」
 シルヴィアは肩を落とし、傍にあったソファに座った。足を組んだ自分を怪訝な顔で見下ろしながら、セブルスが言った。
「ここに居座る気か?」
「ええ、あなたの足を手当てするまではね」
 そう言って、包帯を膝の上に置く。
「そんなことはしなくていい。包帯を置いて帰ってくれ」
 彼は足を引きずりながらデスクに腰掛けこちらに背を向けた。羽ペンで字を綴る音を聞きながら、シルヴィアは彼の背中に言った。
「帰らないわ。薬はあとどれくらいで冷めるの?」
「……三〇分だ」
「そう」
 セブルスは椅子を回しこちらを振り返った。
「手当てなど私一人でできる。君は帰れ」
「でも、私の代わりに、あなたが怪我を負ったようなものだもの。手当てはしないと気が晴れないわ」
「君の気などどうだっていい。それにこれは私が勝手に負った傷だ、君には関係ない」
 シルヴィアは真剣に彼を見つめながら言った。
「――私は、あなたが心配なの。お願い、セブルス……」
 セブルスはじっと自分の目を見つめた。時折、彼はこんな風に自分を見つめる。まさかとは思うが、心を読んでいるのではないか。そんな考えが過ったとき、彼がため息をついて言った。
「わかった。包帯を巻くだけならいい」
 シルヴィアは微笑み、頷いた。
 三〇分、仕事をする彼と話しているわけにいかないので、シルヴィアはソファに座ったまま、彼の研究室を見回した。暗く、冷え冷えとしているこの部屋には、今座っている来客用のソファとテーブル、本棚、それから大量の薬品や材料が詰まった薬品棚があった。シルヴィアはソファの背に手を掛け、後ろにある薬品棚を見た。調合薬学はOWLでAだったため、並んでいる薬品の名前などとうに忘れていたが、一番右にある真珠色の薬品はよく覚えていた。アモルテンシア。匂いを嗅げばその人の好きな匂いが香る、世界一強い惚れ薬だ。今も学生時代に嗅いだときと同じ匂いがするだろうか。もし、同じならば――。
「アモルテンシアに興味があるのか?」
 ふと後ろからした低い声に、シルヴィアは思わず体を揺らした。振り返ると、セブルスが向かいのソファから怪訝な顔でこちらを見ていた。シルヴィアは先に口を開いた。
「もう、三〇分経ったの?」
「……あれは君を追い出すためについた嘘だ。数分で冷める。すっかり薬学の知識を忘れたようだな」
「だって、もう一〇年以上前のことよ」
 シルヴィアは包帯を持って立ち上がり、スネイプの傍に立った。
「足を見せて」
 少し躊躇した後、両足をソファに横に乗せた彼は、ローブを捲り上げた。それを見下ろし、はっと息をのむ。彼の足は想像以上に酷く、ズタズタに噛まれていた。もう止血してあったが、乾いた血が足全体を覆っていた。これほど酷いとは思わなかった。彼は少し足を引きずるだけだったのだ。
 呆然とする自分をよそに、セブルスはテーブルに置かれた消毒液にコットンを浸し、血を拭うように傷口を拭いた。それから先ほど作った薬を手に取り、全体に塗り始めた。
「こんなに――酷いとは思わなかった……」
 シルヴィアはようやく声を出した。セブルスは両足を下ろすと、自分を見上げて言った。
「包帯を巻いてくれ」
 おずおずとシルヴィアは頷き、彼の足元の石床に膝をつけようとした。しかしその直前にクッションが現れ、柔らかい感触が膝を覆った。セブルスが魔法で出してくれたらしい。包帯を少し出し、下からそっと足に巻く。
 最初に指が足に触れたとき、彼は一瞬足を動かしたが、それきり何も反応はなく、巻き終わるまで二人は話さなかった。上からじっと視線を感じ、気恥ずかしさを感じたシルヴィアは、包帯を結び終わるとすぐに立ち上がった。
「終わったわ。明日も包帯を変えに来るから、待っていて」
 彼は嫌そうな顔をした。
「やらなくていい。私が包帯を巻けないとでも思ってるのか?」
 シルヴィアは笑みを浮かべて首を振り、ドアへ近づきながら言った。
「まさか。ただ傷が治るまでお世話したいだけよ、おやすみなさい」
 そして、彼が口を開く前にドアを閉めた。
 
 一一月に入ると、とても空気が冷え込む。首元にファーの付いた、暖かいローブを着たシルヴィアは、四階の呪文学教室から、三階の防衛術教室へと移動していた。
「こんにちは、先生」
 聞き覚えのある声に振り向けば、ハーマイオニーが、ハリーとロンとともに歩いてきていた。トロールを倒してから、彼女は二人と仲良くなったようで、三人で席に座る姿を見るようになった。
「ああ、ハーマイオニー、こんにちは。ハリーもロンも」
 にっこりと笑うハーマイオニーとは対照的に、二人はこちらを見て、急におどおどとし始めた。シルヴィアは立ち止まってハリーに屈み込んだ。
「ハリー、耳を貸して」
 ハリーは戸惑っていたようだったが、頷いた。シルヴィアは彼の耳に囁いた。
「シーカー、頑張ってね」
 途端に赤く頬を染めたハリーを愛おしく思い、シルヴィアは思わず彼の頭を撫でていた。ハリーはもちろん、ロンとハーマイオニーの驚いたような視線を感じてすぐに止めたが、自分でも無意識の行動だった。それを誤魔化すように、シルヴィアは再び笑みを作った。
「本当は、私はスリザリンを応援しなきゃいけないんだけどね。それじゃあ、また授業で会いましょう」
 困惑した視線に見送られながら、シルヴィアは階段を上がっていった。自分の行動を後悔していた。いけない。ハリーはジェームズの息子ではなく、ここでは一生徒として接しなければならない。贔屓などもっての他だ。ホグワーツの教師として、自覚しなければならない。まったく、セブルスに言える口ではないわ、とシルヴィアは自嘲した。
 その日は、五年生の防衛術の授業でテストをすることになった。クィレルとシルヴィアが生徒たちを見回り、ベルがなるとクィレルが杖を振って回収した。
「ミ、ミス・ロジエール、私はこの後授業があるから、こ、このテストを部屋まで持っていってくれないか?」
「はい、わかりました」
 初めてクィレルの書斎を訪れたシルヴィアは、まず棚に並んだ本の数に驚いた。机に用紙を置いた後、ずらりと並んだ本を眺めていった。どれもこれも闇魔術や闇の生き物に関するもので、禁書に並んでいるような本ばかりだった。研究中に集めていたのだろう。手に取りたくなる欲を抑えながら、ゆっくりと横に見ていくと、よく知っている題を見つけた。「時の魔術及びそれを含む魔法物質に関する研究」。驚き、思わず手を伸ばした時、部屋のドアが開いた。クィレルだった。
「あ、ああ、ミ、ミス・ロジエール、まだいらしたのですね」
 本棚を眺めるのに没頭していて、いつの間にか、授業が終わっていたようだった。
「ああ、ごめんなさい、珍しい本ばかりあったので、つい見てしまって……」
「い、いえ、いいんです。な、何か気になった本があれば貸しますよ」
「いいんですか?」
「ええ、も、もちろん」
「じゃあ……」
 読みたかった本を数冊とった。
「ありがとうございます、すぐに返しますね」
「い、いつでもいいですよ。わ、私はもう読んだので」
「そうですか? じゃあ私は本を借りるお礼に何か――ああ」
 シルヴィアは先程見つけた自分の著書を取った。
「これを読んでいて、何か気になったことはありませんでしたか?」
「き、君の論文は、か、完璧だったよ。ただ、少し、し、質問があるんだが……」
「何でしょう?」
「と、時の魔術で、せ、生を長らえさせることは、か、可能だと思うかい?」
 この質問に心臓が高鳴ったが、そんなことはおくびにも出さずに答えた。
「不可能だと思います。例えば、敵の時を止める妨害魔法をかけ続けるのに多くの力が必要なように、生を止めるにはそれ相応の力……もしくは対価が必要です」
「た、対価と言うのは……?」
「自分の命です。生を止めるには、生を削らなければなりません。だから、生き長らえることなど、不可能なんです」
 クィレルは黙って頷いた。
「あ、ありがとう、ミス・ロジエール。き、君から話を聞けて、よかった」
「また、いつでも聞いてくださいな。それでは、本をありがとうございました、クィレル先生」
 その日の夜、再び包帯を持ってセブルスの部屋の扉を叩いた。入れという声に扉を開けると、彼は机で書き物をしていた。セブルスは入ってきた自分に眉を寄せたが、再び羊皮紙に目を落として「すぐ終わるから待っていろ」と言った。シルヴィアは頷き、昨日と同じソファに腰かけた。昨日と違うのは、組んだ足が黒いタイツを履いていることか。
「……クィレルが、時を止めて寿命を延ばすことができるか、今日聞いてきたの」
 そう呟くように言えば、セブルスは手を止めずに言った。
「それで、何て答えた?」
「できないって、言ったわ。寿命を延ばすなんて不可能よ、エリクサーでもない限り――クィレルは本当に、石を狙っているのね」
 ペンを置いて立ち上がったセブルスは、薬を持って向かいに座った。
「何をわかりきったことを。ダンブルドアを疑っていたのか?」
 シルヴィアはハッと顔をあげた。
「まさか、疑ってなんかないわ――」
 言いながらダンブルドアに報告したときのことが頭に浮かんだが、すぐにかき消し立ち上がった。
「具合はどう?」
 薬を足に塗っているセブルスの傍に近づけば、彼は答えた。
「痛みは昨日より引いたが、足を引かなければ歩けん。まったく、忌ま忌ましい犬だ。三頭を同時に注意するなんてできるか?」
「できないわね、杖を振らずにあの犬を躾けられるのかしら。少なくともハグリッドにはできるでしょうけど」
「ああ――あの男が情報を漏らしてなければいいが……包帯を」
 昨日と同じく、シルヴィアはクッションについて足に包帯を巻き始めた。傷は深いのか、セブルスの作った薬を以てしてもあまり治ってはいない。細すぎず太すぎもしない彼の足に包帯を巻いていると、昨日と同じく沈黙が流れる。今度こそ我慢できなかったシルヴィアは、顔を上げ、予想通りかちあった黒い目を見上げながら言った。
「ねえ、何か話して? 何だかすごく気まずくなるの」
 セブルスはふっと微笑んだ。
「例えば何だ? 三頭犬がいかに狂暴であったか、とかか?」
「それはあなたの足をみればわか――」
「ポッター!」
 急に戸口に向かって叫んだ彼に驚いて手を止め、その視線を追うと、ドアの隙間から眼鏡を掛けた黒髪の少年が見えた。ハリーは息をのみ、しどろもどろに答えた。
「本を返してもらえたらと思って」
「失せろ! 早く!」
 怒りに顔を歪ませる彼に、ハリーはすぐに去っていった。ぎりと歯を鳴らし、頭を片手で抱えたセブルスを、シルヴィアは下から呆然と見つめていた。こんなに怒りに震える彼を、今まで見たことがなかった。同時に、セブルスとジェームズの確執が、ジェームズの子にまで続いていることを認識する。
 学生時代、ジェームズたちに呪いを掛けられているセブルスの姿を目にしたことはあった。それはジェームズに好意を寄せるシルヴィアでさえ、思わず顔をしかめるような、一方的で酷いものだった。
 未だ顔を上げないセブルスの腕に手を伸ばし、そっと触れてみる。弾かれるように顔を上げた彼に、呟いた。
「包帯、巻き直すわ」
 それから包帯を巻き終わるまで、二人は何も話さなかった。セブルスが口を開いたのは、シルヴィアが立ち上がってからだった。彼は顔をうつむけたまま静かに言った。
「もう、明日からは来なくていい」
 シルヴィアは反論しなかった。
「――わかった……おやすみなさい、セブルス」
「……ああ」
 扉を静かに閉め、シルヴィアは向こうにいる彼を思った。彼もまた、死んだ人間を思い続けている。自分と同じだ。そっと扉に触れた後、シルヴィアは四階へ出る抜け道へと歩き出した。
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