愛 | ナノ
 一年生たちはすでに到着していたらしく、不安げな話し声がエントランスから聞こえてきた。
 シルヴィアは彼らの視界に入らないよう静かに通り抜けると、広間への扉を開いた。生徒たちの賑やかな話し声が聞こえてくると同時に、上座に座る教師たちの背中が目に入る。
 扉を閉めると、中央に座るダンブルドアがちらりとこちらを向いた。何もかも見通すような青い瞳に、シルヴィアは自分の任務を再確認する。やや緊張の色を浮かべて微笑めば、彼も微笑み返した。席を確認すると、偶然にも空いているのはフリットウィック先生と、紫のターバンを頭に巻いた教師の隣。内心驚きながらも席につき、フリットウィック先生と軽く挨拶を済ますと、反対側のクィレルが、ひきつった笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「や、やあ、初めまして。休みにき、君がここに来たとき、挨拶できなかったね。私はクィリナス・クィレル、よろしく」
 彼が差し出してきた手を握り、シルヴィアも挨拶を返した。
「初めまして。シルヴィア・ロジエールです、これからこき使ってくださいな」
「ミ、ミス・ロジエールをこき使うだなんて、そんなことできないよ」
「でも、そうしてくださらないと、私の仕事がなくなってしまいます。私にできることなら、何でも申し付けください」
 クィレルは驚いたように目を瞬かせた。
「き、君はとても、け、謙虚な人だね、あれだけの研究をしていながら……」
「研究の成果で人柄は変わりません。そういえば、クィレル先生は海外で研究なさっていたと聞きました。その時のお話を、是非聞かせてくださいな」
 一年生が入ってくるまで、シルヴィアはクィレルの話に相槌を打っていた。彼の話は粗方嘘が混じっていることに気付いたが、追及はしなかった。クィレルも嘘と気づかれることを知っていて、わざと話していたからだ。思った以上に手強い。それが、シルヴィアが彼と会って受けた印象だった。
 組分け帽子の歌は、昔と変わらず上手だった。盛大な拍手の中、帽子がお辞儀をし終わると、マクゴナガル先生がリストを手に持ち、生徒の名前を呼び始めた。呼ばれた生徒は一人ずつ前に出て、緊張しながら帽子を被っていく。真新しい制服を着た彼らに、入学したばかりの自分の姿が重なった。
「君はグリフィンドールの素質もある」。そう、あの時帽子は言った。グリフィンドールになれば、ジェームズと同じ寮になれる。しかし、家族は怒鳴り散らし、最悪の場合勘当されるだろう……。だから自分はスリザリンを選んだ。臆病者の寮を。恋より安泰を選んだ、自分にぴったりの寮を。あの時から、すでに互いの道は分かれていたのだ。後でどれだけ足掻いても、無駄だったのだ――。
「ポッター・ハリー!」
 マクゴナガル先生の張り上げた声で、現実に戻された。
 周りは一斉に囁きの波を立てる。ぎくしゃくと上座に上がってきた少年に、シルヴィアは息を呑んだ。
 ジェームズがそこにいた。
 黒い癖っ毛の髪、高い鼻、薄い唇、丸い眼鏡。しかし目だけが明るい緑――エヴァンスの目だった。
 少年はやっとのことで椅子まで歩き、腰を下ろした。そして数秒後――「グリフィンドール!」
 グリフィンドールのテーブルがわっと歓声を上げた。「ポッターを取った!」と踊っているフレッドとジョージの姿に笑いながら、シルヴィアはハリーを優しく見送った。自分自身不思議に思うくらい、気持ちは穏やかで満ち足りていた。
 校長の一言の後、一斉に食事が出てきた。皿に載った料理は、その黄金に負けず劣らず輝いている。家を出てから何も食べていなかったシルヴィアは、早速フォークとナイフを取り、一口分に切って口に入れた。やはり美味しい。
「シルヴィア、君の本は全部読んだよ。どれも素晴らしかった!」
 唐突にフリットウィック先生に話し掛けられた。なんだか顔が赤い。シルヴィアは口に含んでいるものを飲み込み、ナプキンで口許を軽く拭きながら言った。
「ありがとうございます。先生にそう言っていただけると嬉しいです」
「はは、そう謙遜することはないよ。ああも見事に証明するとはね……君を教え子に迎えることができてよかった」
 赤ら顔の小さな教師は、甲高い声でしみじみと言う。
「それはこちらの台詞です。神秘部に口添えしてくださったのは、フリットウィック先生でしょう? 先生がいなかったら、私は今頃どうなっていたことか……」
「いやいや、私は君の才能を見込んだだけだよ。未だに、君を超える生徒に会ったことはない!」
 シルヴィアはゴブレットを手に取り、笑った。
「先生、もう酔ってらっしゃるでしょう?」
 上機嫌なフリットウィック先生と言葉を交えながらデザートを食べ終わると、皿は元通りの状態になった。同時にダンブルドアが立ち上がり、広間は自然と静かになる。
「えへん――全員よく食べ、よく飲んだことだろう。二、三言、新学期を迎えるにあたり、皆に話しておくことがある」
 禁じられた森のこと、持ち込み不可のリスト、クィディッチ、そして四階廊下のことを話し終わると、生徒たちに向かって悪戯っぽく青い瞳を輝かせた。
「今年は皆に紹介したい新しい先生がいる。そう、皆が気になっているであろう、彼女――シルヴィア・ロジエールが、三年生以下の呪文学と四年生以上の防衛術の助手を、勤めてくださることになった!」
 驚嘆する声があちらこちらで上がり、一瞬後に大きな拍手が沸き起こった。シルヴィアは立ち上がり、上座から丁寧にお辞儀を返した。座った後、拍手は止んだが、生徒たちのざわめきは収まらなかった。フレッドたちがぽかんと口を開けているのが席から見え、思わず笑ってしまった。
 ダンブルドアがざわめきを静め、校歌を全員で歌い出してからも、シルヴィアは皆の視線が自分に刺さっているのを感じた。

「信じられないわ!」
 グリフィンドール塔へ行く途中、パーシー率いる一年生の群にいたハーマイオニーは叫んだ。
「彼女が、あの、シルヴィア・ロジエールだったなんて! 『現代の偉大なる魔術師一〇〇人』、『魔法界における重要な発見』、『知っておきたい魔法界の常識』……私が読んだ本にはどれも彼女の名前が載っていたわ、彼女の論文を読んでみたいと思っていたのよ、それが――ああ、私、彼女ととっくに話までしていたわ!」
 隣を歩いていたネビルは、興奮するハーマイオニーに戸惑いながらも相槌を打った。
「うん、僕も驚いたよ。あんなに若くて綺麗な人だとは思わなかった」
「ええ、それにとても優しかったわ……私、彼女に失礼なことを言ってしまったような気がする――どうしよう、大丈夫かしら?」
 真剣に悩み始めるハーマイオニーを後ろから眺めていたハリーは、隣のロンに顔を向けて言った。
「そんなにすごい人なのかい? あの先生って」
 案の定ロンはぎょっとしたようだったが、すぐに気を取り直して頷いた。
「ああ、凄いも何も、人類が生まれてから誰も解き明かせなかったものを見事に解明してのけた、超人的な人だよ」
「何を解明したんだい?」
 ハリーの問いに、ロンは反応を期待するように、にやりと笑いながら答えた。
「『時』、さ」

 助手としての仕事は、思っていた以上に楽なものだった。特にやることもなく、教鞭を振るうクィレルを生徒たちの後ろで見ているだけでよかった。これでは本当にただの監視である。ただ、室内には強烈なニンニクの臭いが漂っていたので、シルヴィアはクィレルにニンニクの数を減らすよう説得し、何とか気にならないくらいまで臭いを軽減することができた。
 一方で大変だったのは、駆け寄ってくる生徒たちへの対応だった。特に生徒と教師の隔てを意識せず彼らと接したのが原因のようだった。フレッド、ジョージ、リーはもちろん、中には列車で少し話したハーマイオニー(会って早々論文を褒められたときは心底驚いた)や、コンパートメントが一緒になったドラコたちも混ざっていた。
 一週間もそんな状態が続くと、さすがに疲れてきた。何しろ廊下を移動する度生徒に囲まれるのだ。話していると時間もなくなってしまう。生徒も大事だが、今一番重要なのはクィレルの監視とハリーの安全だ。ダンブルドアからの信頼を元に、頼まれている任務。きちんと遂行しなくてはならない。
 気を引き締めなければと自分を諌めたところで、ちょうど地下室から上がってきたセブルスと目があった。シルヴィアは足を止め、近づいてくる黒い影に微笑んだ。
「おはよう、セブルス」
 セブルスは短く挨拶を返した。
「ああ、おはよう」
 どちらともなく、二人は広間に向かって歩き出した。
「今日は随分と早いな。生徒に嫌気がさしたか?」
 隣を歩く彼の問いに、シルヴィアは首を振り、声を落として言った。
「嫌気ではないけど……これじゃ、監視もできなくなるから。あなたに任せきりにしたくないし、今日からは早く起きることにしたの」
 セブルスはわざとらしく眉を上げた。
「ほう、やっと気付いたようだな? 奴と話す時間より、生徒と世話話をする時間の方が長いと」
「……反省してるわ」
 教員用扉を開けたセブルスに続いて中に入る。広間にはまだ人はまばらで、上座ではマクゴナガル先生とスプライト先生が話をしていた。こちらを向いた彼女たちと挨拶を交わし、二人は近くにあった席に座った。どちらも無言で朝食を食べていたが、やがてセブルスが口を開いた。
「君の出る幕などない」
 シルヴィアはポリッジをすくっていた手を止め、隣を見た。こちらを一瞥した後、再び朝食に取り掛かったセブルスは言葉を続けた。
「私だけで充分だ。それに、ああなる前の奴を知らない君に何かできるとは思えん。ダンブルドアは女である君を助手にしたが、奴に色気は通用しない」
 シルヴィアは何も言わず、彼が静かにナイフを使う様を見ていた。彼の黄色い指先は、長年薬草を扱ってきたことを示していた。
「第一、君には学者としての仕事が大量にあるだろう。助手はともかく、任務まで両立できるか?」
 シルヴィアは目を伏せたまま話を聞いていた。
「私は最初から反対だったのだ。君を、ロジエールをここに呼ぶなど。案の定この騒ぎだ」
 チラチラとこちらを伺う男子生徒たちを見ながら、セブルスは嘲笑った。
「それがまた支障になる。悪循環だ。君はここにいない方がいい」
 彼はそう言い放ち、立ち上がろうとした。シルヴィアはその前に、手を彼の腕にそっと置いた。驚いたように自分を見下ろす彼に、言う。
「セブルス、あなたの言うことは正論だと思う。でもダンブルドアに頼まれたからには、私にしかできないこともきっとあると私は思うの。私はその使命を全うしたい」
 ダンブルドアの申し出を呑んだのは自分だ。自分の意志でホグワーツに来た。ハリーを守るためなら、命を賭けてもいいという覚悟があった。誰になんと言われても、この任務を遂行したい。
 彼は戸惑っていたようだったが、やがて諦めたように言った。
「……君がそう考えているのなら、私はもう何も言わない。ただ、この一ヶ月でこの状態を改善できなかった場合は――」
「大丈夫、わかってる――忠告してくれて、ありがとう」
 微笑むと、セブルスは呆れたようにため息をついた。
「……ついでに自分の身も、心配しておくんだな」
 彼はそう言い残し、上座から去っていった。
 後ろ姿を見送ると、ちょうど広間に入ってきたクィレルと目が合った。微笑めば、ひきつった笑みを返してくる。近づいてくる彼を、隣へと促した。
「お、お、おはよう、ミス・ロジエール」
「おはようございます、クィレル先生」
 彼の席で新しく朝食が出てきた皿を見て、シルヴィアはゴブレッドを爪で弾き、デザートを出させた。それを見ていたクィレルは、心底申し訳なさそうに言った。
「な、な、何も私につ、付き合ってくれなくても――」
「いいんですよ、先生。ただ私がデザートを食べたかっただけですから」
 彼は困ったような笑みを浮かべ、それからおどおどと朝食を取り始めた。
「今日は一限から六年生の授業でしたよね?」
 シャーベットを口に含みながら、シルヴィアが問いかけた。クィレルはすぐさま顔を上げ、頷いた。
「そ、そうだね。き、今日は、無言呪文の、じ、実習をやろうと思う」
「それはいいですね、聞くのと実際にやるのでは全然違いますし。みんなできるかしら?」
「ど、どうだろう? ク、クラスに一人いればいい方だよ……そ、そ、それで、き、君にお願いしたいことが、あ、あるんだが――」
「何でしょう?」
「じ、実習の手本として、わ、私の相手をし、してくれないか?」
 もちろん承諾したシルヴィアは、一旦部屋に戻った後、たまたま廊下で鉢合わせたクィレルとともにDADA教室へ向かった。すれ違い様、生徒たちが彼女に挨拶する様子を見ていたクィレルは、感心したように言った。
「ま、まだ一週間しか経っていないのに、き、君はすっかり生徒から慕われているね」
 シルヴィアは笑いながら首を振った。
「そうだったらいいんですけど。なんだか教師としての威厳が私にはないみたいで」
「ミ、ミス・ロジエールに限って、そ、それはないよ。皆、き、君を尊敬しているように見える」
 おどおどと手振りを交えながら言ったクィレルに、シルヴィアは微笑んだ。
 教室にはすでに生徒たちが着席していた。二人が入ると話し声が止み、教壇に立ったクィレルと、その脇に立つシルヴィアを見た。
「きょ、今日は、無言呪文の演習をや、やりたいと思う」
 途端に生徒たちがざわめきだしたが、シルヴィアが口に人差し指を当て注意したお陰ですぐに止んだ。
「ま、まずは、席を立って、ペ、ペアを組んでほしい」
 クィレルの懇願するような声に、各々が立ち上がりペアを組むと、再び彼が緊張したように吃りながら言った。
「こ、こ、これから、私と、ミ、ミス・ロジエールで、て、手本を見せる。み、皆、よく見ているように」
 まるで見ないでほしいと言っているような声だったが、クィレルは震えながらもシルヴィアを促し、教壇の前の空いた空間に進み出た。そして距離を取って対面すると、彼は恐る恐る杖を構え、シルヴィアもまた自分の杖を彼に向けた。生徒たちが息を呑む気配がした。
 特に打ち合わせはしていなかったが、シルヴィアには何をすべきかわかっていた。クィレルは杖先を震わせながらも的確に目映い白い光線を出し、シルヴィアは素早く杖を下から上に振り上げ、透明なシールドで武器解除魔法を相殺した。
 感嘆とともに拍手をする生徒たちを、クィレルはほっとした表情でぎこちなく見つめ、シルヴィアは笑いながら軽くお辞儀をした。
「こ、このように、どちらも無言で呪文を唱え、魔法を相殺してほしい。そ、それでは始め」
 クィレルのひっくり返りそうな声とともに、生徒たちは一斉に演習を開始した。呪文を出さず魔法を唱える姿は格好よく、皆すぐに取得したがった。とはいえ、口を開かずに魔法はなかなか出せず、囁きと閃光が徐々に教室に溢れていった。クィレルとシルヴィアは生徒たちを見て回り、無言呪文のコツなどを教えていった。授業が終わり、悔しそうに教室を後にする大多数の生徒たちを見ながら、教科書を揃えていたシルヴィアは隣に立つクィレルに言った。
「誰もできないかと思っていたけれど、数人できるようになって驚きました」
「そ、そうだね、き、君の指導のお、お陰だよ」
「いえいえ! 先生が日頃から教えてきたからです――先生は力がお強いのですね。プロテゴをしていても、結構衝撃が来ました」
 クィレルは特に表情を変えず、いつも通り吃りながら答えた。
「そ、そうかね? い、言われてみれば、そうかもしれないな」
 力の強弱は自分がよくわかっているはずだ。しかし、シルヴィアはそれを追求せず、彼に別れを告げ教室を出た。
 シルヴィアがホグワーツに来て、二週間が過ぎた。セブルスと約束してからは廊下で生徒に話しかけられても、また後でね、と言えば、彼らはすんなり頷いた。このせいで、彼女の部屋にはよく生徒たちが来るようになったが、それも仕方なかった。
 日中はなるべくクィレルと行動している彼女は、今日も彼と夕食を食べ、自分の書斎へと戻った。あまりべったりくっついていると不審に思われるため、付かず離れずの距離を保っている。彼を知れば知るほど、悪からはほど遠い人物に思えてくる。しかし、吃りもひきつりも全て演技だとしたら――油断ならない。確信しているからこそ、ダンブルドアはこの任務を託したのだ。
 シルヴィアは少しリラックスしようと、秘書から送られてくる、本人確認が必要な書類から目を離したとき、ノックの音がした。
「はい」
「あ、私、ハーマイオニー・グレンジャーです。先生に質問したいことがあって……」
 緊張した声。書類を置いてドアへ歩み寄った。
「今、少し忙しいんだけど――」
 ドアを開けると、分厚い本を抱えたふさふさした髪の少女は、残念そうに眉を下げていた。シルヴィアは彼女にかがんでにっこりと笑った。
「質問は別よ。さあ、入って」
 途端に少女はパッと顔を輝かせた。
 ハーマイオニーには廊下でよく話しかけられてきたが、部屋に入ったのは初めてだった。
「わあ、素敵なお部屋ですね」
「ありがとう、私も気に入ってるの。ここに座って」
 真ん中に置かれたテーブルに、隣り合って腰を下ろすと、ハーマイオニーは持っていた本をテーブルに載せ、質問するページを開いた。彼女の質問は、一年生、それも入学したばかりにしては、かなり高度なものだった。質問に応じてどうしても必要になる難解な呪術学用語を教えながら丁寧に答えると、ハーマイオニーはすぐに呑み込み、熱心に頷いた。
「なるほど、よくわかりました。ありがとうございます」
 頬を微かに赤らめ、礼を言う彼女に、シルヴィアは優しく言った。
「いいえ、こちらこそ。呑み込みが早くて助かったわ。質問はそれだけでいいの?」
 ハーマイオニーは本を閉じ、頷いた。
「はい……先生、質問がある時は、ここに来てもいいですか?」
 彼女は不安げにこちらを見上げた。シルヴィアは安心させるように笑みを浮かべた。
「もちろん。今度から、お茶も用意しておくわ」
 ハーマイオニーは慌てて首をぶんぶん振った。
「そんな、悪いです! ただでさえ、先生はお忙しいのに……」
「いいのよ、別に気にしなくて。いつでも来てね」
 もう一度礼を言い、書斎から出た彼女の背中を見送ってから、シルヴィアはドアを閉めた。ハーマイオニーは何かを悩んでいるように見えたが、そこはあえて聞かなかった。彼女が話してくれるまで待つのもいいし、話さなくとも構わない。悩みは誰にだってあるものだ。自分にも当時、大きな悩みがあったが、六年になるまで誰にも打ち明けなかった。まさか、打ち明ける相手がスリザリン生になるとは夢にも思わなかった。ハーマイオニーにも、そんな友達ができればいいとシルヴィアは思った。
 それから夜が更けた頃だった。早々と仕事を片付け眠り込んだ彼女の耳に、大声が飛び込んできたのは。
「生徒がベッドから抜け出した!」
 ピーブズの声だった。
「ベッドから抜け出した生徒が、呪文学教室前の廊下に居るぞ!」
 シルヴィアは跳ね起き、黒いガウンを羽織ると自室から出て、扉を開けた。廊下には半透明の小男、ピーブズが浮かんでいた。彼は彼女を見てにんまり笑った。
「これはこれは、ロジエールちゃん。そんな若い格好をして、体を冷やさないのかい?」
 丈の短いペチコートから出る素足を見て、ピーブスは意地悪く言った。シルヴィアは不快感にぎゅっと眉をひそめた。その時、暗がりの中から駆けてくる足音が聞こえてきた。フィルチだ。彼はこちらを見てにやりと笑った。
「ああ、ロジエール先生。ここに生徒が三人やってきませんでしたか?」
「いいえ、私は今ピーブズに起こされたところなので特に何も……」
 そう言うと、フィルチは明らかに苛ついたような顔をし、忌ま忌ましげにピーブズを見上げた。
「ピーブズ、奴らはどっちに行った? 早く教えろ」
「『どうぞ教えてください』と言いな」
「ゴチャゴチャ言うな、ピーブズ、連中はどっちに行った?」
「あんたが『教えてください』って言わないと、オレも『なーんにも』言わないよ」
 ピーブズはいつもの苛立たせるような声で言った。シルヴィアは彼の意図がわかったが、フィルチには教えず、ただ二人のやりとりを見ていた。
「しかたがない――教えて下さい」
「なーんにも! ハハハー! わかったかーい、『教えてください』と言ったから『なーんにも』って言ってやったぞ! ハッハッハー!」
 高らかに笑うピーブズに、フィルチは悪態をつき、戸口に立つシルヴィアを向いた。
「先生、先生にも是非生徒を探してもらいたいんですが」
「私はここにいます。もしかしたらこの辺に潜んでいるかもしれませんし」
 平然と言えば、フィルチは面白くなさそうな顔でしぶしぶ頷き、去っていった。彼と共にピーブズも去り、ほっとしながら、シルヴィアは突き当たりになっている廊下の奥へ進んだ。いるとすれば、ここしかない。
 鍵がかかっているよう願いながら、ドアに近づいていくと。内側からドアが勢いよく開き、驚く間もなく生徒たちが――ハリーたちが、一斉に飛び出してきた。三番目に通り過ぎたハーマイオニーと目があった気がしたが、声をかける前に彼らは脇目も振らず、一気に廊下を駆け抜けていった。
 暗闇に溶け込んでいくハリーたちの後ろ姿を呆然と見送り、それから少し開いたドアを閉めた。犬の唸り声が消え、廊下は元通り静かになる。杖を振って鍵を閉めると、ちゃんと閉まっているか取っ手に手を掛け確かめた。まさか、開閉呪文で開けられるドアを使っているとは思わなかった。これでは今のように生徒も簡単に中に入れてしまう。ホグワーツの教師たちによる幾重もの守りの前に、まずここから厳重にした方がいいのではないか。クィレルはともかく、生徒がもし三頭犬が守る扉に気づいたら――。
 そこまで考え、シルヴィアはハッとした。わざと気付かせるために無防備なドアにしたのなら――明日、校長に報告することに決めた。
 翌朝。早起きして洗顔と化粧を終えると、シャツを着てストッキング、スカートを穿き、上からジャケットと黒いローブを羽織った。生徒にはよく何故スーツを着ているのか質問されるが、理由は単純だった。ただ単に好きだからだ。皺一つないシャツに腕を通すだけで、しゃんとした気分になれる。もちろん、杖を振るのが主な仕事のため伸縮魔法を掛けてあったが、気持ちを引き締める効果は十分あった。スリザリン生は顔をしかめる者が多かったが、概ねマグル学教授や生徒からは好評だった(「それはヒップラインがちょっと見えてエロいからですよ、先生」とフレッドはにやけ顔で言っていた)。姿見で軽く確認した後ドアを開けると、ハーマイオニーの姿が目に飛び込んできた。
「ハーマイオニー? どうしたの、こんな早くに」
 驚きながら問いかけると、彼女は沈んだ面持ちでこちらを見上げた。いつから待っていたのか、彼女の目の下には薄い隈があった。
「先生、私、私たち、昨日の夜に……深夜徘徊を……立ち入り禁止の廊下を……」
 ハーマイオニーはまるで大罪を告白するかのように、真っ青な顔で途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「あの、先生は……今から、報告しに行くんでしょう? 私、罰なら何でもします! だから、どうか退学だけは……!」
 シルヴィアは堪えきれずクスクスと笑った。そしてぽかんと自分を見上げるハーマイオニーに言った。
「深夜徘徊と廊下に入ったことで退学になるなんてことは、ありえないわ。よっぽどのことじゃないと――」
 それでもハーマイオニーは不安げな顔をしていた。シルヴィアは言葉を続けた。
「それに、私はあなたたちのことを報告しないわ。減点も私にはできないし……ただ、今度廊下から出てきたのを見たら――」
 ハーマイオニーは激しく頷いた。
「はい、絶対にあそこには近づきません」
 真剣な顔で誓う彼女に、シルヴィアは微笑んだ。
「わかればよろしい。これからもう一時間くらいは眠れるから、早く眠ってらっしゃいな」
 ハーマイオニーはようやく安堵した表情を浮かべ、ゆるゆると微笑んだ。
 がらんとした広間で朝食を手早く済ませると、シルヴィアは校長室に赴いた。「シャーベット・レモン」と言えば、ガーゴイルたちが退き螺旋階段へのドアが現れる。
 階段を上り、シルヴィアはドアの前で深く息をした。昨日達した結論を、言うかどうか――校長の反応で決めよう。緊張気味にドアを叩けば、向こうから「どうぞ」と促す声が聞こえた。
「失礼します」
 机にはすでにダンブルドアが座っていた。シルヴィアはドアを閉め、彼の前へと進んだ。
「何か、進展でも?」
「いえ、ただお伝えした方が良いと思いまして――ハリーたち一年生が、昨晩廊下に入りました」
 ダンブルドアは表情を変えずに頷いた。続けていいという意味だと取り、シルヴィアは再び口を開いた。
「跳ね上げ扉を見たかどうかはわかりません。私に気づいた一人には、二度と近づかないよう言っておきました――ついでに、ドアに細工をしました。開くと私に知らせてくれるようになっています」
「そうか――最初からそうすればよかったのう。ありがとう、シルヴィア」
 微笑むダンブルドアを、シルヴィアはじっと見つめた。見つめ返すブルーの瞳は、静かに輝いている。とても、それを聞けるような眼差しではなかった。
「……では、失礼します」
 その眼差しから逃れるようにシルヴィアは軽く一礼し、ドアへ向かった。取っ手に手を掛けた時、後ろから呼び掛けられた。
「シルヴィア、私は君を信頼している。君も、私を信頼してほしい」
 シルヴィアは答えずドアを閉めた。自分はそこまで馬鹿ではない。策士のダンブルドアが話さないのなら追求はしないし、信頼を失くしはしない。
 そしてもし、それがジェームズの葬式の時に言っていた予言と関係あるのなら――自分にできることは、ダンブルドアの駒となり、与えられた命令を遂行するだけだ。感情的になるな。そう思いながらも、ヒールを高く鳴らさずにはいられなかった。
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