今際の際にも好きと言ってね
「ねえねえゆうくん!」
「どうしたの、ももちゃん」
はしゃぐ声に目線をそちらに向ければ、恋人のももちゃんがにこにこと笑って僕のほうを見ていた。
「春になったらさあ、お弁当持ってピクニックとか行きたくない?」
今はまだ12月の下旬。
そんな時期に春先のことを考えているような突拍子もない申し出はいつものことだ。
ももちゃんの意識はすでに春のうららかな陽気に飛んでいるのだろう、ぽやぽやと幸せそうな空気を放つ彼女に思わず頬が緩む。
「ああ、いいね。行きたいねえ」
肯定の返事に心底嬉しそうに「だよね」と言い、彼女は自分の考えた春先のピクニックプランを語り出す。
曰くいつ頃がいい、とか。お弁当の具はこれこれがいい、とか。
たわいもない内容を本当に真剣に考えるももちゃんの目がきらきらとしていて、とても可愛らしい。
「近所の公園の裏手の丘がさあ、ちょっと勾配が急なんだけど。2時間くらいあったら登りきれるみたいだよ」
ああ、と思って考える。
確かにあの丘は一部に急な勾配があるけれど、それ以外は初心者のピクニックに適当だろう。
いざとなったらももちゃんの軽さであれば僕がおぶって登ることもできる。
……ももちゃんは自分の脚で登りたいって嫌がりそうだけど。
「ちょうど時期的には桜がきれいな頃だろうね。うん、行こう」
「おお、ゆうくんが珍しくフットワーク軽いね!」
「そりゃね、ももちゃんのことだからね」
「やだあ、熱烈ぅ!」とももちゃんは茶化すように笑った。
笑った拍子に彼女が腹部までかけていたタオルケットが足元に落ちる。
「熱烈にもなるよ。……ああほら、体が冷えちゃうから掛物はちゃんとするんだよ」
「……ゆうくん、お母さんみたいになってない?」
笑いを耐え切れないといった表情でニヤニヤしているももちゃんに、ほんの少しむっとした声色で返す。
「……僕はももちゃんの彼氏なんだけど」
そこを間違えてもらっては困る。
僕はももちゃんの彼氏でいたいのであって、お母さんになりたいわけではない。
……別に、頼られるのが嫌いというわけではないのだけど。
どうせ家族になれるならお母さんっていう形は望みたくない。
そう思ってちょっと強気に出たのだけれど。
「うふふ、知ってるよ。ゆうくんは私のこと大好きだもんね?」
自信満々に言われて、僕のなけなしの強気は一瞬で霧散した。
それに対して余裕綽々で受け答えができるほど僕は恋愛慣れしていないし、ましてやももちゃん本人に言われて隠せるほど肝の据わった人物でもない。
赤くなる頬を隠すこともできず、なんとか残った平常心をかき集めて「……間違ってないけど、ももちゃん自身に言われると複雑だよ」と返した。
「ええ?何が間違ってないの?ちゃんと言ってくれないと分からないなあ」
分かってる。分かっててやってる!
満面の笑みでこちらを見てくるももちゃんは贔屓目なしに可愛い。
可愛いんだけど、この状況でそんなことを考えていたら、もう照れてしまってだめだ。
ねえねえ、と期待した声が僕の耳朶を叩く。
ええい、どうにでもなれ。
「……ももちゃんが好きだよ」
顔面中が火事になっているんじゃないかってくらい熱い。
意味が分からないくらい心臓の動きが早くなっていて、なんとか平静を装うために必死に顔面を作っている感じ。
僕のそんな姿を見ているはずなのに、ももちゃんは嬉しそうに、本当に嬉しそうににこにこしている。
「うへへへへ」
……訂正。にこにこ、なんて表現はかわいらしすぎた。
「笑い方がヤバい」
女の子のしていい笑い方じゃないだろう、その笑い方。
突っ込みを入れるとももちゃんは瞬時にその笑いを引っ込めて、「デリカシーがなぁい」と頬を膨らませた。
怒ったかな?と思ったのだけど、再び顔が笑みを形作ったので、彼女がまた何かを思いついたことを悟る。
「ねえねえゆうくん!それさ、次の誕生日にも言ってよ!」
おや――思ったよりも控えめな。
……いや、そうでもないか。
ももちゃんの誕生日は9月だから、9か月以上先の話だ。
結構先の話だぞ、そんな先でいいのか?
「別に誕生日じゃなくても言うよ」
「えぇ?そうなの?」
「そうだよ。いつも思ってる事だからさ」
そう言うと、ももちゃんは鼻白んだ顔をする。
おやおや、と思っている間に彼女の頬がぽぽぽ、と赤く染まった。
ほらね、僕のことは揶揄うくせに、自分が揶揄われるのには弱いんだ。
可愛いでしょう。
「ゆうくんって普段そうでもないのに、たまにドキドキすること言うよね。キザ?」
「ももちゃんにだけね」
追撃のようにそう言えば、ももちゃんは「……ぐぅぅ」と呻いて、それから僕のほうを見て照れたように笑った。
あ、愛おしいな、と思う。
きっと世界で一番綺麗なものを集めたらももちゃんができるんだ。
優しい言葉とか、そういうものをたくさんたくさん積み重ねたら彼女ができるんだ。
ただただ、愛おしい。
僕はこの子が心の底から愛おしい。
「本当に、いつだって言うよ。春にだって夏にだって秋にだって、次の冬にだって。いつだって言う」
愛おしさは口にしないと伝わらないんだってことを僕はよく知っているんだ。
言葉にしなくても伝わるっていうのは、それは言葉以外に愛を伝える手段を持つ人間の傲慢な考え方なんだ。
僕は君に言葉でしか、この思いを伝えることができないから。
「ふふ、思ってくれてありがとう」とももちゃんが笑う。
緩やかに僕のほうに手を伸ばしてきたから、その細くて頼りない手を握った。
「ももちゃんが僕に好きって言われるのが好きだってこと、よく知ってるからね」
あまりに頼りない手に、目の奥から熱いものがこみ上げそうになる。
僕は君のことをよく知ってるんだよ、ももちゃん。
季節の中では春が一番好きってこと。
デートは人が多いところよりも自然が多いところが好きってこと。
笑ったときにきゅっと目尻にしわが寄ること。
僕の声が好きなこと。
悪戯好きだけど悪戯されるとびっくりしちゃうこと。
将来のことを考えるのが好きなこと。
そんな君に残されている時間がもう長くないこと。
「うん、ありがとう。だからね、ゆうくん」
言いかけて、僕が泣き顔になったことに気付いたももちゃんは。
体中をチューブにつながれて動くこともままならないももちゃんは、本当に綺麗な顔で笑った。
今際の際にも好きと言ってね
「いくらでも、いくらでも言うから」
「うん」
「“この先”だって語るから、だから」
「うん」
「ももちゃんと生きたいんだよ……」
「ふふ、善処しまぁす」
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