ドラマティック・トランキライザー



厄介なことになった。
それは22年しか生きていない私にもわかるくらいやばい出来事で、頭の中で延々緊急ブザーが鳴り響いている感覚すらある。


「先生は私に会うためにこの学校を選んでくれたのでしょう?」


そう言いながら目の前の少女はにっこり笑う。
笑うというより艶然と微笑む、と言ったほうが適切な気がする。
少なくとも若干16歳の少女が浮かべるにしては年不相応な笑みだった。


「あー、えっと……柏木?で、合ってる?」
「はいっ、古東先生」
「……疲れてるのか?」


思わずそう聞けば、「やだぁ」と少女ーー柏木こころは頬を染める。
……いや、なんでそこで頬を染めるんだ。
彼女の思考回路が理解できず、思わず後ずさる。

ここいらで、状況を飲み込めないみなさまのために現状を説明しよう。

私は古東薫。
どこにでもいるごく一般的な女子大生。
教職を目指し、今日から2週間の教育実習にやってきた。
今日は9月1日月曜日。所謂2学期の始業式というやつだ。

ごく一般的な教育実習生である私は数多の実習生がそうであるように、大きな期待とほんの少しの不安を胸にこの学校にやってきた。
担当教員の林先生は私の高校時代の恩師で、「おう、古東が教生とは恐れ入ったな」と笑っていた。
職員室にいる先生方に挨拶を終え、始業式での挨拶を滞りなく済ませ、林先生の担任する1年4組にやってきた。
改めて自己紹介をして、生徒たちからも軽い自己紹介を受けて。
そうして無事に今日のノルマが終わった、と思っていたら職員室に帰る途中で彼女に捕まり、冒頭のような発言を受けたわけである。

……うん、説明した私もやっぱり意味はわからない。

頬を染めて潤んだ瞳で私を見つめる柏木。
その様は同性の私から見てもどきっとするほど可愛らしい。
発言の内容さえまともならば。


「私本気なんですよ?古東先生」
「……いや、どの発言に対して?」


私の言葉にきょとんとしたあと、柏木はうっとりと微笑む。


「先生は私に会うためにこの学校を選んでくれたのでしょう?そんな熱烈なことされたからーー私、先生のこと好きになっちゃった」


ガチトーンだった。
あんな可愛らしい微笑みからは想像もできないほどのガチトーンだった。
おまけに目が笑っていない。

何言ってんだ、と突っ込みたいのに突っ込ませてくれない妙な迫力がある。
順番がおかしすぎる。
なんで私が柏木に好意がある前提なんだ。


「いや、そもそも私がここにきたのは母校だからで……」
「母校!」


耐え切れずそう言えば、柏木は目をきらきらと輝かせる。


「じゃあやっぱりそうですね!」
「なにが……」



「先生は私に会うために、6年前からこの学校に通ってくれてたんだ!」



なんの疑いもなく吐き出された言葉。
あまりのぶっ飛びように思わず「……ヒェッ」と声が漏れる。


メーデーメーデーメーデー。
この女、ヤバい。


じり、ともう一歩後ずさる。
生徒相手に後ずさりなんて失礼じゃないか、とか、初日なのに自分から距離を取るなんてダメじゃないか、とか。
そんな思いは確かにあるのに本能がそれをかき消していく。

メーデーメーデーメーデー。
近づいてはいけない、関わってはいけない。
教師は博愛主義であるべきだという考えが消え失せるほどやばい。
頭の中で緊急ブザーが鳴り続けている。


「先生?どうしたんですか、顔色が悪いわ」
「あ、いやぁ……はは……」
「先生?どうして距離を取るんですか?」
「早く職員室に戻らないとなー、って……」
「あら、そんな顔色で戻っちゃだめですよ。私が看病して差し上げますね」


じり、距離を離す。
じり、距離が詰まる。

にこにこと笑う柏木の表情に悪意はない。
悪意どころか、勘違いでは済ませてくれないほどの好意全開だ。
私だって22年生きていれば、人に好意を寄せたことも、好意を寄せられたこともある。
だけど、純粋な好意がこんなにも狂気じみているのは初めて見た。


「か、柏木!」
「はぁい」


うっとり笑う。
この少女をこのままにしてはおけない。
それは見習い教師としての使命感とか正義感みたいな綺麗なものではない。

シンプルにこのままでは、私の実習がヤバいことになる。
それは避けたい。

そんな目先のことに囚われた考えをしていたものだから。


「まだーーまだお互いのことを全然知らないよな!?」


もちろん口から出た言葉も目先の出来事の回避にしかならなかった。


「お互いのことを……?」
「そう!そうだ、惚れた腫れたと言うには互いを知らなすぎる!」
「まあ……」


だが言葉は止まらない。
畳み掛けるように現状を打破できる可能性のある言葉を並べる。
それを聞いた柏木の動きがピタリ、止まる。
顎に手を当てて考えるポーズさえ様になっている。
よし、うまくいった。


「そんなにーーそんなにも先生は、私とのことを前向きに考えてくださってるんですね……!」
「ちっげえええええええ!」


花がほころぶように柏木は笑った。
うまくいったわけがなかった。
私の成功イメージは斜め上にぶっ飛んでいった。


「嬉しい……」
「嬉しい要素どこにあった!?」
「先生、私、すぐに私のことについて説明書を書いてきます!読んでもらったら私のことがよくわかるように!」
「いらねぇ!」
「先生も書いてくださいね!」
「人の話を聞け!」


嬉しいわ、と頬を染めながら言う柏木に鳥肌が立つ。
会話が成り立たない、宇宙人と話している感覚、ヤバすぎる。


「先生、また明日


ちゅう。
間抜けな音を立てて私の頬に柔らかで温かいものが触れる。
恋する乙女のような顔をした柏木は私に一度ウィンクをすると、「さようなら」と走り去っていった。

……これ私、未成年に手を出したってしょっぴかれないよな?

這々の体で職員室に戻ると林先生の隣に用意された自分のデスクに座り込む。


「おつかれさん」


低い声でそういった林先生は私のデスクにコーヒーを置いてくれる。
気力を振り絞ってそれを受け取り口に含むと、苦味のなかの甘みが染み渡っていく感覚がした。


「うあぁ……コーヒーおいしい……」
「初日から疲れてんな」
「疲れもしますよ……気疲れですよ……」


あー、と半笑いで林先生が言う。


「柏木は……まあ、頑張れ」


頑張れってなんですか、とは声にならなかった。
やべーやつがいるなら事前に教えておいてほしい。


「しかしお前は本当に……在学中から女にはモテるよなぁ」


うるせぇ、あんなやべーのに好かれたのは初めてだよ。
やさぐれてそう言えば「先輩になんつー口のきき方してんだ」と軽く叩かれる。
叩かれたところは痛くて、残念ながら今日の出来事が夢ではないのだと告げていた。


「さいっあくだ……」


9月1日月曜日。
2週間の教育実習は、残り13日だ。

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