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朧夢

「ぜっっっっったい、いや」

つん、とシセロはそっぽを向く。
それを見てヴィノは心底困ったような、それでいてどこか楽しんでいるような笑みを浮かべる。

「つれないこと言うなよシセロ、同じカポデチーナのよしみだろ?」
「なら同じカポデチーナとして、〈ヴィノ〉は僕を殺す気なのかよ?」
「…お前に呼び捨てにされると不思議な気持ちだな」
「急に親父にもどんなよ!僕が悪いみたいだろ!」

ぎゃあぎゃあと騒ぐ2人を眺めていたウーゴは深く深くため息をつく。
それをめざとく見つけたシセロは端正な顔立ちをゆがませて「ウーゴ!」と咎める調子で彼の名を呼んだ。
それに対して軽く肩をすくめて、ウーゴは2人を見やる。

「あのな、父さん、シセロ。仮にもカポデチーナ同士なんだから、もう少し理性的な話し合いをしてくれよ」
「「無理だ」」
「そういうところだけ意見が一致するんだからなあ……」

やれやれとウーゴが頭を抱えるにはわけがある。

数日前、ファミリー同士の大きな抗争があった。
シセロやウーゴが所属するアドルフォファミリーは規模こそ小さいが、何かと重要地に拠点を置いているため中堅からすれば目の上のたんこぶもいいところなのだ。
とはいえ、本来のアドルフォは穏健派なため、できる限り揉め事に巻き込まれないよう丁重に立ち回ってきた。
…が、ごくまれにカポのマリオが「二度と立ち上がれないように徹底的に叩き潰してこい」と命じるときがある。
すなわち、ファミリーの誰かが敵対者の攻撃で負傷した時だ。

マフィアが守るべき10の掟、通称オメルタ。血の掟とも呼ばれるそれは絶対的なものだが、アドルフォファミリーにはオメルタに負けぬとも劣らぬほど重視される規則がある。

家族を愛せ。

カポであるマリオ以下ほぼ全員が孤児であることから、「マフィア」よりも「家族」という印象を強く持っているアドルフォでは、この掟が非常に重要視される。
敵対者から家族が傷つけられた場合、一家の長であるマリオがゴーサインを出すのは極めて自然なことであった。
先日の抗争もそうした経緯があり、マリオから「徹底的に叩き潰せ」と指令が来たのだが。
ヴィノがここまで食い下がるのはひとえに、ゴーサインのきっかけとなった負傷者がシセロだったからである。
たまたま街を歩いていたところを敵の鉄砲玉に襲撃され、肩口に銃創ができた。
無論シセロとてやられっぱなしということはない。
すぐさま的確に相手の足を奪い、捕獲し、拷問してどこの手の者か吐かせて、きっちりカポに報告した。
カポはすぐさまいつものようにゴーサインを出し、事態は沈静化した。

そのように思われたのだが。

「でもねえシセロちゃん、やっぱり心配だわ!」

ふるふると首を振りながら自分を抱き寄せた女性をシセロは面倒そうに、しかしどこか愛おしそうに見る。

「マザー、僕は自分で望んでここにいるんだ。女として見なくていいんだよ」
「いやぁ、なんてこと言うのよぅ。こんなにかわいいお顔で、性格だっていいんだからなにも男の子として生きていかなくてもいいでしょう?ファミリーにいたいなら誰かと結婚したっていいんだわ」
「それじゃあ意味がないんだって言ってるのに、アンタも分かんねえなあ」

困ったように笑うシセロは言葉こそ強いものの、全く怒っている様子もなければ苛立っているわけでもない。
マザーと呼ばれた美しい金髪の女性はカポ・マリオの愛人でルネッタという。
男装して過ごすシセロを何かと心配しており、今回の一件で最も狂乱していた人物でもある。

「第一ね、ヴィノ!あなたが最初にシセロちゃんをこっちの世界に入れたんだから、やっぱり責任は取るべきだわ!どうするのよ、女の子なのに肩にこんな大きな傷こさえて!」
「勘弁してくれよ、マザー……この歳になって怒られたくねえ」

カポデチーナとして、そうしてシセロやウーゴの父親代わりとして見られることが多いヴィノだが、ひとたびルネッタの前に出ればただのドラ息子も同然の扱いを受けることになる。
こういうところがあるので、ルネッタは本人曰く「お母さん」らしいが……シセロはどちらかといえば父親の母親、つまり「おばあちゃん」として見ているケが強い。

「マザー、こればかりは親父の言う通りだ。肩の傷くらいなんてことねえよ、誰に見せるわけでもないんだし」

「まあ!」とルネッタは大げさに驚いたような声をあげてシセロを見つめる。

「シセロちゃん、そういう言葉は軽々しく言うものじゃないわ。いつかその言葉を後悔する日が来るかもしれないのよ」

真紅のグロスに縁どられた唇からそんな言葉が飛び出すものだから、シセロは思わず笑ってしまった。
全く、何を言っているのか、このおばあさまは。
自分がこの傷を後悔する日が来る?誰かに見せる日が来てそれを恥じ入るとでも思っているのだろうか。
そんな考えが顔に出ていたのだろう、ルネッタは歯がゆそうにシセロを見たがそれ以上何も言わなかった。
代わりと言わんばかりに口を開いたのはウーゴだ。

「シセロ、俺もどちらかといえば親父とマザーの意見に賛成だよ。お前はまだ普通の女の子としてやり直すには十分な若さだし、女性の体で傷を作るなんて大ごとだ。お前がそう考えていなくてもね」
「あーはいはい分かったよ。お前らはよってたかって僕をアドルフォから離したいわけだ」
「そういう皮肉っぽい返しをするなよ」
「心配なんだろ?でもおあいにく様、僕はお前らが準備したレールに乗るのはまっぴらごめんなもんでね」

ふん、と鼻息荒くシセロは続ける。

「嫌だよ、しらねえ男との結婚なんか」



「それであなた、ご機嫌斜めでここまで来たんですか?」

呆れたように言うラファエレにシセロは「だって」と反論する。

「何が嬉しくて、僕が同盟ファミリーに嫁がなきゃなんねえんだよ」
「そりゃあなた、顔だけは綺麗ですから」
「撃ち抜かれてぇのかよオッサンは!?」

冗談ですよ、という言葉と共にアイスティーが目前に置かれる。
それを当たり前のように受け取って一口含む。
相も変わらずこの男の淹れる茶はうまい。
苛立った心がほんの少し静まって、シセロはほう、とため息をついた。

「べつに、役に立つんだろうとは思うけど。僕は結婚なんかしたくない……」

まろび出た言葉は本心以外の何物でもない。
もちろんシセロとてもう分別のつかない子供ではないのだから、同盟ファミリーに自分が嫁ぐことで血縁を結び、同盟を強固なものにするという目的自体はよく分かっている。
けれどどうしても。

「しかし意外でしたね。昔のあなたは「カポたちの役に立てるなら」とか言いながら、ファミリーの為だと即決しそうでしたが」
「……4,5年前の話を持ち出されても困るな。盲信的なガキの戯言だよ」
「それはまあ、随分と大人びたことで」

揶揄う口調に片眉を吊り上げながらも、本気で怒ることはしない。
ラファエレの言った通りだと自分でも思うからだ。
自分を拾ってくれたヴィノへの恩もある。それを容認してくれたカポにはもちろん感謝してもしきれない。自分を心配するルネッタの思いだって理解できる。
この神父に出会うまでの自分なら、間違いなくあの場で話を受けていただろう。

「第一あなたはお転婆がすぎますから、結婚して落ち着くくらいでちょうどいいかもしれませんよ」
「……ああ、そうかよ」

人の気も知らないで。
口からこぼれそうな10音をアイスティーと一緒に飲みこんだ。

「結婚をしたくない」というわけではない、と言ったとき、ヴィノもルネッタも不思議そうな顔をして首をかしげた。
ウーゴだけが合点がいったという顔をして肩をすくめ、「なるほどね」と短く言ったのだ。

「お前は「知らない男との結婚は嫌だ」と言ったけど、確かに結婚そのものを嫌だとは言ってないな」
「あ!……なら、うちの中で相手を探す?」
「マザー、それはさっきシセロはが意味ないって一蹴したじゃないか」
「ええ……?」

きょどきょどと視線をさまよわせるルネッタの少し後ろ、難しい顔をしていたヴィノは一拍空けて、口をぱかり、と開いた。

「……シセロ、お前まさか」

信じられない、と言葉にはしなかったが、言葉より雄弁に顔面がその驚愕を表している。
ウーゴは理解しきれていないルネッタに歩み寄り、言葉を続ける。

「つまりね、マザー。シセロは心に決めた殿方としか結婚する気はないと、そう言っているわけだよ」
「いやそこまでは言ってねえよ」

けれど遠からずだろう?とウーゴが笑う。
その言葉をシセロは肯定しなかったが、否定もしなかった。

それが、すべてだった。

「おかげで俺は合点がいった。たしかに彼ならお前のその傷も気にしなさそうだね」
「おいウーゴ早急に黙れ」
「ウーゴちゃん、シセロちゃんの懸想のお相手はそんなに寛大な方なの?」
「ええ、彼は変わってはいるけれど寛大だと思いますよ、マザー」
「ウーゴてめえよほど鉛玉が好きらしいな!?」
「シセロに……惚れた相手……?」
「親父は親父で呆けてんじゃねえよ!こいつ止めろ!」

ぎゃんぎゃんと吠えたせいで若干喉が痛い。
じくじくとアイスティーで刺激される喉に顔をしかめれば、口にあいませんでしたか?とラファエレは問うてきた。

「……いや、相変わらず僕の好みだよ」
「それはよかった。シセロさんは甘い紅茶以外はなにくれと駄々をこねて飲みませんからね」
「べつに、今はコーヒーだって飲むさ。ただオッサンが淹れるなら紅茶のほうが好きってだけだ」
「おや、それは失礼しました」

にこやかに笑むラファエレの顔をじとりとねめあげる。
食えない男だ。こうしてにこにこと微笑んでいても腹の中は何を考えているか分かったもんではないし、おそらくたいして反省もしていない。
他人に興味はない、というより神以外の要素を別段必要とも思っていないのであろう、一種の異常性愛者だ。

――まったく、惚れたもの負けとはよく言ったものだ、腹が立つ。

それすらひっくるめてこの男だと受け入れたくなるのだから、女の心とは厄介このうえ極まりない。
自分には不要なはずなのになかなか手放せないのだからタチが悪いとシセロはもう一度ため息をついた。



同時刻、アドルフォファミリーアジト。
ウーゴもまた大きなため息をついていた。

「まったく、間を受け持つ俺のことも考えてほしいもんだよ」

ヴィノとルネッタを帰した後、シセロは「お前には言っておくぞ」と前置きをしたうえでウーゴに向き直った。

「今回の件は断ったが、今後もっと条件のいい縁談があった場合はその限りじゃねえ。お前は知っておいてくれ」
「シセロ、それは……」
「勘違いすんなよ、今回は同盟も長いファミリーとの縁談だ。僕がいなくたって同盟はうまくやれるだろうさ。だが、今後そうも言ってられない案件があるかもしれない。そうなったら僕は……見た目だけは一級品だ、そういう用途には使いやすかろうさ」
「シセロ!」

自分の身を商品のように言うシセロに思わず声が荒くなる。
怒んなよ怖えな、となんとも思っていない声色でそう言ったシセロにウーゴは語調も荒く言葉を続ける。

「第一お前、神父様のこと……」
「いいんだよ」

はっきりとした言葉は明確な否定の意志を孕んでいた。
ウーゴは一瞬、見慣れたはずの目の前の少女に気圧される。
それに気付いたのかシセロはふぅ、と小さく息を吐く。
そうして髪をかきあげ、酷く美しい顔で笑った。

「神父とマフィアだ。結ばれるわけないってわかってるんだから、今くらいは夢を見たってかまわないだろう?」



「ほんと、あんな顔して言った言葉を本心だと思う人間がいるなら連れてきてほしいもんだ」

ウーゴはそうひとりごちて虚空を眺める。
ウーゴがどれだけ長く彼女を見つめていたか、きっと彼女は知らない。
知らなくていい。
シセロの幸せが自分の幸せだと知っているから、自分にできることはたった一つだ。

「まったく、手のかかる妹だ」

ウーゴはもう一度呟いて立ち上がる。
諦めたような口をきくシセロは好きではない。
彼女は常に傲岸不遜に尊大に笑っているのがよく似合う。

「ラファエレさんにシセロを受け入れてもらえるように、俺は暗躍するとするかな」






朧夢







叶えることすら諦めることを悲劇と言わずしてなんと言いましょうか。








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