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Hug Hug Hug

「やあ、神父サマ」

おや、と口の中だけで呟く。
久方ぶりに見る顔だ。
スキンヘッドに吊り上った目、頬に走る大きな傷跡、それに不釣り合いな黒縁の眼鏡。
去年この島がアドルフォファミリーの支配下になったころからよく見かけるようになった男は、名をウーゴという。
見た目こそ立派にマフィアじみている彼だが、付き合ってみればなんということのない好青年で、他人に興味のないラファエレでさえそれなりに立ち入りを許している人間だ。
その凶悪な顔に似合わない穏やかな笑みをたたえたウーゴは軽やかな足取りで祈りを捧げるラファエレのもとにやってくる。

「お邪魔だったかな、申し訳ないね」
「……いえ、神への祈りはいつ何時捧げても。主は寛大ですから」
「それは助かるな。あ、これ、口に合うか分からないけれどお茶請け程度にはなるんじゃないかな」
「はあ、これはどうもご丁寧に……」

しゃれたモスグリーンの包みに入った手土産を渡しつつ、ウーゴはきょろりと周りを見る。

「ところで神父サマ、シセロは最近ここに来てないかい」
「シセロさん……ですか?」

言われてはたと気づく。
そう言えばあの喧しさの権化ともいえるような真白の少女は最近ここに顔を出していない。
その旨を伝えるとウーゴは若干険しい顔で「そうか」と呟いた。

「神父サマ、あの子がカポデチーナになってそろそろ1年がたつな」
「ああ、確かにそうですね。もうそんなになりますか……」

昨年のあの出来事から早くも1年が経過しようとしていた。
あれよあれよとあわただしく過ぎていく中で、件のシセロは新米カポデチーナとしてカポが欲しがっていたこの島を統括すべく走り回っていたような。
彼女はここにくるとき、必ず豪快に礼拝堂のドアを蹴り開けては暑苦しいほどの笑顔を浮かべていた。
「聞いてくれよオッサン」といういつもの言葉から始まるマシンガントーク、思い返せばここ最近聞いていないのだ。
ラファエレからすれば物騒かつほんの少し羨望のまなざしを向けてしまうような出来事を快活に明朗に語る彼女も来なければ案外忘れてしまうものだな、と思ったところ。

「神父サマに言っちまうとな、あの子はこの間暗殺されかけたんだ」

思考を少々引っ張られるレベルの文言が飛んできた。

「暗殺ですか」
「敵対ファミリーが送ってきた鉄砲玉ならよかった」
「その物言いだと、そうではなかったんですね?」

ずばりと切るようなラファエレの言葉にウーゴは神妙に頷く。
それからほんの少し目を伏せて言葉をつづけた。

「実行犯も主犯もあの子がこの島のカポデチーナになってからあの子の下に就いた若手のソルダーティだったんだ」

まあそんなことでしょうね、と冷静な頭の中で考える。
女であることを隠していたってあの若さと美貌である、逆恨みで下剋上を企てる奴らなどごまんといるだろう。
しかしシセロ・ガッティという人間がそんな一般論で物事を判断できるような性質ではないことなど、ラファエレはよく知っている。
かつて巻き込まれた事件で、彼女は自分のファミリーが―よく聞いてみれば、彼はシセロと親しい兄貴分だったのだという―石像と化すという超常現象に直面した時、その衝撃で一時的とはいえ正気を失った。
微笑みをたたえた顔で目からはぼろぼろと涙を流し、そうして吐き出す言葉は怒りに震えていた。
そういう性分なのだ、シセロという女は。
自分の身内が大切で仕方がない、身内の幸福が自分の幸福と連動している、そういう女だ。

では、自分の存在そのものが身内の障害になったとしたら、どうだろう。

「落ち込んだでしょうね」

ウーゴはその言葉に何も返さない。だが、その沈黙が何よりの答えだった。
あの性格と確かな腕を持っている。おそらく暗殺者を返り討ちにしたのだろう。
自分を襲った相手が自分の家族だと気づいたら、自分が手にかけたのが自分の家族だと気づいたら……きっと彼女は絶望しただろう。
ラファエレとシセロは似ているがこういうところが絶対的に違う。
家族を殺しても絶望の先に神の罰という「蜜」を見た自分では、絶対にシセロの絶望は分かるまい。

「まあそれ以来殺気立っているというかね……」
「それは困ったものですね」
「……あの子、笑わなくなってしまって」

これには素直に驚きの声が漏れた。
シセロは良く笑う。裏稼業の人間に似合わぬ豪快な笑い声はこの島にも受け入れられつつあった。
彼女の父代わりであるヴィノもおなじように笑うから、きっと似たのだろう。
ラファエレとてやかましいとは思っているが、別段嫌味な感じに受け取ったことはない。むしろそれが平常だと思っていた。

そんな彼女が笑わない。

「それは重症ですね」
「ああ、本当に。それでね、神父サマにお願いがあったんだ」

ウーゴはすっとラファエレの前に座り込む。
まるで懺悔の姿勢のようだとぼんやり思った。
その姿勢のまま頭を下げ、低く穏やかな声で言葉を続ける。

「あの子を抱きしめてやってくれないか、神父サマ」
「……え?」
「俺じゃダメなんだ。俺はあの子の兄貴で、家族だから。あの子からすれば、今【家族】は地雷もいいところだ」

ゆっくり顔を上げたのち、じっとラファエレを見つめる。
ヘマタイトに似た揺らがない瞳の奥にちりちりと燃える炎が見えた気がした。

「あなたは……私にそれができるとお思いで?」
「できるさ。俺は人を見る目は確かだし、シセロに一番近しい家族だからね。あの子が今欲しがっているものを持っているのが神父サマだってことくらいすぐ分かるとも」

そしてそれは俺にはできないことだ。
穏やかに笑いながら、しかし声に悔しさをにじませながらウーゴは言う。

「ラファエレさん、あの子を助けてあげてくれ」

その言葉にどれだけの思いを込めたのか。
1年しか付き合いのないラファエレにもある程度は分かる。
大切で大切で仕方がない誰かを心から思いやった声だ。
それこそ、マフィアが発した言葉だと知ったら信じられないほど愛にあふれた声だ。
そして。
神に仕える身として、断るという法もなかった。

わかりましたと言えばウーゴの目元が緩んだ。
彼女もこういう風に笑っていたな、とどこか思考の遠くで声がした気がした。



探してみれば、彼女は思ったより早く見つかった。
海の見える高台にぼんやりと座り込んでいたシセロは振り返りもせずに「よお、オッサン」と言った。
声に覇気はない。それどころか、いつもならばとびかかるような勢いで近寄ってくるのに今日はピクリとも動かない。

「随分な様子ですね」
「オッサンが教会から出てるのは珍しいな。僕に何の用だ?」
「……あなたがそんな様子ですからね」

はは、と乾いた口調でシセロが笑う。
声をかけても彼女は一向にこちらを向こうとはしない。
聞こえていないわけでもないし、無視をしたいわけでもないようだ。
さっさとウーゴの要望を果たすか、と思って近寄っていく。
シセロの体に触れるか触れないかという距離になった時、彼女の細い肩がびくりと揺れた。

と、思うが早いか。
ゴリ。と胸部に固い感触があった。

「あ……」

怯えて引き攣ったような声が自分の胸元から聞こえた。
この胸に当たる固い感触が彼女の愛銃であることは見なくてもわかる。

「……撃ちますか?」

聞けば、拳銃を握る腕が力なく垂れた。
ふるふると小さく首を振ったシセロの顔を見て、ラファエレは今日一番の大きなため息をついた。
白く美しいはずの肌は白を通り越して青白く、ガーネットを思わせる大きな瞳の下には不釣り合いな隈が浮かんでいた。桃色の唇は噛みしめられて白く変色し、乾燥しているのかところどころから血がにじんでいる。

要は、死人のような顔だった。

「なんて顔をしているんですか」
「……悪い」

こんなことになっていては美人も形無しである。
震える体を誤魔化すように自分の体をきつく抱きかかえたシセロは笑ってみせる。
豪快な、とか、快活な、という言葉はとてもではないが使えそうになかった。

「なにがあったかウーゴが吐いたんだろ?」
「はいたとは穏やかではありませんね。報告に来られましたよ」

伝えれば、そうか、といってまた引き攣ったように笑う。

「死んだヤツな、ジュリオっていうんだ」

その笑顔のまま、シセロは唐突に語り出す。

「僕が殺したのはアンドレア」

死人の顔に笑顔の仮面を張り付けたよう、そんな不自然極まりない様相の彼女を、しかしラファエレは黙って見つめていた。

「ジュリオが主犯で、アンドレアが実行犯。ふたりで、僕を殺そうとした」
「ええ」
「だから――だから、僕は、殺されないように、彼らを殺した」

ぐしゃり、仮面が音を立てて崩れていく。
必死に保った正気の面がガラガラと頽れていくのは早かった。
眼球が眼窩から零れ落ちそうなほど目を見開き、かたかたと震える体を無理やり止めて彼女は笑った。

「家族だったのに、殺したんだ」

血を吐くのではないかと思うような声だった。
いったい何を思い悩めばこんな声が出るようになるのか、ラファエレには皆目見当もつかない。
しかし目前でそのような姿をさらしている彼女は確かに悩んでいるのだろう。
ならば自分はウーゴから頼まれたとおりに行動するまでである。

「オッサン……オッサン、どうしよう……」
「……は?」

そんなことを考えている間に彼の腹のあたりで柔らかなものが動いた。
一拍遅れて、シセロが抱き着いてきたことを知覚する。
シセロは小刻みに震えながら、ラファエレの腹か胸に自分の体を埋め込もうとするように強く抱きしめてきた。
そのあまりの小ささに、一瞬息が止まる。
豪快で、快活で、少しばかり頭はたりないが人当たりの良い人間だが、ひとたび銃を握れば確実に敵を仕留める冷徹なるマフィアの若きカポデチーナ。
けれど当たり前のように、彼女はまだ20歳の女性なのだ。

不安だったに、きまっているのだ。

「あなたというひとは……本当に……」

宥めるように背に手を回す。
ちいさな子どもにするように、とんとん、と一定のペースで叩いていると、胸元に湿り気を感じた。
はあ、と大きくため息をつく。
とんだ人間たちと知り合ってしまったと思いつつ、今は本格的に泣き出した小さな女の子を宥めきることに専念することにしたのだった。








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うまくいかなくて悩む小さな掌の主は、やはり普通の「女の子」で御座いました。










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