02 花崎すずはビル街を駆け抜けた。 連続婦女暴行犯を逮捕する手筈はこの日決行された。犯人である三十代男の住処より南にあるビル街の一角で、複雑な路地を迷路に見立てて追い詰めることになっていた。 今回の計画を立てた刑事課一係の役割分担は大きく三つだ。犯人を予定の場所まで誘き寄せる誘導班、誘導された犯人を追い詰め逮捕する追跡班、犯人の動向を監視映像から観察しつつ無線で二組に指示を出すバックアップ班だ。 すずは誘導を担当していた。送られてくる情報や指示をもとに犯人の逃げ道へと先回りし、わざと拳銃を見せることで脅しをかけ、後退させつつ行き先を絞っていった。 順調に事は運び、逮捕は目前のはずだった。 『犯人が若い女を人質にとったわ。逃走ルートが予定より外れてる。すずちゃん、次の分岐を左に行ってくれる?』 無線から流れてきた台詞にすずは思わず眉を寄せる。 「人質って……この辺りの道はすべて封鎖したし、店への営業中止の通達もしたのに。そんな、どこから」 『恐らくホステスだろうね。酔っ払って前後不覚になってたところを店の前で襲われたのよ。監視映像に写ってる』 足早に道を左に折れる。途中、青いアウターを着た青年を見かけた。犯人の特徴には当てはまらない外見をしているので恐らく彼は一般人だ。この近辺は今危険なのでその場を動かないようにと伝え、すずは青年から離れた。 まったく道を封鎖しているというのにどうしてこうも人の出入りがあるのか。犯人を逮捕さえできれば危険が及ぶ心配もないのだけれど。 『ホシは建物の中に入ったよ。人質に害を加える可能性もある……すずちゃんが一番近いんだけど行っちゃう?』 唐突に宣告され、すずは内心心臓が跳ね上がった。 こ、こころの準備ができてません。 なんてことは言葉にできるはずもない。人員不足の刑事課は新人を新人扱いしない部署で有名である。 無線から軽いノイズが聞こえた。一係の先輩の声が続く。 『残念な報せだ』 「あんまり聞きたくないですけど、どうぞ」 『人質の身元が割れた。氏名××××、年齢は二十八歳。その辺りじゃ栄えてるバーのホステスだ。客と飲んでる最中に言い合いになってつい外に出たんだと』 「……。客のほうは無事なんですか」 『そっちは店内から出ていない。問題は人質の名字だ。花崎も聞き覚えがあるだろう』 残念な報せと言いながらも先輩の口調は落ち着いている。すずはせっせと足を動かしながら頭の中で人物帳をめくった。 先輩と共通している名字。一人、思い当たった。 「……まさか」 『その、まさかだ。署長の御息女。花崎、刺し違えても御息女を「人質」から「被害者」にするなよ。一係の首が飛ぶ』 先輩の台詞にひく、と喉が引きつった。 「それは、わたし一人で逮捕しろということでしょうか」 『ヤツ一人ならどう時間を食ってもよかったが人質を取られたなら話は別だ。しくじるな』 すずは苦い顔で手元に視線を落とした。五発の弾が込められたリボルバーがある。 警察学校で射撃訓練を受けたことはあるが、実際に使った経験はまだない。 「いやあああっ!!!!」 上の階から悲鳴が聞こえた。暗い雑居ビル内に足を踏み入れ様子を伺っていたすずは慌てて階段を上った。 声が聞こえたのは最奥の一角だった。壁際に身を寄せ、息を潜めながら目を凝らした。 「こちら花崎。104地区ビル4階で犯人と人質を発見しました」 『男の様子はどうだ』 「……現行犯です」 蜘蛛の巣が幾重にも張られた部屋で二つの影がもみ合っている。野獣のように男が人質に襲いかかり、逆に女性はだんだんと抵抗の力が弱くなっている。 連続婦女暴行犯。この一年間での被害者は十数人にのぼる。中には顔の原型がわからなくなるほど殴られたり骨を折って重傷を負わされた者もいる。少女から大人まで見境なく犯行は続いた。 その犯人が目の前で罪を犯している。 すずは拳銃を握る手に力を込めた。 「制圧します」 無線に告げた。 じりじりと部屋に近づく。緊張で手も足も震えていた。 犯人への警告と威嚇射撃を一発。……でも、それで男が犯行を止めなかったら? 二つの影がぐにゃりと歪み、一つの大きな生き物のようになって蠢いている。自分はこの拳銃を使って男を止められるのだろうか。 暴発の音が耳の奥にこだまする。 それは幼い頃に聞いた、トラウマそのものだ。 「……っ」 唇に歯を立てて強く噛み締めた。肩に力が入りすぎている。これじゃあ出来ることも出来ない……深呼吸をしようとした、その時。 「これでアイツを撃っちゃうんだ?」 耳に直に息が吹き込まれ、すずは勢いよく振り返った。 幸い、驚きが声になることはなかった。犯人が気づいた様子はない。 青いアウターを着た青年が立っていた。室内の薄暗さでもそれと分かる明るい髪の毛をしている。見覚えのある外見にすずは思わず青年の腕を掴んだ。 「あなた、どうしてここに……動くなって言ったでしょ?!」 小声で問いただした。 青年は悪びれもせず「まあまあ落ち着いて」と取りなすだけだ。 それどころかすずの手元を興味津々といった様子で見つめた。 すずは一歩身を引いた。確かに一般人からすれば拳銃なんて物珍しさの対象だろうけれど。にしても、こんなふうに怖がりもせず見ていられるものだろうか。……もしかして興味本位で自分の後ろを尾けてきた? 「すげーや。実弾なんだろ」 「そ、そうだけど……じゃなくて! わたし言ったよね。ここは危ないって」 「うん? ん、言ったね。でも大丈夫だって、俺こーゆうの慣れてるから」 一般人が慣れてるわけないでしょ! 大声で言い返したいのをグッと我慢する。こんなことで仕事をしくじるのは絶対に避けたい。 すずは青年の背中を部屋とは反対側に押しやった。青年は不満そうに口を尖らせる。 「わかったから。今はあっちに行ってて。ビルの外にいればとりあえず安全だから」 「あんた一人でやるの?」 「そうだよ」 「無理っしょ」 断言されたすずの動きが一瞬止まる。青年のがくるりと振り返り、二人は向き合う形になった。やや骨ばった手がすずの手を拳銃ごと包んだ。 「こんなに震えてるくクセに」 優しげな言動は慰めではなかった。青年は薄情にも口角を釣り上げ、揶揄を向けたのだった。 「何、そんなに怖いわけ? 人を撃つのって。こうやってさ」 青年が親指と人差し指だけを伸ばし、手を拳銃に見立てた。 手首に角度をつけ、発砲の真似をする。 「一瞬だぜ?」 軽い口調で言う。まるで本当に撃ったことがあるような言い方だ。 すずは顔を伏せた。人を撃つことが一瞬、なんて軽い物言いは理解できない。だけどこの青年は確かなことを言った。 わたしは恐れた。威嚇射撃ならまだしも、人間に銃口を向けることを。 「……怖いよ」 絞り出した声は思ったよりも小さく、独り言のようだった。 けれど青年の耳には届いたらしく、ふうん、と軽い相槌が打たれた。 「じゃあさ、俺に任せとけって」 「え?」 「俺がアイツの動きを止めてやるよ。そうすればやりやすいだろ? あ、ダイジョーブ、こーゆうの慣れてっから」 そう言い残すと、青年は丸腰のまま軽やかな動きで部屋へと飛び込んだ。 |