完結
 普段滅多に行かない教室なため、教室を出ていろいろと考えながら歩いていると、あっという間に山口くんがいる四組に到着した。
 部活の友人も四組にはおらず、どうやって彼に会おうと、開いているドアから少し教室内を覗けば、山口くんが背の高い男の子に嬉しそうに話しかけているのが見えた。

 山口くん嬉しそう。今声かけたら迷惑かなと少し思ったが、それでもノートが無いとダメなはず、と入口近くにいた女の子に声をかけて山口くんを呼んでもらう。ただ呼んできてもらうだけなのに、ノートを渡すだけなのにドキドキする。やっぱり進学クラスという居慣れない場所にいるからかななんて思っていると、山口くんが向こうから不思議そうな顔をしてやってきた。「名字さんどうしたの」と言いながら、廊下まで出てきてくれた山口くんは、私が持っているノートを見るとあれっという顔をした。

「私、山口くんと同じバレー部の日向くんと同じクラスなんだけど、日向くんがこれ、山口くんのノート間違えて鞄に入れちゃったらしくて」
「あぁ、朝練終わった後に教えてたんだった。有難う名字さん。でもどうして君が?」

 彼は照れくさそうに頭をかいて尋ねた。私は日向くんが先輩に用があると言っていたことを伝えると、あぁ、と少し困ったような顔をした。

「たぶん、勉強のことかな」

 独り言のように少し控えめな声で言ったあと、私の方を見て改めてお礼を言ってくれた。

「いや、私、山口くんの役に立ちたかっただけだからさ。役に立てたなら良かった」
「うん、有り難う」

 山口くんが笑うと、なんだか嬉しいなぁと思ってしまう。
 日向くんがバレー部のジャージを朝持っていたことで、山口くんがバレー部だということを知ったのだと彼に伝えれば、困った顔をしながら「俺は一年の中でもまだまだなんだけどね」と少し控えめな声で彼は言った。その表情がなんだか寂しくて、けれどもなんて言えばいいのかわからないのは、私と彼がまだまだ親しくないからなのは十分理解出来た。そんな矢先に予鈴が鳴る。ああ、そういえば日向くんは時間がないから私に声をかけたんだと思い出し、私は彼に手を振って自分のクラスへ戻った。


 山口くんの役に立てたという事実に満足感を得た。たいしたことじゃないんだけど、それでも良かった。ほんの少しのことでも、彼が助かったと、良かったと思えることがしたいのだ。まぁ、私は彼のことを全然知らないこともよくわかったのだけど。

 今日彼に初めて有り難うと言われたが、山口くんの表情もあってかとても照れくさかった。そのことを思い出して少しだけ嬉しくなる。

 今日までに三度しか会ったことのない男の子なのに、私の中で山口忠くんという男の子の存在がどんどん大きくなっていく。感謝しているからそのお礼がしたい一心ではあるが、なんだか不思議なくらい胸の辺りがほくほくしている。
 感謝しきれない人の役に立ちたくて、その人の役に立つことはこんなにも嬉しいことなのか。
 いや、でもノートを渡しただけでなんで私はこんなにもはしゃいでいるのだろうか。またあの顔を見たいななんて、なんでこんなにも強く思うのだろう。山口くんに会いたいし、もっとお話がしたい。最後に見せた少しだけ寂しそうな彼を思い出して、彼のことをもっと知りたいし、教えてほしいと思った。私のことも知ってほしくて、つまりそれは……。

 あれ、これって少しおかしいな。まるで恋みたいじゃないか。そう心の中で気持ちを整理していく。
 まるで私が山口くんを好きみたい。いやいや、そんな、昨日再会したばかりの男の子に?

「そんなはずはないよなぁ」

 それでも確かに、私の中であの受験の時の山口くんの行為は、まさしく天からの助けであった。惚れてもおかしくないかもしれない。いや、それでも――。

「名字?」

 その声にハッとすれば、目の前には日向くんが立っていた。

「名字も今帰ってきたんだな。俺と一緒だ。ノート有り難うなぁ」

 日向くんはそう言った後、私に向けてぐっと手を差し出した。

「名字関係ないのにごめんな。これ、一個で悪いけどお礼の飴」

 その言葉に私は両手を差し出すと、弾んだ声で彼は「俺も今、口に入れてるけど美味いよこれ」と言った。

「先輩が二個くれたんだ。だからこれ、お礼」
「わぁ、有り難う。嬉しい」

 彼が口の中で飴を転がしている音と、甘い香りがなんだか羨ましくて私も飴の包装を取って口に入れる。

「甘い。レモン味だ」
「な、美味いだろ」
「うん。すごく」

 彼と同じように飴を口の中で転がす。音が可愛くて、口の中を甘くする。本鈴が鳴り、日向くんは自分の机に戻っていった。
 ころころと口の中で飴を転がしていると、ふと先ほど見た山口くんの笑った顔を思い出した。

 なるほど、初恋はレモン味とかなんとか言うけれど、この気持ちはもしかしたら恋に近いものなのかもしれない。

20160107

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