あと少し顔が近づけば鼻がくっついてしまうような近い距離。つまりそれは、意識しないで動いてしまえばキスをしてしまいそうになるくらい私と月島くんの顔は近くにあったわけだ。
男の子の顔をあんなに近くで見たことはなかった。息をするのを忘れてしまったほど驚いたし、月島くんが離れてようやく無意識に呼吸を止めていたことに気付いたくらいだ。
それにしても、ぼんやりした記憶の中で月島くんは私が好きだと言ってはいなかっただろうか。
最初、月島くんの意地悪の一種だろうかと思った。けれど、あんなにも優しい顔をする月島くんは見たことがなかったし、私が先輩を好きだってことを知っていたという事実が、中学の頃の私をよく知っていると認識せざるを得ない。だって、私の恋は親しい友人にも気付かれないようなものだったのだから。だから、実際にそうなのかもしれないと思ってしまった。とても信じられない気持ちの方が大きくて、自意識過剰なのではと思う気持ちでいっぱいだけど。
私はずっと、先輩に片思いをしていた。じゃあ、月島くんも私と同じように片思いをしていたということだろうか。自分を見てほしいのに見てもらえないという気持ちを、ずっと抱いていたのだろうか。
月島くんは前に「僕をちゃんと見たことがある?」と言った。あの後彼は何もなかったように部活の先輩の元へ行ったけれど、今思えばその言葉の意味が理解できるような気がする。
私は先輩を諦めて、月島くんは私が先輩を諦めたから距離を縮めてきた。つまり、そういうことだ。月島くんは、おかしなことに私に好きになってほしいみたいだ。
私たちは似ていたようで全く異なる道を選んだということだろうか。私が言うのはどうかと思うけれど、月島くんはすごいけれど、おかしいと思う。私なんかよりも彼を好きで、素敵な女の子は沢山いるんだからそういう子を好きになればいいのに。まぁ、好きって気持ちがそんなうまくいかないことは自分が重々承知なんだけれど。
部活を終え、友達と別れた後一人になってしまった私は、いつもよりゆっくりと歩きながら下校していた。
その日はとても月が綺麗だった。月の光が優しくて、はやく家に帰らなくてはいけないというのはわかっているのに、少しもったいないと感じた。
明日は英語の小テストがあるから勉強しなきゃなぁなんて考えていると、後ろから声をかけられる。
「ちょっと君、はやく家に帰りなよ。どうしてそんなに歩くのが遅いわけ?」
いらいらした顔をした月島くんが立っている。
部活前のことを思い出してひゃっと、変な声が出てしまった。いつも隣にいる山口くんがいなくて、山口くんはどうしたのって聞こうとしたけれど聞けなかった。聞いたらまた月島くんはむすっとした顔をするだろうと思ったからだ。私は、たぶん月島くんのあの顔が苦手だ。ごめんねと言いたくなる顔なのだ。
いつの間にか彼が隣を同じ速度で歩いている。月がさっきよりも綺麗に見える。気のせいだろうか、それとも本当に私の目には月が綺麗に見えているのかもしれない。
月島くんは、私と同じ速度で歩くのは疲れないのだろうか。明らかに足の長さは違うし、きっと歩くスピードも普段と違うだろう。私の歩くスピードは特別遅いわけではないだろうけれど、それにしても、という話だ。
「……別に僕、告白の返事をしろとは言わないからね」
ふと、月島くんは小さく呟いた。
彼の顔を見るために顔を上げると、位置の関係で月も一緒に見えた。髪色のせいだろうか、月島くんと月は似合うなぁなんて思いながら、小さく頷く。
「でも、僕を好きになったら、すぐに言って」
ずっと待ってるよ、きっと、本当にずっと。
そう言いながら、顔を背ける月島くんを見て心臓が大きく動いた。
ローファーの足音や彼の制服と私の制服が擦れた音が聞こえると、いつもと違う帰り道のように思った。あっという間に自分の家に着いた時、そういえば月島くんの家は少し前で別の道を行くのではなかったかと気がつく。
「月島くんの家って確かこっちじゃないよね。気付かなくてごめん。なんか、送ってもらうような感じになっちゃって……」
「……いいよ、別に。最初からそのつもりだったし」
「いや、でもほんと、ごめんね」
「うざい。僕がいいって言ってるでしょ。そういう時は笑ってありがとうって言いなよ」
ぎゅっと眉に皺を寄せた月島くんに頬をつねられた。
「あ、ありがとう。月島くん」
そう私が言うと、くるっと背中を向けて月島くんは来た道を戻っていった。やっぱり申し訳ないなと思って、その背中が見えなくなるまで見ていようと思った時、月島くんは振り返って声をかけてきた。
「……君と帰っている時に見た月は、いつもより綺麗だったよ」
20141109
20200103 再修正